第120話 トリュフチョコレート(後編)

 私の今の話をします。


 少しだけ眠くなってしまって、少しだけ寝ようと思っていたのが一時間位前。

ほんの十分じゅっぷん位かと思っていたのにもうこんな時間、と黒板の上にはる針時計を目の端で見る。

そして目の前に見えているものは、男子。


 男子は、眠っている。


 ……器用な寝方ね。


 男子は後頭部と首、肩甲骨辺りを窓と壁につけて、ずるり、とやや滑り落ちた格好で寝ている。

もう部活の用は済んだのかしら、と私は上半身を机から起こした。

そして、気づいた。


 ……わお。


 私の手が、男子の指を握っている。

どのような経緯でこうなっているのか全くわからない。

けれど確実に私が握っていて──変に離せない。

変っていうのは、あれ、えと、驚きゆえに。

そして離した拍子に起こしてしまうかな、と思ったからだ。


 とりあえずよだれを拭きましょう。


 私は空いた手でタオルを取って口元を拭う。


 ──あら?


 四つあったはずのお菓子が三つになっている。

水色のトリュフチョコレートはいずこへ──と、首を傾げた時、見えた。

中身がなくなったきらきらの水色の包み紙が男子の机の上にあった。

どうやら先に食べてしまったらしい。

ふっ、と軽く息をついて、水色の代わりに置かれた緑茶のパックを手に取った。

ストローを挿すのは、さすがに両手が必要だ。


 ……起きないで、ね?


 そぉ、っと私は男子の指から手を離した。


 でっかい手と、私よりも長くてごつごつした指。

小指と、薬指が見えた。


 ……こういうのって、デジャブ、って言うんだったかしら。


 私はまた首を傾げる。

覚えがあるような、ないような、けれど手を握った感覚は、初めてじゃないような──初めてじゃなかったわ、と私は緑茶にストローを挿した。

いつもは気にならない、ぷつっ、という穴が開く音が大きく聞こえた気がして、男子を上目に確認する。


 よかった、よく寝てるみたい。


 つるー、とぬるい緑茶が渇いていた喉に潤っていく。

少し、目が覚めてきた。


 明日の合宿のためにいつもはしない色んな事をしていた。

書きまくる、が書道部の予定なのだけれど、その他もろもろも初めての事なのだ。

後輩達も合宿、というより、お泊り、に浮足立っている感じ。

初めてって、少し不安──だから、楽しみでもある。


 ふいに、男子を見て見た。

すーすー、と息が聞こえる。

横顔で、瞑った目にあるまつ毛が長いんだな、って、喉ぼとけが尖ってるな、って、見えた。

どの色のトリュフチョコレートを食べようかな、と選んでいると、男子の手が目の端に映った。


 男子の手はでっかくて、男の子の手で──彼氏、とやらの、手で。


「……わあ」


 声が呟きで出た。

なんだか顔が、ぽかぽかしてきてしまった。

さっきまで握って、触っていたのに。

落ち着こう、ときらきらした赤色の包み紙のトリュフチョコレートを手に取った。

両端の紙の耳を引っ張って、くるくる、と出す。

これは二口の大きさね、と、いただきます。


 ──うん。

こりっ、と噛んだ後に、なめらかぁなのがきて、うん。

ミルクチョコレートの甘さが、ふわん。


 唇についたココアパウダーを舐め取って、ごくん。

美味し。

まだ口の中がチョコレートしてる。


 ……っていうのを共感してほしいのだけれどなー。


 残った半分を口に放り込んで、もぐもぐ、食べながら男子の顔を窺う。

本当に寝ているのかしら、と、じろじろ、見る。

そしてまた、そぉ、っと小指を触ってみた。

つんつん、と私とは違う骨ばった感じのところをつついてみる。


 男子の指、男の子の指──男の人の、指。


 ……ねぇ、起きて。

私ね、

けれどね、もうちょっと寝ててもいいの。

だって、もっと色々見たいから。


 自分が言っている事が破綻してる、と思って、私は男子の小指の爪を人差し指でなぞっていた時──。


「──どした?」


 男子の声がした。

起きちゃった、と私は顔を上げた。

男子はちゅうくらいのあくびをしている。

そして、私の人差し指が指で挟まれた。

まるで指遊びするみたいに、くすぐってる。


「……起きた」


「うん? うん、ちょっと前から起きてた」


 甘い匂いがした、らしい。


「……ふふっ、先に食べるなんてずるい」


「我慢無理だったー」


 私は人差し指で男子の指をつんつん、とつついてみた。

すると男子もそうさせないために指をうにゃうにゃ動かして、防御してきた。


 けれど離さなかった──離れなかった。


「ん?」


 まだ少し眠気が残っている男子が私を少し横に見てきた。

私はそれだけでなんか──なん、か。


「……ううん、なんでもないの」


 私はそう言って、笑って、夢の続きを見るのだった。

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