第22話 チョコレートチップス(後編)
例えばの、話。
「例えばの話だけれど──」
「──お、隕石の話?」
「まさか」
私は、ばっさり、と否定して男子のノートに指で丸を描いた。
さっきの計算ミスをした問題はクリア。
はい次、とすぐ下にある問題をとんとん、と二度ペン先で叩く。
この問題は少しひっかけ。
「で、例えばの話って?」
ああ、そうだった。
隕石に引っ張られてしまったわ。
その話は、もし、もしもの話。
例えば逆に私がベンキョーを教えてもらっていたり──。
「──まさかね」
「ん、何?」
心の声が漏れた。
「いいえ、何でもな──くはないわね。ちょっと思ったの。私が前の席じゃなかったらこうしてあなたに勉強を教える事があったのかしら、って」
男子は頬杖をつきながら計算していて、そして答えた。
「ないな」
でしょうね、と私も思う。
こうして席が前後じゃなかったらテスト前に関わらず、話もしていないだろうと想像も容易い。
それも鮮明に。
けれど男子からは思っていなかった答えが続いた。
「だってこうやって誰かとベンキョーすんの、初めてだし」
それは私も初めてだ。
お勉強は授業中だけでお腹いっぱいだもの。
「いつもはどうしてるの? テスト前」
一夜漬けだろうな、と思ったら男子はその通り、一夜漬け、とため息混じりに言って、解いたところをペンで叩いた。
はい正解、と私は頷いて、チョコレートチップスをぱりっ、と食べる。
そして、次、と男子の教科書を一ページ捲った。
「ふっ、何か思い出すわ」
「何を?」
「初めてお前と話した時の事」
「……どんなだったかしら」
嘘、本当は覚えている。
それこそ、鮮明に。
まだ夏服になる前の、長袖のセーラー服を着ていた日。
テスト最終日の教室。
こんな風に私は放課後、教室に残っていて、男子は帰りのホームルームが終わっても机に突っ伏して眠っていた。
いつ起きるのか、帰ればいいのに、と思いつつ、男子の寝息がいつもはない微かで小さなBGMみたいだな、と思っていた。
そんな日が、初めて、声をかけられた日。
その第一声は──。
「──甘い匂いがする」
「──甘い匂いがする」
同時に出て、私と男子の目が合った。
そしてまた同時に、ふっ、と笑った。
「覚えてんじゃん」
「ちょうど思い出したのよ」
なんて──。
「──嘘だね」
あら、見破られた?
「そっから結構話してんだぞ? お前の冗談と嘘の区別くらいつくっつの」
男子はペンを置いて箸でとったチョコレートチップスを私に向ける。
「左手で髪の毛、耳にかけんだよな。クセだろ、嘘つく時の」
「……そう?」
「うん。嘘つく時は大体やってる」
にっ、としてやったり顔の男子に少々、いらっ、としたけれど、もぞっ、とした痒さも感じた。
自分が気づいていない──知らない事を教えてもらうのは、こんな感じ。
新鮮で、むず痒くて、楽しい。
「──悔し」
私は男子の目を見つめたまま、ぱくっ、とそれを食べた。
男子が向けたままだった、チョコレートチップスを。
「──……おっ、お前! じ、自分で食えよ!」
ふふん、驚いてるわね。
というより、
私は、ぱりぱり、と咀嚼しながら、にんまり、と笑ってみせる。
そして意識して髪の毛を耳にかけなかった。
だって嘘ではないから。
ただの照れ隠し──ああ、悔し。
「ん、やっぱり甘じょっぱいわね」
「いーや、これはしょっぱ甘いもんだ!」
男子はチョコレートチップスを二枚食いする。
ばりばり、と大きく、心地良い音は激しい。
あーん、がそんなに悔しかったのか。
「議論の余地があるわね」
「議論て、どっちでもよくねぇか?」
いいえ、と男子のノートを指で差す。
「不正解。またまた計算ミスよ」
ふふふふ、としてやったり顔で笑った私に男子は、うぇー……と呟いて、初めて会った時と同じように机に突っ伏したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます