第23話 たびだちは事急計生

 マリアがレイノルドと共に保管庫に閉じ込められた話は王妃に伝わり、もしものことがあったらいけないと雑用から外されることになった。


 腐っても公爵令嬢だ。

 王家とも関わりの深い一族に何かあれば、上流階級の追及は避けられない。

 あれ以来、マリアの仕事は王妃のティータイムの話相手になった。


 お仕着せ姿でテーブルにつき、焼き目のしっかりついたチーズケーキに舌鼓を打っていたマリアは、王妃の何気ない言葉に咳き込んだ。


「けほっ。王妃殿下、今なんとおっしゃいました?」

「公女が、レイノルドを連れてルビエ公国に行きたいと国王陛下に申し入れたらしいわ」


 けろりと語る王妃エマニュエルは、ミンクの襟巻を撫でた。

 うっとりするような上質な毛並みに視線が吸い寄せられるが、マリアの興味を引いたのはそこではない。


「一人で帰ればいいではありませんか。なぜレイノルド様を?」

「そちらで結婚式を挙げると言い張っているのよ」

「そんな……」


 マリアはぞっとした。

 タスティリヤ王国内であればマリアの人脈で妨害もできるが、ルビエ公国まで連れて行かれたら一切の手出しができない。


「わたくし、どうしたら」


 狼狽するマリアを、カップに口をつける不憫そうに眺めた。


「貴方、いつも気高そうに振る舞っているけれど、本来はそういう女の子なのよね……。私の方から陛下にレイノルドを行かせるべきではないと進言しているわ。あの子は次期国王なのよ。ルビエ公国で公女と結婚式を挙げるだなんて、婿に入りますと宣言したようなものでしょう。許せるはずがないわ」


 しかし、国王は行かせろと反論する。

 ルクレツィア本人から、母国で結婚式を済ませたら帰る道すがら新婚旅行を楽しんで、後は一生をタスティリヤ王国で過ごすつもりだと言われたらしい。


「そんなの嘘です!」


 思わずマリアは叫んでいた。


「ルクレツィア様に、タスティリヤに骨をうずめる覚悟があるとは思えません!」

「私もそう思うわ。でも、陛下がお決めになったらどうにもできない。お手上げなのよ」


 王妃はほとほと困り果てた様子で、中身の減らないカップを置く。

 取り皿にのせたケーキにもフォークを入れていない。

 息子が心配で食欲がないようだ。


(王妃殿下にもなすすべがないなんて)


 目の前が真っ暗になる。ここまで絶望するのは久しぶりだった。

 けれど、光明はすぐに差した。


 レイノルドを一人で行かせるからいけないのだ。

 マリアが近くにいたなら、どんな手を使ってでも彼をタスティリヤへ連れ戻してみせる。


「――王妃殿下、今日限りで侍女をやめさせてください」


 マリアはすっくと立ち上がり、両手を重ねて王妃に申し入れた。


「わたくしもルビエ公国に行きます。レイノルド様をみすみす奪われるのは我慢なりません」


 まっすぐ前を向くローズ色の瞳は闘志に満ちていた。


 恋をすると人は変わるというが、マリアの闘争心は、王子の婚約者として貴族令嬢たちの中で頭角を現すために磨き上げたものだ。


 そこに、恋に生き、恋のためなら死ねる乙女らしい白黒思考が加わると、捨て身で特攻することもいとわない無敵の人ができあがる。


 恋は戦争とはよく言ったものだ。

 こうなるとマリアはもう止まらない。


 王妃は冷たくも温かいまなざしで、懸命にレイノルドを守ろうとする彼女を見つめる。


「大公への密書を準備するわ。我がタスティリヤ王国は、第二王子レイノルドをルビエ公国に渡すつもりはないと示しましょう。貴方が届けてもらえるかしら」


「お任せください。必ずやレイノルド様をルビエ公国から連れ帰ってみせますわ。それでは」


 マリアは振り返らずに部屋を出ていく。

 その背中にタスティリヤの未来がかかっていることを、王妃だけが知っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る