第13話 はりぼての潜在鬼才

 マリアは、もう一方のカップを持ち上げると、そちらにも口をつけて飲みこんだ。

 それに驚いたのは王妃だ。瞳を見開いて、怪訝そうに表情を歪める。


「マリアヴェーラさん、なぜ両方とも飲んだのです?」

「どちらも王妃殿下がわたくしに出してくださった紅茶です。ジステッド公爵令嬢として、口をつけないわけには参りません。それに……たとえ自白剤入りでも構わないと思いました。わたくしとレイノルド様は、不純なお付き合いなんて一切しておりませんもの」


 片方を選んで、もしもそちらが自白剤入りではなかったら。

 王妃は、マリアの勘の良さを腹立たしく感じるだろうし、一夜の過ちの疑惑は晴れない。

 聖女ネリネがもたらした破滅の預言によって、マリアへの期待が下降の一途をたどっている今、恐るるべきは自白させられることより、心証が悪化することなのだ。


(それなら、わたくしは両方、選んでみせるわ)


 自白剤というものが、どこまで真実を暴けるのか知らない。

 だが、本当に起きたことだけを明るみにする薬なのだとしたら、マリアはレイノルドの看病のために付き添って、うっかり居眠りしてしまった事実しか口にしないはずだ。


「――素晴らしい度胸だわ。マリアヴェーラさん」


 王妃は、感服した様子で手を叩いた。


「安心してちょうだい。紅茶のどちらにも自白剤は入っていないわ。そもそも、私はね。レイノルドと貴方が一線を越えていても咎める気なんてなかったの。貴方ほど王子妃に相応しいご令嬢はいないわ」


「それでは、どうして試すような真似を?」

「貴方が、あの忌まわしい聖女に勝てるかどうか、見極めたかったのよ」

「忌まわしい……?」


 わずかに開いた窓から、涼しい夏風が吹き込んできた。だが、マリアの二の腕を粟立たせたのは、恨みをつのらせた王妃の顔つきの方だった。


「ネリネさんはね、国王陛下が地方を視察された際に、拾ってきた子なの――」


 貧しい村で休憩した国王一行は、土にまみれて遊んでいた幼ないネリネに「これから嵐が来るよ」と話しかけられた。

 無視して進んだところ、崖沿いの道に入るすんでのところで黒雲が見えた。


 馬を止めると突風が吹き、巨大な岩が降ってきて道に埋まった。

 もしも嵐の兆候を見逃していたら、国王は馬車もろとも岩に潰されていただろう。


 急いで村に戻った国王は、ネリネを命の恩人として城に連れて行くと決め、彼女を育てていた古宿の主人と女将に、たくさんの褒美を授けた。


(それは、国王を宿に泊めるための嘘だったのでは……?)


 マリアの心の声が聞こえたかのように、王妃はうんざりと眉を下げた。


「古宿の主人は、通り過ぎる旅人を引きとめるために、娘に『嵐が来る』と言わせていたにすぎないわ。けれど、陛下は彼女に預言の力があると信じ込んでしまわれたの。いきなり小さな女の子を連れてこられて、『王子たちと共に育てよ』なんて言われた私は本当に困ったわ。しかもあの子、ちやほやされる内に王族になったと勘違いしたようで、我が儘放題のカンシャク持ちな娘になってしまったの。毎月、一つの預言を行っているけれど、それもろくな内容ではないのよ」


 聖女の預言は、実に簡単だ。

 地方で長雨が降るとか、王都で盗みが起きるとか。

 少し前には、辺境の貴族が反乱を企てているとか適当なことを言って、大勢の騎士をレンドルム領に向かわせる騒ぎのきっかけになった。


(辺境伯にそういった兆候も、戦意もないと貴族は皆知っていたから、真に受けなかったのよね)


 騒ぎを収めたのは、マリアの父――ジステッド公爵による仲介だったので、マリアも事の顛末をよく知っている。


「王妃殿下は、聖女ネリネの預言を信じておられないということですね」

「当たり前でしょう。レイノルドの側近や国王の周りの有能な者たちは皆そうよ。でも、あまり考えるのが得意ではない侍女やアルフレッドは信じて怯えているようね。貴方は、彼らのような文句だけは言う大勢を相手にして、これから戦わなければならないの。……その度胸があれば、少しは抗えるでしょう」


 王妃が目で合図を送ると、執事がマリアの前にあった二客の紅茶を、新しいカップと取り替えてくれた。


 マリアは、試されていたのだ。

 信憑性のない預言に騒ぐだけの人々に、認められるまで戦えるかどうかを見定めるために。


「ここからは、思惑抜きでお茶を楽しみましょう。どのお菓子も私の好物なのよ」


 王妃の勧めでラズベリーパイを食べたマリアは、バターの香りと甘酸っぱい味わいにほっぺたが落ちそうになった。

 思わず頬を紅潮させると、王妃は「あら」と意外そうに瞬きした。


「貴方、高嶺の花というより、砂糖菓子みたいな子なのね。そういえば、ジステッド公爵が肖像画家のレンドルムを招いたというのは本当なの?」

「はい。今、わたくしの絵を描いてもらっています」

「大丈夫?」

「はい?」


 王妃は、心配そうな顔つきで壁を見やった。

 そこには、少し雑なタッチで描かれた王妃の肖像画がかけられている。


「この下手な肖像画、レンドルム作なのよ」

「え? この……言っては何ですが、パッとしない色合いで、王妃殿下の美しさを微塵も表現できていない、これが?」


「驚くでしょう。辺境伯の息子だというから頼んだのだけれど、期待外れだったわね。その後で才能が開花したのか、急に評判が良くなったらしいわ。ネリネさんが自分も描いてもらったと自慢してきたの。描写が下手なのは変わらずだったけれど、不思議と輝いて見える絵を描くようになっていたのよね。不思議だわ」


 レンドルムの絵が、あまり巧みでないことにはマリアも気づいていた。

 プロになったばかりのような初々しい描写でも、なぜか輝いて見える。

 だから、女性に人気なのだと思っていたが――。


 マリアは、王妃の肖像画を見上げて物思う。


(クレロ様の絵が輝いて見えるのは、なぜなのかしら?)



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 レイノルドの私室のドアを開けて、ヘンリーが顔を出した。


「戻ってきたよ?」


 そわそわ落ち着きなく待ちぼうけていたレイノルドは、すぐさま立ち上がって廊下へと急いだ。

 絨毯が敷かれた廊下には、マリアが侍女も連れずに微笑んでいる。


「どうだった?」

「疑いは晴れました。ご安心くださいませ」

「そうか……」


 ほっとして背を丸めたレイノルドは、彼女の腕にかかった籐のバスケットに目を留めた。


「それは?」

「お菓子です。わたくしがあまりに美味しそうに食べるから、王妃殿下が気を利かせて、あれもこれも持って行くように、と……」


 恥ずかしそうに頬を染めたマリアの可愛らしさに、レイノルドの母もノックアウトされたらしい。


「血は争えないねー。それとも、高嶺の花ちゃんって意外と人たらし?」

「わたくしが?」


 面白そうに首を突っ込んできたヘンリーに、マリアはきょとんとしている。

 すごく可愛い表情をしていることに、少しも気づいていない。

 レイノルドは、小さく息をついてマリアをヘンリーから引き剥がした。


「お茶の準備をしてくれ。スティルメイドあたりに、王妃と第二王子の恋人が和解したと噂を流すのも忘れるな」

「はいは~い。……王妃サマも、人が悪いね」


 手を振りながら、ヘンリーは廊下を歩いて行った。


 王妃がマリアに菓子を山ほど持たせたのは、レイノルドと周りの者でお茶をさせるためだ。

 お茶はメイドや執事が淹れるので、彼らに和解したとそれとなく吹き込み、宮殿中に噂を広める機会を与えてくれたのである。


(母上は俺らの味方、と考えてもいいのかもな……)


 その後、マリアとレイノルドは、丸テーブルについてお菓子とお茶を味わった。

 とても美味しかったが、同席したヘンリーに「ほんとうに、ほんとうに、何にもなかったわけ?」と酔っ払いみたいに絡まれて、あげくの果てに「貴様ら、その色気はハリボテか!」と叱責されてしまったのだった。

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