【受賞&書籍化】高嶺の花扱いされる悪役令嬢ですが、本音はめちゃくちゃ恋したい

来栖千依

第1部

第1話 はじまりは婚約破棄

「――マリアヴェーラ・ジステッドとの婚約を破棄する!」


 貴族の令息と令嬢が通う学園の卒業パーティーで、第一王子のアルフレッドは高らかに宣言した。

 壇上の彼には、ピンク色のドレスをまとった少女が不安げな表情で寄り添っている。二人の視線の先には、人が退いたホールに一人で立つマリアがいた。


「マリアヴェーラ。貴方は美しい。薔薇のような赤いドレスが似合う長身と、煌びやかな顔立ち、王子の婚約者として申し分ない聡明さ、全てにおいて完璧だった。学園中が『高嶺の花』と褒めそやすに相応しい貴族令嬢であることは間違いない。だが、貴方は私を癒してはくれなかった。私が心から求めるのは、ここにいるプリシラだったのだ」


 アルフレッドが肩を抱き寄せると、プリシラは安心したように微笑んだ。

 道端に咲く小花のようだと、マリアはかざした羽根扇のかげで思う。


「高貴な貴方とはちがうプリシラの控えめな態度に、私はじょじょに惹かれていった。プリシラと話したり庭園を散策したり、食事をともにするごとに、彼女とあたたかな家庭を築くことが私の夢になった。生まれつきの婚約者である貴方には悪いが、もはや他の女性との結婚は考えられない。反論もあるだろうが、どうかここは引いてほしい」


「分かりました」

「そうだろう。受け入れがたいのは、重々承知だが――って、え?」

「婚約破棄を承知したと申し上げたのです」


 動揺をみせるアルフレッドに、マリアは高嶺の花らしく鮮やかに笑いかけた。


「わたくしでは、殿下のお心を満たせませんでしたこと、心よりお詫び申し上げます。どうかプリシラ嬢とお幸せに」


 大輪の薔薇をあしらったワンショルダードレスの裾を持ち上げて、マリアは悠々と会場をあとにした。

 パーティーホールを抜けた廊下には、寒風が吹いていた。長手袋をはめていても腕が寒い。それ以上に、今は心が寒々しかった。


(アルフレッド様が、他のご令嬢と恋に落ちるなんて……)


 十六歳のマリアは、十六年ものあいだ、アルフレッドの婚約者だった。

 古い時代に王族から分かれてできた公爵家に生まれた女の子は、一カ月前に生まれたばかりの第一王子の相手として最適だったのだ。


 そのため、マリアは妃となるための教育を幼い頃から受けた。

 話し方、立ち居振る舞い、手紙の書き方、ダンス、裁縫、国の歴史や貴族名鑑の暗記だけでなく、諸外国の友好敵対関係などなどなど。

 将来の王妃になるために血の滲むような努力を重ねて、マリアは完璧な令嬢になった。


 望外に喜ばれたのは、マリアの外見だった。


 父に似て高身長な体は誰よりも美しくドレスを着こなすことができたし、高くてほっそりした鼻や、長い睫毛に彩られたマーブル型の瞳は宝石にも負けない気品があった。

 亜麻色のたおやかな髪と白すぎない肌は、赤や黒、青といったはっきりした色合いに際立つ。織物の柄は小ぶりなものより大柄、コサージュやアクセサリーも豪華なものほど似合う。


 それらは、いずれ国母となる身に相応しいと賞賛された。

 結局、アルフレッドが選んだのは、淡い色合いのドレスが似合う、小柄で愛らしい少女だったのだから皮肉だ。


(そちらの方がお好きだったなら、わたくしもそういう格好をしたのに)


 嘆いても無理なことは分かっている。

 マリアには、可愛らしいピンク色のドレスは合わない。

 ヒールの高さを抑えても背の高さはごまかせないし、派手な顔立ちに至っては、化粧をすればするほど煌めくので手の施しようがなかった。


 アルフレッドは、マリアが努力しても手に入れられないものに、恋をしたのだ。


「っ……」


 涙がこぼれそうになって、芝生の生えた裏庭に下りる。このまま廊下を歩いていたら誰かとすれちがうかもしれない。

 泣き顔なんて情けないものを見せられないという、第一王子の婚約者として培ってきたプライドが、マリアを突き動かしていた。

 もう元婚約者なので、見栄を張っても仕方がないのだけれど。


「う……うぅ、うえぇぇえん!」


 裏庭の奥の奥、生徒はまず来ないだろう物置小屋の近くで、マリアの我慢は限界をこえた。地面に座りこんで、赤ちゃんみたいな大声を上げる。


「アルフレッドさま、アルフレッドさまぁ、どうしてわたくしではダメだったの! うえぇえええぇ、うえぇえええん!」


 大粒の涙をぬぐうこともせずに喚いていると、そばの茂みがガサリと揺れた。


「ひっ?!」

「うるさい……」


 コデマリの木の下に、トーンの暗い銀髪と冷たい眼差しをもつ青年がいた。

 マリアも知っている人物である。剣の腕は立つが上流階級に馴染めず、下町のゴロツキとつながりがあるともっぱらの噂だ。

 どことなくアルフレッドに似ているのは、彼が双子の弟だから。


「レイノルド様……、こんな場所でお昼寝をされていましたのね。卒業パーティーに出席なさらないので、ご令嬢たちが悲しんでおられましたわ……」


 マリアはハンカチで涙を押えたが、ぐちゃぐちゃになった化粧はごまかせない。

 乱れた姿をさらすマリアに察するものがあったようで、レイノルドは「兄貴か」とつぶやいた。


「その様子だと、卒業パーティーで婚約破棄でも言い渡されたか」

「なぜそのことを……」

「高嶺の花と呼ばれるあんたに、そんな顔をさせられるのは兄貴だけだろ。半年ほど前から、プリシラとかいうクラスメイトにぞっこんだから、そうなるのは遠くないと思っていた」


 立ち上がったレイノルドは、マリアの前に片膝をつくと泣き顔をじっと見つめた。


「そんなに泣くことか」

「当たり前でしょう。わたくし、王子の妃として相応しい人物になれるように、アルフレッド様に好きになっていただけるように、人生の全てをかけて参りましたのよ……」


 話すとまた涙がこぼれ落ちてきた。

 プリシラのように可憐な少女が泣くなら可愛げもあるが、マリアが泣いたところで不格好なだけだ。


 うつむいてグズグズと鼻を鳴らすマリアに、レイノルドは手をのばした。

 壊れものでも触るような仕草で、頬に流れた雫を親指でぬぐって、一言。


「いっそ、俺と婚約するか」


 告げられたマリアはおどろきに目を見開いた。


「レイノルド様と?」

「あんた、王子の妃になるために生きてきたんだろ。俺も一応は王子だ。のけものの第二だが、利用価値はそれなりにある。兄貴ほど優しくはないが、近くに寄りつく女もいない。なぐさめくらいならしてやる」


 いきなりの自己アピールに、マリアは混乱した。

 公爵家のことを考えれば、申し出を受けるべきだ。

 だが、婚約破棄されたからと言って急にレイノルドに乗り換えられるほど、生半可な気持ちでアルフレッドを想っていたわけではない。


「――か、考えさせてくださいませ!」


 マリアは、レイノルドの手を払って早足でその場を離れた。


 両親への報告とか、アルフレッドから贈られた品の処分とか、自分の身の振り方とか、これから考えなければならないことが山ほどあるのに。


 マリアの心はみっともなくグラついていた。そして、公爵家の馬車で家に帰り着くまで、ぼんやりと時間を浪費してしまったのだった。

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