サッカー

 優太がゴールを決めると、一年生の女子の集団が「キャー」と黄色い声をあげた。


 TAKEOと大文字で高校の名前が入ったユニフォームが、汗でぺったりとくっつき、優太の筋肉質な体のラインをなぞっている。


 ゴールを決めたあと、大げさなガッツポーズをして、グラウンドを走り回ってる優太。さわやかな笑顔から汗が飛び散り、優太が無造作にユニフォームで汗をぬぐうと、シックスパックがあらわになる。少女漫画にでも出てきそうなくらい様になる絵面に、私はそっとため息をもらした。


 おしいな……。


 長身で筋肉質な体に、整った顔。なにより、屈託のない笑顔がかわいい。美形だけど、クールではなく愛嬌がある。


 優太はゴールが決まってからも、ずっと走り続けていた。味方も敵も関係なく、グラウンドにいる他のメンバーの肩や背中をバーンと小突き、笑顔で何か繰り返し言っている。私の耳にまでは届かないけど、おおかた「今のゴール、見た? すごくね? すごくね?」とか何度も言っているんだろう。


 いやもう、いいから。わかったから。そろそろ定位置につけよ。あ、下がりすぎだって、あのバカ。うるさすぎて、まわりのみんなが引いてるじゃん。


「あ!」


 と私は思わず声を上げた。優太が走ってる方向にボールが飛んできて、敵チームの選手がジャンプして胸で受け止めたところに、よそ見をしていた優太が全速力でぶつかってしまった。


 ドシーンと、二人の大男がグラウンドに倒れこむ。優太の顔が、相手選手のお尻の下敷きになった。


「ピーッ」とレフェリーの笛がなる。相手選手がなんとか立ち上がったときには、優太は、脳震盪を起こしてのびていた。


 優太は、外側はイケメンだけど、中身がアホなのだ。



「なんで三年生なのに、まだサッカーの部活とかやってんのよ」


 安アパートのダイニングテーブルで、おいしそうにカレーを食べる優太に聞いてみた。どこで買ってくるんだろうと思うほどヘンな柄のTシャツと、くたくたのスウェットパンツをはいてる優太に、一ミリも色気を感じない。でも、食べっぷりだけは、いつ見てもほれぼれする。


「え〜、だってヒマだしさぁ。サッカー、たまに無性にやりたくなんだよ。おかわり」

「たまにって、毎日練習に顔出してるんでしょ? っていうか、食べるの早っ! ちゃんと噛んでんの?」


 そう言いながら、二杯目のカレーをついでテーブルに置いた。私と優太は、同じアパートの隣同士に住んでいる。私と優太の母親は、私たちがお腹にいる頃からの親友である。優太のお父さんが早くに他界してしまったので、優太のお母さんは長い間シングルマザーだ。ということで、優太は小さい頃から、ちょくちょくウチに夕ご飯を食べに来るのだ。


「今日はマッキーのおじさんとおばさんは、どうしたの?」優太は、私のことを「マッキー」(私の名前が真紀子だから)私の両親のことを「おじさん、おばさん」と呼ぶ。

「二人そろって社交ダンスのレッスン受けてる」

 どひゃひゃひゃひゃひゃ、と優太が下品な笑い声をあげた。

「まだ続いてんだ〜。すげぇな」

「あの顔と体型で、よくやるわよね」と私もふんと笑った。


 うちの両親は、中肉中背に、脂肪のレイヤーを一センチほど足した感じだ。つまり、ずんぐりむっくりな夫婦である。そんな二人の子どもである私も、ずんぐりむっくりだ。


 顔は新垣結衣に似ていると言われる。でも、勘違いしないでほしい。ちょっと話が飛ぶけど、整形手術ってほんの一ミリ二ミリ、どっかを切ったり、貼ったり、引っ張ったりするらしい。つまり、ほんの一ミリ顔のパーツをいじると、見違えるほど美人になったりする。


 私の場合、新垣結衣をほんの一ミリ二ミリ、間違った感じなんである。似ているのに、ブスだ。自覚はある。「残念な新垣結衣」と陰で言われていることも、ちゃんと知っている。


 イケメンなのに中身が残念な優太と、見た目が残念な私で、残念二重奏の二人組みなのだ。


「そういえば、就職決まったんだって?」と優太に聞く。

「うん。車の免許も取れたし、一応」

「あ、よかったね」

「その節はお世話になりました」優太はぺこんと頭を下げた。


 運動神経はいいほうなので、実技は問題なかったけど、学科になかなか受からなくて、私が勉強に付き合ってあげたのだ。


 優太のお母さんは、優太の高校卒業を機に再婚することになった。再婚相手の古川さんは、引っ越し屋を営んでいる。優太は、そこに正社員として雇ってもらうことになった。


「就職難っつっても、選り好みしなかったら、優太だって就職できるんだね」

「なんだよ、その言い方」ぶすっと優太はむくれてみせた。でも、本気で怒ってないことはわかる。


 優太はあんまりものを深く考えない。脳天気なのだ。優太は勉強は得意じゃないけど、体力はあるし、真面目に働くタイプだ。だから、引越し屋の作業員というのは、実はけっこう優太に合った仕事だと思う。優太の将来のお父さんは、なかなか見る目がある。


「いやさ、『大きくなったら引越し屋さんになる』なんて言う小学生って、あんまりいないじゃない? サッカー選手とか、パイロットとかと違って。優太も、なんか将来の夢とかなかったわけ?」

「まあ、なくはないけど」

「え、ほんと? なになに?」


 優太のほうに、体をずずいと近づけた私を、優太は一瞬、真剣な眼差しで見つめた。顔だけはイケメンなので、こういうことをされると、不覚にもドキッとしてしまう。


 私は自分だけ変にドキドキしているのを悟られないように、あわてて体の位置をもとに戻した。


「教えない」

「え?」


 優太は、自分の鼻の穴に人差し指を突っ込むと、びろーんと鼻くそを取り出して、

「これやる」と言って、私の手の甲になすりつけた。


「ぎゃーーー!!!」と私が悲鳴をあげると、どひゃひゃひゃひゃと優太が爆笑した。

「バカー! 自分ち帰れー!」私は優太の脇腹に二、三回軽いジャブをお見舞いした後、手の甲についた鼻くそを優太のTシャツにこすりつけて返した。

「ごめんごめん。もう遅いし、そろそろ帰るわ」優太は爆笑しながら玄関へと向かう。


「なあマッキー、オレ、高校卒業したら引っ越すんだわ」

 玄関先で、靴をはきながら優太が言った。

「え? そうか。そうだよね。優太のお母さん、再婚すんだもんね。古川さんと一緒に住むの?」

「母ちゃんはな。オレは、卒業したら家出るつもり」

「そっか。私はウチから大学通うつもりだけど、一人暮らし、ちょっと憧れるなぁ」


 私は、推薦で私立の大学に行くことが決まっている。社会福祉士の資格を取って、ソーシャルワーカーになるのが夢だ。


「オレの夢の話だけどさ」

「うん?」

「……いや、それはもういいや。それよりさ、引っ越した後も、マッキーん家、たまに来てもいいか?」

「え? いいに決まってるじゃん。お母さん、就職祝いにちらし寿司とか作っちゃうよ」

「だよな。お、お、オレん家も、来てもいいぞ」

「え? 優太のアパートってこと?」

「うんぁあ」

「返事は『うん』か『ああ』のどっちかにしなよ。まあでも、行く行く〜。ウチの両親、引っ越し祝い持って押しかけちゃうよ」

「え? おじさんとおばさんも? いや、そ、そうだよな。た、タオルとか持ってな」

「タオルは、引っ越したほうが配るんじゃなかったっけ」

「そうなのか? いや、別にタオルはいらねえけど」

「優太、なんか顔が変だけど大丈夫? 赤黒いっつうか」

「なんでもねえよ。っていうか、顔が変とか言うな」

「あ、ごめん。顔色、顔色。優太、顔だけは整ってるから。うははは」

「その笑いかたはやめれ」そう言いながらも、優太はニヤニヤ笑いながら帰って行った。


 今日の優太は、なんだか様子がおかしかったな。顔が急に赤くなったりして。そういえば、最近たまに言動がおかしい。もう高校も卒業間近だから、お互いの将来の話になったりする。そういうとき、優太の口調が急にしどろもどろになる。


「優太、引っ越すのかぁ」と私は独り言ちた。なんだかんだで、毎日のように顔を合わせてるから、さみしくなるなぁと思った。



 引っ越しの日は、あっと言う間にやってきた。思った通り、優太は作業の手際がいい。アホだけど、器用なのだ。


「優太の部屋、もう終わったの? はっやーい! 将来は引っ越し屋にでもなれば?」

「なんだよそれ。アメリカンジョークかよ」と言ったそばから、優太はどひゃひゃひゃと爆笑していた。優太は笑いの沸点が並外れて低い。優太が笑うと、私もつられて笑ってしまう。私たちは、小さいころから毎日のように、一緒にお腹を抱えて笑ってきた。


「いやいや、優太には本当に向いてると思うよ、こういう仕事。あんたアホだけど、顔と性格はいいから、どこ行ってもかわいがってもらえるよ」

「そ、そうか?」

「うん」

「マッキーは大学行って資格取るんだろ。いいよな、頭いいやつは」

「あんな大学、優太以外だったら誰だって合格できるってば」

「ひでえな」

「うははは」


 私と優太の家族全員でアパートを片付けると、優太はまずはお母さんの荷物を古川家に届け、自分の荷物を取りに一人で戻ってきた。その頃には、もう日がくれていた。「腰が痛い」と言い始めた両親は自宅へ帰り、私と優太の二人で優太の荷物をトラックに乗せる。


 ガランとした部屋に戻り、忘れ物がないか確認していると、なんとも言えない切なさがこみ上げてくる。この部屋で、私と優太は何時間も一緒に遊んで育ったんだ。


「さみしいもんだなぁ」ポツリと優太が言った。

「だね」

「でも、ちょくちょく会いに来てくれるんでしょ?」

「ああ」

「そっちに行ってもいいんでしょ?」

「うんぁあ」

「返事は『うん』か『ああ』のどっちかにしなよ」

「マッキー!」


 急に優太がピシッとした声を出したので、私は優太の顔を見た。


「オレ……。その……」

「なに?」

「えっと……。は、ハグしてもいいか?」

「は?」

「いや、ごめん。忘れてくれ」

「別にいいけど」

「え?」


 私は優太を抱きしめた。


 優太のお父さんが亡くなったときも、私の両親が離婚しそうになったときも、優太がいじめられたときも、私が男子にひどいことを言われたときも、私たちはこうやって、助け合ってきたんだ。


「優太、大丈夫だよ」

「大丈夫って、なにが」

「なんかいろいろ。不安になってんのかもしんないけど、優太だったら大丈夫」

「……マッキー、いい匂いするな」

「メリット」

「は?」

「シャンプー」

「メリットって、アレまだあんのか? ウチのばあちゃんが使ってたぞ」

 そう言うと、優太はまたどひゃひゃひゃと笑始めるので、私も一緒に笑った。


「男女間に友情は成立しない」なんて言う人がいる。でも、そう言う人って、きっと私みたいな容姿じゃない。私みたいに色気のかけらもない女のことは、「女」として数えてないから、そんなこと言うんだって思う。


 優太に彼女ができて、お嫁さんができて、子どもができたとしても、私と優太の関係はずっと続いていくと思う。少なくとも、私はこれからもずっと、優太のことを肉親のように愛していく確信がある。優太は、私のかけがえのない親友だ。


「優太、がんばれ」

「おう、お前もな」

 そう言い合うと、優太は自分で二トントラックを運転して新居へと去った。



 15年後。


 今日は朝から気持ちよく晴れた。青々とした芝生の上には、家族連れが数組、ピクニックを楽しんでいるのが見える。十メートルくらい先の広場では、五歳の長男と三歳の長女が、サッカーボールで遊んでいる。一歳になったばかりの次男はスリングで眠っている。


「オレさあ、自分の子どもたちでサッカーチームを作んのが夢だったんだよなぁ」


 スリングをつけた彼が、子どもたちをながめながら、そんなアホなことを言う。


「サッカーチームって、十一人?」

「そう」

「私にあと八人生めって?」

「無理かな」

「バッカじゃないの?」


 どひゃひゃひゃひゃと、彼が笑うので、私も一緒に笑った。


(了)


お題は「サッカー」レギュレーションは「大文字」「動く」「就職難」でした。

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