第199話 悪魔の一族


『冬弥、お前にはガッカリだ!』


 それからは、色々と悲惨だった。


 階段から落ちた結月は、救急車で病院に運ばれ、その後、餅津木家に戻った俺は、一族中から責め立てられた。


 義母には「親が親なら、子も子だと」と嫌悪の眼差しを向けられ、兄達には「人殺しだ」と罵られる。

 そして、父に至っては、やっとここまで漕ぎ着けた婚約の話がダメになり、酷く落胆していた。


『冬弥、なんのために、ここまで手を尽くしたと思ってるんだ。今までの苦労が全て水の泡だ……!』


『ご、ごめんなさい』


 キツい言葉と視線を浴びながら、俺は、ただひたすら謝り続けるしか出来なかった。そして、それと同時に、結月が無事でいることを強く願っていた。


 突き飛ばすつもりなんて、なかった。

 怪我をさせるつもりも。


 だけど、あの阿須加家の娘に、大怪我を負わせたのは間違いないことで、その上、父にまで失望され、この先どうなるのか、俺は暫くは不安な日々を過した。


 だけど、あれから一週間がたち、結月が目を覚ましたと言う連絡が入った時のこと。


『冬弥! 結月さんが目を覚ましたそうだ!』


 そう言って、やってきた父は、俺を見るなり、久方ぶりに笑顔を向けた。上機嫌な父に安堵し、同時に、結月が目を覚ましたことを素直に喜んだ。


 だけど──


『しかも、あの娘は、記憶喪失になったそうだ!』


『え? 記憶喪失?』


『あぁ、先日のことは綺麗さっぱり忘れてる! しかも、好きな男の子のことも忘れてるらしい! おかげで阿須加家も婚約の話は、一旦、白紙には戻すが、破棄はしないと言ってくれた! このまま、あの子が思い出さなければ、数年後には、また婚約を成約できる! 冬弥、よくやった! お前が突き落としたおかげだ!』


『え?』


 その言葉には、流石に耳を疑って、ただただ困惑した。


 あの子は、突き落とされて、記憶までなくしてるのに、よくやった?


 それは、突き落としたことが、無かったことになったからか。はたまた、好きな男のことを忘れてしまったからか?


 急に手の平を返されて、酷く困惑する。

 この前まで、役立たずだと罵られていたのに。


 だけど、確かに餅津木家にとっては、ありがたい話ではあった。


 結月は、好きな人がいるから結婚は出来ないと言っていたからか、突き落されたことも、好きなやつのことも忘れてしまえば、こちらとしては都合いい。


『だ、だけど、あの時のこと、メイドに見られてて……っ』


 でも、ふとあの時、結月の元にかけよっていったメイドのことを思い出した。


 髪の長い若いメイドが、階段から転落した結月に必死に呼びかけていた。あのメイドは、俺が突き落としたのを見ていた、唯一の目撃者だった。


『それも、大丈夫だ! 白木というメイドは、洋介さんが解雇したそうだからな!』


『え?』


 だけど、その後、父から飛び出した話に、俺の頭は、真っ白になった。


 言っている意味がわからなかった。

 解雇──それはつまり、辞めさせられたということ。


『な、なんで!? あのメイドは!』


『なんでって、今回の件が、あのメイドの口から、結月さんの耳に入ったらどうするんだ。いいか、冬弥。お前が、突き落としたことを知ってる者は、もうあの屋敷にはいない。この件を知ってるのは、洋介さんと美結さんだけだからな』


『……』


 俺の肩を掴んで、父が力説する。

 そして、より鋭く俺を見つめた父は


『冬弥、これがどういうことかわかるな。それだけ阿須加家が、餅津木家を買ってるってことだ。あの阿須加が、うちとの関わりを切りたくないと、ここまでしてくれた。娘が思い出しさえしなければ、数年後、また洋介さんの方から、婚約の話を持ち出してくれる。だから、次こそは、絶対に失敗するな。いいな、冬弥!』


『……っ』


 父の顔は、それを心から喜んでるように見えた。


 息子の罪を、阿須加夫婦が許してくれた。そして、なにより、婚約が破棄されなかったことを。


 だけど、阿須加家は?


 なんで、自分の娘を怪我をさせた奴なんかと結婚させたいなんて思うんだ?


『──私、愛されてないの』


 だけど、その瞬間、あの日の結月の言葉が蘇った。


 この婚約も、何もかも"家のため"だと言っていた。

 本当に愛しているなら、政略結婚なんてさせないはずだとも。


(本当に、愛してるなら……っ)


 そして、その結月の言葉に、俺自身を顧みる。


 父には愛されてると思っていた。

 いや、そう思いたかった。


 だから、父の命令は、何でも聞いた。


 だけど、この婚約が家のためなのは、この餅津木家も同じだった。


 つまり、俺も同じなんだ。

 のは──俺も同じ。


『……っ』


 そして、父にすら愛されてないと実感した瞬間、お互いの一族が、どんな存在なのかを、垣間見た気がした。


 家のために、我が子すら利用する。

 そんな悪魔のような一族の元で、俺と結月は暮らしているのだと。


 そして──


『冬弥、お前が阿須加家の当主になれば、直にあの阿須加家の土地は、全て餅津木家の物になる。この計画は、全てお前にかかっているんだからな、冬弥!』


 そして、念押しして、父がそういって、俺は愕然とした。


 この一族の中で生きていくには、もうしかないと思った。


 俺は、土地を手に入れるために、好きでもない女と結婚させられる。


 だけど、結月のように反発して、何がわかるだろう。反発しても立場が悪くなるだけ。状況は、もっと最悪なものになるだけ。


 こんな家で、子供である俺が、妾の子である俺が生きていくためには──


『分かったよ、父さん。次は絶対に失敗しない。必ず阿須加の娘と結婚して、阿須加家を牛耳る』


 もう、この生き方したなかった。

 利口な生き方は、この一族に染まりきること。


 だから、責任は全部、結月に擦り付けた。


 アイツが悪いんだ。

 結月アイツが、俺を拒絶したからいけない。


 素直に婚約の話を受け入れていたら、俺に突き落とされることもなかったんだ。


 でも、忘れたなら丁度いい。


 アイツの好きな男には、俺が成り代わってしまえばいい。


 どの道、数年後、再会した時に、結月が思い出してなければ、思い出せない程の男だったてことだろ。


 なら、俺が相手でも問題はないよな?


 だって、お互いに親に愛されてないなら、俺たちは、お似合いの夫婦になるだろ?


 愛されない者は、愛されない者同士、傷を舐めあって生きていけばいい。


 どうせ、このしがらみから、俺たちが抜け出すことは


 一生、できねーんだから──…


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