第二話 夢を肴に

「弟子くん、君魔法学園に入っちゃおうか」

「ちょっと何言ってるか分かんないですね」

「ちなみに入学届けはもう出してあるんだよ」

「何も聞いちゃいねぇこの人」


 ――その日、僕はとある森の片隅で魔法士としての鍛練に身をやつし、もうボロッボロで汚れていないところとこか逆にある?って聞きたいくらいにボコボコにされていた時に師匠はいきなりそんなことを言ってきた。

 笑っちまうだろ、これが僕の師匠なんだぜ勘弁してくれよ。

 もう既に確定事項みたいに話をするこの人にせめてもの抵抗をしようと浅はかな考えを巡らした僕は、そもそもの理由というものを聞いていないと目が眩むのを我慢しながら夕日を背にして立つ師匠へと顔を向けた。


「師匠」

「ん?なあに」


 ゆるふわで優しげな声に違わぬゆるふわな桃色の巻き毛、まるで聖母のように慈愛に溢れた顔に眼鏡。まるで狙っているかのような奇跡の組み合わせの彼女に拾われた僕を幸運な奴と言いたい野郎は今すぐこの場まできて僕と立場を変わるべきだ。

 彼女がそのゆるふわな言動に反して意外なほど容赦がないのを身を持って体験していただけることだろう。


「いや、そんなお話初めて聞いたな~って思いましてね」

「うん。今日初めて言ったよ」

「あー良かったー、もしかしたら僕どっかで聞き逃していたのかと思っちゃいましたよー」

「あははー、ネルスくんもそんな勘違いするんだねー」

「いやほんと、申し訳ないですー」


 てそんな聞きてぇんじゃねぇんだよ、何で僕がいきなりそんなとこに行かなきゃならないかってことを知りたいんだよこっちは。


「でー……えっと、どうして僕はそこに行く必要があるんですかね? ちょっとそこんとこよく分からなくってですね、よければお教え願えないかと思うんですが……」

「ああ、そんなことか。ふふふ、それはねぇネルスくんに正式な魔法士になってもらいたいからだよ」


 僕たちはこの世界に蔓延る魔物たちを神々に代わって残らず倒し尽くし邪神の力を削り取るという使命を負っていて、遥か昔からその達成を目指して日夜戦いに勤しんでいる。

 ただまあ、僕らは神様と比べれば脆く弱いわけで。

 魔物との戦いで傷付き、ときには命を落とすこともある。

 それに対抗するために神々は自身の有する『神力』を人間に扱えるようにした『魔力』と呼ばれるものを僕たちに与えたのである。

 そしてこの魔力を扱う者の中で超常的現象を起こす法則を修めた者を総じて《魔法士》と呼ぶようになったというわけらしい……まあ訓練の後のフラフラ状態で師匠から聞いたことなのでほとんどうろ覚えだが。

 だがこれだけは忘れていない、それは国が管理する教育機関で優秀な成績を修めた者は『国家公認魔法士』として国の要職に就くことも夢ではないということを。

 国の要職に就く――それはつまり国に仕える代わりに今とは比べ物にならないほどの権利を得られるということだ、これは僕のやりたいことを実現させる手段として非常に魅力的なものだった。


「だってネルスくん、そろそろ自分で色々やりたい時期でしょう?」


 そう、師匠の言う通り。

 僕はこの時、かねてより思い描いていた事柄を朧気ながらにだが形に出来初めていた頃だった。だがこれを完成させるにはとにかく情報と試行錯誤、そして人手が必要になる。

 そのどれもが僕には無いもので、そのことに悩んでいたのを師匠には見抜かれていたようだった。


「いやーそのー……やっぱ分かります?」

「そりゃ師匠だものー、分からいでか」


 あまり顔には出さないようにはしていたはずだったがそこは流石師匠と言うべきだろう。

 夕日と同じくらい綺麗な笑顔を前にして、それに含まれた心遣いを無為にできるわけもなく、僕は素直にその提案を受け入れ頷く他なかった。

 ――とまあそんな訳であれよあれよとこの学園に入学してきたわけなんだが、現在は後悔の日々を送っているというわけである。あの時師匠の口車に乗った自分の判断を呪うしかない。


「ほんと勘弁してくんないかな」

「いや、渡り廊下に寝そべってなに言ってんだお前」


 ああ?……ああこいつか。

 回想に思考を割いていた僕の漏れ出た呟きを拾ったのは奇跡的なことにこの学園で数少ない友人の一人だった。この胸に去来する無常感を吐き出すのに丁度いい人材が来たので挨拶を返す。

 ちなみに眼鏡はきちんと回収できた。


「おっすユーリ、僕は今理不尽ってやつを全身で味わっていたところさ」

「そっか。んでさぁ今日の夕食の話なんだけどさぁ」

「もっと僕の話に興味持てよ友人だろお前」


 あまりの塩対応に我慢ならなかった僕は怒りのままガバリと上半身を起こした。

 そして顔を横に向ければ何か面白いものでも見るみたいな表情の長身の男がこちらを見下ろしていた。


「実は贔屓の飯屋が新作出したみたいでさぁ、一緒にそれ食べにいかねぇ?」


 まったくこいつは人の話を聞かないやつだ、これでよく今までやってこれたものだ。

 はあ、まったく……。


「是非とも連れていってくれ、もちろんお前の奢りでな」

「お前も大概理不尽じゃない?」


 知らんな、僕が体験してきたことに比べれば砂粒みたいなもんだようん。

 友人の呆れたような顔を無視しながら立ち上がった僕は散らばっていた資料をかき集めて寮の自室へぶちこんでから学園の外へと繰り出したのだった。

 

 

「あぁそだ、そういや何があったわけよ」


 友人ユーリの計らいによって連れてこられた《森の木こり亭》にて注文を待つこと暫し、ようやく新作料理が運ばれてきたところで彼はまるで思い出したかのようにさっきのことを聞いてきた。


「ああ、実は授業終わりに教授にまた研究費の催促に行ってきたところなんだけど」

「またかよ、ていうかそもそも研究室もってなかったんじゃなかったっけ? それじゃあ研究もクソもないぞぉ?」

「今のところ理論は出来ているからそれを実践してみる場が必要なんだよ。そのための材料やら空き地の借用料やらを考えたら僕が自由にできる金額の範疇を越えてるから、教師の許可をもらった公認のものとして認めてもらいたいのさ」


 ユーリと会話をしながら皿の上の料理を口に運ぶ。

 おおっ旨いなこれ、重要なのは上に掛かってるソースなのかな?大衆向けの店でここまでのものが出せるとかちょっと驚愕なんだけど。

 港町の料理を参考にして作ったとかいうお値段高めの肉料理を頬張り今日は来て正解だったなと独りごちる。

「そりゃ無理ってもんだよ。だってお前がやろうとしてることってあれだろ。たしか――薬草畑を作ることだったっけ?」

「正確には自生しかしてない種類のやつの、だよ。ただの薬草畑だったら個人でもできるわ」


 やっぱりこいつあんまり理解できてないだろ、結構説明してきてたよね僕。ユーリはそんな内心のムカつきなど露とも知らず思う様肉を掻き込んでいてそれがまた憎たらしい。

 料理を食べる手を止めながら、いまいち分かっていないこいつへ改めてこの研究の凄さを語りかける。


「あのなぁ、これがどれだけすごい研究なのかお前分かってないだろ?最低級でも銀貨数枚は掛かる『ポーション』の素材は今の所が魔物と戦うことなく手に入れられるだぞ、そうすればもっと多くの人を救えるだ。これほど有意義な研究は中々ないはずさ」


 このちょっとお高い肉料理の代金が銅貨十五枚、これにスープとサラダ、パンと飲み物に酒精を飛ばしたワインを頼めば一食驚異の銅貨二十五枚。これは実に一般的な成人の一日の食費およそ三食分に当たる金額だ。

 このちょっと豪華な食事を十回以上我慢してようやく買える代物である最低級ポーションはしかし、その値段に反して浅い切り傷を徐々に治すという程度の効果しかない。

 これには様々な問題が絡まっているが、一番の問題は素材を手に入れるための人件費が関係している。


「いいか、今のところ薬草類の採集は制作者から外部への依頼が主だ。それの報酬に仲介料、製造に掛かる費用などを加味して利益を得ようとすれば制作者はそのくらいの金額で売らなきゃ生活が成り立たない。更に効果の高いものを作ろうとすればそれこそ青天井だ」


 しかし、この問題を一発で解決する手段がある。


「だが、僕の研究が形になりさえすれば高い金を払う必要はなくなるっ! それこそが――『特殊な薬効を有する植物の人工栽培』!!

 これさえ完成してしまえば安心安全にポーションが製造できるようになり経費は削減、効果の高いものも手軽に入手できるようになり魔物と戦って怪我をしても短い期間で復帰できるといいことずくめさ。

 僕はいつかこいつで魔物と戦う人たちや被害にあった人たちの助けに貢献してみせるのさ」


 そう、これこそが僕が掲げる目標。

 魔法士としては至らぬこの僕が、その生涯でたった一つ絶対に成し遂げてみせると心に決めたこと。

 今はまだ芽の先すら見えていないが、諦めるわけにはいかない。

 言葉にすれば今日の失敗も何てことのないように思えてきた、寧ろやる気がぐんぐんと沸いてくる。


「でもさ、それを戦闘系中心のここでやるの無理じゃね」

「……それを言うなよ」


 しかし友人の心ない発言によって否が応にも現実を直視させられる、ああ師匠……どうして僕をこの学園へと入学させたのですか。この学園じゃあ研究のけの字もできやしませんよ。

 勧められるままに満足し学園の特色をきちんと確認をしなかったかつての自分の愚かさを呪いながら、僕はため息を誤魔化すようにワインを口につけるのだった。

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