鮮血紅界のドラキュリア

薪原カナユキ

Twilight freaks - 1

 晴れ晴れとした大空に鳥が羽ばたく。

 風でざわめき揺れる木々を抜け、その小さな体を支える翼を広げた先に、木造の古き良き校舎が佇んでいた。

 古き日本を感じさせる学校は、お昼休みなのか生徒たちで賑わっていた。


 日差しを受け入れる窓は広々と開放され、窓縁へと鳥は足をかけて喧騒けんそう際立つ教室に目を向ける。


 男女共に裏地が赤の黒い制服を着こなし、男子は襟足をきっちりと立て、女子はタイの代わりとして紅白の組紐くみひもを胸元で結んでいる。

 そんな"和"のデザインは心なしか生徒全体も、大和男児やまとだんじ大和撫子やまとなでしこといった印象へ昇華させている。


 その中でも極めて目を引くのは、一人の女生徒。

 長い白髪をくれないのリボンで結った彼女の瞳は赤く、磁器のような色白の肌と相まって一種の人形然とした美麗びれいの少女。


 窓際とは真反対の日差しのかからない位置に席を置く彼女は、ぼんやりと頬杖をついて窓の先を眺めていた。


「……太陽滅ばないかのぉ」

「また紅音あかねはそんなこと言って。ほら、お昼にしよう」


 少女を紅音あかねと呼ぶ声に反応し、鳥はまた別の場所へと飛び去っていく。


 その声に視線を移す彼女は、儚さのある表情から一変して柔らかな笑みになる。

 垢抜けない印象の中に、異性を堕とす妖艶ようえんさを含んだ紅音あかねの微笑みは、一瞬ながらも周囲にいた男子生徒の視線を奪い尽くす。


「そうじゃの。丁度同じことを紅音あかねさんも考えていたのじゃ、シノブ様」

「本当に? 私はそうは思えないけど」


 紅音あかねの言葉に疑問を持つのは、シノブ様と呼ばれた男子生徒。

 黒縁の眼鏡をかける彼は紅音あかね以上に童顔ではあるものの、雰囲気は誰よりも大人びた印象を醸し出している。


「勿論。なのでシノブ様。早くご飯を用意していただきたいのじゃ」

「はいはい」


 少し余った袖で口元を隠し、控えめながらも紅音あかねは彼へ笑いかける。

 異性ならば例外を除いた誰もが、胸の動悸を訴えるであろう頬を赤く染めた笑顔に、シノブは苦笑しながらも手に持っていた包みを机の上で広げ始めた。


 まず紅音あかねの前に広げられる料理は、料亭さながらの和食――ではなく緑の足りない肉料理たち。

 シノブの取り分も多少の偏りはあるが、それでも野菜が欠片も存在しない訳ではない。


「では、いただきますのじゃ。シノブ様」

「いただきます」


 持ち込んだ弁当を広げおわり、両手を合わせて食べ始める紅音あかねとシノブ。

 二人仲良く談笑しながらの食事を楽しむかと思いきや、二人の耳は後方で姦しく噂話をしている女生徒たちへ向けられていた。


「――ねぇ、聞いた? あの噂・・・

「あのってどれ。三年の先輩に彼氏がいたって話のこと?」

「違う違う。ほらあの話。この学校に吸血鬼が出るって話」

「ええー……。まさか、そんな話を信じるの? ガセよガセ」


 喧騒の最中にひっそりと混ざりこむ、平穏な学校に似つかわしくない不穏な単語。

 人の生き血を啜る鬼――吸血鬼。


 本来ならば下らない妄言の類だと一蹴するところを、紅音あかねとシノブだけは違った。

 食事は続ける、目線もそちらに向かなければ、耳を傾けているだけ。


「でも実際に被害に遭った子がいるんだって。本当よ」

「夕日が出てる放課後の廊下で、気絶していた子の首筋に、噛み跡があったって奴よね。話盛りすぎて現実味ないわ」

「なんだ、知ってるんじゃん」


 それでも二人の口角は上がり、声には出ないが気配が漏れ出る。


 ……見つけたと。


* * *


 夕焼けに染まる空。

 茜色が廊下を一色に塗り上げ、昼の喧騒が嘘のように静まり返った放課後。

 一人の少女が壁に寄りかかり、スマートフォンを操作しながら淡い期待を胸に抱いていた。


「みんな情けないなー。嘘だと思うならいれば良かったのに」


 その少女は昼間の教室で、吸血鬼の噂話を持ち込んでいた女生徒。


 ちょっとばかりの退屈と友人たちへの不満。

 そして事実であって欲しい希望と、嘘であって欲しい恐怖心が、少女の胸の内で渦巻いている。


「一時間だけ居ようって言っただけなのに。みんなすぐに帰っちゃって。どっちが噂を信じてるんだか」


 彼女のスマートフォンに写るのは、帰った友人たちとのチャット画面。

 所詮噂話と蹴りはしたが、少女の心配も含め気になっているのか、グループチャットは中々に活発だ。


 大丈夫なのか。

 早く帰った方が良い。

 何かあってからじゃ、遅いんだって。


 状況報告をする彼女のコメントに、盛り上がりながらも心配のコメントを流す友人たち。

 送られてくる反応に苛立ちを溜め込む少女だが、黙り込むだけで真逆の明るいコメントをチャットへと送っていく。


「……もう一時間か。なぁーんだ。やっぱり吸血鬼なんて嘘だったんだ」


 自分で言いだした約束の時間になり、期待外れと嘆息する少女は顔を上げる。


「――……ダレソカレ」

「……えっ?」


 カシャンと、スマートフォンが少女の手から床へと滑り落ちる。

 少女の耳を打ったのは、聞き慣れない男性の声。


 若く落ち着いた声とも、老成した声とも判断できる声は、再び彼女の耳に伝わる。


ダレカレ

「だれそ……。えっ、なに!? 意味わかんない!」


 耳を塞ぎ膝を震わせてしゃがみ込む少女だが、それでも声は途切れない。

 ギュッと目を閉じ、込み上げてくる恐怖心をどうにかするために、必死で声を振り払おうとする。


 怖い、怖い、怖い。

 まさか本当に、本当に、吸血鬼がいたんだ。

 そんな訳ないきっと誰かの悪戯で、目を開ければきっとそこには――


「お前は、いったい誰だ?」

「――いっ、いやあああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 廊下に響き渡る少女の金切り声。

 恐怖に急かされ開かれた瞳で彼女が見たものは、結膜が黒く、青褪めた死蝋しろうの肌を持った人ならざる者。

 黒ずんだ深紅の瞳は少女の歪んだ顔色を映し、鋭利な牙が覗く口からは少女に馴染みのある言葉が発せられる。


「なぁ、答えてくれよ。お前はいったい誰なんだよ。お前がお前で無いのなら、お前は俺って事だよな」

「いやっ! こないでっ! あっちに行って!」

「お前が俺なら、何で俺が俺の目の前にいるんだよ。俺はちゃんと此処に居るぞ。俺は俺だ」


 本能的に腕を振るう少女だが、相手には傷を負わせるどころか、あっさりとその腕を掴み取られてしまう。

 万力の如く強靭な力で掴まれた腕を、少女は引き剝がそうとするもピクリとも動かない。


「俺ならさっさと、俺と一緒に居なきゃ駄目だろ」

「やめっ! いやぁぁぁっ! いっ、いやあああああぁぁぁぁぁっ!」


 少女らしい非力な抵抗は、その一切がことごとく無に帰す。

 腕と肩を掴まれ、壁へと追い込まれた少女は身を捩り抜け出そうとするも、許されることは無い。


 人外は少女の悲鳴を鼻にもかけず、大口を広げて少女の細い首筋へと牙を近づける。


「ああ、何時いつになったら。俺は……」

「――残念だがのぉ、吸血鬼さん。逢魔時おうまがどきは過ぎたのじゃよ」


 夕暮れ時は加速され、世界は真紅に染まるよいこくへと至る。

 沈みかけていた太陽は夜を照らすあかい月へ代わり、温かみのある空気は真逆の冷たさを帯び始めた。


お前はいったい誰だダレソカレ


 気を失う少女でも、彼女を襲う人外でも無い。

 コツコツと靴を鳴らして向かって来る声は、また別の少女のもの。


「月に代わるあかき音こと、月代つきしろ紅音あかね。以後、お見知りおきをなのじゃ」


 指を口元に当てて軽く微笑む少女――紅音あかねは、人外へ少女らしい恐怖心や不安感とは違う視線を向けていた。


 例えるならば、知識欲を掻き立てられた研究者。

 動向の一挙手一投足を観察し、相手はどうでるのか、自分はどう動くか。

 試すような双眸そうぼうに、光は灯されていない。


同胞どうほうよしみとして、見逃そうと思わんでも無いのじゃがの。そうも行かないのじゃ」

「お前は、俺じゃないのか?」

紅音あかねさんは紅音あかねさんじゃ。違うかや?」


 紅音あかねと言葉を交わす内に、人外の手は気絶した少女から遠ざかっていく。


 虚ろな視線も、強靭な腕も、そして隠されない牙も。

 人外を構成する全てが、紅音あかねに向けられる。


「違う、違う……。そう、そうだ! やっと会えた。他の誰でもない。俺じゃない誰かに!」


 床を蹴り、人外は紅音あかねに向かって突撃を敢行する。

 真紅の瞳は漆黒に飲まれ、青白い四肢も闇へ溶け込み、黒に染まらぬ例外は顔の輪郭のみ。


 誰かのようで誰でもない。

 そんなくらい存在は、黄色の髪をなびかせて世界にえる。


「――誰ソ彼時ノ無貌ナリトワイライト・ファントム


 空間が揺らぎ、駆ける人外を追う影が分裂する。

 廊下一帯に広がる影たちは、赤い瞳と口を歪ませて紅音あかねを嘲笑う。


 何十にも及ぶ影から伸びるのは、物理法則を否定する影の槍。

 脈打ち今にも撃ち出されそうな槍と、迫り来る人外を前に、紅音あかねも負けず劣らず微笑み返す。


「――ごきげんよう、吸血鬼ヴァンパイア


 紅音あかねは両手でスカートの裾を摘まみ、左脚を僅かに後ろへずらしてお辞儀カーテシーをする。

 笑う影も、うごめく黒の槍も、即死の一撃を食らわさんとする人外すらも。


 そのどれもが茶番であると。

 黒き翼・・・を背中から広げ、鋭利な牙を覗かせてほくそ笑む。

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