5:戦略的撤退

透色といろ。そろそろ話を進めないといけない」

「おっと……そうだったな。ヒートアップしてしまった」


 白い両手よりも恐ろしき菓子野かしのの踏みつけを経て俺たちは玉砂利の上に座っていた。

 石畳のまんなかはひとならざるものの道である、とはかわいい次未つぐみの言である。

 相変わらず真っ黒にぬりつぶしたような空間で、なんとか物の輪郭がぼんやりと見える程度だ。それでいて、互いの姿は光っているかのようにはっきり見える。

 不可思議は大好物だがいざ立ち合えば不気味さは否めない。


「まずはチドリさんの捜索ですよね。それから脱出手段の確保……」


 佐々江ささえちゃんの声は沈んでいた。すこし震えているようにも思う。

 こんな非日常には慣れていない女子高生。当然のことである。俺たちもあんなものに追いかけられて、菓子野がいなければいまごろすくみあがっているところだろう。

 駆馬かけまの手が所在なさげにうろついている。


「チドリの行方は相変わらず不明。GPSは全員池のなか。はは、スクショとっとくか?」

「カメラ起動できれば掲示板で実況するんだけどなー」


 空元気なのは見ているだけでもわかる。スマホの機能はある程度生きているが、いつ電波が失われるかも不明。SNSの有効範囲も不明。鬼電おにでんの結果は、君平きみひらを見るにかんばしくないようだ。

 うなじにじっとりと冷や汗をかいているのはみんな同じ。

 次未もしきりにカーディガンの上から腕をさすっている。


「次未さん、寒いですか?」

「だいじょうぶ。落ち着かないだけ」


 顔色は悪い。白い肌がさらに青みをおびている。

 この場所の異常性と危険性は、次未が一番よく感じている。

 まるっこい頭をぽんぽんと撫でる。助けにはなれないが、不安がすこし和らげば御の字。

 駆馬がううん、とうめいた。


「移動しないことにははじまらないよね。森……みたいなところには、なるべく行きたくないけど」

「この景色いつまで続くんだろうな。それに、さっきのみたいなのがまた出てくるかもしれない」

「菓子野先輩がいるなら安心じゃない?」

「私のことは過信するな。格下にしか効かない。このさきどんなやつがでてくるかわからない以上、前提として逃走をお勧めする」

「だよなあ」


 菓子野のあれは最終手段、と。

 そもなぜこんなことになったのかも不明である。チドリをさがすのと並行して、原因をつきとめなければならない。


羽衣うい、どうするべきだとおもう? どこが危なそうだとか、どこなら安全そうだとか。所感を教えてくれ」

「……移動は必要。チドリは名前のことがある、早めに見つけないと危険。森は……嫌な感じがする」


 白衣の袖が振られる、その先で、次未がぱちりと目を開く。


「移動するなら、砂利道をまっすぐのが最善」


 砂利道は石畳に沿って延々と続いているように感じる。

 ひとつひとつの石がかなりの大きさをしているためか、長く歩けば足元に影響が出そうだ。高いヒールでわけもなさそうに歩く菓子野はさすがである。


「わたしたちもかなめたちも鳥居は見てない。鳥居があれば聖域に迷った可能性も高くなるけど、見つからないということは……ここはあの世とこの世のすきまみたいな場所。わたしや貴宮さんは狭間はざまと言ってる」

「狭間……ですか?」

「まず、あの白い手がわたしや透色といろ以外にも見えたのがいつもの世界じゃない証拠」


 次未や貴宮さんは、普段俺たちがいる場所を『此方こなた』と呼び、霊的存在のいる場所を『彼方かなた』と呼ぶ。仏教的な此岸しがん彼岸ひがんに似た表現だが、同一ではないらしい。


「此方と彼方のあいだにあるから、狭間。どちらの存在も違和感なくいられる場所。だからいろんなものがここにはいる」


 本来、此方では霊的存在はかなりの規制デメリットを受ける。同じように、彼方では生者は長く存在できない。そういうものなのだそうだ。

 だが、狭間はどちらもが影響を受けることなく在ることができる。霊的なものであろうと生きているものだろうと、たとえ神や化生けしょうの類でも。

 昔、次未と見たアニメ映画に神や妖怪たちが訪れる温泉宿の話があった。

『どこかにあるとしたら、狭間だと思う』と次未がつぶやいたのを覚えている。


「死者以上に、化生は何をしてくるかわからない。死者たちはわたしたちと同じようなことしかできないけど、そっくりに真似たものは見分けがつかないから……とにかく逃げないといけない」

「菓子野先輩がいても?」

「透色のあのちからだって無制限じゃない。副作用があるの。だから無理をさせたくない」


 ごとり、と大きなものが落ちる音がした。


「……お、おでましみたい、です」


 佐々江ちゃんの乾いた声。

 落ちてきたそれはだ。巨大なモップの先端のような、つやのないぼさぼさの黒髪。肌は見えない、顔もどこにあるかわからないが──動いている。


「頭……!?」

「どうだろうな。『くび』かも」

「うへえ、追いかけて血吸ってくるやつじゃん!」


 何を動力にしているのかなど、この場所では無意味だ。

 頭が。いや、生首が。こちらを向く。

 虚ろがふたつ。

 その奥から、おぞましい何かが這いあらわれる。


「ひっ」


 佐々江ちゃんが体をかたくてすくみあがった。

 いや、全員がそうだっただろう。

 目玉はない。

 ただ真っ黒な穴と、視線が合うようで。



■■■ずれろ



 電流が流れるような感覚がした。

 わずかに浮き上がった足元が砂利道に着地する。目の前の生首は視界から消え、その恐ろしい気配は背後へと移っている。

 ぐんと次未の体が前に出る。背中を菓子野が押していた。


「後ろは見るな、はしれ!」

「っ、おう!」


 次未と佐々江ちゃんを先頭に、全員で走り出す。

 ずずず、と嫌な音が背後で聞こえていた。

 生首が動いている。命のないはずのものが、俺たちを追おうとしている。

 菓子野がごぼっと水っぽい咳をした。

 口元から赤い血が滴っている。


「菓子野!」

「……六人一度はちょっと重かったな」


 のどを切っただけだ、と笑う。それがやせ我慢であることぐらいは全員が理解できただろう。

 それでも足取りはしっかりしていた。

 こと平静を装うことについては右に出るもののいない鉄面皮の女王である。


「あれ、なんですか!」

「あれは知ってる。邪視じゃし、目が合うと狂うもの……首だけなのはなぜかわからない、けど」

「はっ! 両腕、首、次は足か?」

「幽霊は足ないんでしょ! 勘弁しろよ!」


 それは江戸時代発祥。実際足だけのバケモノもいるのだが。

 とんでもない音が背後からなお続いている。

 ごとっごとっごとっ、大きなかたいものが跳ねとびながらこちらに近づいてくる。


「けほっ……さかいがある!」


 菓子野が叫ぶ。

 前を見れば、暗いなかにぼんやりと壁のようなものが見えた。

 さかい。それが何を指すのかは俺はよく知らない。

 後ろから迫る悪意から逃げられるのならそれでいい。


「全員、手か、そででもいい。とにかくはぐれるなよ」

「了解。駆馬、佐々江ちゃんよろしく」

「オッケー!」

「きゃっ」


 ぐいと佐々江ちゃんの腰に手をまわす駆馬。

 そうか、そこそでかあ。


「要、手を……!」


 のばされた次未の手をつかむ。

 視界に入る小さな顔がわずかにしかめられる。

 ぐん、と強く引っ張られる感覚。遠心力にも似ている、抵抗の難しいちからが全身にかかる。

 壁にめり込むように、視界が塗りつぶされていく。


 ごろりと転がった先は、芝生のような手触りがした。

 景色はまだ目が慣れない。森の中というにはひらけているように思うし、かといって絶対に人里ではない。

 確信できるのは、背後から追いかけられる圧迫感は消えていること。

 逃げ切った、という達成感と、極度の緊張から解放された疲労感。

 鼻先にある次未の顔もなんだかびっくりしたネコみたいにきょとんとしている。天使か。

 しばらく呆然としていたが、やがて全員がぽつりぽつりと体を起こした。


「いやあ……今度こそ死ぬと思ったね!」

「肝試しのとき毎回言ってるけどな、そのセリフ」


 いまだに佐々江ちゃんの腰から手を離さない駆馬は真っ赤になった愛しの彼女からひたいに見事な平手打ちをもらい、ぺちんといい音が鳴った。


「追いかけてきてはいないようだな」


 菓子野がほーっとため息をつく。

 口の端についた血はすでに拭われていて、薄い紅色の線になっていた。化粧は気にならないんだろうかとなんとなしに考えるが、まあ女には女の考え方があるのだろう。

 立ち上がった次未はさっとワンピースの裾を払い、ほこりを落とした。

 だから俺は、たっぷりの布で作られたその端が重く濡れているのに気づくことができる。


「次未」

「……これは、その」


 目をそらしたのは自覚があることのあらわれだ。

 可憐な美脚にべったりとはりつくその下がどうなっているのか、想像には難くない。


「いつものことだから」

「右手もだろ? 無理、ダメ、絶対」

「う」


 動物の耳があったら後ろに倒れていたかもしれない。

 きゅっとからだを小さくする次未。

 断りを入れてそっとカーディガンの袖を引き上げると、白い腕に真っ赤になったひどいミミズ腫れがいくつも走っていた。


「いつからだ?」

「……両手を見たときから」

「アレ以外にもいたのか……ごめんな、すぐ気づけなくて」

「わからなくてもいい」


 座らせて、こんどは左足を確認する。

 つややかなももからくるぶしにかけて、やはり真っ赤な線がいくつも走っている。腫れて隆起している傷の周辺も痛々しく、稲妻のようなそれからはじわりじわりと血が滲みだし、黒いスカートを濡らしていた。


「傷は残らないし、痛いだけだから。気にしないで」

「気にする。痛いんだろ」

「そんなこと言ってる場合じゃない。わたしだけのことじゃないから、今はいいの」

「良いわけないだろ!」


 黒い瞳のなかで、びっくりした顔をしているのは俺のほうだった。


「要。いまはわたしより大事なことがある。わかるでしょう」


 吸い込まれるような目。強い目だった。いつもそう。

 スカートをおろし、次未は立ち上がる。

 菓子野のもとへ歩み寄る背中を、俺は追うことができなかった。


「芝生……草原? そんな感じだよね」

「ひらけてるが視界はきかない。気持ちわりいな」

「とにかく変なやつが出る前にチドリ先輩探しに出ないと……粕谷先輩? 大丈夫?」

「大丈夫、体調フィジカルじゃねえから」

精神メンタルなら余計だと思うけど」


 まあいいや、とさっぱり返す駆馬。


「脱出手段が思いつかないんだけど、羽衣先輩はどう?」

「一回目は失敗。この調子だと、二度目も条件を満たさないとダメだと思う」

さかいを越えたのに戻れないとはな」


 菓子野が大仰に肩をすくめた。

 さかい──さっきの壁みたいなもの。あれがひとつのネックだったらしい。


「境は……そうだな、言い換えれば……だと思っていい。元の場所に戻ることができる可能性の高いものだったが、そうはいかなかった。つまるところ、私たちは『妖怪』の正体をしっかりととらえられていなかったことになる」

「妖怪、ですか?」


 佐々江ちゃんが首をかしげた。

 妖怪──いわく、それはである。霊的な存在そのものを示しているわけではない、不可解な現象そのものを、妖怪と呼ぶ。

 佐々江ちゃんには聞きなれないことだろう。駆馬はすこし得意げになった。


「神隠しには二種類あるんだよ。消えているあいだの記憶がないのと、さまよった記憶があるのと」

「ちゃんと帰ってきたやつ限定、だけどな」


 君平がスマホをいじりながら付け加える。


「そこらへんの解説は羽衣からどうぞ?」

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