6:ゴシップ

 妖怪。

 次未つぐみが探しているそれが本当の意味で何を示しているのか、俺には皆目見当がつかない。


 非常に退屈な講義も次未と一緒なら何も苦しいことなどないのだが、常に次未とともに過ごすのは悲しいことに不可能なので、そんなときはたいてい退屈と睡魔といういばらで椅子にしばりつけられることになる。

 およそ九十分の痛苦を味わったところで俺はいつも通りオカルト愛好研究部の部室へと向かった。

 もちろん俺を迎えに来てくれた天使と一緒である。


「やっほー粕谷かすや先輩」


 今日も今日とてオカルト部に入り浸っている後輩は新しく買ったらしいおやつの箱を整理していた。

 色とりどりのファンシーな箱が賞味期限の近い順に並べられている。ちなみに予算の出どころはたいてい偉大なる菓子野かしのサマのお財布で、チョコレート好きな女王様チョイスによって本日のおやつはホワイトチョコレートのバウムクーヘンである。


「そういや最近水月みづき見てねえな。明日同じ講義だけど」

「わたしは昨日会った。ぐっすりだったけど」

「マジか。あー、相談入ったからか?」

「そうかもしれない」

「水月ちゃん、そういうの敏感だもんねえ」


 現に菓子野本人はおやつを届けたにもかかわらず早々に帰ったらしい。

 菓子野の二歳になる娘は霊的なものに敏感だ。ただでさえいろんなことに多感らしいので、俺はあまり会わせてもらえない。

 次未が抱えているところを見れば天使が天使をあやす様子を楽しめて精神衛生上非常に良いのだが。


「そうだ。君平先輩が『貴宮さんからの伝言はちゃんと伝えたけど、あんまり進展はない』ってさ」

「あいつ今日はチドリと一緒に聞き込みするらしいぜ。俺らどうするよ?」

「おれはあんまり構内のこと知らないし……チャーリー・ゲームについてもう一回手持ちの資料さらおうかなって。粕谷先輩は羽衣うい先輩もいるんだから、現場見てきたら? 場所はわかるんでしょ」


 オカルト部というものに所属しているのに、残念ながら俺は霊感が強くない。

 というかほとんど何も影響を受けたりしないので、逆につっこんでいきたくなるという自分でも困った性質を持っている。愛しの次未を悩ませてしまうどうしようもないこの性質のせいで小学生時代から周りにさんざん叱られていた。懲りていないが。

 そんな俺が現場を見に行きたいのは当たり前。

 話を聞いた時から行きたくて行きたくてうずうずしている。


「そうしたいのはやまやまなんだが」


 そんな衝動を抑え込められているのはひとえに、俺の何よりかわいくて大切な次未が、大学にいるあいだじゅう俺のそばを離れたがらないためだ。


「羽衣先輩、なにか気になるの?」

「……危なくはないとおもうけど」


 差し出された紅茶を飲みながら次未はすこし落ち込んだ様子である。

 朝から元気がないとはおもっていた。もともとあまり活動的ではないし、昨日の疲れが取れなかったのかと考えていたのだが、どうもそうではないらしい。


「わたしが考えている通りなら、そんなにおそろしいことじゃない。ただ……」

「ただ?」

「そうじゃなかったときは、わたしたちだけで対応できなくなってしまう。だからいまは積極的に接触したくない」


 うーん、なるほど。

 慎重なのは良いことである。俺の好奇心という名の猛獣は暴れたがっているがしばし寝かしつけねばなるまい。


「じゃ、粕谷先輩。おとなしくおれと復習おさらいしよ?」


 語尾にハートマークを付けたような甘ったるい声でにっこり笑う駆馬。

 おまえ最近チドリに似てきたな。


「──そういや、チャーリー・ゲームって強制終了のやり方があったよな?」


 ひたすら駆馬が持ってきた紙資料とスマホで見つけたネット資料をあさりまくって小一時間。

 俺はふと思い出したことを口にした。

 チョコバウムにフォークを差し込んでいた次未の動きがとまる。

 タブレット端末に目線を落としていた駆馬はそのままの体勢で相槌あいづちをうってきた。


「立ち去れっていうやつ?」

「そうそう。『あっちいけゴーアウェイ!』ってやつ」

「うーん、あるっちゃあるけど……」


 机に肘をついた駆馬の後ろで甘味摂取を再開する次未。

 バウムクーヘンがちいさな口に吸い込まれていく。かわいい。


「あれ『おかえりください』で帰らなかったときにやるものだし。そのパターンで終わった資料ってほとんどないんだよね。例えばだけど、狐狗狸こっくりさんでソレやったら絶対呪われるでしょ」

「だよなあ。ちゃんと帰しても十円持ってるだけで呪われるって話だ」

「だから追い払ったりするのは逆効果だとおもうんだよねえ。実際案件を見たわけじゃないんだけど……質問に答えてあげたのにそのままポイってされたら誰だってムカつくじゃない?」

「まあ、わからんでもないけどな。でも気にしないほうが楽じゃね?」

「みんなが粕谷先輩みたいに単純じゃないんだよ」


 失礼な。

 俺だって次未が危ない目にあったらキレる。


「だいたい、チャーリー・ゲームは基本的に四人でやるものだよ? それを六人でやって成功するほうがおかしいと思うんだよね……」


 駆馬はまた自分のぶんの資料に戻っていった。

 その向こうで、次未の宝石のような黒い瞳が俺のほうを見ていた。


「次未?」

「……いたずら、だとおもう。妖怪のやりたかったことは」


 何か言いたそうにした駆馬をしりめに、次未はまたバウムクーヘンを切り分ける作業に戻った。

 日がじゅうぶんに傾いてきたころ、君平きみひらが満足を貼り付けた笑顔で扉を嘆かせて戻ってきた。



      ◇




「日本文学科の岩見いわみ和樹かずきって新入生いちねん、知ってるか?」


 相変わらずチャラチャラしたデイバッグをソファへ投げ、白衣をまとう。白衣はいつ洗濯しているのか知らないが今日も清潔である。


「いや、知らねえ名前」

「だよな。この岩見ってやつ、チャーリー・ゲームをしたメンバーと仲が良かったらしいぜ。そいつが男子の四人目だな」

「四人目?」


 冷えた紅茶をぐびっと飲み干し、君平は愉快そうに唇をなめた。


「伊川ちゃんが言ってたろ。男子三人、女子も伊川ちゃん含めて三人の、六人グループだって。だがこの仲良しグループ、聞き込み進めてみりゃだったんだと」


 イヌの耳と尾があればピンと立ち上がっただろう。

 駆馬が好奇心に目を爛々とひからせ、先日まとめられた件のレポートを手に取った。


「チャーリー・ゲームの参加者は六人だったけど、そのほかにも登場人物がいたってこと!」

「その通り。さっきの岩見和樹のほかにもうひとり、いまはグループにカウントされない女子生徒の存在がある。んで──くだんの金元かなもと樹里亜じゅりあは二か月前に交通事故で亡くなっている」


 チャーリー・ゲームの資料をざっとまとめて端に置き、俺たちはテーブルを囲んだ。


「八人は男女半分ずつが同じ高校からの進学らしい。伊川いかわ朝美あさみ秋坂あきさか万希まき富岡とみおか礼音れおん・岩見和樹、この四人が隣県にある私立校出身。んで、吉野よしのあゆ・飯原いいはら将彦まさひこ鳥羽とばめぐみ・金元樹里亜の四人が大学ここの付属校出身だ」

「一部が仲良くなってお互い紹介して……って流れか? 八人って結構な規模だよな」

「ああ。しかも男女だぜ? そりゃあイロイロあるだろ。チドリが知ってるだけでも富岡礼音は金元樹里亜に片恋かたこい、秋坂万希がその富岡に片恋、伊川ちゃんと吉野あゆが飯原将彦に片恋、岩見和樹が吉野あゆに片恋。どっかの少女漫画かよって話だぜ?」

「一度に言われたらわかんないよ。紙に書くから待って」


 サラサラとペンを走らせたのは駆馬ではなかった。

 ルーズリーフを一枚テーブルに乗せ、次未の白魚の指がファーバーカステルを握っていた。残念ながら俺は次未が愛用するブランド名程度しかボールペンの知識はない。


 秋坂万希→富岡礼音→金元樹里亜

 伊川朝美・吉野あゆ→飯原将彦

 岩見和樹→吉野あゆ


 丁寧に並ぶ文字列たちを全員でのぞきこむ。


「流れは全部でみっつ」

「紙に書くと鳥羽恵って奴だけ名前ないな」

「鳥羽は別の大学に恋人がいるらしい。人間関係としてはこんなもんだ」

「飯原ってひとモテモテじゃん。そんなにイケメンなのかな。っていうかグループ内こんなのでよくうまくまわるよね」

「まだそこまでドロドロしてねえんだろ。入学して三カ月ちょっとだし」


 男女八名、恋愛感情入りみだれの人間関係。

 まだわずかな煙程度だったとはいえ、爆弾の導火線には火がついていたということか。


「チャーリーに何を聞く気だったのかねえ」


 意地悪く君平が笑う。

 大好物のゴシップを手に入れて満足そうだ。明日まではテンション最高潮だろうから、チドリも情報を集めた甲斐があるだろう。恐ろしいカップルである。


「金元樹里亜の死因は?」

「二ヶ月前に市街のほうででかい事故があったの、覚えてるか」

「あー、えっと、玉突き事故が先に起きて、それを避けようとした車に何人かはねられたやつ……だっけ。たしか二台目の運転手とはねられた通行人が亡くなってたよね」

「あれの通行人のほう」

「それかあ……」


 駆馬の記憶力は並ではないとおもう。

 俺は感心してうなずいていたが、次未はあまりいい顔をしていなかった。


「羽衣? なんかわかったのか」

「だいたい。今回の件はもうほとんど大丈夫だとおもう。でも根が深いかもしれない」

「へえ」


 君平は心底面白いという顔をした。俺も駆馬も楽しくなっていた。

 次未はそんな俺たちをみてますます苦い顔をする。


「羽衣。はいつできる?」

「あしたには、たぶん。四限まで講義だからそれ以降」

「了解」


 早速スマホで連絡をとりだした君平をしりめに、駆馬は新しい紅茶とおやつの準備をはじめた。

 思考の海から上がってきた次未はなにか別のものに怯えはじめていた。

 あめ色にひかるカップの底を見つめつづける黒い瞳が不安げに揺れている。ばかな俺にはその見当がつかないが、いまだに俺のそばから離れたがらないのは信頼の証拠だろうとおもう。


 この天使の不安をとりのぞくための精一杯は、今日も変わらず、羽衣家の玄関まで次未をエスコートすることだけだ。

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