第5話『七夕祭り-2人きりで・後編-』
ラムネを飲み終わり、俺と氷織は再び会場内を歩いていく。
午後7時台なので、会場を来たときよりもさらに多くの人が来場している。氷織とはぐれないように気をつけないと。まあ、さっきと同じく腕を絡ませてきているので、よほどのことがない限りは大丈夫だろうけど。
アーケード越しに見る空は完全に暗くなっている。アーケードに電灯が付いているので会場は明るいけど、よりお祭りらしい雰囲気に。
「次はどこの屋台に行こうか? 氷織の行きたいところへ行きたいな」
「そうですね……とりあえずは屋台を見ながら歩いてもいいですか? 行きたいって思えるところを見つけたら言いますね」
「分かった」
「明斗さんも、行きたい屋台があったら遠慮なく言ってくださいね」
「了解」
とりあえずは会場の中を歩くというのも乙なものだろう。今は滅多に味わえないお祭りデート中だから、こうして歩いているだけでもかなり楽しいし。
会場内を見ながら歩いていると、少し遠くの方に笹が飾られているのが見える。笹には赤や青、黄色、緑など様々な色の短冊がたくさん飾られており、カラフルに彩られている。
「向こうに笹がある」
「ありますね。このお祭りのシンボルです」
「そうなんだ。まあ、七夕祭りだもんな。お祭りの会場で笹を見たことがないから、何だか新鮮な景色だよ」
「ふふっ、そうですか。私は地元ですし、このお祭りには毎年来ていますから、夏のお祭りには笹がおなじみになっていますね」
「ははっ、そうか。ただ、お祭りも楽しめて、願いごとを短冊に書いて笹に飾れるのはいいなって思う。今日来てみてそう思った」
去年まで来なかったことを後悔するくらいに。去年は和男と清水さんが誘ってくれたけど、夜までバイトがあるから断っちゃったんだよな。きっと、この七夕祭りはこれから毎年夏に行く定番イベントの一つになるだろう。
「そう言ってもらえて嬉しいです!」
そう言うと、氷織は今の言葉に嘘偽りなしと裏付ける可愛らしい笑顔を見せてくれる。氷織はより俺にくっついて歩く体勢に。その行動はもちろんのこと、ふふっ、と小さな声で笑うところも本当に可愛い。
「あっ……」
そう声を漏らすと、氷織はその場で立ち止まる。
俺も立ち止まり、氷織の視線の先にあるものを見ると……そこにあったのは射的の屋台。三段で構成される台にはお菓子やおもちゃ、ぬいぐるみ、アクセサリーなどが置かれている。ゲットできた人が少ないのか。それとも、ゲットされた分を補充しているのか。台には特に目立った隙間はない。
「射的か。お祭りの定番だよなぁ」
「ですね。一番上の段に置かれているキュアックマのぬいぐるみが視界に入ったので、思わず立ち止まってしまいました」
氷織の言うキュアックマというのは、グッズ用のクマのキャラクターだ。俺が物心ついたときには既にキュアックマがいた気がする。
改めて屋台を見ると、一番上の段にキュアックマのぬいぐるみが置かれている。パッと見……抱きしめるのにちょうど良さそうな大きさだ。
「可愛いぬいぐるみだな。そういえば、氷織の部屋の勉強机に、キュアックマの小さなぬいぐるみがあった気がする」
「ありますね。それはバッグにも付けられるタイプなんですけど、落としたりすると嫌なので、机に飾ってあるんです」
「なるほどね。……氷織。台にあるキュアックマのぬいぐるみ……欲しいか?」
「はいっ、欲しいです。とても可愛いですし。あの大きさですと……勉強机ではなく、ベッドにお迎えしたいですね」
ベッドにお迎えか。久しぶりにその言葉を聞いたな。前に聞いたのは確か、ゴールデンウィークの萩窪デートのとき、クレーンゲームで三毛猫のぬいぐるみを取ってあげる前だったかな。
「氷織って射的は得意な方か?」
「……あまり得意ではありませんね。お金をたくさん払ってようやく狙った景品をゲットできたり、コルクが思わぬ方向に飛んで狙った景品とは違う景品をゲットしたりしたことはありますが」
「そうなんだ」
全くゲットできないわけじゃないというのが氷織らしい。
「もしよければ、俺が取ってあげようか? これまで、祭りに行くと姉貴や友達に取ってあげることが多いし、少ない金額で取れると思う」
「そうなんですね!」
そう言う氷織の声色は普段よりも高い。俺のことを見る目が輝いていて。あのぬいぐるみがほしい気持ちの強さが窺える。
「では、お願いしてもいいですか?」
「了解」
氷織に喜んでもらうためにも、キュアックマのぬいぐるみを取るのを頑張ろう。なるべく少ない金額で。
俺達は射的の屋台に向かう。銃が置かれている台には『3発100円』と書かれた紙が貼ってある。3発中にゲットできたら最高だな。
氷織は屋台にいる白髪のおじさんに100円を渡し、コルク3つを受け取る。
「お願いします、明斗さん」
俺は氷織からコルク3つを受け取り、俺の持っている黒い巾着袋を彼女に渡した。
「おっ、彼氏の方が打つのか。彼女のために頑張りな。後ろに倒れたらゲットだ」
「分かりました」
氷織にかっこいいところを見せたいぜ。
コルクを銃口にセットし、銃をキュアックマのぬいぐるみの方に向ける。ぬいぐるみはこちらに向いて座った状態で置かれている。だから……額の中心辺りにコルクを当てれば、ぬいぐるみが後ろに倒れやすいだろう。
キュアックマの額の方に狙いを定めて、
――パンッ!
最初に放ったコルクはぬいぐるみの方に飛んでいき、右の脇腹に命中した。ただ、ぬいぐるみは倒れない。
「さすがに脇腹じゃ倒れないか」
「でも、一発目からぬいぐるみに当てるなんて凄いですよ! あと、銃を構えて、狙いを定めているときの明斗さんがとてもかっこいいです……」
うっとりとした様子でそう言ってくれる氷織。ぬいぐるみはまだゲットできていないけど、早くも氷織がかっこいいと思える姿を見せられたようだ。
「ありがとう。額の真ん中を狙っているんだけど、あとは銃口の位置を修正していくだけだ」
「そうですか! 頑張ってください!」
「うん」
氷織の応援もあって、さらにやる気が上がってくる。
2発目のコルクを銃口にセットし、俺はぬいぐるみに向かって狙いを定めていく。さっきは右の脇腹に当たったから、さっきよりも銃口を少し上に向けて、少し右にずらす。
――パンッ!
銃から放たれたコルクは……ぬいぐるみの左耳近くに命中した。そのことでぬいぐるみの脚が少しだけ浮くが、すぐに元の姿勢に戻ってしまった。
「あぁ、惜しいな」
「でも、さっきとは違って、脚が一瞬浮きましたよ! ゲットまで確実に近づいていると思います!」
氷織は興奮した様子でそう言ってくれる。そのことで、今の一発で倒せなかった悔しさが緩和されていく。氷織は褒め上手だなぁ。
「高さは大丈夫だと思う。あとは、左右について狙いを修正すれば、きっと倒せるはず」
「そうですか。頑張ってください!」
次で3発目だ。氷織に追加で100円を払わせたくないので、できればここで決めたいところ。
3発目のコルクを銃口にセットして、銃をぬいぐるみの方に向ける。
氷織に言った通り、高さについては2発目と同じで大丈夫だろう。左右について修正しよう。2発目は思ったよりも右側に飛んでしまった。だから、さっきよりも僅かに左側に修正して……ここだ!
――パンッ!
俺は3発目のコルクを打った。
銃から放たれたコルクは……俺の狙い通り、ぬいぐるみの額の中心部分に命中する。そのことで、ぬいぐるみが後ろに倒れた!
「おっ! やったな兄ちゃん!」
屋台のおじさんはそう言って、俺に向かって拍手してくれる。氷織の方を見ると、氷織はとても嬉しそうな様子で俺に拍手していた。
「3発でゲットできるなんて凄いです!」
そう言うと、氷織は横から俺に抱きついてくる。
「射的をやるのは1年ぶりだけど、100円でゲットできて良かった。狙ったぬいぐるみは大きかったし、氷織が応援してくれたおかげだよ」
狙った姿がかっこいいとか、ゲットまで確実に近づいているといった氷織の言葉のおかげで、悔しい気持ちがすぐに取れていき、冷静さを取り戻すことができたんだ。
氷織の頭を優しく撫でると、氷織は俺を見上げながら柔らかな笑顔を見せてくれた。
「はいよ、姉ちゃん!」
「ありがとうございます!」
屋台のおじさんが氷織にキュアックマのぬいぐるみを渡した。また、持ち運び用にと、俺には駅北口にあるスーパー・東友の大きな紙の手提げをくれた。
氷織はぬいぐるみを受け取ると、物凄く嬉しそうに抱きしめる。えへへっ、と笑うので普段よりも幼く見えて。そんな氷織を見ていると、射的でぬいぐるみを取れて本当に良かった。
「あぁ、可愛いです。いい抱き心地です。明斗さん、本当にありがとうございます!」
「いえいえ。喜んでくれて嬉しいよ」
「何か取ってくれたお礼がしたいですっ」
「そうだなぁ……」
喜んでくれることが立派なお礼なんだけどな。でも、お礼する気満々のようだし、氷織の思いを無碍にしたくない。
「じゃあ、お祭りに来ていることだし、焼き鳥を1本奢ってもらおうかな。これまで通ってきた中に、焼き鳥の屋台があったから」
「焼き鳥も定番ですよね。分かりました!」
「あと、今日の思い出に、そのぬいぐるみを抱きしめている氷織を撮ってもいい?」
「もちろんですよ!」
俺は甚平のポケットからスマホを取り出し、キュアックマのぬいぐるみを抱きしめている氷織の写真を何枚か撮る。
ニッコリと笑顔になったり、右手でピースサインしたりする可愛い氷織の姿を撮影できた。キュアックマも可愛いので、可愛さに溢れる写真を撮れたと思う。この写真を見る度に射的のことを思い出すんだろうなぁ。また、撮った写真のうちの何枚かは、LIMEで氷織に送信した。
写真を撮り終わった後、俺達は焼き鳥の屋台へ。そこで約束通り、氷織に焼き鳥を1本奢ってもらった。食べさせてくれるというサービス付きで。
氷織に食べさせてもらう奢りの焼き鳥は物凄く美味しかった。これ以上の焼き鳥を食べることは、今後の人生でもそうそうないだろうと思えるほどに。
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