第20話『氷織の中学時代』
俺と氷織は、再びクッションに隣同士で座る。
氷織はマグカップに残っていたアイスコーヒーを全て飲み、長めに息を吐いた。
「……中学に入学したとき、同じクラスになり、出席番号が前後したことで仲良くなり始めた女の子がいました。好きな漫画やアニメ、ドラマの話などをして親交を深めていきました。その子は運動系の部活に入っていたので、休日中心に笠ヶ谷駅周辺のお店に行ったり、お互いの家で遊んだりしていました」
「結構仲が良かったんだな」
「はい。親友と呼べる関係になりました。実際、その子は小学校で一緒だった友達に、私のことを『中学で出会った親友』と紹介してくれました。それがとても嬉しくて。中学でいい人と出会えたと思いました」
俺も中学に入学したとき、席が近かったことで仲良くなった男子がいたな。共通して好きなことを話して仲良くなっていった。だから、当時の氷織に共感できる。
「ところで、明斗さんは高校で、私が告白されているところを見たことはありますか?」
「たくさん見てきたよ」
「そうですか。……実は中学生のときも、現在と同じようにたくさんの人から告白されていたんです」
「そうだったんだ」
さっき、アルバムに貼ってあった氷織の中学時代の制服姿の写真を見たけど、当時もとても可愛らしかった。中学生なのもあって大人っぽさも感じられるし。入学式の日の写真に写る笑顔はとても魅力的で。たくさんの人から告白されたのも納得だ。
「当時も告白を全て断っていました。告白してきた人の中には、女子達から人気のある生徒もいました。ですから、私を憎んだり、恨んだりしたのでしょうね。私をにらむ生徒が出てきました。中には、『調子に乗っている』『振ったくせに笑顔でいる』などといった嫌味を言ってくる生徒もいました。酷いと、しつこく言う生徒もいて」
「そうだったのか……」
どこにも酷い人はいるもんだな。
そういえば、笠ヶ谷高校でも氷織に鋭い視線を向ける生徒が何人もいたっけ。にらまれる程度なら気にしないのは、中学時代から経験して慣れていたからだったんだ。
「ただ、その子が私を励ましたり、支えたりしてくれました。時には、嫌なことを言われたときに、私を守ってくれたこともあって。その子のおかげで、毎日学校に通えていました。しかし、6月のある日に、その子との親友関係は一瞬にして解消されました」
「……どんなことがあったんだ?」
おそらく、親友関係が解消してしまったことが、現在の氷織のクールさや無表情に繋がっていると思われる。
氷織は「はあっ……」と長めに息を吐く。
「その子には、意中の男子の先輩がいました。親友として恋愛相談も受けていました。好きだってストレートに伝えるのがいいとアドバイスしたのを覚えています。後日、その子は先輩に告白しました」
「……それで、結果は?」
「……フラれました。好きな子がいるからと」
「……まさか、その先輩の好きな子って」
氷織と目を合わせると、彼女は複雑そうな表情になり、首をゆっくりと縦に振った。
「私でした。その子と一緒にいる私の笑顔を見て、一目惚れしたと。一緒にいるんだから、告白の場をセッティングしてくれないかと頼まれたそうです。それはできないと断ったそうですが」
フラれただけでもショックだろうに。その上、フラれた理由が相談に乗ってくれた氷織が好き……か。その子はかなりのショックを受けたと思う。
あと、振った相手に告白の場をセッティングしてほしいと言うなんて。その先輩は告白してくれた子の気持ちを考えられなかったのか。
「告白したときのことを話すその子の顔はとても恐かった。物凄く鋭い目つきで私を見て『氷織がいなければこういう結果にはならなかった。今まであなたを睨んだり、恨み言を言ったりする子の気持ちが今ならよく分かる』と言われました」
「そんな……」
「そして、その先輩を振った理由が『私の笑顔を見たことでの一目惚れ』でした。ですから、『氷織の笑顔は誰かに不幸をもたらす。笑顔を含めて氷織が大嫌いだ』って言われ、親友関係も解消となりました。それまでも、私の笑顔を見て好きになり告白した人は何人もいました。ですから、その子の言葉に心が抉られて。人前で笑顔を見せるのが恐くなったんです」
「それを機に、氷織は無表情になっていったんだ」
「……そうです。その一件があった直後は、その子を中心に色々と嫌なことを言われて。その子は人気があったので、彼女の友達中心に私のことをにらんでいました」
「そうか……」
当時のことを思い出しているのだろうか。氷織の両目には涙が浮かんでいた。
俺は持っているハンカチを氷織に差し出す。すると、彼女は「ありがとうございます」と受け取り、涙を拭った。
「それから、中学の間に笑顔を見せることはありませんでした。他の感情を顔に出すことも全然しなくなりました。いつしか、無表情が自然になりましたね。それでも、告白する人はあまり減らなかったですが」
無表情が自然になったことで、クールな印象を持たれるようになったのかも。あと、氷織は美人でスタイルがいいし。長くて美しい銀髪も目を引くし。
親友だった子の心ない言葉のせいで、氷織は笑顔を見せられなくなったんだ。そして、いつしか笑顔を見せないことが普通となってしまった。
今の氷織の話を聞くだけでも心苦しくなる。でも、当時の氷織の苦しみはもっともっと辛いものだったと思う。あと、親友だった子に対して怒りが湧いてくる。
「2年生になって、その子と別のクラスになったことで、恐れは少しずつ減っていきました。進学した高校も別々で安心感もありました。入学直後に文芸部で沙綾さんと出会って。本の話題を中心に、彼女と話すのは楽しくて」
「だから、葉月さんの話しているときに、何度か微笑みを見せるようになったのか」
「はい。私が微笑むと、沙綾さんはあの明るい笑顔で『微笑むとより可愛い』と言ってくれました」
きっと、そのことで安心感を抱き、葉月さんには微笑むようになったのだろう。
「ちなみに、葉月さんにはこの話を……」
「詳しくは話していません。今回の明斗さんと同じように、アルバムを見ているときに『中学になったら、今のような感じになるんだ』と沙綾さんが言って。色々あったと私が言ったら、沙綾さんは『生きていたら、色々なことがある』と言うだけで、深くは訊かなかったんです」
「そうだったんだ」
色々とあった……と言ったときの氷織の様子を見て、氷織に辛い経験があったと察したのかもしれない。深く訊かないことは、葉月さんなりの優しさだったのだと思う。
「俺が一目惚れしたきっかけでもあったけど、猫には笑顔を見せていたね」
「小さい頃からずっと猫好きですからね。すり寄ってきたり、触らせてくれたりすると嬉しいですし」
「なるほどね」
好きな動物が懐いてくれたら嬉しいよな。あとは、人間じゃなくて猫だからっていう理由もあるかもしれない。
そういえば、告白して、ノラ猫を撫でる氷織の笑顔が好きだって伝えたとき、氷織は色々なことを思い出したと言っていた。それは今話してくれたことだったんだな。
「ちなみに、敬語で話すのは、今話してくれたことに関係ある?」
「いいえ。敬語で話すようになったのは、小学1年生の頃に放送していた魔法少女アニメのキャラクターの真似をしたのがきっかけです。それまではタメ口でした」
「そうだったんだね」
とても可愛らしい理由だった。俺もアニメのキャラクターの声を真似たことあったな。一時期はいつも語尾に「だぜ」を付けたっけ。
「中学から、氷織が無表情になった理由は分かったよ。話してくれてありがとう」
「いえいえ。ただ、こんな話を聞いて、気分は悪くなりませんでしたか?」
「……親友だった子に対する怒りとかはあるよ」
正直な気持ちを言い、俺は右手を氷織の頭にそっと乗せる。
「辛い想いをしてきたんだね。今の氷織の話を聞いて、俺も心苦しかった。でも、当時の氷織はもっと苦しかったと思う」
「明斗さん……」
「氷織の笑顔に惚れて。告白して。フラれてショックを受けた人はいる。意中の人が氷織の笑顔が好きだと分かって、ショックを受けた人もいる。でも、氷織は誰かを傷つけたいから、笑顔で中学生活を送っていたわけじゃないだろう?」
俺がそう問いかけると、氷織は俺の目をしっかり見ながら頷く。
「はい」
その二文字を乗せた声はとても真摯な印象を受ける。嘘ではないと分かった。
「そうか。それなら、氷織は何も悪くない。笑顔でいていいんだよ」
俺がそう言うと、氷織は目を見開かせる。
「急かすわけじゃない。ただ……いつか、アルバムに貼られた写真に写っているような明るい笑顔を見せてくれたらいいな。今の氷織が明るい笑顔になったら、どんな感じなのか興味がある。俺はいつでも氷織の笑顔を受け止めるから」
氷織の頭に乗せていた右手で、そっと撫でる。そのことで、氷織の柔らかな髪からシャンプーの甘い匂いが香ってきて。撫でている頭から伝わってくる熱が段々と強くなっていく。
「今も高校で氷織をにらむ人はいる。俺とお試しで付き合っていることで、嫌な目に遭うかもしれない。でも、俺が氷織を守っていくから」
そう言って、俺は氷織の右頬にそっとキスする。
触れているのは1秒や2秒くらいだけど、唇から伝わる氷織の温もりはとても強かった。あと、いきなりのキスで驚いたのだろう。キスした瞬間に、氷織の体がピクッと震えて。その震えも唇に伝わった。
唇を離すと、氷織の頬が見る見るうちに赤くなっていく。今までで一番と言ってもいいほどに頬の赤みが強くて。そんな彼女を見ると、俺は何て大胆な行為をしたのだと思う。かあっ……と全身が熱くなっていく。
「い、今のは氷織を守る誓いのキスだ。あと、好きだからキスしたかったっていう想いもある。いきなりだったし、もし嫌だったらなら謝るよ。ごめん。唇以外でもキスは一切NGっていうルールを追加――」
「嫌じゃないですよ。いきなりキスされてビックリしましたけど。私に対する明斗さんの優しさが伝わってきましたから。心が軽くなりました。ありがとうございます、明斗さん」
とても優しい声で言うと、氷織は穏やかな目つきで俺を見て……微笑みかけてくれていた。今まで、葉月さんに向けた微笑みを何度か見たことがあるけど、どのときよりも今の微笑みが一番可愛らしい。自分に向けられたものだからだろうか。一目惚れしたきっかけになった笑顔といい勝負だ。
「今、微笑んでいるよ」
「本当……ですか?」
「うん。とても可愛いよ」
ローテーブルに置いてあるスマホを手に取り、微笑んでいる氷織を写真に収める。……うん、可愛く撮れているな。
今の写真を画面に表示し、氷織に見せる。
「……微笑んでいますね。顔が赤くなっていますけど。きっと、明斗さんのおかげで微笑むことができたのだと思います」
「そうだと嬉しいな。あと、氷織の微笑んだ顔……好きだな。でも、もし嫌だったらこの写真はすぐに消すよ」
「持っていてください。持っていてほしいです。好きだと言ってくれて嬉しいですから」
「分かった、ありがとう。大切にするよ」
俺に向けた氷織の微笑みをいつでも見られるのは嬉しいな。
「少しずつでも微笑んだり、笑ったりできるといいなって思います。アルバムのような明るい笑顔を見せるのは難しいかもしれませんけど」
「そうか。氷織のペースでいいから、微笑んだり笑ったりしてくれると嬉しいな」
「はいっ」
微笑んでいるから、今の返事もとても可愛らしく思える。
改めて、氷織の微笑みを見ると……とても魅力的だ。氷織への好意がより強くなった。これからはきっと、少しずつでも微笑みや笑顔を見られることが多くなっていくだろう。
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