恋人、はじめました。

桜庭かなめ

本編

プロローグ『絶対零嬢』

『恋人、はじめました。』



本編




「好きです。僕と付き合ってくれませんか?」

「……ごめんなさい。お気持ちは嬉しいですが、あなたと付き合うことはできません」

「……そうか。分かった。僕の気持ちを聞いてくれてありがとう」


 今日も、クラスメイトの女子生徒・青山氷織あおやまひおりさんが告白を断っていた。


「いえいえ。失礼します」


 告白してきた男子に軽く頭を下げ、青山さんは昇降口に向かって歩き始める。穏やかに吹く風が、腰のあたりまで伸びている彼女の銀髪をなびかせる。

 こういう光景を見るのは、もう何回目だろうか。

 2年生になってから、まだ1ヶ月も経っていない。新年度になってからだけでも、両手で数え切れないほどに見てきた。


「今日も絶対零嬢ぜったいれいじょうは振ったか」

「そうだな」


 近くにいる男子生徒達がそんなことを話していた。

 ――絶対零嬢。

 ここ東京都立笠ヶ谷かさがや高等学校の生徒の多くが、青山さんのことをそう呼んでいる。

 青山さんは顔立ちが美しく、スタイルがいい。それもあって、入学当初から人気がかなり高い。成績も優秀であり、1年の中間試験からずっと学年1位をキープし続けるほどだ。そのことで人気に拍車がかかっていった。

 入学してから、青山さんは男子中心に数多くの生徒から告白されている。しかし、全て断っている。今のように、クールな佇まいできっぱりと。

 青山さんは普段から無表情。友人と話しているときに微笑むくらい。しかし、それも滅多にないことだ。

 おまけに、青山さんの名前には『氷』の文字。名字にある『青』も寒色系の色。

 これらのことから、青山さんが「決して溶けることのない氷」のようなイメージを持つ。冷たさの限界を意味する絶対零度という言葉もあるので、『絶対零嬢』と初めて聞いたときはとても上手いと思った。考えた人は頭がいいとも。



 そんな『絶対零嬢』の青山さんに、俺・紙透明斗かみとうあきとは半年ほど前から恋をしている。高校のすぐ近くにある公園で、ノラ猫を撫でる青山さんの優しい笑顔を見たときから。



 ――キーンコーンカーンコーン。


 4時限目の授業の終わりを知らせるチャイムが鳴る。これで午前中の授業が終わったから昼休みだ。


「あー、やっと昼休みだ」


 背後から、低くて野太い声が聞こえてくる。その声の主は倉木和男くらきかずおという俺の親友。高校入学のときに出会い、2年連続で同じクラスだ。

 後ろに振り返ると、そこには明るい笑顔の和男がいた。


「ここまで長かった。今日は月曜だから特に長かった。体育があって本当に良かったぜ」

「月曜の午前中は気怠いよな。俺も去年まではそうだった。俺は結構早く感じたよ」

「今日も授業中に彼女を見てたのか、アキ」

「ああ」


 和男の言う『彼女』とは、もちろん青山さんのことだ。

 俺の席は窓側の列の後ろから2番目。青山さんの席は教卓近く。だから、授業中は青山さんが視界に入りやすい位置関係なのだ。だから、板書を取るとき以外は青山さんを見ていることが多い。見ていると幸せな気持ちになる。それもあり、彼女と同じクラスになった2年生になってからは、授業がとても早く過ぎていくのだ。


「和男君、紙透君、一緒にお昼食べよう!」


 クラスメイトで和男の恋人の清水美羽しみずみうさんが、ランチバッグを持って俺達のところにやってくる。明るい笑顔が印象的だ。

 和男と清水さんは、陸上部の部員とマネージャー。去年のゴールデンウィーク明けから付き合っている。和男はかなり大柄で、清水さんはかなり小柄だから2人を『凸凹カップル』と言う人が多い。ただ、2人とも黒髪で和男は短髪、清水さんはショートヘアだから『髪だけみれば似たものカップル』なんて言う人も。


「おう! 一緒に食おうぜ!」

「そうだね、清水さん」


 俺は机と椅子を動かし、和男と向かい合わせの形で座る。スクールバッグから、弁当の入った包みと水筒を出す。

 清水さんは俺と和男の机にランチバッグを置き、近くから借りた椅子に座る。


「いただきます!」

『いただきます』


 いつもの通り、和男の号令で俺達は昼食を食べ始める。今日もお弁当が美味しい。

 和男と清水さんは付き合っているけど、2人が付き合い始めた直後から、昼休みにはこうして3人で食べるのが基本となっている。2人が付き合うまで、俺が和男と一緒に食べていたこと。付き合い始めた頃、和男と清水さんが2人きりになったら、緊張してあまりご飯を食べられなかったのが理由だ。


「紙透君。今日も授業中に彼女を見ていたね」

「好きな人だから、自然と見ちゃうんだ」


 清水さんとのこのやり取り、これで何度目だろうな。


「アキ。見ていても、彼女との関係はなかなか変わらねえぞ。俺みたいに告白しねえと」

「……告白か。ただ、彼女はこれまでの告白を全部断っているからな。なかなか勇気が出ない」


 フラれるのが怖いのが一番の理由。あと、もし断られたら、今のように教室の中で青山さんを見ることさえも許されない気がして。

 青山さんをチラッと見ると……今日は一人で食べている。このパターンが多く、たまに別のクラスの女子生徒が教室に来て、その子と一緒に食べることもある。


「でも、ハンカチを拾ったり、図書室何回か本を取ってあげたりしたことがあるんだよな」

「うん。そのときはありがとうって言ってくれた」


 高校生になってからの素敵な思い出達だ。


「あとは、2年になって、登校したときにたまに挨拶するくらいだよ」

「なるほど。アキは茶髪でイケメンだし、いいやつだから脈あると思うんだが」

「和男君の言う通りだよ!」

「告白する勇気が出ないなら、俺がついていてやろうか?」

「あたしも一緒にいてあげるよ!」


 和男も清水さんもいる気満々になっている。

 2人は和男の告白により付き合い始めた。実はその告白の場に俺もいたのだ。和男に凄く緊張するから側にいてくれと頼まれて。清水さんもかなり緊張していたから、俺が告白の進行役になったのだ。そんな経験があったから、2人は告白のサポートをしたいと言ってくれるのだろう。


「ありがとう。まだ具体的な予定はないから、今は気持ちだけ受け取っておくよ」

「おう! 助けてほしいときはいつでも言えよ!」

「喜んで協力するからね! 紙透君はあたし達の恋のキューピットだもん!」

「ありがとう」


 2人のおかげで、青山さんに告白する怖さがちょっと和らいだ。高校でいい人達と出会って、友達になれたな。そう実感して食べるお弁当はいつもより美味しく感じた。




 放課後。

 部活がある和男と清水さんとは、教室B棟の昇降口で別れる。俺は教室A棟にある図書室へ向かった。

 図書室に行き、借りていた異世界ファンタジーのライトノベルを返却する。

 ライトノベルは大好きでよく買う。

 ただ、中には少し気になる程度の作品や、長いシリーズ作品もある。そんな作品については図書室で第1巻を借りて読み、今後購読しようかどうか判断する。今返却したラノベは面白かったので、このシリーズは第1巻から最新巻まで購読していくつもりだ。

 ライトノベルが置かれている本棚に行く。


「おっ、これ返却されてたんだ」


 前から気になっていた推理系シリーズ作品の第1巻があった。それを手に取る。


『本を取っていただきありがとうございます。助かりました』


 本を取ってあげたときの青山さんをふと思い出す。昼休みに、和男がそのエピソードを話したからだろうか。青山さんが文芸部なのもあってか、これまで何度も図書室で彼女を見かけた。

 お礼を言ったときも、朝挨拶したときも、青山さんは俺の目をしっかりと見てくれたっけ。一目惚れする前は碧眼の瞳が綺麗だと思ったくらい。だけど、恋してからは間近で見つめられることに凄くドキドキした。

 青山さんとのことを回顧しながら、ラノベの本棚を一通り見る。興味がある作品は他にはないな。受け付けに行き、推理系ラノベの第1巻を借りた。


「さてと、今日は帰るか」


 バイトのシフトも入っていないし。帰って、今日の授業で出た課題を片付けたら、借りたラノベを読もう。

 図書室を後にして、ローファーに履き替えるため、教室B棟の昇降口へと向かい始める。放課後になって少し時間が経ったから、生徒の数が少ない。


「あれは……」


 教室B棟の近くにあるゴミ置き場に青山さんの姿が。彼女は教室のゴミ箱を持っている。週が変わって、青山さんのいる班が掃除当番になったからかな。

 青山さんは教室のゴミ箱から、ゴミ袋を取り出している。ゴミ置き場に持ってくるだけあって、袋の中には結構なゴミが入っている。


「にゃー」


 白いノラ猫が青山さんに近づく。一目惚れしたときも、青山さんはノラ猫に触っていた。彼女って猫に好かれる体質なのだろうか。

 ノラ猫は鳴いているけど、ゴミ袋の方に集中しているのか青山さんは気づいていない。


「にゃんっ!」

「ひゃあっ」


 ノラ猫が青山さんの脚にスリスリした瞬間、青山さんは驚いたのかそんな可愛らしい声を上げた。それと同時に、彼女は持っていたゴミ袋を離してしまう。そのことで、袋の中に入っていたゴミがその場にぶちまけられてしまった。その瞬間に、ノラ猫は逃げる。

 俺は青山さんのところへ走っていく。


「青山さん、大丈夫? ケガとかない?」


 声をかけると、青山さんはゆっくりとこちらに向く。青山さんはいつも通り無表情。


「私は大丈夫ですよ、紙透さん。ただ、ゴミが散らばってしまいました。突然、猫が脚にすり寄ってきたので驚いてしまって」

「そうか。青山さんが無事で良かった。ゴミ拾うの、俺も手伝うよ」

「そんな……悪いですよ」

「気にしないで。困ったときはお互い様。それに、今日は何も予定ないし」

「……では、お願いします。ありがとうございます」


 俺の目をしっかりと見て、青山さんはお礼の言葉を言った。

 荷物をゴミ置き場の横に置き、青山さんと一緒に散らばってしまったゴミを袋に戻していく。

 こうして近くで見ると、青山さんは本当に綺麗な顔立ちをしている。左の前髪に付いている雪の結晶の形をしたヘアピンがよく似合っている。

 青山さんがすぐ近くにいるからか、少しでも風が吹くと彼女の甘い匂いが香ってきて。ドキドキして、体が熱くなってきた。顔が赤くなっていないといいけど。


「紙透さんには助けられてばかりですね」

「……へっ?」


 まさか、青山さんから声をかけてくれるなんて。思わず変な声が出てしまった。青山さんにこんな声を聞かれて恥ずかしい。

 青山さんの方にゆっくりと顔を向けると、青山さんは無表情のまま俺を見ている。


「同じクラスになって挨拶をしてくれるとき以外は、助けられた記憶しかありません。ハンカチを拾ってくれたり、図書室で何度か本を取ってくれたり」

「近くに困っている人がいたら、何かできないかって思ってさ」


 見放したり、知らないふりをしたりするのは心苦しいから。

 あと、青山さんがこれまでのことを覚えてくれていて嬉しいな。

 今は周りに全然人がいないし、2人で一緒にゴミ拾いをしている。……結構いい雰囲気じゃないか?


『見ていても、彼女との関係はなかなか変わらねえぞ。俺みたいに告白しねえと』


 昼休みに和男が言った言葉を思い出す。1年前の今頃に、緊張する中で頑張って告白した和男の姿も。それに返事をする清水さんも。2人がカップルになった瞬間も。

 俺も……和男と清水さんのように、青山さんと仲の良いカップルになりたい。そのためには和男のように勇気を出さないと。それに、今以上のチャンスは今後ない気がするから。


「……今は別の理由もあるんだ」

「別の理由……ですか?」

「ああ」


 緊張をほぐすために、一度、深呼吸する。そして、青山さんのことをじっと見て、


「青山さんのことが好きだからだよ」



□後書き□

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