10 国家のない社会(3)
ミサ〉 話を大きく戻そう。
まとめてしまうと、首長というのはさ、大盤振る舞いができて、話がうまくて歌も踊りもできる、みんなを楽しませてくれる存在で、仲間割れの際には調停役も買ってくれるという交渉達者なお人、ってことになる。
で、その権力は、〈与える権力〉。ちなみにそもそも権力とはなにか、って話も大事だが、今は長くなるからスッ飛ばすことにする。
我聞〉 首長って、なんか牧歌的ですねぇ。平和な感じ。
ミサ〉 いや、そんな平和でもないぞ。たしかに、首長は内輪のことはそれなりにまとめられるだろう。ただし、世の中に存在するのは当たり前だが自分たちの集落だけではない。よその共同体とぶつかることがある。で、諍いが、戦闘が勃発する。そうなるともう、首長のトーク力でなんとかなる問題ではない。
いよいよ力こそ正義、ではないが、歌って踊れても意味がないから猛者が、バッタバッタと敵を倒してくれる戦士が必要とされる。首長がそういった戦士たちを束ねることもあるんだが、首長とは別に戦士たちのカリスマがな、リーダーとして立つことも多いらしい。
いわばここで世界の中心が変わる。首長から、戦士のリーダーへ。これが首長の特徴四つ目となる。首長は戦争という非常時のリーダーではない、ってこと。
平和なとき、これを通常状態と呼ぼうか、そのとき首長はボスなんだが、戦争時、例外状態と呼ぼうか、そのときはリーダーの位置を戦士代表へ譲ってしまう。で、戦士のリーダーが仲間を統率し、敵と戦う。
しかし、だ。ここが重要なのだが、戦いが終わってしまえば、ただちに首長がリーダー・ポジションを回復することになるんだ。で、中心に戻る。
我聞〉 通常状態のリーダーが首長、例外状態のリーダーが戦士、ってことですか?
ミサ〉 そうだ。これはクラストルも挙げてる事例だが、かつてジェロニモ(1829-1909)という戦士がいた。先に言っておくが、漫画『キン肉マン』にでてくるアレではないぞ。
我聞〉 『キン肉マン』? 知りませんて。
ミサ〉 そうか、世代が違うな、悲しいな。
ジェロニモはな、自分たちを襲ったメキシコ軍へ報復をする際、アパッチ諸部族からリーダーに推された。彼は戦士としての資質を申し分なく発揮し、メキシコ軍を痛めつける。しかし、それが片付いてしまうと、なんと仲間たちはジェロニモの元を去ってしまう。ジェロニモはさらなる戦いを望んだが、「とりあえず報復したし、アバヨ。そんなに戦いたいなら、あとは勝手にどうぞ、サヨナラ」ってな塩対応をくらったわけ。
例外状態はやはり例外状態でしかなく、例外状態のリーダーは限られた例外状態という枠組みの中でのリーダーでしかなかったんだ。
我聞〉 あ、でも、つーことは逆にね、戦争ばかりしてたらさ、例外状態が当たり前になっていたら、いわば例外状態が通常状態になっていたら、ジェロニモみたいな戦士はずっとリーダーのままでいられる?
ミサ〉 おー、気づいたか。ここで、通常状態における首長のリーダーシップをだ、さしあたり適切な言葉がみつからないからさ、〈政治的な権力〉とでも呼ぶことにしよう。でもって、例外状態における戦士のリーダーシップをな、〈軍事的な権力〉と呼ぼう。
〈通常状態=首長=政治的な権力〉と〈例外状態=戦士=軍事的な権力〉が、こういった首長制社会のロジックではな、分断しているんだ。
ところが、だ。きみの言うとおり戦争という名の例外状態が通常状態化してしまうと、〈軍事的権力〉が共同体の中心へ躍り出たまま引っ込まないことになるよな。で、そのまま〈政治的権力〉まで己が胎内に吸収してしまうことになるかも。そんな事態がさ、理論的には想定可能だ。
我聞〉 となると、政治的な野心をもつ戦士が仮にいたとしたら、いっそ戦争が終わってくれないほうがいいかも? ずっと中心にいられるから。
ミサ〉 そうかもしれぬな。
余談だが、古代ギリシアのアテネでこんな話がある。
マラトンの戦いでペルシア軍を破った救国の英雄ミルティアデスがな、翌年、エーゲ海に浮かぶパロス島を攻めるのだが、失敗してしまう。すると民会で裁判となり、下々から途端に手の平を返されてしまい、失脚するんだ。
これについて古代ギリシア史が専門の橋場弦さんは、敗戦責任が問われただけでなく、名声を得すぎた余りミルティアデスが僭主化していくのを市民が怖れてたのではないか、と考察されている
あ、僭主というのは、簡単に言うと非合法な手段で権力を手中にしてしまう独裁者のことだ。古代ギリシアではたびたび僭主が現れていた。戦争しまくり勝ちまくり、ミルティアデスがますます名声を上げていき、気づいたら独裁者になっていた、とかいう最悪なストーリを嫌い、失脚させた、という可能性は充分あったと思う。
我聞〉 それ、なんとなくわかりますよ。だって民主主義の話になると、必ず古代アテネがでてくるじゃないですか。独裁を嫌ってたんですよね? 陶片追放、なんてのもあるんでしょ? 教科書で習いましたよ。独裁者に変貌しそうな危険人物をね、陶片に書きつけて投票し、十年間、国外追放してたんでしょ?
ミサ〉 陶片追放はそんなに多用されてないぞ。むしろミルティアデスがやられてしまったように弾劾裁判のほうが威力を発揮していた。この弾劾裁判でさ、たくさんの将軍が失脚している。橋場弦さんはこれを、一つには無定見な民衆が次々とリーダーを葬っていく衆愚政治の現れである、とみることもできるのだろうが、一つには強大な軍事的指導権をもつ将軍が専制支配者になってしまう危険性を事前に除去していた、とみることもできるだろう、と言っている
我聞〉 なるほど、つまり〈例外状態=将軍=軍事的権力〉が戦争し続けることで、あるいは平時になっても引っ込んでくれずに、その権力を拡張していくことをアテネの人たちは嫌った、ってことですか? 独裁者になりかねない、と。
ミサ〉 イエス。それと、さらなる余談だが、古代ギリシアに都市国家ポリスができてくるのは紀元前8世紀頃だが、当時、アテネの統治はわりと分権化しており、祭祀を担うバシレウス、政治を担うアルコン、軍事を担うポレマルコス、これに六人の書記を加え、国政が執行されていたという。また、こうした公職を歴任した人々からなる評議会も設けられていたという
我聞〉 やはり大昔は〈政治的権力〉と〈軍事的権力〉がわかれていた、って言いたいわけですね?
ミサ〉 あぁそうだ。それと、〈宗教的権力〉もな。祭祀、政治、軍事と、いわば三権分立だなぁ。〈宗教的な権力〉については、この後で考えてみることにしよう。まずは先を進める。
我聞〉 はいはい、どうぞ。
(註)
4 橋場弦『民主主義の源流 古代アテネの実験』講談社学術文庫、2016:第一章
5 同『民主主義の源流』:156-160頁
6 本村凌二『独裁の世界史』NHK出版新書、2020:28頁
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