1日目(古代・中世篇)
8 国家のない社会(1)
ミサ〉 さて、哲学的な理屈も準備したし、改めて国家について考えてみるとしよう。
こういうとき、繰り返しになるがな、効果的な方法は歴史に学ぶことだろう。
まずは未だ国家というものが存在していない時代をのぞいてみる。大人ってのがなんなのか知りたきゃ、子どもと比較するか、あるいは子どもから大人へ変わっていく過程を観察するのがよい。それと同じさ。
我聞〉 でも、そもそも国家がなんなのか定義してないんだから、国家でないものが国家になってく様子を追うにしても、それ以前の問題として、どこまでが国家じゃなく、どこからが国家なのか、わからないじゃないですか?
具体的に国家がないってのは、どんな状態のことを言うんです?
ミサ〉 まぁそのへんの問いはいったんカッコに入れてしまおうじゃないか。後でゆっくり考えてみるとしよう。
我聞〉 逃げてます?
ミサ〉 逃げてないよ。しかしなんだ、大昔のことを調べるのは難しいんだな。文字資料が残ってない場合は、とくに。
我聞〉 考古学の出番じゃないですか。
ミサ〉 そうそう。ただ、発掘調査とかでいろんなものがでてきて、いろんなことがわかるというが、結局それって、でてきたものをどう解釈するかという、解釈の問題になってるじゃない、基本的には。一番陥りやすいミスは、現代の価値観を過去へ投影してしまうことや、先入観に縛られることだろう。
我聞〉 タイムマシンがあったらいいですねぇ。
ミサ〉 我もガチでそう思うわ。タイムマシンがもらえるのと、10億円もらえるのと、きみならどっちを選ぶ?
我聞〉 10億にきまってるでしょ。
ミサ〉 即答か。我はタイムマシンだな。過去をみてみたいものだ。
我聞〉 変わってますねぇ。
ミサ〉 きみに言われたくない。
我聞〉 いずれにせよタイムマシンはないんだから、国家誕生前の時代を語るのは難しそうですね。
ミサ〉 そうだな、さしあたり人類学の成果から入ってみるか?
我聞〉 あー、人類学ね、それも習いました。アメリカのインディアンとか、未開社会へ入り込んでいろいろ調査したんでしょ。西洋の人たちは大航海時代にアメリカ大陸ほか新世界と出会い、まったく違う文化がそこにあると知った。以来、各地を調査しまくり、それが学問として立ち上がってくるんですね。
ミサ〉 インディアンは差別語だぞ。みんなアメリカ先住民と言っている。未開社会というのもビミョー。それは西洋が進んだ社会であることを前提としている。
我聞〉 でも実際、進んでるじゃないですか? それは否定できないでしょ。
ミサ〉 核弾頭をつくることが進むことだとするなら、まぁそうだろうね。
我聞〉 極論でしょ、それは。
ミサ〉 べつに我は「これが進歩だ!」とか言える客観的進歩などなーい、とかいう相対主義に染まっているわけではないぞ。先住民の暮らしを頭ごなしに遅れてる、とみなすと間違う、と言いたいだけ。
たとえばな、歴史法則というか、全人類史に適用可能な発展段階的レールを敷いてな、そのスタート地点に「一番遅れてるから」という先入観でもって先住民の社会を置いてしまう。そういうミスを犯すことになる。
地理的にかなりディスコミュニケーションだったとはいえ、なんだかんだで西洋の人とアメリカ先住民は同時代に生きてたんだ。生物進化が枝分かれしていくように、文明もまた枝分かれしているとみるべきかもしれない。
我聞〉 言ってることはわかりますが、それでもなんつーか、全体としての方向性というか、そっちのほうへ引っ張られいくような傾向性はあると思うんですよね。それこそ生物学でたとえるなら、適者生存、みたいな感じでね。
いろんな社会があるにはあっても、互いに交流していく過程でね、よってたかってある方向へ進んでくことになるんですよ。
ミサ〉 もちろんそういった側面はあるだろう。ただし、歴史法則として語れるような普遍的な発展段階はやはりないと思うぞ。すべての社会が必然的に進んでいくような、まったく同じようにステップアップしていくような進化の法則は存在しないだろう。
我聞〉 まぁたしかに、ある程度の多様性には開かれてるだろうと、オレも思いますよ。
ミサ〉 これは余談だが、「ゾミア」と呼称される東南アジア大陸部の丘陵地帯を研究していたジェームズ・C・スコットは、そこに広がる暮らしというのは、国家に取り込まれる以前の原始的な社会、ではなく、重税や徴兵そのほか国家的な抑圧から避難してきた人たちが築いたもの、って見方を示している
つまり「ゾミア」の生活は、いずれ発展段階的にな、国家へメタモルフォーゼしていくスタート地点にあるようなものではなく、遅れたものではなく、あらかじめ先に国家が存在し、その後で生まれたものなんだよ。
発展法則みたいなものを夢想しちまい、思考が縛られているとだ、遅れてるようにみえるものはすべて原始的ぃ、とかいう誤った判定をしてしまい、じつは国家の「後」で生まれたものを、「前」にあるものだと考えたりもする。
我聞〉 あ、でも岬美佐紀さんは・・・
ミサ〉 待て。
我聞〉 はい?
ミサ〉 岬美佐紀は言いにくいだろう。自分で言うのもなんだが、名づけた親を若干憎んでいる。父親はギャグだと言っていた。信じられん親だろう。
さっきも言ったが、岬美佐紀ではなく、ミサミサ、あるいはミサ二乗と呼んでもよいぞ。
我聞〉 余計言いにくいです。岬さんでいいですか?
ミサ ・・・・・・平凡だが、まぁ、許そう。
我聞〉 岬さんは国家の子ども時代を考えるため、人類学を持ち出そうとしてるんでしょ?
ミサ〉 イエス。
我聞〉 つまりスタート地点をみるために。
ミサ〉 イエス。
我聞〉 だったら意味ないじゃないですか。
ミサ〉 なにが?
我聞〉 だからぁ、人類学ではスタート地点が語れないって言うなら。
ミサ〉 いや、べつに人類学でスタート地点が語れないとは思ってないぞ。
我聞〉 え? だって、先住民たちの社会を国家誕生前のスタート地点に置く、そういうのは間違いだって、そう岬さんは言ってるんじゃ・・・・・・?
ミサ〉 国家のない時代は文字もなく、スタート地点を調べるにも文字資料がなく、限界があるのだよ。だから人類学からヒントを得たいのだ。
我聞〉 結局、先住民社会をスタート地点に置こうとしてるんじゃないですか? 同じだと思うんですが・・・・・・
ミサ〉 同じじゃないって。所詮はヒント、って自覚があるかどうかが大切だと思う。
我聞〉 はいはい、わかりましたよ。とりあえず話を聞くことにします。
(註)
1 ジェームズ・C・スコット『ゾミア 脱国家の世界史』佐藤仁監訳、池田一人ほか訳、みすず書房、2013
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