6 穀物国家の誕生(2)

ミサ〉 ちょっと視点を変えてみようか。めんどくさい仕事ならさ、いっそ他人にやらせてしまおう、とは思わない? この場合の他人とは、「我々」という共同体にとっての他人、共同体の外部で暮らす人たちだろうよ。

 つまり簡単に言うとだ、そいつらを襲って捕まえて、奴隷にしてしまうのさ。農耕とかいう苦役は奴隷にでもやらせておいて、自分たちはタダ飯食らえばよい、と考える輩がでてきても不思議じゃないだろ。

 メソポタミアで国家と言えそうなものがでてくるのは紀元前3千年も昔のことで、農村がみられるようになってからだと2千年も経ってから後のことなんだが、出土した粘土板にな、戦争捕虜やら奴隷のことがでてくるんだ。その存在が確認できる。

 ちなみに後の世の古代ギリシアだと、たとえばアテナイ全人口の過半数が奴隷だったと言われてるし、初期ローマ帝国でも3分の1ないし4分の1は奴隷がいたらしい(3)メソポタミアでは、ここまで大規模な奴隷制があったとする証拠はないらしいが、だからといって戦争捕虜が穀物生産にまわされていない、ということにはならな。

 めんどくさい仕事を担ってくれる捕虜を連れてくることがな、間違いなく、戦争する目的の一つではあったろう。


我聞〉 ん~、でも、戦争の目的というと、そこに定住し、農村があったとすれば、いわばピンポイントで食糧が集積されてるわけで、いっそ襲ったほうがはやくね? みたいな、略奪動機がメインだったんじゃないですか?


ミサ〉 もちろんそれもあるだろう。だから都市には壁がある。壁を築いて防衛するんだ。ただし、壁というのはな、ただ単に外敵を防ぐだけではなく、奴隷たちを外へ逃がさない、ってな側面も強かったらしいがな。


我聞〉 うわ、酷い。


ミサ〉 ところで、農耕は人を土地に縛りつけるだろ。人が動かないなら、管理しやすいよな。農耕を奴隷に押しつけるにせよ、そうでないにせよ、支配しやすい。また、穀物というのは課税対象にしやすい。測量により、ある土地からどの程度の収穫が見込めるか計算できるし、徴税仕事も年1回で済むからラクだし、穀物は貯蔵もきく。ジェームズ・C・スコットは「穀物国家」と呼んでいるが、古代の初期国家は、なによりまずはそういった土台がないと立ち上がってこれなかっただろう。

 繰り返しになるが、農耕はコスパが悪かったけれど、戦争捕虜を使うこともできた。戦争というのは、定住による縄張り争いや、略奪動機からも生じたろうが、そこで得られた奴隷は連れて帰って生産労働に充てることができる。そうなると自然、共同体内には支配する側と支配される側、といった階層秩序が生まれてくることになるだろう。それに穀物は課税システムの構築に適合的だからさ、富を収奪したい支配者には好都合だわな。


我聞〉 なるほど、そういった要因が複合的にからみあい、初期国家が、まずは「穀物国家」として誕生するわけですね。たしかに、狩猟でゲットした獲物に税をかけるのはムズイですね。穀物のほうが課税しやすいのは間違いない。それに獲物を追いかけながら住んでるところまで移っていってしまったら、それはもう税をとろうにも、とりようがないですね。どこかへいっちゃうんですから。


ミサ〉 ちなみに、「穀物国家」では文字が生まれる。人口、土地面積、収穫量を把握するために。課税システムが文字を、記録を必要とする。税を受け取ったら受け取ったで、運搬、管理のためにも文字が要る。


我聞〉 文学とか高尚な目的ではなく、課税を円滑にするため文字が必要とされたわけですね。なんだかなぁ・・・・・・


ミサ〉 ところで、初期「穀物国家」というのはさ、世界全体で眺めたら、まだまだ例外的なものだったと考えたほうがいい。大半の人は「穀物国家」の外で暮らしていた。そういう人たちを「穀物国家」の内側から眺めるとだ、野蛮人、ということになるんだが、というのも、たびたび略奪しにやってくるからね。でも野蛮人とレッテルを貼られた側からするとだ、そこは草原地帯やら山岳地帯やらで「穀物国家」を育む土台がなかったわけで、別様の生存戦略をとってきたにすぎない。

 定住して農耕して「穀物国家」ができて、とかいう、単線的かつ普遍的な発展段階を夢想しちゃいけない。その土地その土地にあったライフスタイルがあり、その中の一つからたまたま「穀物国家」が生まれてきたんだ。たまたま、と言ったのは、「穀物国家」ですら、その誕生までには随分と時間がかかっているし、いろんな要因が重なった結果なんだってことを示しておきたいわけ。


我聞〉 でも歴史的には、そういう類の国家がどんどん広がっていき、今となっては国家だらけになってるじゃないですか。


ミサ〉 まぁたしかに、なんでめんどくさい農耕が広がったのか、ってことを考えてきたが、なんでまた国家も広がってきたのか、ってことを考えてみる必要はあるなぁ。というのも、農耕も大変だが、国家もまた維持するのが大変なのだよ。だってそうだろ、下々からすると、税は重くのしかかるし、戦争には駆り出されるしで、付き合いきれないところもあるだろう。実際、「穀物国家」からの逃亡者はたくさんいた。

 そんな不幸の拡大再生産装置とも言える国家に、なんでまた人は暮らすようになったのか。そんな国家がなぜ増えていくのか。一考に値するし、国家嫌いなアナーキストの気持ちもわかるってもんだ。一方で、支配者からしても、そんな国家を持続可能なものにしていくのは骨の折れる仕事だろうよ。

 とはいえまぁ、この話題はいったんここで区切り、また後からじっくり考え直してみることにし、ちょっと視点を変えてだ、そうだな、改めて社会哲学からもアプローチをしてみようじゃないか。というのも、我はな、今村仁司さん(1942-2007)の〈第三項排除〉という図式が大変気に入っているのだ。出典は、『暴力のオントロギー』(勁草書房、1982)と『排除の構造 力の一般経済序説』(ちくま学芸文庫、1992)だぞっと。


我聞〉 いきなり話題が飛びますね。


ミサ〉 よいではないか。縦横無尽は素人の特権だ。それと、国家の定義をスッ飛ばした状態で、安易に「穀物国家」がどうの、なんて語ってきたがな、まぁあんまり気にするな。まだまだ導入だからな。後でキッチリ議論していくつもりだ。




(註)


3 『反穀物の人類史』:P145

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