第26話 再会

火曜日がやって来た。

今日は、“文字だけの君”が来ると言った日だ。

わたしは会う気はない。

でももし、これが万が一、鋤柄さんだったらと思うと気が気でならない。

筆跡が違うから、そんなはずはない。

だけど、鋤柄さんもこの店に来ているかもしれないとなった以上、行く以外の選択肢はなかった。

それに、やはり“文字だけの君”が誰なのか見たいという気持ちも捨てきれなかった。


暗闇の中に、明かりがついた一軒の店が見えてくる。

店の戸には、のれんがかけられており、そこには『ことだま』とある。

奇妙なラーメン屋は、今日も同じ場所に存在していた。

かなえは、店の戸を開けた。


数人の男性客が黙々とラーメンを食べている。かなえに目を向ける者はおらず、店内は異様な空気が漂い静まり返っていた。

店内には一台のテレビがあり、テレビの横には一冊のノートとボールペンが置かれていた。

奥では店主らしき人物が麺を湯切りしている手が見える。

かなえは、券売機で醤油ラーメンのボタンを押す。食券を厨房のカウンターへと出した。

食券を出すなり、顔が見えない店主からすぐに醤油ラーメンが出てきた。

かなえはテレビの横の席に座らなかった。

これは過去の経験からして鉄則だった。

自分が“鋤園直子(仮)”だと相手に悟られてはいけないからだ。

かなえはノートを手に取る人物を静かに待ち伏せした。

犯行現場に犯人は必ず戻ってくるという。わたしは見事に犯人だった。


もうすぐ『真剣怪人しゃべくり場』が始まる時間だ。

“文字だけの君”が来てもいい頃合いだろう。

こうやってみると、犯人というより張り込みをする刑事ではないか。


店の戸が開いた。

かなえに衝撃が走った。

店にやって来たのは、嘗て婚活パーティーで出会った男“大河原徹”だった。

かなえは慌てて身をひそめ、ラーメンをすすった。


なんで大河原さんが?なんでこんなところに?

情報量が多すぎるぞ!!

あの人はこんな油がギトギトしたラーメン屋には入らないはず。

もっと高級なレストランとかに行く人ではなかったか!?

ノートがパラパラというより、パリパリとめくれるお店に来るはずがない。

ややこしいことになった。知り合いがいるのは面倒だ。

出会いは婚活パーティーと言えど、一応嘗て振ったお相手。

なんで“文字だけの君”を待っている日に限って、大河原さんが現れるのか。

気まずい!そして、めちゃくちゃ邪魔だ!

今日ここに来るんじゃなかった。


もしかして、わたしの見間違い?

いや、でも今後ろを振り返るわけにいかない。

ラーメン以外見ちゃダメだ。

いっそのこと、見間違いであってくれ!


「あれっ?もしかして、かなえさん?」


聞き覚えのある声が背後から聞こえた。


かなえは、恐る恐る背後を振り返った。

とんこつラーメンを手に、男性が立っていた。

それは、間違いなく大河原だった。


「えっ……」


「後ろ髪のクセで、かなえさんだって分かりましたよ」


はっ?

髪質で当てられているのか!?

なんてことだ!!

こいつ、クセ探偵ではないか!!


「えっ……、大河原さん……」


「お久し振りですね。かなえさん、こういう店に来られるんですね?」


いや、それに関しては、むしろあなたこそ。

当時、わたしを高級なレストランに連れて行ったような人物なのに、この店!?

何かあったのか?落ちぶれたのか?


大河原は、かなえの隣に座ると、聞いてもいないのにかなえに話しかけてきた。


「僕ね、かなえさんと別れてからも、婚活を続けてたんですよ」


別れて?

あんなの付き合ってないだろ!

そもそも大河原さんは誠実そうな振る舞いをしているが、ルール違反の人物だ。

婚活パーティーでカップルになってないのに、また会ってほしいと言ってきた男。

そう、クセ者だ!

わたしが張り込みしている刑事だったら現行犯で逮捕だ。


「婚活で、一度は結婚寸前まで漕ぎ着けたんです。けど、信じられないことに、その寸前で振られて。それはもう落ち込みました」


「そうだったんですか……」


「それで、振られて落ち込んでた時、偶然立ち寄ったのが、このラーメン屋『ことだま』だったんです。それが、この店に来るきっかけになって……」


大河原さんは、あの後も真面目に婚活を続けていたのか。

わたしは、何もかも放り投げてしまった。

わたしには、鋤柄さんがいれば、それでいい。


「実はね、今日は久々にウキウキしてるんです」


「ウキウキ!?パリパリではなく?」


「えっ??」


「あ、いや……」


「この店で、ある女性と待ち合わせをしてるんです!」


この店でデート?

こんな、ギトギトで、パリパリなのに?

それは随分とラーメン好きな女性なことで。


大河原は突然立ち上がると、テレビの横にあるノートとボールペンに手を伸ばした。


「このノートの、鋤園直子さんって方と」


「えっ!!!」


ウソ……!!!

待ち合わせの相手。それは、わたしだった。


大河原はノートを開く。

そこには、“鋤園直子(仮)”からの続きの“文字”は書かれていなかった。


「鋤園さん!!!」


大河原は凍り付いた。


「ウソだろ……。書いてない……!!いつも来た時、必ず返事が書かれているのに!!」


大河原は動揺し、焦った様子でノートを何枚もめくっている。

しかし、続きの“文字”はどこにも書かれていなかった。


「白紙だ!かなえさん、白紙だ!」


「……」


「いや、でも、まだあれからこのお店に来れてなくて、このノートをまだ見てないだけかもしれない!いやちょっと待て、それはそれで問題だ。そしたら今日、ここに来ないじゃないか!!」


大河原は、パニックになっていた。


大河原さんを見ていると、以前の自分を見ているようだ。

いや、もうそのままだ。

鋤柄さんを待っていたあの日のわたしは、取り乱して、こんな状態になっていたのか……。

大河原さん、“白紙”なのは、わたしがそのノートに“文字”を書いてないからです。


「かなえさん!僕ここに、一緒に怪人の討論番組を見ませんか?って書いてたんです!いつもノートでやり取りしてて……今日ここで一緒に見るつもりで……」


かなえはハッとした。


だからだ。あの“文字”の筆跡!

どこかで見たことがあるような気もしてたんだ。

わたしは婚活パーティーで、単純作業のようにこの大河原さんとプロフィールカードを交換している。

だから、どこか知ってる“文字”な気がしていたのか。


テレビでは、今週も『真剣怪人しゃべくり場』が始まった。


  ×  ×  ×


エモーション「この番組は人間の生態を調べる実験を繰り返した怪人が、現代を生きる人間と対談し、疑問を解消していく番組だ。司会はわたし、怪人エモーションだ!そして、怪人代表はアルマ。人間代表は、改造人間シオンでお届けする」


シオン「心までは改造できなかった。どうも、人間のシオンです」


アルマ「人間に関する疑問が多すぎます。アルマです」


エモーション「さぁ、それでは今週の議題といこう。人間には利き手というものが存在するらしい。その多くは右利きで、左手よりも右手で何かをすることを得意とするようだ。しかし、多くはというだけで、中には左利きと呼ばれる人間も存在する」


シオン「確かに人間には利き手というものがあります。主に右利きですね。俺もそうです」


アルマ「右利きを当然だと考えている発言ですね!とても愚かです」


エモーション「駅の改札で、手をクロスさせ、左手でタッチをし、通過する人間の姿を見た事があるだろうか?その人間のこれまでの壮絶な人生を、右利きは考えた事があるだろうか?」


シオン「壮絶な人生って、そんな大げさな」


アルマ「あなたは何も分かってないようですね。最低です。左利きの人間は食事に難を抱えています。いつも箸や肘が、隣の人に当たる恐怖におびえて生きなければなりません」


エモーション「マグカップの絵柄はいつもない。何故なら絵柄は反対を向くからだ!」


シオン「自分側に見えるのは、いつだって柄のない面……。なんてことだ!!」


アルマ「工具や調理器具なども便利だと言われていますが、右利きにとって便利なだけです。左利きにとっては、使いにくい代物でしかありません」


シオン「そうか、使う時全てが逆になるのか……」


アルマ「楽器やスポーツ用品も、右利きを当然とした作りです。左利きは、音楽もスポーツもやめてしまえ!というメッセージが隠されているのでしょうか?」


エモーション「生きていれば逃れられないのが、文字を書くということだ。右手に直すという行為で、右手で文字を書くことを選んで生きていく左利きもいるようだ」


シオン「きっと、習字の『とめ』『はね』なんて、左手でできたもんじゃない!」


エモーション「右手でやることを強要されるこの世界で、左利きは己の右手を練習する。右利きの左手は無能だ!しかし、左利きは、はるかに右手が使えるのだ。そして、怪人には利き手など存在しない。わたしはすでに両利きだ!!」


  ×  ×  ×


わたしは、愚か者だ。

鋤柄さんはこれまでどちらの手で“文字”を書いていたのだろう?

考えたこともなかった。

それは、右手が当然だと思い込んでいたからに違いない。

あの鯖男に筆跡鑑定を依頼した時、確かあの鯖は、右手で“文字”を書いていた。

そして、鋤柄さんではないという結論に至った。

けどもし、鋤柄さんがいつも左手でノートに“文字”を書いていたとしたら……

わたしは詰めが甘過ぎだ!

あの鯖男が、鋤柄さんの可能性はまだ消えていないのか!!


「クソッ!あの鯖に、両手で文字を書かせるべきだった!!!」


「かなえさん???」


周囲は黙々とラーメンを食べている。かなえの声にも無反応だった。

一人だけ反応したのは、隣にいる大河原だった。


落ち着け!

いやいや、あんな失礼ナルシスト鯖が、絶対鋤柄さんなわけがない!!

もし、鋤柄さんが右利きなのに、いつも左手でノートに“文字”を書いているんだとしたら、うま過ぎる。

そもそも、鋤柄さんは右利きなのか?

左利きかもしれないじゃないか!!

鋤柄さんは、何かを抱えている人だ。

駅の改札で手をクロスさせ、左手でタッチする、左利きの可能性だってある。

いや、むしろ、完璧な両利きかもしれない!!!



「鋤園さん、結局来なかったなぁ……」


大河原はへこんでいた。

“鋤園直子(仮)”は、いつまで経っても現れない。


ヤバイ!横にいるのに、すっかり大河原さんの存在を忘れていた。


「この鋤園さんって方は、顔も知らない人なんです。でも、逢えたらいいなって。ほら、今ってSNSで顔の知らない人とも繋がる時代じゃないですか。ま、そんな時代にノートでやり取りしてるってのも。あれなんですけどね……」


まさに今、会えてますけどー!ってか、顔も本名も知ってるんですけどー!!

大変に気まずい……。

大河原さん、約束の君は……

今、目の前にいます。

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