後日談4 あまのじゃくなカノジョとの最後のすれ違い

『は、プロポーズの言葉はどんなだったって……? へー何だよ田島たじま。お前にも等々、その時が来たってわけかよ』

「ああ、まぁな。だいぶ待たせてしまったと思うけど、ようやく、な」

 仕事が終わり、涼葉すずはよりも一足先にアパートに帰宅した俺は、リビングで高校時代からの友人に電話で相談をしていた。

 今年で二十六歳。社会人としての生活も安定し、これなら彼女の親御さんにも申し分なく涼葉を嫁に迎え入れられるのではと思い立った俺は、遂に涼葉へプローポズしようと意気込んでいた。

『ってわけで、一足先にアキさんとゴールインしたしばに、是非助言願いたいなと思ってさ』

『助言ねぇ……。正直今のあの人が、田島からのプロポーズを拒むなんてありえないだろうし、そんな気負う必要ないと思うけどな』

「そうかもしれない。けど、やっぱこういう節目ってちょっと格好つけたくなるもんだろ」

 なんせ一生に一度の大勝負なんだ。涼葉や俺にとって記憶に残る素晴らしい思い出として保存したい。

『まぁな。っても俺の話なんてあんま参考にならないと思うぞ。変に意識すぎたせいで空回りしたというか、結局あいつの方からプロポーズさせる形になってしまったし……』

「はは、なんつーか柴らしいな」

『うるせぇ。とにかくあれだ。変に張り切り過ぎないことだ。これが俺からのアドバイスだよ』

「ありがと。心に深く刻みこんでおくよ」

『応援してるからな。式には絶対呼んでくれよ』

「ああ、楽しみに待っててくれ」

 柴との電話を切った俺は大きく深呼吸すると、ぐっと両拳を握り込んだ。そして今一度決心を言葉に乗せることで、その思いをより強くする。

「よし、頑張って涼葉との今の関係を終わらせるぞ!」


      ◆ ◆ ◆


「よし、頑張って涼葉との今の関係を終わらせるぞ!」

 リビングから廊下越しに聞こえて来た愛斗あいと君の声に、私は絶句していた。

 愛斗君が私との今の関係を終わらせるためにはりきっている。

 それってつまり――

 しゅ、しゅってられるってことぉおおおおおおおおおおおおお!?

 嘘よね。何かの聞き間違いよね?

 けれど残念なことに、愛斗君がそう決意するに至った理由に思い当たる節があるのも、また事実だった。

 胸に手を当て瞼を閉じれば、やらかしてしまった数々の苦い記憶がふつふつと湧いてくる。

 素直になれず、ついあまのじゃくな態度で愛斗君を困らせた私。職場の同僚との出張を、浮気だと早とちりして突撃しちゃった私。愛斗君のお母様とささいなことで喧嘩になり、どっちの味方をするのかつい二人して詰め寄ってしまった私。

 ……うん、とてもじゃないけど私、決していいカノジョとは呼べなかったものね……。

 億劫な気持ちでリビングに入ると、気付いた愛斗君が笑顔で出迎えた。

「お、帰って来てたのか。悪い、ちょっと電話してて気付かなかった」

「……そう」

「ん、もしかして何かあったのか? 何か顔色が優れないように見えるけど」

「あら、そう? 私自身は特に何もないわよ。もしかすると、知らないうちに仕事の疲れが溜まっててそう映ってるのかもしれないわね。ええ、一応気をつけるわ」

 私は努めて冷静を装いそう応えた。言えるわけないじゃない。貴方が私と別れようと意気込んでる現場を目撃してしまって、心が震えてますなんて。

「そういや今度の土曜だけどさ、外食しに行かないか? それも、たまには奮発して普段行かないようなちょっと贅沢なお店にさ」

「え、ええ。別に構わないけれど。何か急な話ね」

「ちょっと職場の先輩に、夜景が綺麗ないいフランス料理のお店紹介してもらってさ。よければ、一緒に行ってみたいなと」

「……そう。わかったわ」

 愛斗君からのデートのお誘い。けど、私は諸手を挙げて喜ぶことができなかった。

 こ、これはあれよね。イタリアマフィアは殺意を持つ相手に敵意を隠して贈り物をする的な。ようするに、最後くらいは綺麗な思い出で終わらせましょうっていう意志表示よね。じゃないと、そんな記念日にしか行かないような高級店を、何もない日にわざわざ選ぶ理由が見当たらないもの。

 さ、させないわよ。

 ごめんなさい愛斗君。もう私、すっかり貴方抜きでは生きていけない体になっちゃってるの。こんな幸せな生活を知った後で、今更全てを没収されるなんて私には無理なの。別れるなんて絶対に嫌。

 それに、今までこうやって上手くやって来たじゃない。仮にそう思ってるのは私だけで、愛斗君の妥協や我慢の上に成り立っていたとするのなら、言って貰えればちゃんと善処するから。

 だからその、お願いだからどうか見捨てないで!


      ◆


「「乾杯」」

 地上二〇〇メートルほどの高さに位置するフレンチレストランにて。大小様々な建物の明かりが彩る煌びやかで美しい夜景を背景に、俺と涼葉はワイングラスを軽く打ち付けあって微笑んだ。

 それからアミューズとオードブルをいただく。初めて食べるキャビアの乗ったクラッカーや、シェフご自慢の創作サラダに舌鼓を打ちながら談笑して場の暖まりを感じたところで、俺はいよいよ本題を切り出すことにした。

 そう、氷室ひむろ涼葉にプロポーズしようと。

「なぁ涼葉。実は今日お前をここに誘ったのは、一つ大事な話があったからだったりするんだ」

 そうゆっくりと口にした瞬間、今まで楽しそうにしていた涼葉の表情が僅かに強張った気がした。

「……そう。まさかこんなに早く切り出されるなんて思っても見なかったわ。てっきり料理が終わるまでは、その話題には入らないと思っていたから」

「え、何だその反応? も、もしかして、俺が今日何の話をしようとして、ここに連れて来たのかバレてたりする?」

「ええ、申し訳ないけれど。貴方が今日ここでどんな話をしようとしているのか、大体の察しはついているわ」

 涼葉が罰の悪そうに頷いた。ここのところ、この日のために色々と裏でこそこそ動いていたからな。元々そんな器用に立ち回れる方じゃないし、挙動が怪しかったり無意識にボロを出すような発言をしてたのかも。なにはともあれ、サプライズは失敗したようだ。涼葉もそんな俺を気遣ってか、困った顔になってるし。ちょっと申し訳ない。

「そっか。確かに涼葉の言うとおり、この手の話って普通は食事の終わりにするもんなんだろうな。けど、先に済ませてしまった方が、新たな門出を祝う意味合いを含めて、二人だけの忘れられない味に出来るんじゃないかって思ってさ」

 プロポーズ成功という幸せ絶頂の中で口にする、最高級のフランス料理。ああ、絶対にこの方がいいに決まっているというか、思い出に残る忘れられない味になるだろ。

「新たな門出……。そ、そうね。思い出自体はそれはもう忘れられない物になるでしょうね。もっとも、味の方は忘れるどころか、この後ちゃんと食事を続けられる自信がないんだけどね」

 涼葉が拗ねるようにそっぽを向く。

 そ、それって――夢心地で逆に食事が手に着かなくなるってパターンか。く、盲点だった。

 けど、ここまで言い出した後で今更この続きは食事の後で――っていうのもおかしいもんな。よし、やっぱここでプロポーズしてしまおう!

「それで、本題なんだけど。涼葉、俺と――」

「待ってちょうだい!」

 涼葉が制止を促すように手を突き出して俺の言葉を中断させた。

「貴方の話を聞く前に、私から幾つか質問させて欲しいの。それで納得出来たら……愛斗君の言葉を受け入れようと思う」

 そう言った涼葉の目は真剣そのものだった。なるほど、プロポーズ後の結婚生活への展望について聞かせて欲しいと。

 普通はプロポーズした後で二人であれこれ相談するものなんだろうけど、それって考えてみれば契約の内容を伏せたまま契約書にサインさせるのと似たような行為だもんな。思ったのと違ったとしても、一回プロポーズをオッケーした手前、やっぱ止めるなんて言いにくい空気が出来るだろうし。お互い公平な立場の状態でしっかり決めた方が、後腐れなく円満な夫婦生活が送れるのは間違いない。

「わかった。他ならない二人のこと、だもんな。気が済むまで、何でも聞いてくれ」

「ええ、そうさせてもらうわ。ではまず住居についてよ。今のマンション、どうするつもりでいるの?」

「家かー。まだそこまで考えてはなかったな」

「考えてなかったって……。仮に私が愛斗君の話を受け入れたとして、その後、どうするつもりだったのよ」

「ん、しばらくはこのままの生活でいいと思ってたけど。どうせ家賃も纏めて払ってあるんだし。涼葉だってさ、今ここで決めたからって何もかも急にバタバタし始めるのも面倒くさいだろ。だから新居とか引っ越しとかそういうのは追々でいいかなって」

「……愛斗君ってそこまで図太い神経の持ち主だったかしら」

 涼葉が呆気にとられた顔になる。ん、俺おかしなこと言ったか?

「けど確かに、二人じゃなくなる時にいきなり慌て出す方が問題か。わかった、ちゃんと考えるよ」

 恐らく涼葉が懸念しているのは、結婚後いつまであの二人暮らし用のマンションに住み続けるかについてだろう。子供が出来た時のことを考えて。ちょくちょくそういう行為に及んでいるわけだから、この先いつ涼葉が妊娠してもおかしくないからな。特に妊娠中の涼葉を色々と連れ回すのは、避けた方がいいに決まっている。元々涼葉は体力のある方じゃないから。これは完全に配慮が足りていなかった。

「ふ、二人じゃなくなる……ううっ。こ、この話は保留よ保留。次行くわよ、次」

「お、おう」

「次は家事についてよ。今は二人半々でやっているけれど、この先どうするつもり? ちゃんとやれるのかしら。ほら、愛斗君って結構ズボラな部分があるじゃない。わ、私は、私ありきでようやく今の生活が成立してると思っているのだけれど」

 胸に手を当てた涼葉が何かを訴えるようにじっと俺を見つめる。

 なるほど……確かに重要な事柄なだな。結婚後、家事の不平不満が引き金になって喧嘩離婚する夫婦は少なくはないって話だ。それに今はよくても、子育てが絡んで来るとまた違う話になってくるだろう。

 正直、俺個人の希望としてはゆくゆく涼葉には俺の専業主婦になって欲しい。ただ、それは完全に俺のエゴだ。けど、本音をぶつけるなら今しかないよな。

「涼葉の言うとおり、俺は涼葉に甘えている部分があったと思う」

「そ、そうよね。ええ、愛斗君には私が必要だものね」

「わかってる。だからこそ恥を忍んで言わせてくれ。適材適所っていうか、もうこの際、俺自身は仕事に力を入れて、家事に関してはいっそのこと家事のエキスパートに全てを任せたいと思ってるんだ」

 ああ、田島涼葉という名の俺だけの専業主婦エキスパートに。

「お、お断りよぉお!」

「だ、駄目か……」

 まさか、そこまでばっさり拒否されると思ってなかった。

「ええ、駄目に決まってるじゃない。なんであそこから家政婦を雇う流れになるのよもう!」

「ん、何か言ったか?」

「いえ、何も。次いくわよ、次」

 それからも運ばれてくる料理を食べながら、涼葉の結婚に対する懸念の指摘は続いた。

 そんな彼女の、ともすれば今までの同棲生活でいかに自分が頑張っていたか主張するような問に答えていく内に、一つ気がついたことがある。

 ひょっとして涼葉――俺と結婚するのを避けようとしてないか?

 この質問の数々が意図するのは、遠回しな俺への欠点の指摘であり、その体たらくで本当に私は幸せな結婚生活が送れるのかと警告されている気がしてならない。

 そういえばいつからだろう。

 高校時代、あれだけ結婚結婚と舞い上がっていた涼葉が、余りその言葉を口にしなくなっていったのは。

 俺と同棲していく中で、思っていたのと違ったし、結婚するまでの男じゃなかったと判断されたのだろうか……。

「……なぁ涼葉。もう正直に言ってくれないか。もしかして関係を変えたがってるのって、俺だけだったりするのか?」

「――っ! ええ、そうよ。そうに決まってるじゃない。私は今まで通りがいいの。それ以上はもう何も望まないから。ねぇ、お願いだから考え直してくれない」

「今まで通りがいいって――俺達もう結構いい年齢だぞ。ずっとこの先も今のままなぁなぁってわけにはいかないだろ。お前の親御さんにだって申し訳ないしさ。どっかできちんとけじめはつけるべきだよな」

「き、聞きたくないわそんな正論」

「なぁ涼葉」

「ねぇ愛斗君」

「俺は涼葉と」

「私は愛斗君と」

「結婚したいんだ」「別れたくないの」

「「…………」」

「「へ?」」



「――ようするに、俺が一人で『今の関係を終わらせる――』って言ってたのを聞いていた涼葉は、俺がお前と別れようとしてると勘違いして止めようとしていたと」

「…………はい」

 お互いのすれ違いを解いた俺は、大きく嘆息した。

「何で俺達って、よくもまぁ毎回ささいなことでここまですれ違っちゃうんだろうな」

「そ、そうね……。けど今回は愛斗君の非が大きいと思うわ。あんな紛らわしい発言じゃなく、ちゃんと『結婚するぞー』って宣言してればこんな展開にはならかったわよ」

「ぐ……。それを言うなら涼葉の方だって、最近結婚がどうとか全然言わなくなってただろ。その極端すぎる変化が俺に妙な恐怖心を抱かせることになったんだぞ。もしかすると、もう涼葉には結婚するつもりがなくなったんじゃないかって」

「そ、それはその……私としては大学時代に同棲を始めた頃から心はすっかり結婚した気分だったので――ごめんなさい、勝手に自己完結してました」

 うな垂れて畏縮する涼葉に、思わず苦笑が零れる。

 すると、いつの間にやら涼葉がもの欲しそうな顔で俺のことを見ていて、

「……それで、しないの、プロポーズ?」

「ん、してほしいのか?」

「意地悪」

 むくれる涼葉に頬を綻ばせると、俺は服のポケットから婚約指輪の入ったケースを獲りだして開く。

「俺と――」

「わかったわ」

「え」

「ふふ、これで将来子供に『プロポーズの言葉は何だった?』って聞かれたら『俺と』になるのね最高じゃない。このクソダサプロポーズは是非孫ひ孫の代まで語り継ぐことにしましょう」

 さっきのお返しとばかりに悪戯っぽく笑う涼葉。

「もう好きにしてくれ。お前がそれで受けてくれるなら、俺はもう満足だよ」

「ええ、もちろん。それよりも、ゆ、び、わ、愛斗君からはめて欲しいのだけれど」

 上目遣いでそう言った涼葉のを手を取り、左手の薬指へとリングを通す。今まで数え切れない程握ってきたとういのに、まるで学園祭で始めて手を繋いだ時のようにドキドキしたというか、何か神秘的な気分だった。

 涼葉が身につけた婚約指輪を見回しながら、幸せそうに相好を崩す。

 が、何故かそれは深いため息に変わって、

「全く、貴方という男は、私の心と体を奪うに飽き足らず、遂には苗字まで奪おうというのね。ほんと、どこまで強欲なのかしら」

「……嫌なら、返してもらって構わないんだぞ」

「やー」

 まるで大切なおもちゃが取り上げられるのを守ろうとする子供のように、身を引いて俺から婚約指輪を遠ざけた。

 どうやら、俺の婚約者は氷室さんじゃなくなってもあまのじゃくなままらしい。

 ま、そこがうちの嫁のかわいくてたまらないところなんだけど!

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