第104話.秘書官は回る

 


「……それで。貴殿たちはどう考える?」


 時は少し遡る。


 場所は魔道具研究所、最上階の一室。

 課長以上の役職者が集まっての会議に用いられる一室には、ルキウスと――トゥーロ・カリラン、それにデイヴィッド・ウィルクの姿がある。


「私はもちろん賛成ですよ。まだ魔道具祭はほとんど回れていませんが……いくつかの企画書を拝見して、の発想力と実行力には驚かされました。それに私にとっても、研究所の発展は長年の夢のひとつです。ルキウス殿下の提案には、全面的に協力したい」


 表も裏もなく賛同を示すトゥーロを、ルキウスの傍に控えたイザックは悟られない程度に横目で見る。


(カリラン公は、わりと御しやすい相手だな)


 その娘のシャロンについては、何かと人騒がせな言動が多いが……ふくよかな体型の公爵は、今もキラキラと輝くような目をしてルキウスのことを見ている。

 名だたる魔道具開発者であるルキウスに、憧れているのだろう。臣下が王族に向ける目として正解なのかは分からないが、これはこれでルキウスとは昔から上手くやっている。


 物心つく前から、権謀術数渦巻く王宮で過ごしてきたルキウスだ。

 魔道具が好きで、純粋な子どものような面のあるトゥーロは、ルキウスにとっても接しやすい相手なのだろう。


「ウィルク卿はいかがです?」


 トゥーロが話を振ると、それまで黙っていたデイヴィッドが、組んだ腕の間にあった厳つい顔を持ち上げる。

 研究所の所長である初老の男に、トゥーロは明るく話しかけている。


「私は魔道具についても、研究所についても結局は門外漢ですからね……卿の判断こそ重要だ」


 一見すると空気の読めない振る舞いのように思えるが、その実は違う。

 明確なルキウスへの援護射撃だ。それが分かっているからこそ、デイヴィッドも苦虫を噛み潰したような顔をしている。


 アルヴェイン王国は現在、暗黒魔法の対策に追われている。

 最少人数しか知らされていない未知の魔法について、トゥーロは知らされていないが、デイヴィッドはよく知っている。


 悩んでいる場合ではないと、デイヴィッド自身も本当は理解しているのだ。


「…………そうですね」


 やがて、重い声でデイヴィッドは頷いた。


「殿下の仰る通り――今は決断のときなのでしょう。私もトゥーロ公と同じく、殿下のご提案に賛同します」

「感謝する」


 ルキウスが短く言う。

 いつも通りの無表情だが、しかしそこにはイザックがどうにか読み取れるくらいの喜色が覗いていた。


(やったなルカ。ルイゼ嬢も)


 まだこの事態を知らされていない彼女に、イザックは心の中で祝福の声を送った。

 トゥーロの快諾と、デイヴィッドの首肯を引き出せたのは……ルキウスの存在もあってのことだが、ルイゼの頑張りの結果でもある。



 ――『エニマ様や魔法省の方々に認めて、信じていただけるくらいの結果を、魔道具研究所の職員として出します。そのときは、私が暗黒魔法に関わることを承認していただきたいのです』



 そう凛と宣言したルイゼの姿を、イザックも覚えている。

 彼女はその言葉通り、やり遂げてみせたのだ。


 なんせ今日は、研究所が一般開放された午前九時の時点で。

 例年の魔道具祭の総来場者数を二倍以上――上回ってしまったのだから。


(しかも、人を集めただけじゃない)


 デイヴィッドたちも、驚きと共にルイゼの提出した企画書の一部を見ていた。

 人を集め、楽しませるための多くの仕掛けが施された企画書は、彼らにとっても期待の遥か上を行くものだったはずだ。


「といっても……今日はまだ、終わっていませんからね。このあとに何か失態でもあれば、私は賛成を取り消す羽目になるかもしれませんね」


 やはり厳めしい顔でそう釘を刺すデイヴィッドに、トゥーロが「そうですねぇ」とニコニコしている。


 そのあとはいくつか、細部を詰め――こうして無事、会議は終了した。


「少し小腹が空きました。下の屋台で何か食べたいな」


 外見通り胃袋の容量が大きそうなトゥーロが、お腹を擦っている。

 その言葉にルキウスが頷いた。


「いくつか買ってこさせよう」

「本当ですか!? いやあ、嬉しいなぁ」


 屋外に飲食用スペースを配備するというのも、元々ルイゼの提案だったそうだ。

 商品自体はホットサンドやじゃがいものブランドラークなど、手軽な物が多く、本来であれば上位貴族が嗜むような食事ではない。


 しかしトゥーロは抵抗がなさそうで、デイヴィッドは名誉職として男爵位を授かっているがもともと平民だ。

 ルキウスも魔法大学に通っていた頃は、そこらの店や屋台で食事をすることも多かったので問題ないだろう。


「テル、いいか?」


 ルキウスが呼びかけるのは、東宮から持参した大型の【通信鏡】である。

 通信先の回線は全部で十五。鏡面の中には、同時刻の似通った風景が流れている。

 何人か私服の護衛騎士たちに【通信鏡】を貸し出し、彼らにコンパクトを閉じないまま魔道具祭の中を歩かせているのだ。


 名目としては警備のため。

 しかし、ルキウスの読み通りであるなら――今日この研究所で、が起こるためだ。


(何も起こらないに越したことはないけどな……)


 そんなことを思うイザックの目の前で。


「ああ、頼む。下の屋台でいくつか軽食を――」


 屋台近くの研究所一階に居る様子のテルに呼びかけた直後、ルキウスの動きが不自然に硬直していた。


 ……まさか、何か動きがあったのか。

 警戒してルキウスの顔色を確認したイザックは――とんでもない事態に気がついた。


(や……やべぇ顔っ!)


 目にしてしまったトゥーロが「ひっ!」と息を呑んで顔を青くしている。


 それもそのはず。

 なまじ顔が整っているだけに、ルキウスの形相は凄まじいことになっていて。

 公式の場ではないにせよ、一国の王子が浮かべていい青筋の数ではないと思う。


(なんだ? 何を見たんだ?)


 イザックは慌てて、【通信鏡】の映像をチェックして。



 ――そこに連れ立って歩く、鳶色の髪の少女と、金髪の少年の姿を発見した。



(あー……)


 合点がいった。ものすごく。


「少し出る」


 ルキウスが宣言し、部屋を素早く出て行く。


「お二方はどうされますか?」


 返答が分かっていて、敢えて訊くイザック。

 トゥーロとデイヴィッドは青い顔で、揃って首を横に振った。


 仕方がないのでこの二人には、少し腹を空かせて待っていてもらおう。

 なんて考えながら、ルキウスに続いてイザックも会議室を出たのだった。




 ◇◇◇




 それからのことは怒涛だった。


 いつの間にか【認識阻害グラス】を装備していたルキウスは、大股で所内を進んでいく。

 そして常時リアルタイムで送られてくる【通信鏡】の映像をチェックし、ルイゼとフレッドが一階の体験ブースに入ったと突き止めたルキウスは、同じブースへと滑り込んだ。


 追いかけるイザックは、目を丸くしているフィベルトに一般客の入場規制をお願いしてから慌てて続く。

 暗がりの中、ルイゼとフレッドを発見したのは、会議室を出て三分以内のことだった。


 身を隠したまま、ルキウスが小声で言う。


「イザック。今から指示を下す」

「おうよ。なんだ?」

「俺は今からフレッドをルイゼから引き剥がす」

「は?」

「お前はフレッドのお守りをしろ。以上だ」


(おい!?)


 だがイザックが手を伸ばすときには、既にルキウスの背中は遠い。

 と思ったと同時――暗がりから大の男が吹っ飛んできて、致し方なくイザックは彼を受け止めた。

 しかし邪魔なので、そのまま壁際にスライドさせる。


 ゴン! と痛そうな音が鳴った。


「い、いてて……ってお前、イザック・タミニール!?」


(はい、イザック・タミニールでーす)


 何が何やらみたいな顔をしていたフレッドだが、イザックの顔を見た途端に表情を引き攣らせた。


「おいお前。誘拐だぞ、これは!」

「誘拐だなんて人聞きが悪い。ちょっとご本人の意志に関係なく、お呼び出ししただけなのに」

「だからそれを誘拐というんだ!」


 憤慨しているフレッドを、どうどうと押さえるイザック。

 向こうのほうからは、恋人たちがやり取りするのが聞こえてきて……イザックとしては覗き込みたくて仕方がないが。


(さすがに今日は、茶々を入れたらぶん殴られる気がする……)


 というわけで、可愛い弟分のために気の利くアニキを演じてやることにする。


「それじゃフレッド殿下、一緒に回りましょうか」

「なぜ僕が兄上の秘書官と、このようなロマンティックな場所で……!?」

「まぁまぁ、まぁまぁ」


 とか言って雑に宥めつつ、イザックはフレッドと共に、ブースの中をかなりのんびりと回ったのだった。




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