第93話.夜会への誘い

 


 翌日。

 ルイゼは課長たちに周囲を取り囲まれていた。


 彼らの手元には、昨夜ルイゼがせっせと書き連ねた魔術式だらけの紙の束があり……彼らはルイゼというより、紙のほうに釘付けになっているのだった。


「うはー! やっぱすごいなレコット。なんだこの膨大な魔術式の山、頭の中どうなってんだ?」

「本当にえげつない量だ……しかも完成度がどれも高いのが空恐ろしい」

「ルキウス殿下も見たいでしょうね、コレ。回してきます?」

「それならお越しいただいたほうが早いんじゃないですかねぇ」


 ユニにギダ、ヴィニー、フィベルトと、錚々そうそうたる面々に四方をがっちりと固められ、ルイゼは緊張感から苦笑しか浮かべられずにいた。


(そ、そんなに褒めていただけるとさすがに申し訳ないのですが……!)


 ルイゼには、素人に毛が生えた程度の知識と経験しかない。

 自分がまだ未熟なのは、自分自身がよく分かっている。だから、過大評価されるとなんだか落ち着かない気分になるのだ。


 ――実際のところ、多忙な課長たちがわざわざ時間を割いて集まり、しかもひとりの少女に向けて絶賛の言葉を送っているなんて、魔道具研究所ではあり得ない光景である。


 だからこそ、他の所員たちからも羨望の眼差しが集まっているのだが……しかしそれを一身に受けるルイゼ本人は、自分が注目されているなどと夢にも思っていないのだった。


「め、目玉魔道具のほうはどんな感じでしょう?」


 そのせいで分かりやすく話題を逸らすルイゼを、フィベルトが生温かい目で見てくる。


「外装のほうは裏庭に設置してる。今日の午後、術式刻印課総出で魔術式の記述に臨むつもりだよ。いやぁ、アレ、ものすっっごく搾り取られそうな予感がするんだよねぇ……怖いねぇ……」


 アルフとハーバーが生み出した図案や魔術式を元に、ルイゼが改めて考案した魔道具祭の目玉魔道具――それは、物量的にわりととんでもない魔道具である。


 ルイゼも研究所に来て初めて知ったことだが、そういった特殊な魔道具の場合、一般的に【刻印筆】一本で魔術式を書き切るのは不可能に近いらしい。

 理由は、式の一字を書くごとに消費する魔力の量が尋常ではなく、複数人で魔力を集中させる必要があるからだそうだ。


 そういった事情から、他の課と異なり、術式刻印課のみ複数の研究室が設けられているらしい。

 ちなみに【昇降機】を取り入れた際も、刻印課の所員の大半が泡を吹いて気絶したのだとか。


『なんだろうねぇ、量産型魔道具の魔術式ってだんだんとなっていくんだけど……初めて挑む魔術式は、妙にんだよねぇ』


 と、以前フィベルトも零していた。

 その言葉はなんとなく、ルイゼの中で引っ掛かっているが。


(まだ、魔術式への理解がその地点まで到達していない気がする……)


 モヤモヤとするが答えは依然として出ないままで。


(いつか、ルキウス様に話してみよう)


 もしかしたら彼ならば、その答えさえ既に知っているのかもしれない。

 そんなことを考えていると。


「……あ、レコットちゃん。やっほー」

「アマリさん」


 この場に居なかった唯一の課長。

 検査管理課の課長であるアマリが、のそのそと廊下の隅を歩いてきていた。


 皺だらけの作業着姿をまとった、驚くほど細身で、色白の女性である。

 くすんだ金色の長髪を無造作に垂らした彼女は、今年で二十八になるそうで、課長たちの中では圧倒的に若手となる。


 だが、納品前の魔道具の検査においては、アマリの右に出る者は居ない。

 アマリの仕事はとにかく素早く確実だ。魔道具の外装に傷があれば一瞬で見分けるし、魔術式の細やかな記述ミスさえも信じられない正確さで見抜く。

 以前、アルフに連れられてそれぞれの課の仕事を見学――正しくは体験させてもらった際に、ルイゼも驚かされたものだった。


 その反動なのか、見かけるたびにいつもすやすやと眠っている気がするし、先日の課長会議でもずっと欠伸していた彼女なのだが。


「えっとねー、体験型ブース用の魔道具全種ね。とりあえず全項目のチェック完了ってことで」


 のんびりと、アマリが検査表を手渡してくる。


(本当に仕事が早い……!)


 何枚もの検査表を捲りながら感嘆の溜め息を漏らすルイゼに、アマリが欠伸混じりに言う。


「あとは目玉魔道具と、レコットちゃんの初製作魔道具だけだねー」

「はい。いよいよ大詰めなので、頑張ります」

「うんうん。すごーく面倒だけど……まぁ、最低限のお手伝いはするよ」


 本来であれば、魔道具祭で新しく製作が許されたのは目玉魔道具のみだった。

 だがルイゼは個人的に、もうひとつの魔道具の製作を考えており……【刻印筆】で代わりに式を書いてほしいとイネスやアルフに相談していたら、いつのまにか話がどんどん広がっていたのだ。

 面白そう、ぜひ実現させようという協力の声が集まり、結局ルイゼひとりの話では済まなくなった。


(最終的には、魔道具祭のプログラムに入れていただいてしまったし……)


 一応、まだ未完成ということで仮置きという形にはなるのだが。

 普段の業務に滞りが発生していないことから、開発を許可してくれたエリオットも、じっとりとした目つきをして『やっぱりあなたたちって……』と小さく呟いていた。


 おそらく、魔道具祭に併せてそれぞれ魔道具の製作に取り掛かったルキウスとルイゼのことを指しているのだろう。

 ルキウスがどんな魔道具を造っているのかは、まだルイゼは知らないのだが……開発に携わっている所員たちは、みんな生き生きとしている。


(早くどんな物か知りたいけれど。でもっ、当日までの楽しみに取っておきたいような……!)


 悶々としていたルイゼはそこで、寮に忘れ物があったのを思い出した。

 今朝、伯爵邸から寮に取りに行こうとしていたのに、失念して研究所に来てしまったのだ。


「すみません。寮に忘れ物があるので取ってきますね」


 外装設計課の課長であるヴィニーに紙の束を預け、足早に研究所を出ると。


「ルイゼ・レコット伯爵令嬢」


 ――固く呼びかけられ、立ち止まる。

 研究所の入り口前に佇んでいる年嵩の女性が、こちらを見つめていた。


 そのお仕着せ姿を見て、ルイゼは思い出す。

 初めてシャロンと会ったとき、後ろからルイゼを睨んでいた侍女だと。


 だが、彼女の傍にシャロンの姿はない。

 研究所での騒ぎから自主的に謹慎中と聞いていたので、まだ外出していないのだろうか。


 そう思いながら挨拶すると、彼女は素っ気なく名乗った。


「ノーラと申します。シャロンお嬢様よりこちらをお預かりいたしました」


 どうぞ、と無愛想に差し出された手紙に戸惑いながら、ルイゼは受け取る。

 この場で開けろという意味なのか、ノーラがこちらを見ているので……緊張しつつ封を開けると、中には夜会の招待状が入っていた。


 カリラン公爵邸にて開かれるという夜会の。


(どうして私に……)


 シャロンは、決してルイゼに好感は抱いていないだろう。

 むしろ敵意のほうが感じられる。そんなルイゼを、何故わざわざ招くのだろうか。


「お返事はすぐにいただきたく存じます」


 夜会の日にちは魔道具祭の一日前ではあるが、予定は入っていない。

 ルイゼは少し迷った。だが結局は頷いた。

 カリラン公爵家自体、魔道具祭のパトロンなのだ。ここで断るのが正しい判断とは思えない。


「喜んで出席させていただきます、とカリラン様にお伝えください」

「……かしこまりました。それでは」


 にこりともせず、ノーラはお辞儀をすると去って行く。


(ルキウス様に、伝えたほうがいいかも)


 ルキウスはシャロンのことで、調べたいことがあると言っていた。

 何かあったらすぐに言ってくれ、とも彼から直接言われている。


 そう思うが――しかし、ルキウスは多忙な人だ。

 しかもこの国で随一に忙しい人である。こんな些細なことで、そんな人の手を煩わせたくはない。


 それにエリオットの監視もある。

 やはり、ルイゼが自ら彼に会いに行くのは困難だ。


(もし夜会より前にルキウス様が研究所にいらっしゃったら、そのときに伝えよう……)



 だが結局。

 それ以降、ルイゼはルキウスには会わないまま目の回るような日々を送って。


 そして、夜会当日がやって来たのだった。



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