【三月二十二日 弟へ】
吹く風が温くなり、春の匂いを運んでくる今日この頃。桜前線は例年通りでHバースの桜の蕾はまだ固くほころぶ気配をまだ見せない。狭い掃海屋敷の自室でぼんやりと机に並べた六通の手紙を眺める。これらは兄弟が遺したものである。皆一様に考えながらこっそり書いていた姿をなんとなく覚えている。
「さて、どうしたもんか……」
白い便箋の上にペンを置いてみるが一向に一画たりとも書き出せない。書きたいことがありすぎるのだ。九人兄弟の最後の二人へ向けてどんな言葉を遺してやればいいのだろう。並べた一番端、一番新しい封筒を手に取り開く。その中には前哉の決して達筆ではない文字で書かれた『ありがとう』という言葉。このたった五文字だけしか前哉は遺さなかった。
「不器用め」
手紙を元あった通りに戻し、残りのものと纏めて机の端に揃えて置く。改めてペンを握り思い切って一文字目を書く。そうすればあとは勝手に次の文字が出てくる。どうせあとで推敲するのだからめちゃくちゃでも構わない。ペンと紙が擦れあう音がただただ耳に心地よかった。
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