35.地獄があるなら
どうも……精も根も尽き果てたジルバギアスです……
自室に戻って、俺は再びアンテに膝枕されている。
あれほど激しい訓練だったにもかかわらず、俺の体には傷ひとつない。
結局、誰も助からなかった。
助けられなかった……
諦念の色を浮かべていた、老人の恨みがましい視線が忘れられない。
イヤだイヤだと泣き叫んでいた、子どもたちの声が耳にこびりついている。
俺のせいで、みんな死んでいった。今日のはさすがに堪えた……どんなに転置呪が便利でも、どれだけアンテに慰めてもらっても、胸の痛みは一向に消えない。
消えそうにない。
いや、わかってるさ。今日、俺がどんなにうまく立ち回っていても、そして何人かが身代わりになるのを避けられたとしても。
別の日に、別の目的で消費されるだけだってことは。
でもそれは、俺がベストを尽くさない理由にはならない。彼らが助かって欲しいと俺が願わない理由にはならない。
何より許せないのは――彼らが犠牲になるたびに、自分に圧倒的な力が流れ込んできていたことだ。
勇者でありながら、無辜の人々を見殺しにする禁忌。何より子どもたちを犠牲に、自らの身体を癒す禁忌。また例によって、得られた力はアンテに預かってもらった。転置呪で人族を犠牲にするたび、どんどん膨れ上がっていく魔力なんて、制約の悪魔との契約では説明がつかないから……
俺は……俺は、今日1日で、どれだけ力を得たんだ?
なあ、アンテ?
『そうさな……』
頭を撫でる手を止めて、幻のアンテは考える。
『他の王子たちと比較するなら……今のお主は、あの緑髪の3分の1といったところかの。昨日までは4分の1くらいじゃった』
……それは大幅な強化と考えて、いいのか……?
『そりゃそうじゃろう、半世紀近く生きておる魔族の王子に、数日かそこらで肉薄できる計算ぞ。まあ実際には、ある程度で伸びが鈍化するじゃろうが……』
数日かそこら、か……。言葉にするとなんて軽いんだ。
俺が実際に犯した罪と、失われた人命にとても見合っているとは思えない……!
何よりも恐ろしいのは、今日のあの実戦形式の訓練は、特別な催しの類ではないということだ。プラティは、俺を本気で鍛えようとしている。人族の供給が間に合う限り、あれを続けるつもりなのだ。
俺も必死で食らいついたが、単純な槍術だけでもプラティは相当な腕前だった。俺がせめて剣と盾を使えていたら、負傷はもっともっと減らせただろうが……
……いや、わかってる、詮無き話だってことは。今の俺は1日でも早く、槍を使いこなせるようにならなければ……
だが槍を十全に使えるようになったら、今度はプラティも魔法や搦め手を解禁するって話だ。激しい戦いになるだろう。
一番救いがたいのが、俺がプラティを倒せるようになったとして、今度はプラティが自分の治療のために人族を消費するってことだ。
クソが!! どうしろってんだよ!!!
『もう訓練の必要はない、と判断される程度に、圧倒的に強くなるしかなかろう』
そうか……それしかないか。
アンテに預かってもらった魔力を、いくらか返してもらうことも検討した方がいいかもな。何かしら、制約を作ったことにしてでも。
『それもよかろう』
1日でも早く……プラティから、魔族の戦闘術を全て吸収する。
そうすれば、人命の浪費は避けられるはず……!!
……前向きに未来のことを考えようとしても、胸の痛みはひどくなるばかりだ。
『苦しむがよい。悩むがよい。……その痛みが、お主を強くする』
頭を撫でる優しい手つきと、ある種の慈愛を滲ませる表情とは裏腹に、アンテは厳かな声で告げた。
わかってるさ。苦悩こそが力の源泉。
そうだろう?
『そうじゃ。だから我慢することはない。存分に泣き、わめき、呪え。全て我が受け止めてやろう……』
やたらと優しい魔神に対して、俺は憎まれ口を叩く余裕さえなかった。
自分でもどうしようもなくて、思いつく限りの罵倒を、運命を呪う言葉を、俺は胸の内で叫んだ。
†††
はたから見れば、ベッドに静かに寝転がる魔族の若者がひとり。
その魂の慟哭に耳を傾ける魔神は、不可視にして不可知。
(あるいは……)
幻の手指で頭を撫でながら、魔神は胸の内で呟く。
(お主が圧倒的に強くなったとき。全ての技術を身に付け、もはや実戦形式の訓練が不要になったとき)
膝の上、キッと唇を引き結び、天井を睨む――哀れで可愛い契約者。
(お主を待ち受けるのは、実戦じゃろうに……)
だが、それはまだ伝えない。
自分で気づかないうちは。
この苦しみにも終わりがあるのだと、そう信じていられるうちは、まだ。
†††
それから地獄のような日々が過ぎた。
ある意味、充実していたとも言える。起きて栄養満点な飯を食べ、腹ごなしの軽い運動ののち、座学や魔法の練習。その後、プラティとの実戦形式の訓練。
俺は自分でも信じられない早さで、魔族の槍術をものにしつつあった。ミスったら背後の人々が死ぬという制約は、凄まじい重圧となって俺の才能の扉をこじ開けた。
魔族の武器として嫌悪感が強かった槍も、そしてそれを形作る兵士たちの骨も……実に手に馴染むようになった。槍も悪くない、なんて思うようになった。このリーチの長さと威力は、剣にはない魅力だ……
ただ、やっぱり剣のような鋭く長い刃が恋しくなることもある。魔族の槍の使い方は、『突く』か『叩く』かだ。もちろん魔族の剛力で槍の柄を叩きつけられたらタダじゃ済まされないんだが――俺も幾度となくプラティに骨をへし折られた――やはり元勇者としては、『斬る』選択肢もほしくなる。
どうにかならないもんかな。
そして……人族の奴隷が尽きたら、訓練は終わり。身繕いをして、そのあとは俺の自由時間になることが多い。本を読んだり、散歩したり、部屋でボーッとしたり。
そういえば、ソフィアが座学の他、魔法関連も教えるようになった関係で、格闘の訓練はガルーニャとやるようになった。腕がなまらないよう、彼女自身の鍛錬を兼ねている。
まあ、実戦形式のあれに比べれば、じゃれ合いみたいなもんだ……白いモフモフの可愛らしい獣人と、お互いの体を気遣いながら稽古するのは、正直楽しい。
俺は本気でガルーニャを傷つけようとはしないし、ガルーニャも獣人の真骨頂たる牙や爪を使おうとはしない。組み討ちなんかもするが、大抵俺の服が白い毛だらけになって、苦笑して稽古を切り上げる……そんな流れ。
「そういえば人族の本に書いてありましたが……動物の毛皮を撫でたり、ぬくもりを感じたりすると、癒やしの効果があるらしいですよ。ジルバギアス様もお疲れのときは、試されるとよいのでは」
自由時間に本を読んでいると、近くで書類仕事をしていたソフィアが、ふと思い出したかのようにそんなことを言い出した。
ガルーニャを見ながら。
獣人を動物扱いするのは彼らにとって相当な侮辱だが、まあ、ここは魔王国だし、ソフィアは悪魔だ。下等種族扱いは今に始まった話ではない。
「そうか……」
本を置いて、俺はちょいちょいとガルーニャを手招きしてみる。おずおずと近づいてきて、ちょこんと俺の前に座るモフモフの獣人。俺が昔知っていた獣人と違って、毎日体を洗っているそうで、全然獣っぽい匂いはしないんだよなぁ。
「ちょっと失礼するぞ」
もにゅもにゅ。どうすりゃいいかわからなかったので、ほっぺたを揉んでみる。
おお……これはなかなか……ガルーニャの水色の瞳が落ち着きなく揺れている。
「あ、イヤだったら言えよ。忖度しなくていいからな」
「えっ、っと。別に、イヤではないですけど……」
遠慮してないか? ほんとに? と目を覗き込んだが、嫌がってる風はなかった。ちょっと恥ずかしそうなだけで。ならいいか。
たしかに……この毛皮は、心地いいな……
『なんじゃ、我はもうお役御免かの?』
そういうわけじゃねーよ。アンテに撫でてもらうのもいいけど、たまには自分が撫でる側に回るのも悪くないって話だよ。
それとも、今度は俺がお前の頭を撫でてやろうか?
『かーッ! 生意気なことを申すな、5億年早いわこわっぱめ!!』
やめろ! 俺の中で暴れるな!! なんかしゃっくりが出そうになるんだよ!!!
「……ご主人さま、いかがなさいました?」
「ん。いや、なんでもない」
ナデナデ継続。
なんだろう……とても懐かしい感じがしてきた。
前世の俺が子どものとき……故郷の、そう、タンクレット村で……
村長がネコを飼っていた気がする。ネズミ捕りをしてくれるってんで、村のみんなに可愛がられてたっけ。
ガルーニャみたいに素直じゃなくて、もっとふてぶてしくて、毛皮の色なんかも、ハッキリとは思い出せないが似ても似つかなくって。
でもたまに、天気がいい日の午後なんかには、触らせてくれることもあったっけ。
こうやって……頭の後ろの方とか……
「なぁ~~~~~ん……」
こんなふうに顎の下とか……
「ゴロゴロゴロ……」
懐かしいな……
俺はあの日のように、故郷のひだまりで、のんびりと過ごしているような錯覚を覚えた。隣に、誰かいた気もする……誰だっけ、友達だっけ、それとも家族かな……
それにしても、白虎族の毛皮の肌触りのいいこと。昔、人族が彼ら彼女らの毛皮を狙っていたというのも頷け――いや頷いちゃダメだろ、到底許せる行為ではない。
獣人族たちと、今は亡き大陸西部の人族国家の対立は根深い。歴史書を読む限り、血で血を洗うような抗争を繰り返してきたし、白虎族の毛皮狩りのような目も当てられない迫害も数多くあった。
白虎族に限らず、多くの獣人族を敵に回してしまったという点で、取り返しのつかない愚行といえるだろう……許されるなら過去に出向いて、この手でその人族をしばき倒したいくらいだ。
ガルーニャもいい子なんだが、人族に対しては冷淡だ。転置呪の犠牲になる人々を見ても顔色ひとつ変えないどころか、むしろいい気味だと思っているフシさえある。
なぜならガルーニャは幼い頃から人族は敵と教えられていて、決して友愛の対象とはみなしていないからだ。
ハッキリ言ってしまえば……ガルーニャにとっての人族は、幼少期の俺にとっての魔族や悪魔に近い。滅んでしまえばいい、とでも思っているのだろう……
みんな仲良くなんて夢物語だし、俺自身、魔族と人族が仲良くやる未来なんてありえないと思ってる。だけど……もうちょっと、何とかならないものかな。
いや、仲良く殺る未来ならたやすく想像がつくんだけど……魔王国が滅んだら、魔王国側についた獣人たちは、どうなるんだろう。
レイジュ族の領地で平和に暮らしているという、白虎族のことを考えずにはいられない。
……いや、やめよう。それこそ考えても仕方がないことだ……
「それにしても、俺はそんなに疲れて見えたか? ソフィア」
俺は沈みかけた気持ちを切り替えるように、おどけて尋ねてみた。
「恐れながら、とても」
生真面目な態度のまま、ソフィアはにこりともしなかった。
「あれだけ過酷な訓練を重ねていらっしゃるので、無理もないことだとは思いますが……少しばかり気がかりでした」
「そうか……」
いかんな。
もっと、心身ともに強くならなければ……。
腕っぷしだけでは、魔王にも、魔王子たちにも勝てない。
そのためには……もっと癒やしを……!
「なぉ~~~~~ん……」
撫でり撫でり。
「それに、明日はまた魔王陛下とのご会食ですし、確かお仕事も見学されるんでしたよね? 体調を整えられた方がよいかと思いまして」
ガルーニャを撫でる俺の手が止まった。
「もう明日だっけ?」
「はい、明日です」
もう1週間経ったのか……いや、まだ1週間しか経ってないのか……
美食は楽しみだけど……気が重いな。そうか……また連中と顔合わせか。
「……今日はもう早めに休もうかな」
我ながら、気疲れの滲む声が出てしまった。ガルーニャを抱き寄せて、毛皮に顔をうずめる。
いずれにせよ、しばらくは何も考えたくない気分だった。
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