第七夜 孵化(お題:21回目)

 あったかい水のなかで、ボクはねむっていた。

 ぷかぷか、兄弟たちといっしょにうかんだまま、夢をみていた。

 とくとくときこえるのは、いのちの音。ボクと兄弟たちともうひとつ。

 けれど、いつのまにか兄弟たちは、ちいさくなっていなくなった。

 あったかい水も、いつのまにか冷たくなっていた。

 いのちの音もきこえなくなった。

 冷たくてしずかな水のなかに、ボクひとり。

 みんな、どこへいったの?



「これ、随分大きいけど、卵じゃないの?」

「卵に見えるな、途轍とてつもなくデカイが」

「卵だよ───

 最後の不穏な一言に、僕・河野瑛士かわのえいじと相方───ではなく、旧友の一ノ瀬大輔は、剣呑に目をすがめて発言者を見た。

 発言者・黒羽環くろばたまきは、かつて花も恥じらう美少年だった。そして三十歳まであと数年の現在は、絵にも描けない美青年に育った。何の手入れもしていないことが信じられない、烏の濡れ羽色のサラサラヘアーは、いつ見ても天使の輪が常駐。虹彩まで黒い瞳は大きな目を更に強調し、少女漫画の星が見えるほどキラキラ。きめ細かい肌は、絶対にエステに通っているだろうと主張したいほど。かつて無理矢理女装させた時には立派な美少女だったが、おそらく現在女装させたとしても決して気持ち悪くはないだろう。

 何年見ていても、その容姿に対する美辞麗句は尽きない。それほど人外の美貌を持っていながら、加えて明晰めいせきな頭脳を持っていながら、黒羽環の友人は僕達二人だけ。一部の例外を除き、老若男女すべてが彼に近寄って来ない理由は、彼が『変』だからである。

 思考回路も行動も、やることなすこと変過ぎて筆舌に尽くし難く、僕らとしてはもはや『変』だからとしか説明のしようがないのだ。

 だから、先程の会話ともいえない会話で、「不穏なのは言葉なのか、言った人間なのか?」と問われれば、僕らは口を揃えて「言った人間だ」と答える。

───の部分を説明してもらおうか?」

 訊いたのは、僕より単刀直入な一ノ瀬・イッチーだった。

 黒羽環・僕が呼ぶところのタマちゃんは、僕が百均の湯のみで出したほうじ茶をすすりながら、少し首を傾げて考えた。

 言い遅れたが、僕らが雁首を揃えているのは一人暮らしをしている僕の部屋で、夏仕様のコタツをテーブル代わりに囲んでいる。その夏コタツの真ん中に、バスタオルに包まれた巨大な卵が一つ。僕の部屋を予告もなしに訪れた二人が、ボストンバッグから取り出した物がこの卵だ。その卵を回収する為に、イッチーはアッシーとして使われたらしい。

「……偶然だが、蠱毒こどくの状態になったらしい」

 しばし悩んでいた黒羽が、どうにか説明らしきものを引っ張り出した。しかも、更に不穏な……。

「はぁ?!」

「どうゆうこと?」

蠱毒こどくというのは───」

「それは知っている! お前と何年付き合っていると思ってんだ。嫌でも覚えたわっ!」

「それよりも、蠱毒こどくって、意図的に作るものじゃなかったっけ?」

「そうなんだが、偶然が重なって───」

 相変わらず、自分が空気のように理解していることを僕らに説明するのを苦手としている黒羽が、言葉を選びながら話したことを要約すると───。


 野良猫を増やさない動物愛護の活動の一環として、『地域猫』というものがある。これは殺処分を増やさない為に、或る地区の動物愛護団体が、その地区に住む野良猫にボランティアで避妊手術を行い、餌を与える場所を特定することに依って保護するという活動である。避妊手術を終えた猫は、片耳の先をV字にカットされているので、他の猫と見分けがつくらしい。

 その活動を支えるのが、有志の獣医師だった。彼らは、格安で避妊手術を引き受けることに依って、これらの活動を支援している。

 その有志の獣医師の中に、途轍とてつもない生き物好きがいたという。

 避妊手術を行う時点ですでに妊娠している猫もいるが、『増やさない活動』であるが故に、堕胎を余儀なくされることが遣り切れなかったらしい。胎児だって生きているのに───ということだ。

 そこで彼は、大学で生物学の研究を続けている友人に相談し、猫用の人工子宮を共同開発した。勿論、まだ開発したばかりなので、あまりに未熟な状態の胎児は受け入れられないが、妊娠四十日を超えた胎児は受け入れられるようになった。そして無事に仔猫として産まれれば、別の愛護団体を自ら立ち上げ、地域猫から産まれた仔猫の譲渡を行う予定だったらしい。

 だが、結局仔猫は産まれなかった。

 動物病院から大学まで、摘出した子宮を生きたまま運搬することそのものが難しかったこともある。だが、無事に人工子宮に移しても、胎児たちが生き延びることはほとんどなかったのである。その理由は、素人である僕達が説明されても、まず理解は出来ないだろう。

 そして、別の問題も発生したのだ。

 可能な限り大きく作られた人工子宮の中の、複数の親猫から取り出された胎児のほとんどは、胎児の成長過程を逆回しするように小さくなって行き、最終的には人工羊水の中に溶けていなくなったのだそうだ。そしてその中にあって、一匹だけ生き延び続けている胎児がいた。その胎児は、最初に連れて来られた子達の最後の一匹で、猫の妊娠期間の六十三日から六十六日を越えても胎児として生存し続けたのである。

 当然、通常より長く胎児でいる個体は、通常の胎児より大きく育つ。更に異変はそれだけではなく、その個体を包んでいる羊膜が厚く固くなっていき、最終的には現在目の前にある卵の形になったのだそうだ。

 これらの件の張本人である二人は、人工羊水に溶けた他の胎児や羊膜の成分が作用したのではないかと主張しているらしいが、その真偽は彼らの研究が進まないと判らないことだった。


 ここまで説明されてやっと僕らは、『偶然、蠱毒こどくの状態になった』の意味を理解した。

 本来の蠱毒こどくとは、つぼなりかめなりの入れ物の中に、無数の虫とか蛇とかを閉じ込めて共食いをさせ、最後に生き残った個体を呪いとして使うというものらしい。今回は共食いをしたわけではないが、かなりその状態に近いということだろう。

 そんなものを持ち込まれても困るんだけど……。

「幾つか質問がある。まず、子宮の運搬に成功したのは何回だ?」

 多くの場合、自分の理解を超える出来事に遭遇した時には思考が停止してしまう僕に替わって、一ノ瀬が口火を切った。

「二十一回と聞いた」

「猫の仔って、一回に何匹産まれるんだっけ? 三~四匹として六十~八十匹ぐらいか……。蠱毒こどくの数としては充分なのか?」

「数としては充分なんだが、もう一つ問題があって」

「今度はなんだっ!!」

蠱毒こどくの手法としては成立しているんだが、元々『助けたい』という正の感情で行われた行為だったから、呪いとしては成立していない。呪詛じゅそが籠められていないんだ。この卵から産まれる仔は、確かに強い力を持って生まれる異端の仔なんだが、まだ何色にも染まっていない無垢な仔だ。僕がこの卵に触れて感じるのは、孤独───ずっと、言っている。『みんなどこにいったの?』。その声に呼ばれて、僕はこの子を引き取って来たんだ」

 あ、駄目だ。僕・瑛士は、その手の話に弱い。

 世界で一番安全な母親のお腹の中から連れ出され、周囲に居た兄弟たちも訳が分からないまま居なくなって、淋しくて産まれて来ることを怖がっている仔供───そんなイメージを持ってしまう。

「それで、二人に頼みたい。僕の所には色々居過ぎて、純粋な子の教育上良くない。二人は正負のバランスが取れているから、普通に一緒に暮らして、まともな倫理観を教えてあげて欲しい。今のところ、姿形は普通の猫と変わらないから」

 妖もどきとしての教育は、僕らの所に居る千里せんりダッシュがする。基本教育が終われば黒羽の所で引き取る───というのが黒羽の主張だった。

 それからは、僕とイッチーの話し合いに突入した。

 僕とイッチーの所に居る千里せんりダッシュは、黒羽を主人としている半精霊の妖狐・千里せんりの分身体で双子のようなものだ。けれど、分離すると個性も出来るらしく、イッチーのダッシュの方が警戒心が強い。それにイッチーは、仕事の都合上留守にする事が多く、仔供の養育には向かないだろう。

 つまりは、僕が当面の教育係になってしまったのである。

 卵は、孵化する準備が充分に出来ている。後は、黒羽が孵化を補助する力を与え、養い親が受け入れを表明することで産まれて来ることが出来るのだそうだ。

 社会人になって、中々集まることが難しくなった僕らは、その夜のうちに協力して孵化に挑んだ。



 翌朝、腐れ縁の旧友たちは一泊しただけで各自の家に戻り、僕は産まれたばかりの蠱毒こどくもどき猫と共に残された。

 仔猫は、卵から出で来た時から若猫サイズで、真っ白の毛並みと透き通る緑の瞳が美しい猫だった。

『な・まえ、ほしい』

 猫の普通の声に重なって、意味が直接伝わって来る。

 まだ戸惑いは抜けていなかったが、長く黒羽と付き合っている僕は、今更そんなことで驚きはしなかった。

「うん、さっきから考えているけど、その前に僕に抱っこさせてくれるかい?」

 そういうと、まだ名前のない産まれたばかりの不思議猫は、そろそろと僕に近づいて来て、柔らかな前足を僕の膝にそっと乗せた。おそらく、出会ったばかりのコミュニケーションとしては、それが限界だったのだろう。

「君は綺麗だね。特に瞳が。だから、スイっていうのはどうかい?」

『す・い……』

「君の瞳と同じ色の宝石に、翡翠ヒスイっていうのがあるんだ。翡翠ヒスイスイ。そのうち、どこかで手に入れて見せてあげるよ」

 そういうとスイは、普通の猫のように嬉しそうに喉を鳴らした。

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