第七夜 孵化(お題:21回目)
あったかい水のなかで、ボクはねむっていた。
ぷかぷか、兄弟たちといっしょにうかんだまま、夢をみていた。
とくとくときこえるのは、いのちの音。ボクと兄弟たちともうひとつ。
けれど、いつのまにか兄弟たちは、ちいさくなっていなくなった。
あったかい水も、いつのまにか冷たくなっていた。
いのちの音もきこえなくなった。
冷たくてしずかな水のなかに、ボクひとり。
みんな、どこへいったの?
「これ、随分大きいけど、卵じゃないの?」
「卵に見えるな、
「卵だよ───ある意味では」
最後の不穏な一言に、僕・
発言者・
何年見ていても、その容姿に対する美辞麗句は尽きない。それほど人外の美貌を持っていながら、加えて
思考回路も行動も、やることなすこと変過ぎて筆舌に尽くし難く、僕らとしてはもはや『変』だからとしか説明のしようがないのだ。
だから、先程の会話ともいえない会話で、「不穏なのは言葉なのか、言った人間なのか?」と問われれば、僕らは口を揃えて「言った人間だ」と答える。
「ある意味では───の部分を説明してもらおうか?」
訊いたのは、僕より単刀直入な一ノ瀬・イッチーだった。
黒羽環・僕が呼ぶところのタマちゃんは、僕が百均の湯のみで出したほうじ茶を
言い遅れたが、僕らが雁首を揃えているのは一人暮らしをしている僕の部屋で、夏仕様のコタツをテーブル代わりに囲んでいる。その夏コタツの真ん中に、バスタオルに包まれた巨大な卵が一つ。僕の部屋を予告もなしに訪れた二人が、ボストンバッグから取り出した物がこの卵だ。その卵を回収する為に、イッチーはアッシーとして使われたらしい。
「……偶然だが、
しばし悩んでいた黒羽が、どうにか説明らしきものを引っ張り出した。しかも、更に不穏な……。
「はぁ?!」
「どうゆうこと?」
「
「それは知っている! お前と何年付き合っていると思ってんだ。嫌でも覚えたわっ!」
「それよりも、
「そうなんだが、偶然が重なって───」
相変わらず、自分が空気のように理解していることを僕らに説明するのを苦手としている黒羽が、言葉を選びながら話したことを要約すると───。
野良猫を増やさない動物愛護の活動の一環として、『地域猫』というものがある。これは殺処分を増やさない為に、或る地区の動物愛護団体が、その地区に住む野良猫にボランティアで避妊手術を行い、餌を与える場所を特定することに依って保護するという活動である。避妊手術を終えた猫は、片耳の先をV字にカットされているので、他の猫と見分けがつくらしい。
その活動を支えるのが、有志の獣医師だった。彼らは、格安で避妊手術を引き受けることに依って、これらの活動を支援している。
その有志の獣医師の中に、
避妊手術を行う時点ですでに妊娠している猫もいるが、『増やさない活動』であるが故に、堕胎を余儀なくされることが遣り切れなかったらしい。胎児だって生きているのに───ということだ。
そこで彼は、大学で生物学の研究を続けている友人に相談し、猫用の人工子宮を共同開発した。勿論、まだ開発したばかりなので、あまりに未熟な状態の胎児は受け入れられないが、妊娠四十日を超えた胎児は受け入れられるようになった。そして無事に仔猫として産まれれば、別の愛護団体を自ら立ち上げ、地域猫から産まれた仔猫の譲渡を行う予定だったらしい。
だが、結局仔猫は産まれなかった。
動物病院から大学まで、摘出した子宮を生きたまま運搬することそのものが難しかったこともある。だが、無事に人工子宮に移しても、胎児たちが生き延びることはほとんどなかったのである。その理由は、素人である僕達が説明されても、まず理解は出来ないだろう。
そして、別の問題も発生したのだ。
可能な限り大きく作られた人工子宮の中の、複数の親猫から取り出された胎児のほとんどは、胎児の成長過程を逆回しするように小さくなって行き、最終的には人工羊水の中に溶けていなくなったのだそうだ。そしてその中にあって、一匹だけ生き延び続けている胎児がいた。その胎児は、最初に連れて来られた子達の最後の一匹で、猫の妊娠期間の六十三日から六十六日を越えても胎児として生存し続けたのである。
当然、通常より長く胎児でいる個体は、通常の胎児より大きく育つ。更に異変はそれだけではなく、その個体を包んでいる羊膜が厚く固くなっていき、最終的には現在目の前にある卵の形になったのだそうだ。
これらの件の張本人である二人は、人工羊水に溶けた他の胎児や羊膜の成分が作用したのではないかと主張しているらしいが、その真偽は彼らの研究が進まないと判らないことだった。
ここまで説明されてやっと僕らは、『偶然、
本来の
そんなものを持ち込まれても困るんだけど……。
「幾つか質問がある。まず、子宮の運搬に成功したのは何回だ?」
多くの場合、自分の理解を超える出来事に遭遇した時には思考が停止してしまう僕に替わって、一ノ瀬が口火を切った。
「二十一回と聞いた」
「猫の仔って、一回に何匹産まれるんだっけ? 三~四匹として六十~八十匹ぐらいか……。
「数としては充分なんだが、もう一つ問題があって」
「今度はなんだっ!!」
「
あ、駄目だ。僕・瑛士は、その手の話に弱い。
世界で一番安全な母親のお腹の中から連れ出され、周囲に居た兄弟たちも訳が分からないまま居なくなって、淋しくて産まれて来ることを怖がっている仔供───そんなイメージを持ってしまう。
「それで、二人に頼みたい。僕の所には色々居過ぎて、純粋な子の教育上良くない。二人は正負のバランスが取れているから、普通に一緒に暮らして、まともな倫理観を教えてあげて欲しい。今のところ、姿形は普通の猫と変わらないから」
妖もどきとしての教育は、僕らの所に居る
それからは、僕とイッチーの話し合いに突入した。
僕とイッチーの所に居る
つまりは、僕が当面の教育係になってしまったのである。
卵は、孵化する準備が充分に出来ている。後は、黒羽が孵化を補助する力を与え、養い親が受け入れを表明することで産まれて来ることが出来るのだそうだ。
社会人になって、中々集まることが難しくなった僕らは、その夜のうちに協力して孵化に挑んだ。
翌朝、腐れ縁の旧友たちは一泊しただけで各自の家に戻り、僕は産まれたばかりの
仔猫は、卵から出で来た時から若猫サイズで、真っ白の毛並みと透き通る緑の瞳が美しい猫だった。
『な・まえ、ほしい』
猫の普通の声に重なって、意味が直接伝わって来る。
まだ戸惑いは抜けていなかったが、長く黒羽と付き合っている僕は、今更そんなことで驚きはしなかった。
「うん、さっきから考えているけど、その前に僕に抱っこさせてくれるかい?」
そういうと、まだ名前のない産まれたばかりの不思議猫は、そろそろと僕に近づいて来て、柔らかな前足を僕の膝にそっと乗せた。おそらく、出会ったばかりのコミュニケーションとしては、それが限界だったのだろう。
「君は綺麗だね。特に瞳が。だから、
『す・い……』
「君の瞳と同じ色の宝石に、
そういうと
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