第6話

「ぐぅぅッ!あの女、やはり嫌いだッ」


〈飴蠢〉を塞がれた為に、水流迫は苦い表情を浮かべる。


「水流迫、私と貴方は同じ五家の人間ですが……それでも貴方は分家から宗家に代わった代理的存在。元より宗家である私に敵うとでも?」


その言葉は水流迫にとっては辛辣なものだ。

しかし事実である為に水流迫は彼女の言葉を否定する真似はしなかった。

代わりに、永犬丸詩游が口を開く。


「あのさ、黄金ヶ丘さ。なんだか目的変わってない?」


その言葉に黄金ヶ丘クインが永犬丸詩游に顔を向ける。

其処で永犬丸詩游が指を絡めているのが見えた。

その指の構えは、術式の使役を行う為の印結びだった。

即座に察する黄金ヶ丘クインは長峡仁衛に向けて顔を向ける。


「え?あ、長峡さんッ!」


そう叫び、辰喰ロロも長峡仁衛に顔を向ける。

長峡仁衛の地面には影が出来ていた。

空が光を覆ったワケではない。

それは、永犬丸詩游の術式であり、影が犬の様なカタチに代わると目が開かれる。

赤色の瞳がぎょろりと影から出てくると、影が立体化となって顎を開く。

長峡仁衛を飲み込むと、黒い犬は地面に張り付く。

その一瞬。指先を鋭利化させた辰喰ロロが地面に向けて爪を突き立てるが、影は器用にその攻撃を回避する。


「ッ――。外したか」


舌打ちをして影が永犬丸詩游の元へと戻っていくのを見届ける。

影は再び立体化して黒い犬と化す。


「〈狗神いりがみ術式じゅつしき〉・〈影毛物クロイヌ〉」


黒い犬は口を開く。其処から長峡仁衛がつるりと出てきた。

息苦しかったのか、長峡仁衛は呼吸を止めていて、外に出たと分かると再び息を吸い始める。


「ぷはっ、はっ……な、なんだか知らないけど、助かった……」


永犬丸詩游の術式は犬の式神を扱う。

黄金ヶ丘クインは顔を歪めた。

小奇麗な彼女な顔には似合わない皺を眉間に作って慣れない様に叫ぶ。


「くっ、永犬丸さん、そのお方を返しなさい」


そう言うが、永犬丸詩游はべっ、と舌を出して要求を却下する。


「やだよ。お前の所に長峡を置いとくと結婚を迫るだろ。長峡が居なくなったらボクは寂しいんだからな」


そう言って再び永犬丸詩游は指を絡めて印を結ぶ。

すると永犬丸詩游の影から今度は馬の様な大きさをした狼が出てくる。

パンっ、と再び音が鳴る。手袋をした男、水流迫が足元に水を作り出す。


「はは、その顔、ザマぁねぇな黄金ヶ丘ァ。初めての挫折じゃねぇの?」


そう煽る水流迫。

どうやらこの男は黄金ヶ丘を目の敵にしているらしい。

そんな煽りに、黄金ヶ丘クインは表情を無にした。

ただ冷たく、冷静に、冷酷に、黄金ヶ丘クインは萌え袖から黄金の鎖と鏃を伸ばし出す。


「……たかが其処らの祓ヰ師の家系が。陰陽師直伝に教授された五家に歯向かうとでも?」


決してその様な真似は許さない。

その言葉に感情は含まれていない。

あるのは、祓ヰ師としての矜持。

他の祓ヰ師に舐められてはならないと言う決意。

それを固める黄金ヶ丘クインの前に、永犬丸詩游はいたずらっ子の笑みを浮かべて。


「へへーん。五家だか御三家だか知るもんか。ボクの友達は誰にも渡してやるもんか」


そう言うと同時に狼の上に跨る。

この場から逃走する算段だろう。

側近である辰喰ロロは黄金ヶ丘クインに伺う。


「どうされますか、お嬢様」


このまま追跡するか。

祓ヰ師として舐められた落とし前を付けるか。

その選択を黄金ヶ丘クインに迫る。

クインは目を瞑り、一度息を吸って、か細く吐く。

そしてゆっくりと瞼を開くと。


「……まあ、良いでしょう。一応は、学生である内は自由にさせると言う約束。時が経てば私の元に戻って来る。ならば僅かな時間……遊ばせておいても構いません」


そう結論した。

つまりは長峡仁衛の結婚は延期。

そして慈悲深くも、永犬丸詩游の無礼を許すと。

それを聞いた長峡仁衛は、未だこの業界の情勢など知らないが。

しかし、彼女に向けて感謝の言葉を口にするのだった。


「えっと……その、ありがとう?」


その言葉に永犬丸詩游は突っ込んだ。


「長峡さぁ!そこはありがとうじゃないだろっ!!」


「え、いやでも……俺と彼女、許嫁みたいだし」


許嫁。

彼女とは何れ結婚する運命にある。

本来ならば禊は保つべきだろうに。

黄金ヶ丘クインはそれを許容している。

その寛容さに感謝すべきだと思っていた。


「あのな、……っまあいいや。ほら、逃げるよ」


そうして永犬丸詩游は犬の腹を蹴ると、早々にその場から離脱する。

近くに居た水流迫も、足に纏う水を操作して地面を滑る様に走りだした。

長峡仁衛は後ろを振り向いて、三人の姿を見つめる黄金ヶ丘クインに向けて手を振る。


「あ、うん、じゃ、じゃあな、黄金ヶ丘」


その呑気な行動に黄金ヶ丘クインは声を出そうとして、喉元まで出かかった言葉を無理矢理飲み込む。代わりに、長峡仁衛に見える様に小さく手を振った。

そして、長峡仁衛の姿が完全に見えなくなると。

其処でようやく黄金ヶ丘クインは先程言い掛かった言葉を口にする。


「………はぁ。クイン。と呼んで下さらないのですね?」


少し寂しそうに、黄金ヶ丘クインはそう言うのだった。



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