第44話
その時、アリアンナの耳に多数の馬蹄の音を風が捉えた。
そのまま耳を澄ますがどうやらこちらに向かってくる。
王城を背にしているから援軍なら有難いが、もしも敵ならアリアンナに後はない。
真空の空間にいる敵二人を見やれば、まだ微かに動いている。
敵ながらさすがと言うべきか。
アリアンナも長い息を吐き、あとどのくらい持つか分からない魔術を両掌に込め、気を引き締める。
最後の仕上げとばかりに、アリアンナは真空の範囲を狭めながら敵との距離を詰めていく。
だが、不意に馬の嘶きが聞こえ誰かが術式に入ろうとした。
「いけません!」
咄嗟にアリアンナは声を上げる。
それはアリアンナの背であるため敵か味方か分からないが、もしも味方なら切り刻まれてしまう。
注意を逸らしたアリアンナの術式に隙が出来る。
その瞬間を敵も逃しはしなかった。身動きが出来なかったはずの剣士の切っ先がアリアンナの鼻先を掠める。
寸でのところで顔を引いたが、アリアンナの髪と共に掠めた軌道はアリアンナの頬にも一筋の血が浮かんだ。しかし引いた力で上げたアリアンナの足は見事に敵の右頬に沈み、事切れた敵は地面に落ちる。
もう一人も地面に倒れている。
二人とも意識がないのを確認して、魔術を仕舞い、後ろを振り返る。敵ならと剣を投げる衝動を取るが、姿を見て静止して良かったと心から思った。
そこに居たのは剣を構えたデルヴォークだった。
(……良かった)
魔術切れか、デルヴォークを見たことによる安心感か、そこでアリアンナは意識を手放した。
アリアンナの術式が解けるのを歯痒く待っていたデルヴォークだったが、解けると同時に駆け込んで倒れ込んだアリアンナを腕に抱き留った。
「アリアンナ殿!」
多分魔術切れであろうが、頬の傷が痛々しい。
自分のせいで傷を負わせてしまった。
アリアンナを抱き留めた手に力が入る。こうしていても手から伝わるアリアンナの肩は細く、支えた体は驚くほど軽い。
早く城へ戻りたいが、倒れている敵も片付けておかねばならない。
デルヴォークは自分の外套を外してアリアンナを包み、静かに横たえる。
彼女が起きないのを見て、敵へ移動する。
どちらも気絶しているだけで生きていた。縛っておこうと馬を呼ぶと遅れたデルヴォークの団員達が到着した。
騎士団とて決して遅かったわけではない。デルヴォークが本気で駆けたため追い付けなかっただけだ。
「殿下!」
「ロス、アリアンナ殿を診てくれ。残りは三班に分かれろ。外、中で生死を問わず残りを捕らえ証拠となるものは全て押収」
「はっ!」
指示を出したデルヴォークは散っていく団員達を見送る。
ロスと呼ばれた者はタビュアで癒しの魔術師だ。彼がアリアンナに駆け寄り具合を診る。
デルヴォークは足元に転がっている敵を縛る続きにかかる。
ロスがアリアンナの頬の傷を治したが、起きる気配はない。
「殿下、他に傷はありません。意識がないのは魔力切れだと思いますが、まずは馬車を手配致します」
「うむ。……いや。馬車を呼ぶ間が惜しい。動かして大丈夫ならお前が運べ」
「しかし!」
ロスが言い募るのも分かる。
アリアンナはデルヴォークの妃候補の上、キャセラックの者だ。
「ロス。アリアンナ殿は患者だ。一刻も早い安静が必要だな?ならすべきことをしろ。……俺がここを離れるわけにはいかん」
「!」
ロスはデルヴォークの本音を漏れ聞いたような気がした。
アリアンナの身を誰より案じているのはデルヴォークで、自ら運びたいのを任せると言っているのだ。
「…分かりました」
「それでいい。頼んだぞ」
騎乗したロスにアリアンナを渡す。
ロスはデルヴォークに挨拶をし、その場を後にした。
あっという間にロスの背は見えなくなるが、今この手にあったアリアンナがいなくなりデルヴォークは意識なくその手を握り締める。
アリアンナを救出するのに、自分の班とジィルトの班を別行動にした。
今頃ジィルトは残党を確認するために西との国境付近へ向かっている。
アリアンナの元に到着するのがジィルトだったら、魔術での加勢も出来、傷を負わなかったかもしれない。
自分が一番にアリアンナの無事を確認したくて立てた策だ。
意識をなくすほど一人で戦っていたアリアンナを思い、後悔が残る。
味方の者を今まで何度も救出してきた。戦地ではもっと過酷な中で行ったこともあり、全員が無事だったわけではない。けれど、今回は相手が初めての女性だったからなのか、アリアンナだったからなのか冷静な任務の遂行より感情が動いたように思う。
デルヴォークが一人残された場で、己の中に芽生えた不思議な感情を顧みる時間が出来てしまった。
後の報告でデルヴォークが到着した時には、屋敷内でサンディーノ侯爵が男を一人捕らえており、二人まとめて連行することになった。サンディーノの娘ジャネスも、父親の嫌疑が明らかになるまで王城内で監視付きでの待機となる。
地下に残る賊はそのまま連行し、森のなかで倒れていた二人も捕縛した。
物的証拠は特に出ることはなく、けれど事態が収束するまでは屋敷は立ち入り禁止区域となった。
その夜、深い時刻に屋敷から出た一つの影が闇に溶けた事に気付いた者はいなかった。
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