第3章 竜界

第27話 ツキヒノタケ


「あっすごい! 自生してる!!」


 嬉々として声をあげたアカが周りの事などお構い無しに横道へと逸れていく。


「えっ」


「あのバカ」


「……どっか行きましたね」


 後ろから駆けていたフーリエは驚きつつアカを目で追った。

 前方を走っていたクロも急ブレーキで速度を落とす。

 横を走っていたトマスは相変わらずの無表情だったが皆が速度を落とすのを察して木の幹に両足を豪快に着地させて速度を殺した。


「追うぞ」


 クロが先導し、3人はアカの後ろを着いていく。

 ようやく止まったアカはしゃがみ込んで何かをせっせともぎ取っていた。


「どうした急に」


「見てよこれ! ツキヒノタケが自生してた!」


 急に進行方向を変えたから何かと思えば、キノコが生えていたというだけの話らしい。拍子抜けしたように首をかしげたフーリエとトマスだったが、逆にクロは目を輝かせていた。


「本当か? 野生のやつはどのくらいぶりだ」


「最近は生息域が減ってるからね」


「養殖場の方でも研究が進んでいるが、まだまだ売り物にはならなそうだしな」


「すごいラッキーだよ。みんなで食べちゃおう」


 トントン拍子に話が進む。アカがそこら辺に生えていた野生のキノコを食べようと言い出したため、たまらずフーリエが割って入る。


「大丈夫なんですか? そのツキヒノタケって」


 キノコ類は当たり外れが激しいため、竜議城や竜師御用達のレストランでは安全性を考慮し決まったものしか取り扱っていない。それに味も大して美味しいものではないため、一部の物好きしかキノコを使った料理を注文しない。

 野生のキノコをその場で食べるなどもっての他で、専門的な知識がなければ手を出してはならないのがキノコという食材だ。


「問題ない。このツキヒノタケは火を通せば腹を下すことはない」


 フーリエは目の前にいる2人が料理人を名乗っていたことを思い出す。それならば一般人より目利きの腕もあるだろうと勝手に納得することにした。


「それならお2人の言うことを信じましょう」


「シンプルにそのまま焼いたやつにするか。他に食材も無さそうだしな」


 クロがそう決めるとアカはニッコリと頷いた。



 静寂な森の中でパチパチと火の焚ける音だけが響き渡る。日の光が届きにくい森の中でそこだけがゆらゆらと輝いていた。


「焼けてきた」


「いい匂いですね」


 適当な木の枝に刺したツキヒノタケをくるくると回すアカ。

 立ち込めるかぐわしい香りにフーリエは鼻孔をくすぐられた。


「塩振っちゃおうか」


 半分ほど焼けたところでアカは懐から小瓶を取り出し、パラパラと上からかけた。


「いつも持ち歩いてるんですか?」


 横で見ていたトマスが、く。


「塩と香辛料はいつも何種類か持ってるよ」


「調理器具とかも持ってるんです?」


「携帯用の簡単なやつならね。いつでもどこでも料理ができるっていう状況を作っておくとね、精神衛生に効くんだよね」


 料理人とはそういうさがを持っているのかもしれないな、とトマスは納得しておくことにする。そもそもトマスはアカとクロの2人がこだわって料理人と名乗っている事に疑問を持っている。

 トマスは2人の実力を、フーリエを含めた第11翼陣営の人間よりも正確に把握しているつもりだ。アカは自分と同等かそれ以上、下手をすれば『翼』にも届き得るかもしれない実力を持っている。直接対峙したからこそ、その底力を誰よりも肌で感じていた。

 そしてクロの方はというと、トマスと旧知の仲であり名の知れた実力者であるボンズ・ボンズとアルレリオ・アルレオスを単独で撃破したらしい。第6翼『爪』の第3席と第4席だ。

 その2人を同時に相手をするのは第6翼『爪』第2席だったトマスでさえ骨が折れる。


 そんな未曾有の実力者が何故今現れた?

 その力をひけらかすでもなく、他者を支配するために使うでもなく、ただ普通に一般人のごとく生活し行動している。

 不思議な人達だ。

 と、トマスは人知れず2人に関心を寄せていた。


「お2人はいつから料理を?」


「気付いた時には包丁握ってたからな。正確には思い出せない」


 クロが答える。


「僕もそんな感じだけど、確か初めて1人で1品完成させたのは4つの時かな。イモをただ煮たやつ」


 アカが答える。それからずっと毎日何かしらは作ってきてるね、と付け加えた。



「それじゃあもう、今は立派な料理人ですね」


 無表情。だが、トゲはない。

 これまでのトマスは何に対しても誰に対してもくみすることなく、感情を表に出さずに生きてきた。第6翼パロミデス・アロンの暴挙の数々に辟易していたからそうなったのか、生まれてからずっとそうなのかは誰にも分からない。

 その言葉の端は、トマスの世界に新しい風が舞い吹いていることを示唆していた。だが誰も気付かない。本人ですらも気付いていなかった。


 ツキヒノタケを炙ること10分。表面が少し黒く焦げたぐらいが食べ頃だ。


「あちち、焦げた表面を剥いて中を食べるんだ。食べる前にもう1度塩を振ってね」


 見本を見せるようにアカはツキヒノタケを片手で器用に剥いていく。焦げた表面がペリペリと剥がれ落ちる。

 中から出てきた湯気がホクホクと香ばしく顔にまとわりつく。

 今まで嗅いだことの無い豊かな匂い。

 それは意識を無視して人間の食欲に直接訴え掛けてくるものだった。


 一口。

 また一口と4人は次々にツキヒノタケにかぶりついた。


「なんだこれ……美味すぎる」


 トマスが漏らすように言った。


「スゴいですね。うちのディナーでもこんなの出たこと無いですよ。ただ炙って塩を振っただけでこんなに美味しくなるものなんですか」


 フーリエは竜議城で振る舞われる最高級の料理の数々を思い浮かべた。しかしこのレベルの美味さのものは、そこにはなかった。


「元から旨味成分が豊富に含まれてるツキヒノタケは火を通すとさらに旨味が倍増する」


「へー、旨味成分か……。聞いたこと無いんですけど、それはどの食材にも含まれてるんですか?」


 フーリエが残り少ないツキヒノタケを惜しみながら口の中に放り込む。


「だいたいの食材には旨味成分に該当するものが入ってる。その量が多いか少ないかだ。もちろん多ければそれだけ旨味を感じられるが、少ないからって不味い訳じゃない。食材の組み合わせや調理法でいくらでも調整できる」


「最近だと旨味成分だけを抽出した調味料なんかも作られてるよ。僕も持ってるしね」


 ほら、とアカは腰元の荷入れから小瓶を取り出して見せる。白と茶色が混ざりあっているような粉が中に入っていた。


「これを料理にぶっかけるとお手軽に美味しくできるんだよね。あんまり使いすぎると癖になるけど」


 とアカは笑う。

 だがフーリエは笑えなかった。

 癖になるということは一種の中毒症状が出ているということなのではないか。中毒を侮ってはいけない。実際に麻薬中毒が蔓延し、都市機能が完全に崩壊した例もあった。料理を美味しくするという理由だけで中毒を起こしていては笑えない。

 そのフーリエの表情を読み取ったのかクロは言った。


「中毒の発症を危惧するのは当然だが、旨味成分はそれら一般的な中毒とは違うものだ。危険性については研究済みでなんら問題はなかった」


 思考を見透かされたように先回りで解答される。思えばアカとクロは常にそういう立ち回りをしてきている。相手に主導権を渡さない、そしてそれを気付かせない。

 フーリエはそこを感じ取れたが、それは仕事柄諜報に慣れているからこそのことだ。それにアカとクロはフーリエやトマスに対して警戒心や敵対心は抱いていない。実際に敵として対峙することがあればフーリエには一切気付かせずに全てを自分たちの有利に進めることもできるだろう。

 敵に回すと厄介。

 しかし味方として引き入れることが出来ればこれ以上無い戦力となる。

 今のフーリエの仕事はアカとクロをサポートする事とその素性を探る事。怪しまれずに詮索せんさくし、引き続きこちらの利益となるように動いてもらう。気が滅入るような状況だが、そういう状況でこそフーリエの本領は発揮される。

 複雑で難解で危険。そういう仕事にやりがいを感じてしまうのがフーリエという変態なのだ。




 4人はツキヒノタケを食べ終えると再び走り出した。

 現在いる森を抜ければすぐに結界地帯がある。


「寄り道を差し引けばかなり早く着きましたね」


 結界を目にしたフーリエが結界に穴を開ける準備に入る。


「ここまでは何度か来たことあるからな。ただやはりこのレベルの結界を破るのは俺達ではできなかった。結界の周りを散策して帰るのがいつものルートだ」


「クロさんなら結界の仕組みも理解できるようになると思いますよ。すでに『陣』も使えるんですから」


「あれはなんとなくやってるだけだ。そのうち詳しく教えてもらわないとな」


「もちろんです。僕の役目の1つですからね。御2人に力の使い方を教えることは」



 フーリエは結界に触れると目を閉じて穴を探った。


「僕は結界や陣のスペシャリストです。自分で言うのもなんですが『そう』の中でも上から数えた方が早いぐらいです。それでもこのレベルの結界は簡単には破れません。人が1人通れるかどうかの穴を開けるのがせいぜいでしょう。穴が開いたらすぐに飛び込んでください。十数秒でまた閉じると思いますので」



 フーリエが手をかざしていた箇所がジリジリと歪んでいく。


「あと少しです。ちなみにこれをやったあと、僕は少し何もできなくなるかと思いますので、しばらく歩いて移動してくれると助かります」


 申し訳なさそうに笑いかけるフーリエ。


「分かった。入ったらしばらく休もう。ここを通れるならそれだけで十分だからな」


 感謝している、とクロは手を上げて答えた。

 フーリエは再び結界に向き直る。


「今です!」


 歪んでいた結界がねじれて割れる。

 ちょうど人がしゃがんで通れるくらいの穴がそこに出現した。


「ありがとフーリエ!」


「ようやくだな」


「すごいですね。6翼にもこれを突破できる使い手はいませんでしたよ」


 アカ、クロ、トマスが穴をくぐり抜け、フーリエもそれに続く。


「おー入れた」


 アカがぐーっと背伸びをした。

 その横ではフーリエが地面に手を着いて全身で呼吸を整えている。


「帰りも……同じくらい消耗すると思うので……よろしくです」


「分かってる。ありがとな」


「少しここで休んでてよ。僕とトマスで何か食べれるものを探してくるから」


 トマスは頷きアカに着いていこうとする。

 しかしそこでトマスは異変に気付く。


「……待ってください。何か揺れてません? 地面」


 


「……揺れてる」


「……揺れてますね」


「……揺れてるな」



 確かに揺れている。そして段々と激しく揺れ始めた。


「なにこれなにこれ!」


 興奮したようにアカが笑う。


「おい、何か走って来てないか?」


 クロの視線の先。

 見ると確かに何かがこっちに向かって走ってきている。


「二足歩行だが、ドラゴンか?」


「分からないです。僕もここには初めて来たので」


「私も分かりませんね」


「未知だ! 知らないドラゴンがまだまだいるんだね!」


 ゴツゴツとした肌質に鱗。流線型で細長い頭部を持つ二足歩行のドラゴン。発達した後ろ足で力強く大地を蹴り進んでいる。


「翼は折り畳んでいるようだな」


「サイズはそこまで大きくなさそうだね。体も小さいけど翼も小さい。あれで飛べるのかな」


「まあ何にせよこっちに向かって来ているのは間違いない。倒すか?」


「いや、まだ何も分かってないからね。無難にスルーしよう」

 

「えっ……?」


 群れで迫り来るドラゴンをそれぞれが避けていく。

 アカは地面を蹴って空中へと避難し、クロとトマスは左右に跳んでやり過ごした。


 通りすぎていくドラゴンの群れを見送って、3人は元の位置へと戻ってくる。


「あの後ろ足が気になるね。質の良い肉が採れそう」


「毒とか無いといいですね」


「後で追って調べてみるか。生息数によっては手を出さない方が良いかもしれないからな」


「フーリエが回復したら追ってみようか」


 アカがフーリエの方を振り向く。

 だがそこにフーリエの姿はなかった。


「あれ?」


 辺りを見回してもフーリエはいない。

 結界をこじ開けたことで体力を消耗していたはずのフーリエが急にどこかへ行くとは考えられない。それも何も言わずに。

 そうなると──。


「あっ、見つけました」


 トマスが指したのは先ほどのドラゴンの群れ。その先頭。そこにフーリエの姿が見えた。

 青ざめた顔で先頭を走るドラゴンに咥えられている。

 

「普段なら放っておいても大丈夫だろうが」 


「忘れてましたね動けないこと」


「フーリエいないと結界から出られないんじゃない?」


 思考が止まる。空白の沈黙。

 そして焦燥が込み上げてくる。


「追え! 全力で!」


 3人は人並み外れた速度で駆け出した。

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