第2話

王太子ハリー殿下と婚約をしたのはもう十年前の話だ。

出会いは私達が六歳の時に催された王妃様主催のお茶会だった。そこで王妃様に見染められてしまった私は拒否権もなくハリー殿下の婚約者にされたのだ。

まだ六歳という幼い私に対して始まった厳しい王太子妃教育。血の吐くような思いを何度もさせられた。おかげで社交界では完璧な淑女と称されるようになったが正直そんな称号は要らなかった。

ハリー殿下の為に失った時間は戻らない。しかし得た物が皆無というわけではない。

少なくとも王太子妃教育で身に付けさせられた淑女の仮面はこれからの人生で役立つだろうと自分を納得させた。


いつも通り王城にて公務を終えて屋敷に戻る。出迎えてくれた専属侍女レクシーに挨拶してから部屋に向かう。

着替えを手伝ってもらいすぐに父テディのいる執務室に行くと中から話し声が聞こえてくる。

どうやら兄エルビーもいるようだ。

丁度いいと言わんばかりに部屋の扉を叩いた。


「アイリスです。お父様とお兄様にお話があります」

「入れ」


父から許可を得てから中に入ると二人は向かい合うようにソファに座っていた。


「ただいま戻りました、お父様、お兄様」

「おかえり、アイリス」

「おかえり」


私が挨拶すれば兄と父は穏やかな顔で出迎えてくれた。

失礼しますと兄の隣に座ると二人とも私を見つめる。


「話とは?」

「単刀直入に言います。ハリー殿下との婚約を解消したいのです」


二人とも驚いた表情を浮かべた。

当たり前だ。今まで我慢し続けていた私が急に婚約者を辞めたいと言い出したのだから。

固まっている二人に話を続ける。


「最近ハリー殿下はある女性に惹かれているようなのです。私は潔く身を引くべきだと思いまして」


本当は彼の為に頑張り続けるのが馬鹿らしくなってしまったからだけど。

私の言葉に二人は驚かなかった。

もしかしたら事情を知っていたのかもしれない。

学園では阿呆みたいにイチャついている二人だ。ハリー殿下の住まいであり、二人の勤め先でもある王城で噂になっていてもおかしくはない。


「アイリスはそれで良いのか?」

「はい。もう疲れました」


父に尋ねられ大きく頷く。

本当に疲れたのだ。やめられるなら今すぐやめたい。


「でも、アイリスはハリー殿下を好いているのでは?」


兄から言われた台詞に首を傾げた。

私がいつハリー殿下を好きになったというのだ。

頑張っている私に対して労いの言葉もかけず、公務を押し付けるような屑男を好きになるわけがない。

ただ婚約者として過ごした時間が長過ぎたせいで多少の情が湧いていただけだ。


「私がハリー殿下を好きなどあり得ません」

「そうなのか?本当か?」

「無理しているわけでもなく私は自由になりたいのです」

「そうか…」


私が強がっているわけでも自棄になっているわけでないと納得してくれたのか父も兄も口を閉じた。


「婚約を解消に出来るように二人に協力をお願いしたいのですが、やはり駄目でしょうか?」


普通に考えたら王太子の婚約者の座を手放そうとする家は存在しないだろう。父も兄も権力に執着しているわけじゃないが今回に限っては許可してもらえないかもしれない。

そう思っていた。


「アイリスが望むなら構わないよ」

「出来るだけ早く手配しよう」


二人の返答の速さに目を大きく見開いた。


「可能なのですか?」


私達は臣下だ。

仕えるべき王家からの婚約話を解消、なかった事にするなど出来るのだろうか。

そう思っていると二人が説明をしてくれる。


どうやら私とハリー殿下が婚約する際に一つの取り決めをしていたらしい。

内容は私とハリー、どちらかが婚約解消を願い出た場合すぐに婚約は解消にするというもの。

旧知の中である陛下と父だからこそ約束出来た事だったが、それならもっと早くに言って欲しかった。

本人達に言わないのも誓約の一つだったらしいので仕方ないけど、知っていたとしたらもっと前に我慢せず婚約者をやめたいの一言を発していただろう。


「というわけだ。明日解消の話に行ってくるよ」

「ありがとうございます。よろしくお願い致します」

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