第2話「ごみ箱の世界」

 文字に向けられていた目線を新たに現れた光源に移した。セカンドステージの出現のように思えた。まずはファーストステージ同様、その光の下まで移動することにしよう。

 今度は落ち着いてゆったり歩いた。もう焦る必要はない。光源が二つもあると自分の視界自体は不自由がない。そうなると精神的にも余裕が生まれてくる。今ではあの第二エリアに何が用意されているのだろうかと期待すら感じるようになっている。

 漸く光に辿り着いた。光の届く範囲の中にはまだ何も存在していない。第一エリアに着いたときと同じだ。少し休憩でもして続きを待つことにしようと、腰を下ろした。

 するとその数秒後、照らされている空間の中心辺りに、テキスト文書のようなものが三つ出現した。こちらも先ほどの立体の文字のように宙に浮かんでおり、やはりピタリと止まっている。それ以上それが落ちる気配もその配置がズレることもなさそうだ。

 私は先ほど下ろしたばかりの腰を上げ直し、中央の文書らしきものへ近づく。そこには何千文字もの文字が入力されており、入力という通り、手書きではなくキーボートか何かで入力された、均整の取れた文字が並んでいる。

 第一エリアでのポエムの件もあるので、まずは手近な文書に触れてみる。すると先ほどと同じく、パンッという音とともに、「データの取り込みが完了しました」というメッセージが上部に表示された。少しでも手掛かりを増やすため、他の二つの文書にも取り敢えず触れてみたが、システム音は流れず、あの物々しいメッセージは姿を見せなかった。メッセージは一つのエリアにつき一度しか表示されないのか、この三文書のデータが一度に全て取り込まれたのか、理由はこのどちらかだろう。データがどこにどのように取り込まれたのかは謎なままだが、ここは文書の方を確認することにしよう。

 実際にその文書に触れてみて分かったことだが、この文書はタブレットのようなタッチパネル式になっており、画面をスライドさせると次のページへ移動することができた。

 一旦は内容を見るより先に、これがどれくらいの分量のものなのかを見るため、ひたすらスライドを繰り返す。十数ページ分スライドさせると左へのスライドが反応しなくなり、そこが最終ページであることが暗示される。文書は三つ用意されていたが、一つ目の文書のページ数が思いのほか多かったので、ここは取り敢えず一つ目の内容を見ることにする。

 内容が学術的な論文のような堅苦しそうなもので細々とした文字が左から右へ何段も連なっている。初めの数行に軽く目を通しては見たが、その言葉を上手く咀嚼できず、またこれといった興味も惹かれなかった。もっと平易で親しみやすい内容であればもう少し読み進めるところだが、いかにも理系の学者が淡々と無駄なく無骨に仕上げたような医学系の文章に、私の視線は次の二つ目の文書へ移っていた。だがここに並んでいる文章はどれもどこか既視感があった。

 二つ目の文書に目を通そうと思ったその時、浮かんでいる三つの文書のすぐ手前の辺りに、それぞれ何か小さな文字が浮かんでいるのに気が付いた。一つ目のものを見ると、「会議用資料」と書かれていた。これから観察する予定であった二つ目の文書の手前には、「会議用資料訂正版」と記載があった。三つ目のものには、「小説の下書き」と表示されている。

 どうやらそれぞれの文書のタイトル的なものらしい。そのタイトルから考えてみても、やはりこの世界に産み落とされる文字やら文書やらには、私に対するメッセージのような意図は一切含まれていないようだ。

 最初の詩を思わせる文字たちは、私ではない誰かの、他人にはひた隠しにしていたい黒歴史の一部のようであったし、これらの文書は非常に事務的で会社の社員向けの資料と一つ目同様私的に密かに楽しむ娯楽が想像される。どれもそれのあるべき場所に私はいないだろう。私に何かを伝えているのは、あの謎のテキストメッセージだけだ。

 自分には無関係ではあろうとは思いつつも、一応残り二つの文書も軽く確認だけした。そこの中には特別私に宛てた言葉もなければ、有益な情報もなかった。「小説の下書き」の方は少し興味を惹かれたが、中身はあまりに希薄で好奇心を刺激する着火剤は含まれていなかった。私の今後の人生のスパイスにも道標にも、また娯楽にもならないだろう。しかしこれら二文書にも私はどこか既視感を覚えた。

 もうこれ以上これらの文章を読んでも仕方がない。その確信を基に、私は目線を文書から外し、視覚に休息を与えるため、再び腰を下ろして目を瞑った。


 この世界、私以外ほかに何者もおらず、時折何の関連性もないガラクタが与えられるだけの世界。まだ絶対の自信があるわけではないし、他の可能性だって考えられるわけではあるが、私はこの世界を、廃棄場、つまるところゴミ捨て場なのではないかと考えた。

 私がこれまで触れてきた文字は、地球の日本人の言語に他ならなかった。だから、私が現にいるこの無機質な世界はもしかすれば地球全体に、少なくとも日本という国には何かしらの接続方法によって繋がっているようだ。

 そしてこれまで二度出現した文字はその日本に住む人間の内の誰かのものであろう。一度目の光源での出来事の段階では、私はまだこの世界と地球は繋がっているのかもしれない、と推測する程度だった。ところが、二度目の光源での出来事を通し、私はこの世界がゴミ捨て場である可能性を見出した。

 会議資料と小説の下書きが一緒くたになっている点や詩・小説の内容の稚拙さなどがその考えの根拠になっていた。改めて考え直すと、えらく説得力を欠いた論理であるように思える。

 だが、例えばこの世界と日本が単純に繋がっていたとすると、この世界はもっと情報で溢れかえっているだろう。そんな世界の存在を聞いたことがないので、実際にどのようになるかは分からないが。

 ちなみに、私がこの世界をゴミ捨て場であると予測したのにはもう少しそれらしい理由もある。それは、この世界はコンピュータ等にあるごみ箱とリンクする部分があるということだ。

 コンピュータ上にあるデータ(文書や音声データなど)をそのコンピュータ上から削除する際、基本的にそのデータは即座に抹消されるわけではなく、コンピュータ上に用意されたごみ箱へと移転される。そのごみ箱の中身を消去したら完全にそのデータは消え去る。

 これがコンピュータとその中にあるごみ箱についての表面的な情報だ。また、ごみ箱に移動されたデータは、ごみ箱の中でデータそのものとそのデータの名前等が表示されている。このシステムがあの突如現れる光源と文字や文書をフィードバックさせる。

 この世界が地球上のコンピュータのごみ箱と連動していると考えると、辻褄の合う要素もいくつかある。

 まずこの世界のシステマティックさだ。地球上の自然法則に重ねて考えると、この世界はあまりにその法則に反している。何の動力・装置を要することなく微動だにせず浮遊しつづける立体の文字や光源を持たない特殊な光源など、コンピュータの中に閉じ込められた様な感覚を覚える瞬間は多々ある。

 また、まだ一つ目の光源が出現する前に聞こえたピアノの音なども、思えばごみ箱へと移された音声データであったと考えられる。仮にこの世界がごみ箱であったとしても、あのシステムログのメッセージの謎は解けないが、私は自分の導き出したこの答えを妙に納得していたし、この世界の正体を暴いてやったという学者気取りの達成感を噛みしめていた。


 この世界の謎は自分にとっては満足のいく解がでたが、そのせいで新しい疑問が生まれてしまった。…私は一体何者なのだろうか。

 このゴミ捨て場の世界に人間は現れない(もしかしたらいるかもしれないが)。この無機質な世界の中に、生命は私のみだ。先ほどの私の考察が正しいとすれば、この世界に現れるものは、コンピュータ等で捨てられたものだけだ。世界から捨てられたものだけがこの世界にやってくる。

 では私はどうだろうか。今私に浮かんでいる可能性は二つ。一つが私は地球上の誰かがネットワーク上で生み出したデータで、結局最終的にごみ箱に放り出されたという可能性。もう一つが端から私はこの世界で生まれた住民だという可能性だ。

 私は誰かに捨てられたのだろうか。

 私が休息をとっていたこのセカンドステージにあった三つの文書が突然消滅した。それと時を同じくして、この第二エリアの明かりもすっかり消えてしまってかつての暗黒が息を吹き返した。

 私は大人しく第一エリアへ戻ることにして、踵を返し歩き出した。以前第二エリアへ移動したときは、余裕に満ちた歩みを見せていたが、帰路は俯いて黒を眺めながら歩いた。光源に近づくと光が漏れ進むべき道が分かるが、その光すら届かない範囲では私の視界はすっかり黒色一色になり、深海のように上下の感覚が失われてしまいそうだった。

 下を向いていると微妙に平衡感覚が失われるのか、頭のせいで重心が前方に傾くのか、時折バランスを崩す。その度にわざとらしいほどに大きくため息を吐きながら下を向き直した。

 今私は自分が何者なのかという、人間でいう思春期のような悩みに直面している。ここはこの世界の謎を解き明かした時のように、この世界に転がる手掛かりから答えを考察しようと試みるべきではあるのだが、自分の想定外に生まれた悩みに動揺し、冷静な思考が働かず、回路はショートしているのではないかという不安すら覚えてしまう。

 一度心が沈むと、あらゆることが悲観的に見えてきて、自信を喪失してしまう。相変わらず大げさなため息が漏れる。

 光源に近づき足元がモノクロに変わった。やはり光は偉大だ。悩みが解消されたわけでは全くないが、少し心のソワソワした感覚は収まり、心臓の拍動を正常程度に戻った感じがした。

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