第2463話

「がはっ!」


 冒険者の男が苦悶の声を上げながら地面に崩れ落ちる。

 その冒険者の前にいるのは、ランクA冒険者のアンテルム。

 地面に倒れている冒険者も、貴族街の護衛を任されている人物だけあって、相応の強さを持つ。

 だが、アンテルムはランクA冒険者である以上、相応の強さを持っているだけでどうにかなる相手ではないのだ。


「俺の邪魔をするような真似をして……身の程を知れ!」

「ぐがっ!」


 苛立ちも露わに、地面に倒れた冒険者の男を蹴るアンテルム。

 男が数m程も吹き飛び、地面の上に倒れ込む。

 そんなやり取りを、他の冒険者達も見ていた。

 見ていたのだが、ここで口を挟めば次に自分が攻撃されることになると理解しているだけに、手を出せない。


「異名持ちとはいえ、貴族の俺に向かってあのような態度を……許せん」


 レイとのやり取りを思い出したのか、アンテルムは苛立ちも露わに地面を蹴る。

 踏み固められた地面が、あっさりと数cm程も沈む。

 何気なく放たれた一撃だったが、その行為にどれだけの力が込められていたのか、その地面が示していた。

 苛立ちも露わに、アンテルムの視線は気絶している冒険者から、次の獲物に向けられようとした時……


「何をしている!」


 不意に周囲にそんな声が響き渡った。

 アンテルムは、その言葉が先程自分に上から目線で命令した冒険者の男と同じものだったことに気が付いて苛立ちを募らせる。

 だが、その声を発した人物が誰なのかを理解すると、何とか表情に浮かべていた苛立ちを消す。

 勿論それはあくまでも表面上の苛立ちを消しただけで、アンテルムの中ではまだ黒々とした怒りの炎が燃えている。


「これは、ロイター殿。どうされた?」


 ロイター・ゾルゲラ。

 ゾルゲラ伯爵家の三男で、現在はこのギルムにて各種情報を集める為にやって来ている二十代の男だ。


「どうされた、ではない! 何故うちで雇っている冒険者を痛めつけている! それと、抗議があった。……何の抗議なのかは、言わなくても分かるな?」


 アンテルムを睨み付ける。

 元々ロイターはアンテルムを雇うのは反対だった。

 だが、実家の方から個人依頼という形でやって来た人物だけに、三男のロイターに雇わないという選択肢はない。

 ないのだが……ロイターにとってアンテルムという人物は、非常に厄介な存在だ。

 ランクA冒険者らしく、その強さは本物だ。

 しかし、アンテルムにとってはその強さを持っているのが厄介だった。

 初めて来た日に、ロイターの雇っている冒険者達を指揮していた男とぶつかり、模擬戦を行うことに。

 模擬戦なので、双方共に死ぬといったことはなかったが……それこそが、アンテルムと戦った冒険者を絶望のどん底に叩き落とした。

 死なないように寸止めをするのだが、寸止めをするということは、相手が折れない限りはいつまでも戦いが続く。

 ましてや、アンテルムは失敗した振りをして少し……本当に少しだけ、相手にダメージを与えるといった真似もしていた。

 それを繰り返され、何をどうやっても自分がアンテルムに勝てないと知った男は、心が折れた。

 その男はロイターともそれなりに長い付き合いで信頼していた冒険者だったのだが、それでもロイターの立場としては実家から直接依頼されたアンテルムにその件で何も出来なかった。

 いや、不満を言うようなことは出来るのだが、出来るのは結局それだけだ。

 実家が雇っている人物である以上、致命的な落ち度でもない以上は首に出来ない。

 そんなロイターにとって、他の貴族からクレームが来たというのは、致命的……とまではいかないが、それでもアンテルムの価値を下げるのには十分なことだった


「深紅とかいう奴のことですか? それなら問題ありません。そう遠くないうちに解決しますよ。誰にとっても最善の形でね」

「ふざけるな!」


 アンテルムの言葉に、ロイターは不満も露わに叫ぶ。

 ロイターがギルムで暮らすようになってから、まだ数年程度だ。

 そのような短い時間でも、ギルムにおいてレイがどのような存在なのかは当然知っている。

 何よりもレイはギルムの領主たるダスカーの懐刀と言われている相手だ。

 そんな人物と揉めた……それもレイから仕掛けたのではなく、アンテルムがレイの従魔たるセトを欲してとなれば、その時点でどちらが悪いのかは考えるまでもない。

 そして当然の話だが、アンテルムが裁かれるようなことになれば、そのアンテルムを雇っていたロイターやゾルゲラ伯爵家にまで被害が及ぶ。

 これは、ロイターにとってアンテルムを処分するには十分な理由だった。


「お前も貴族の血を引くのなら、ラルクス辺境伯がどれだけの影響力を持っているか、知っている筈だな?」

「ええ、知ってますよ。三大派閥とは名ばかりの、中立派という小さな派閥を率いている男だというのは」

「……その小さな派閥が三大派閥の中に入ってる理由も、出来れば考えて欲しかったけどな。俺にとって……いや、ゾルゲラ伯爵家にとってお前の存在は害にしかならない」

「それで、俺をどうすると?」

「首だ」


 端的に、短くそう断言する。


「……は?」


 アンテルムにしてみれば、ロイターの口から出た言葉は完全に予想外だったのだろう。

 ランクA冒険者という自分の実力を自覚しているだけに、まさかいきなり首だと言われるとは思ってもいなかったのだ。

 この辺り、アンテルムとロイターの間にあった認識の違いだろう。

 そんなアンテルムの様子を見て、冒険者達の目に喜びの光があるのは、それだけアンテルムが他の冒険者達から嫌われていた証か。

 これがただ上から目線で言ってくる相手なら、冒険者達の方にも対処のしようはあっただろう。

 だが、アンテルムはなまじ高い実力を持っている為に、どうしようもない相手だった。


「聞こえなかったのか? お前は首だ。お前がいると、ゾルゲラ伯爵家に大きな被害を与えることになる可能性が高い。そんな相手を雇う必要は全くない」


 そう断言するロイターに、アンテルムは何も言わない。

 だが、時間が経つごとにその身体からは怒りと殺気が滲み出す。

 最初にその殺気に気が付いたのは、当然ながら周囲にいる冒険者。

 ……アンテルムの殺気を感じて、即座にロイターを庇うように動いたのは冒険者としては合格だった。

 自分達の仲間がアンテルムによって攻撃されている時は、我が身可愛さによって動くといったことはしなかったが、ロイターは自分達の雇い主だ。

 それも、昨日今日会ったばかりの相手という訳ではなく、それなりに長い間付き合いのある男。

 貴族としては無意味に高いプライドを持っている訳でもないので、冒険者達にも付き合いやすかった。

 それだけに、アンテルムから庇うように動いたのだが……それが相手を刺激してしまう。

 自分よりランクも実力も低い者達が、そのような真似をする。

 それは決してアンテルムにとって許容出来ることではない。

 自分が侮られているといったようにも感じ、一瞬にして頭に血を上らせる。


「貴様らぁ!」


 その怒りの声と共に長剣が鞘から引き抜かれ、一瞬にして冒険者達との間合いを詰める。

 冒険者達は、そんなアンテルムの攻撃に何とか反応し……一人が持っていた長剣でアンテルムの一撃を受ける。

 だが、ランクA冒険者だけあって、アンテルムの一撃はそう簡単に防げるようなものではない。

 何とか一撃を受け止めたものの、その衝撃により、吹き飛ぶ。

 それでも他の冒険者達が次の動きに出るには十分な隙を生み出すことが出来た。

 ……そう思ったのだが、その隙を突くように冒険者の一人が動いた瞬間、その首はあっさりと切断されて空中を飛ぶ。

 先程一撃を放ったばかりの状況で、何故そんな一撃を放てるのか。

 見ていた方はそれを理解出来なかったが、それでも仲間がやられた以上は攻撃をしないという選択肢はない。


「はぁあっ!」


 長剣による一撃を放つが、アンテルムは自分に向かってくるその一撃を一瞥すると、軽蔑の目で自分に向かって攻撃してきた相手を見て……次の瞬間、こちらもまた長剣の一撃を放つ。

 明らかにアンテルムの方が遅く一撃を放ったのだが、先に相手に命中し……最初の男同様に首を切断されたのは冒険者の男の方だった。

 この辺りが普通のランクC冒険者とランクA冒険者の間にある、圧倒的な技量の違いだろう。

 そして一分と経たないうちに、庭で生きているのはアンテルムとロイターの二人だけになる。

 ……いや、一応最初にアンテルムに蹴られて吹き飛び、気絶した冒険者の男もまだ生きてはいるが、とてもではないが戦力としては期待出来ない。

 そういう意味では、二人であるという表現はそう間違っていないだろう。


「何のつもりだ。このような真似をして、ただですむと思っているのか!」


 ロイターは自分の雇っている冒険者達が殺されたというのに、怒りを表に出すだけで怯えた様子はない。

 自分は殺されないのかと思っている……訳ではない。

 最悪の場合、自分はここで殺されるだろうというのは予想していたが、それでも貴族としてアンテルムのような相手には一歩も退く訳にはいかないと、そう理解しているのだ。

 何よりも大きいのは、もしここで自分が退くようなことがあれば、それはアンテルムに殺された冒険者達に対して申し訳ないという思いがあったからだ。

 そもそも、初日に冒険者を率いていた者と模擬戦をやった時点で、アンテルムの危険性は十分に理解出来ていたのだ。

 それでも実家からの紹介だからということで、ろくに注意は出来なかった。

 勿論注意はしたのだが、それは実家の影響を考えて表面的なものになってしまったのだ。

 だからこそ、ロイターはそれを後悔していた。


「ただですむ? 勿論、ただですむだろうな。気が付けばこの屋敷からは誰もいなくなってるんだから。……その死体も、そっちで気絶してる奴も、そして……お前もだ!」


 その言葉と共に、アンテルムは長剣で突きを放つ。

 この時、長剣を振るっていればロイターの首はあっさりと切断されていただろう。

 なのに、アンテルムが放ったのは突き。

 それは攻撃の選択をミスした訳ではなく……勿論慈悲といったものでもなく、自分に逆らったロイターを少しでも長く苦しめる為の一撃。

 事実、ロイターは脇腹を貫かれはしたものの、その一撃で即死するといったようなことはなかった。

 ……代わりに、強烈な激痛が襲ってきたが。


「ぐっ……」


 まるで灼熱の棒でも突きつけられたかのように……痛みではなく、熱さを脇腹に感じて苦悶の声を上げるロイターだったが、それでもアンテルムを睨み付けるといった行為は止めない。

 それがアンテルムにとっては余計に気にくわなかったのか、放たれる長剣は一瞬にして三ヶ所もロイターの身体を貫く。

 放たれる一撃は、連続して灼熱の痛みをロイターに与える。

 だが、それでもロイターはアンテルムを睨み付けるのを止めない。

 ロイターは貴族ではあるが、戦争に出る為の戦闘訓練のようなものは受けていない。

 当然のようにこうして実際に長剣で貫かれるといったような経験をしたこともない。

 それでも痛みに泣き喚いたり、アンテルムに命乞いをするような真似をしないのは、貴族としてのプライドからだろう。

 目の前にいる、貴族と名乗るのもどうかと思われる相手。

 そんな相手にみっともない真似をしているところを見られるような真似はゾルゲラ伯爵家の者として絶対に出来なかった。


「貴様が何を考えてるのか、私には理解出来ん。だが……このギルムにおいて、このような真似をしたのだ。貴様の未来は決まった。……はは……はは……はははははは!」


 ロイターの口から出た、自分を嘲笑うような笑い声。

 それが気に食わず、アンデルムは次の瞬間には長剣を一閃して他の冒険者達同様に首を切断する。

 周囲に転がっている他の冒険者の首からも、そしてロイターの首からも、激しく血が噴き出す。

 そんな光景を、アンテルムは苛立たしげに眺める。……いや、睨み付けるといった表現の方が正しい。

 だが、その時間もすぐに終わる。

 こうして殺してしまった以上、もうどうしようもない。

 出来るのは、少しでも長くこの一件が知られないようにする為であり……


「つまり、この屋敷の住人は全員邪魔な訳だ」

「ひぃっ!」


 アンテルムの視線が屋敷に向けられると、あまりの光景に固まっていたメイドが悲鳴を上げながら腰を抜かして尻餅をつく。

 それでも何とかしてアンテルムから離れようとするのだが……


「運が悪かったな。……お前は逃げられない。とはいえ、血の臭いは……マジックアイテムで暫く誤魔化すしかないか。死体を片付けるのも面倒だな」


 そう告げ、長剣を一閃してメイドの首を切断する。

 ……ゾルゲラ伯爵家の屋敷の敷地内にいた全ての人間が死ぬまで、十分と懸からなかった。

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