妖精事件

第2422話

「……戻ってきた、という感じがするわね」


 グリムの用意した場所を通り、エルジィンに戻ってきた中でアナスタシアの口から出た第一声がそれだった。

 トレントの森の地下にある空間、ウィスプの存在するこの空間は、アナスタシアにとってもそれなりに慣れた場所だったのは間違いない。

 そうして戻ってきたアナスタシアは、向こうの世界のことを忘れたかのように、ウィスプに近付いていく。

 そんなアナスタシアを眺めながら、レイは他の面々から離れて、壁際まで移動してから小さく呟く。


「グリム、いるのか?」

『ここにいる。どうやら、無事に戻って来られたようで何よりじゃな。目的も果たしたようだし』


 そんな声が聞こえてくるが、レイ以外にグリムの声が聞こえている様子はない。

 このようなことが出来るのも、グリムだからこそだろう。

 直接姿を現さないのは、グリムなりにアナスタシア達に気を遣っているということか。

 グリムにしてみれば、アナスタシアやファナは、以前から知っていた相手だ。

 ……ウィスプの件も、それこそアナスタシア達が夜にこの地下空間から出て行った時は、自分で調べていたくらいには興味を持っていたので、アナスタシア達のことを知っていたのは当然だろう。

 それでいながら、自分の存在をアナスタシアには一切感づかれないようにしていたのだから、その能力の凄まじさはレイにも理解出来る。


『無事に戻って来たようで何よりじゃな』


 そう告げるグリムの言葉は、とてもではないがアンデッドが生きている者に向けるものではない。

 どちらかといえば、それこそ孫に声を掛ける祖父といったところか。

 グリムにとって、レイという存在は色々な意味で特殊な存在だ。

 ……とはいえ、グリムが普通のアンデッドであれば、生きているレイに対してここまで友好的に接するといったようなことはなかっただろう。

 あくまでもグリムが特殊なアンデッドだからこそ、このようなことが出来るのだ。


「ああ、何とかアナスタシア達の件も解決したよ。……それで、ちょっと聞きたいんだけど、今はこの世界と向こうの世界を繋いでるのはグリムの力だよな?」

『うむ』


 レイの言葉にそう返すグリムだったが、どこか得意げな声に聞こえたのは、きっとレイの気のせいではないだろう。


「そうなると、やっぱりグリムがいないとこの異世界間の繋がりは維持出来ないのか?」

『そうなるの』

「……で、グリムは向こうの世界をどうするつもりだ? 実は、向こうの世界にはまだ行ってみたりしたいんだけど」

『ふむ。……やろうと思えば出来るが、儂としてはあまり嬉しい出来事ではないな』

「そうか? グリムも向こうの世界については興味あるんじゃないのか?」


 そうレイが尋ねると、それに対してグリムは沈黙を保つ。

 実際、レイが言うようにグリムにとっても向こうの世界に対して興味はあるのだろう。

 ケンタウロスやドラゴニアスという存在。そして何より、結局のところレイが向こうの世界で動き回ったのは、あくまでも草原の中だけなのだ。

 ケンタウロスから聞いた話によれば、草原の外にも生き物が……相応の文明を持ち、国を作るといったことをしている存在がいるという。

 レイとしては、出来ればそちらにも行ってみたいという思いがあった。

 異世界だけに、レイにとっても未知のマジックアイテムがある可能性があるし……何より、ドラゴニアスの女王という存在を知ってしまった。

 勿論、レイから見てもドラゴニアスの女王は明らかに異常であり、それこそ自分達と同様に異世界から来た相手のようにも思える。

 だが、それでもあの世界にドラゴニアスが姿を現したということは、他にも同じ存在がいないとも限らないのだ。

 そしてドラゴニアスの女王以外に別の場所から来た相手がいて、その相手を倒せば……また、地形操作のレベルが上がる可能性は十分にあった。

 他にもレイにとって未知の技術がある可能性を考えると、ケンタウロス達のいた世界に興味を抱くなという方が無理だろう。


『ふむ、それはつまり……この繋がりをそのまま維持しろと?』

「ああ。向こうの世界に興味があるのなら、グリムにとっても悪い話じゃないだろ? それに……俺は別にグリムにこの繋がりを維持しろとは言わないよ。グリムなら、この世界と向こうの世界を繋がったままに出来るようにするマジックアイテムくらい作れるんじゃないか?」

『……なるほど。異世界間を固定するマジックアイテムか。実は儂もそれを少し考えた』


 やっぱり。

 そんな思いが、レイの中にはある。

 グリム程に優秀なら、別に自分で異世界間の繋がりを維持しなくても、何か別の方法でそれを行うといったようなことを考えてもおかしくはなく、そして最初に思いつくのはやはりマジックアイテムだろう。


「で? そうなると、出来たのか?」

『難しいところじゃな。一応出来たことは出来たが、効果が非常に不安定じゃ。それこそ場合によってはいつ世界の繋がりが途絶えてもおかしくはなく、そして繋がりが途絶えれば再び向こうの世界と繋がるのは不可能に近い』

「それは……また、厄介だな……」


 いつ不安定になるか分からず、もし不安定になったらすぐにグリムが処置をする必要がある。

 ましてや、世界の繋がりが絶たれれば、もう向こうの世界とこの世界が繋がることは出来ない。

 そのような不安定なマジックアイテムを使うくらいなら、グリム本人が二つの世界の接続を維持をしていた方がずっと安心出来るだろう。


「その不安定さを何とか出来ないのか?」

『そうじゃな。……色々と難しい理論があるのじゃが、レイに分かりやすいように言うとすれば、この世界と向こうの世界を繋ぎ止めるには、お互いに何らかの関係のあるものが必要となる。こちらの世界の物に関しては、儂が用意したマジックアイテムで十分なのじゃが、向こうの世界の素材が足りない』

「向こうの世界の素材? それは……どういうのでもいいのか?」

『勿論、何でもいいという訳ではない。相応の……そうじゃな。存在の格とでも呼ぶべきものがある素材が必要となる』


 素材。

 そう言われ、レイは自分のミスティリングに入っている素材のことを思い出す。

 多種多様なドラゴニアスの死体を。……圧倒的に多いのは、やはりレイの使う炎の魔法ですら殺すことが出来なかった赤い鱗のドラゴニアスだが、それ以外の色の鱗のドラゴニアスも、それなりの数、ミスティリングの中に収納されている。


(いや、でも……ドラゴニアスの死体は、翌日になると使い物にならなくなるんじゃなかったか?)


 それが、一番の難関と言えるだろう。

 また、レイはドラゴニアスが自分達とはまた別の世界からやって来た存在ではないかと考えており、その死体から剥ぎ取った素材で異世界間を固定するマジックアイテムが作れるかどうかと言われると、首を傾げざるをえない。

 とはいえ、その可能性がある以上、尋ねてみるのは構わないだろう。

 そう判断し、グリムに向かって――姿は生憎と見えないが――尋ねる。


「ドラゴニアスの死体があれば、どうなる?」

『それは……使えないじゃろう?』

「勿論、普通なら使い道がないのは事実だ。何しろ翌日になれば使い物にならなくなるんだから。……だが、それはあくまでも普通の錬金術師とかならだ。グリムなら、死体を渡せばすぐに素材として使えるんじゃないか?」

『甘い。その時点では素材として使えるかもしれんが、マジックアイテムに使った後でドラゴニアスの素材が使えなくなれば、どうなると思うのじゃ? それこそ普通にマジックアイテムを使うよりも、危険じゃろう』


 レイが考えるような事は、当然のようにグリムも思いついていたのだろう。

 だが、グリムはドラゴニアスの死体の特徴を知っていた為に、レイが言ったことを実行しようとはしなかった。

 しかし、レイはそんなグリムに対して視線を向こう側の世界と繋がっている穴に向ける。


「そうだな。こっちの世界ではドラゴニアスの死体は翌日には使い物にならなくなる。だが……向こうの世界でならどうだ? それなら、ドラゴニアスの死体も普通に使えるんじゃないか?」


 少なくても、レイは向こうの世界でケンタウロスからドラゴニアスの死体が翌日には使い物にならなくなる……といった話は聞いていない。


(精霊の卵が埋まっていた集落の周囲にあった林は……まぁ、あれは色々な意味で特別だしな)


 あの林で殺されたドラゴニアスは、翌日には消滅していた。

 それを考えれば、ドラゴニアスがどうこうといった訳ではなく、あくまでも精霊の卵が埋まっていた場所だからというのが理由だったのだろう。


『向こうの世界でか。……なるほど。儂も世界の繋がりを維持している以上、あまり離れることは出来ん。じゃが、それは逆に言えば多少は離れることが出来るということか。興味深い』


 グリムにとって、レイの言葉は意外なものだったのだろう。

 もっとも、それは突拍子もない意見という訳ではなく、言われてみれば……と、発想の転換で思いつく、コロンブスの卵的な意味での意外さだったが。


「出来そうか?」

『ふむ、試してみよう。ドラゴニアスの死体については、どのくらいの余裕があるのじゃ?』


 死体の数が少なければ、各種実験を行う為にも慎重にやらなければならない。

 慎重にということは、当然の話だが実験の進み具合も遅くなるということであり、そういう意味ではレイにとっては嬉しくない。

 そう判断したレイは、問題ないと頷く。


「死体だけなら、結構な量がある。それに普通のドラゴニアスだけじゃなくて、知性ある……こっちの世界でだと、上位種と呼ぶべきドラゴニアスの死体もあるな」

『ほう』


 上位種という言葉に、グリムは興味深そうな声を上げる。

 実際、もし二つの世界を繋げると言うマジックアイテムを作るのであれば、より性能が高くなるだろう上位種の素材を使ったマジックアイテムの方がいいのは間違いない。


「とはいえ、当然だけど上位種の死体はそう多くはない」


 ……そう告げるレイの様子は、どこか後ろめたいものがある。

 当然だろう。ドラゴニアスの上位種の中で最上級の存在たる七色の鱗のドラゴニアスの死体はそれなりに入手しているが、それ以外の死体となると……何だかんだでかなり少ない。

 だからこそ、今回の一件においてはグリムに多数の上位種の死体を渡せないことに、後ろめたい思いを抱いているのだろう。

 それ以外でも、ドラゴニアスの女王の死体はそれこそ灰まで燃やされてしまい、本当に何も残っていない。

 正確には地形操作のレベルを上げた核だけは残っていたのだが、その核も今は既にない。

 異世界とこの世界を繋げておくマジックアイテムを作るということであれば、それこそ本来なら女王の素材があれば最善の結果だったのだろうが……レイのミスティリングの中には、そのような物は存在しない。


「本当なら女王の……ドラゴニアスの中でも最上位種の女王の死体があればよかったんだけど……悪い」

『構わんよ。レイがマジックアイテムの素材になるような存在をそう簡単に見逃すとは思えん。それはつまり、そうするしかなかったということじゃろう?』

「ああ。強力な再生能力を持っている奴でな。幾ら普通に攻撃しても意味がなかったから、結果としては再生出来なくなるまで徹底的に燃やす必要があった」


 炎帝の紅鎧を使い、それこそ莫大な魔力を持つレイですら枯渇するだけの魔力を使い切り……いや、魔力だけでは足りず、生命力すら使ってようやく倒した相手だ。

 強いという訳ではないのだが、しぶとい。

 そんな、レイにとっては非常に面倒な相手がドラゴニアスの女王だった。


『そうか。……ともあれ、話は分かった。取りあえずマジックアイテムの件は考えておくから、ドラゴニアスの死体を一匹分置いていくといい。ああ、まずは上位種ではなく、普通のドラゴニアスで構わんよ。向こうの世界に死体を置いておき、それで本当の素材として使えるかどうかを確認する必要があるのでな』


 そんなグリムの言葉にレイは頷き……そして他の面々に見えないように、ミスティリングから赤い鱗のドラゴニアスの死体を一匹分取り出す。

 すると、その死体はすぐにレイからは見えないどこかに消えた。

 一体どうなってるのかレイには分からなかったが、それでもグリムが何かをしたのだろうというのは、容易に想像出来た。


「じゃあ、俺達はそろそろ行くから」

『うむ。儂もドラゴニアスの死体を使って、マジックアイテムを作るのを頑張ってみよう』


 そう告げるグリムの言葉に頷き、レイはウィスプを観察しているアナスタシアや他の面々に声を掛けて地下空間を出る。

 ……セトのことをどうするのかといった疑問をファナが気にしていたが、取りあえずその辺は師匠のおかげで何とかなると、多少無理のある誤魔化しをして地上に出ると……


「え?」


 地上に出た瞬間、レイの目の前を掌ほどの大きさの人型の、そして羽根の生えている生き物……妖精が飛んで行ったのを見て、レイの口からそんな言葉が漏れるのだった。

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