第2420話
「では……偵察隊の無事の帰還と、目的としていた女王を倒したことを祝い……乾杯!」
『乾杯!』
そんな言葉と共に、宴に参加していた者達が持っていたコップに入っている酒を飲み干す。
レイもまた、コップの中に入っていた液体を飲み干すが、酒があまり得意ではないレイだけに、コップの中に入っていた液体は山羊の乳だった。
牛乳ではなく、山羊の乳というのは珍しいものがあったが、ケンタウロスにしてみればそこまで珍しい飲み物ではない。……それどころか、一般的な飲み物であると言ってもいいだろう。
そんな山羊の乳を飲み終えると、レイは早速料理に手を伸ばす。
今日は、ドラゴニアスの女王を倒した偵察隊の帰還を祝っての宴であり、これ以後はドラゴニアスによる襲撃を気にしなくてもいいという、一種の開放感を感じながらの宴だ。
実際には、女王を倒した後でこの集落に戻ってくるまでの間、何度かドラゴニアスとの戦いが行われているように、女王を倒したからといってドラゴニアスが全て死んだ……といった訳でもない。
それでもこの集落は、ドラゴニアスの女王のいた場所から考えると、かなりの距離がある。
この集落に頻繁にドラゴニアスを送ってきた拠点も、最初にレイによって潰されている。
そう考えれば、いずれはドラゴニアスはやってくるという可能性はあるのかもしれないが、それでも今の状況を考えると、暫くは無事なのはほぼ間違ない。
現在は宴だということで騒いでいる者達も、その辺についてはそれなりに知っているのだろうが……それでも、今は騒ぎたい気分だったのだろう。
「レイ、ザイさんってそんなに強くなったのか!?」
宴だということで出された料理を楽しんでいたレイは、不意にケンタウロスの一人からそう尋ねられる。
肉を香草と一緒に蒸し焼きにしたという、そこまで手間暇の掛かっていない料理だったが、レイにして見れば一流の料理人が手間暇を掛けて作った料理も好きだが、このような豪快な料理も決して嫌いではない。
そんな料理を食べるのを邪魔されたのは少し面白くなかったのだが、それでもケンタウロスの言葉には素直に頷く。
「ああ。俺達と一緒に偵察隊を結成するってことで、この集落を出て行った時に比べると、間違いなく強くなってるぞ」
おお、と。
レイの言葉を聞いたケンタウロス達の口から驚きの声が上がる。
この集落にいる者にとって、ザイという人物はそれだけ大きな人物だということなのだろう。
だが、次に他のケンタウロスの口から出た言葉はレイにとっても予想外だった。
「なら、俺達もレイやヴィヘラに鍛えて貰えば、ザイみたいに強くなれるのか!?」
「あー……うん。それはまぁ、そうだな。少なくても今より強くなるのは、間違いない」
レイはそう誤魔化す。
何しろ、実際に偵察隊に参加した全員が強くなっているのだ。
そうして実際に証拠がある以上、そのケンタウロスの言葉にレイは頷くしか出来ない。
実際、戦闘訓練というのは鍛えれば誰でもその実力が伸びるのは当然だろう。
そういう意味では、ケンタウロスの言ってることは間違いなく事実だった。
……もっとも、レイやヴィヘラの訓練は、あくまでも死ぬかどうかの模擬戦を繰り返しているからなのだが。
とはいえ、死ぬかどうかというのはあくまでもケンタウロス側が感じていることであって、実際に模擬戦を行っているヴィヘラにしてみればかなり手加減をしているのだが。
「お、おい……」
自分達もザイ程ではないにしろ、強くなれるのではないか。
酒が入っている影響もあってか、気が大きくなっているケンタウロス達に、慌ててザイが声を掛ける。
ザイにしてみれば、レイやヴィヘラのおかげで自分が強くなったのは理解している。いるのだが……それは本当に命懸けの訓練を行っているからこそのものであって、自分や偵察隊に参加するだけの実力や才能の持ち主だからこそだという思いがあった。
そうである以上、この集落にいるケンタウロス……それも、そこまでの強さや才能のないケンタウロスがレイやヴィヘラと模擬戦を行って生き残れるとは思えない。
だからこそ慌てて止めたのだが……酒に酔っている頭では、ザイの心配が伝わることはない。
「何だよ、ザイ。俺達が強くなるのが悪いのか? ドラゴニアスが襲ってきた時、俺達もいれば、ザイの助けになるだろ」
「いや、それは……」
その言葉に、ザイは何も言えなくなる。
実際、その言葉は決して間違っている訳ではない。
もしドラゴニアスの生き残りが襲ってきた時、それに対処する戦力が多ければ多い程……そして、強ければ強い程にいいのは、間違いないのだから。
「レイ……」
困り切ったザイの視線が向けられたのは、レイ。
周囲にいたケンタウロス達の注目がザイに集まったのをいいことに、自分はセトと共に料理を楽しんでいたレイは、ザイの視線を向けて頷きを返す。
料理を楽しんではいたが、周囲の様子にはしっかりと注意を向けてはいたのだ。
口の中にある肉を飲み込むと、料理が美味いということもあってか、笑みを浮かべて口を開く。
「取りあえず、俺達が帰るのは明日の予定だから、明日の朝にでもヴィヘラと模擬戦をさせてみればいいんじゃないか? それで無事に生き残……耐えられれば、素質はあるんだろうし」
「今、生き残ったらって言おうとしたよな!?」
レイの言葉にそう叫ぶザイだったが、レイはそんなザイからそっと視線を逸らしながら、セトの前に料理を取り分けてやる。
そんなレイに向かって、再びザイが何か言おうとした時……ある意味で、ザイにとって一番聞きたくなかった声が聞こえてきた。
「あら、模擬戦? 私は別にいいわよ? 明日の朝でいいのよね?」
「あ、いや、その……ちょっと待ってくれ。こいつらは酔ってるだけで、何も本気でそんなことを言ってる訳じゃ……」
「はぁ? 何を言ってるんだよ、ザイ。せっかく模擬戦をやってくれるって言うんだから、いいじゃないか。よーし、俺も強くなるぞー!」
酔っ払い特有の高いテンションで、ケンタウロスの一人が叫ぶ。
そうなれば、他の酔っている者達も自分で言ってる意味も分からずに、その言葉に同意する。
「そうだそうだー」
「何が何だか分からないけど、そうだぞー」
「うんうん。多分きっとそうなんでしょうね」
そんな言葉を、それぞれが口にしている光景は、まさに酔っ払いの大集合といった様子ですらある。
とはいえ、こうなってしまえばザイも自分が何か言っても聞く様子がないというのは理解出来た。
「全く……どうなっても知らないぞ」
明日の朝、お前達に幸運があらんことを……と、そう願い、もうそれ以上は何も言わないことにする。
「で? 結局私は誰と模擬戦をすればいいの? この集落の全員と?」
「……せめて、希望者だけにしてくれ」
ザイとしては、今の状況ではそれだけ言うのが精々だった。
ヴィヘラも、別に希望しない者に対してまで模擬戦を行うといったようなことは考えていなかったので、ザイの言葉に否と言うようなことはない。
こうして、レイ達は明日にはエルジィンに帰る為に、今日の宴は存分に楽しむのだった。
「ひっ、ひいいいいいいぃっ!」
自分の目の前で止まった拳に、ケンタウロスは悲鳴を上げる。
本来なら、ケンタウロスの頭がある場所は目の前にいるヴィヘラよりもかなり高い位置にある。
跳躍をするなり、もしくは何らかの手段で空でも飛べない限りは、ヴィヘラの拳が顔面のすぐ前に突きつけられる……といったことは、まずない。
だが、馬の下半身の前足を払われた状態となれば、話は違ってくる。
膝が地面についている分、当然のようにケンタウロスの頭は本来の位置より下がっており、ヴィヘラであっても容易に拳を頭部に突きつけるといったような真似は可能だった。
「ほら、悲鳴を上げないの。この程度のことは、まだまだ準備運動よ」
そう言い、ヴィヘラは顔を真っ青にしているケンタウロスを引きずりながら、移動を開始する。
ヴィヘラとケンタウロスでは、その体重差は大きい。
それこそ、数倍といったくらいはあるだろう。
そんなヴィヘラがケンタウロスを引っ張っている光景は、見ている者に大きな驚きを与えるだろう。
……もっとも、今ここにいるのは昨夜の宴会でヴィヘラとの模擬戦を希望した者達と、レイとザイ、セトだけだったが。
最初は見学に来ていたケンタウロスも何人かいたのだが、あまりの光景にそそくさと集落に戻ってしまった。
模擬戦を希望したケンタウロス達は、死んではいない。
また、重傷の類を負った者もいないが、それでも身体中を痛みに襲われており、少し身体を動かすだけで痛みに呻く。
だが……引きずってきたケンタウロスを、他のケンタウロスが集まっていた場所に放り投げると、ヴィヘラは笑みを浮かべながら宣言する。
「さて、一戦目が終わったわ。じゃあ、皆も準備がいいようだし二戦目を始めるわよ」
平気で……それこそ、一瞬の躊躇もなくそう言ってくるヴィヘラに、ケンタウロス達は嘘だろ? といった視線を向ける。
これだけ怪我をしている者がいるのだから、これで模擬戦は終わりだと思っていたところで、出て来たのがこのような言葉だったのだから当然だろう。
「その……身体が痛いんだが……」
比較的怪我の軽いケンタウロスがそう告げるが、ヴィヘラは不思議そうに……本当に不思議そうな視線をケンタウロスに向ける。
その視線は、それこそ空腹になったら何かを食べるのが当然だし、喉が渇けば水を飲むのが当たり前なのに、何故食べないし飲まないのかといったようなことを疑問に思っているかのような、そんな視線。
「何を言ってるの? いつでも万全の状態で戦える訳じゃないでしょ? 戦いが始まったら、いつでもすぐに戦う必要があるんだから。それくらいは分かるでしょう?」
ヴィヘラの言葉は、決して間違いではない。
それは話を聞いているケンタウロス達も分かっていたが、だからといって今の状況で目の前にいるヴィヘラという化け物を相手にしたいかと言われれば、その答えは当然否だ。
十人以上のケンタウロス……それも皆が一定以上の実力を持っているにも関わらず、その全員を一度に相手にしたのに、ヴィヘラは息一つ切らしていない。
それどころか、かすり傷すらも負っていないのだ。
全快の状態でも一切の勝ち目がないというのは明らかなのに、今のこの状況で勝てる筈がない。
だが……
「ほら、どうしたの? そっちからこないと、私から行くわよ?」
ヴィヘラにそう言われれば、ケンタウロス達としてもそのまま待っている訳にはいかない。
このまま黙っていた場合、それこそ体勢も何もないままでヴィヘラに攻撃を仕掛けられることになるのだから。
その辺の事情を考えると、やはりここは無理をしても立ち上がる必要があった。
「おい、やるぞ! このままだと、俺達が一方的にやられて……下手をすれば殺される!」
ヴィヘラが本当に自分達を殺すとは思えない。
思えないのだが、それでも今の状況を考えれば、一方的に殺されてもおかしくはないと、そう思えてしまった。
そう思える程に、ヴィヘラは一方的にケンタウロス達と戦っていたのだ。
……いや、それは既に戦いというよりは蹂躙と表現した方がいいだろう様子だ。
だからこそ、今の状況では下手をしたら自分達が殺されると、そうケンタウロス達は思ってしまったのだろう。
実際には、ヴィヘラに相手を殺すようなつもりは一切なかったのだが。
そもそもの話、ヴィヘラにとってケンタウロス達の実力は思っていた以上に低いものだった。
それこそ、まさかここまで……と。
ヴィヘラは、以前にもこの集落のケンタウロス達と模擬戦をやったことはある。
あるのだが、それでも今よりはもう少し手応えがあったような気がしたのだが……
(気のせいかしら? ……いえ、偵察隊に参加した他のケンタウロス達と同じ感覚でいるからかもしれないわね)
立ち上がり、自分に向かって構えていたケンタウロスに近付きながら、そんなことを考える。
この集落には多くのケンタウロスが集まっているが、それでも偵察隊に参加出来るだけの実力の持ち主は、集落の規模に比べると少ない。
……当然だろう。元々この集落がここまで大きくなったのは、ドラゴニアスに襲われて逃げ出したケンタウロスが合流してきたからというのが大きい。
そして逃げ出したケンタウロスというのは、当然のように女子供や老人といったような戦えない者が多く、結果として非戦闘員が増えるのは当然だった。
とはいえ、非戦闘員は戦闘以外のことで役立っているので、それでどうこう言う者は殆どいなかったのだが。
ともあれ、ヴィヘラは出発の時間まで存分に模擬戦を繰り返すのだった。
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