第2370話

 レイが魔法を使ってから、一時間程が経過する。

 坂の下からは、時折もの凄い鳴き声が響いていたりしたのだが、レイはそれを特に気にするようなことはなかった。

 ……もっとも、坂の下では炎によってドラゴニアスが燃やされている状況である以上、いつ敵が坂から飛び出してくるのかは分からない。

 そうである以上、いつ何が起きてもいいように、しっかりと対応出来るように準備しておく必要があった。

 そうなると、当然の話だがりゆっくり休憩……などということをしている訳にもいかない。

 そういう意味では、この一時間程はかなり暇な時間だったのは間違いない。

 いつヴィヘラが坂を駆け下りていくのかと、そんな疑問を持っていたりもしたが。

 ただ、ヴィヘラもレイの魔法で高熱となっている場所に自分から突っ込んでいくような真似はするつもりがなかったらしく、駆け出したくなるのを我慢しながらも、じっと待つ。

 丘の上では、ケンタウロス達やアナスタシア、ファナといった面々も、じっと地下に通じる坂道を眺めていた。

 ……寧ろ、地下に通じる坂に近付くのは、ヴィヘラよりもアナスタシアの方が可能性が高く、ザイやアスデナはいつでもファナの指示にしたがって動けるように準備をしたいた。


「で? レイ。そろそろ中に入ってもいいんじゃないの?」


 丘の上に視線を向けているレイに、ヴィヘラが尋ねる。

 その口調には強い期待が含まれていた。

 それこそ、もしレイが許可を出せばすぐにでも地下に向かって駆け出しかねない、そんな期待が。


「そうだな。……セト、どう思う? 俺はそろそろ大丈夫だと思うんだけど」


 レイがセトに尋ねたのは、セトがレイよりも鋭い五感を持っているから、というのが大きい。

 そんなセトであれば、地下に続いている坂道の先の部分がどのようになっているのか、分かるのではないかと思ったからだ。

 そして……実際、セトはレイの問いに対して大丈夫そうだよ、と喉を鳴らす。

 セトがそう主張するのなら、レイとしてもそんなセトの感覚を疑うつもりはない。


「分かった。なら、行くか。……ヴィヘラ、これから地下に向かうが、暴走するような真似はするなよ」


 そんなレイの言葉に、ヴィヘラは待ってましたと笑みを浮かべて頷く。


「問題ないわ。向こうで何が起きるのかは分からないけど、こっちも相応に準備をしてるし」

「……いや、何か微妙に会話が噛み合ってないような気がしないか?」


 ヴィヘラの言葉に若干呆れつつも言葉を返す。

 とはいえ、今のヴィヘラの状況では何を言っても意味はないと判断し、改めて地下に続く坂道に視線を向ける。


「じゃあ、いつまでもここにいてもしょうがないし……そろそろ、行くか」


 そうレイが告げると、ヴィヘラは心の底から嬉しそうな笑みを浮かべる。

 ヴィヘラにしてみれば、待ちに待った時間がようやくやって来たと、いうことなのだろう。

 実際、待ち望んだ敵が存在する場所のすぐ近くで一時間近くも待ち続けたというのは、ヴィヘラのような強敵との戦闘を好む者にとっては非常に疲れる時間だったのは間違いない。

 それはレイも知っていたからこそ、今のこの状況でヴィヘラがもの凄いやる気を見せているという様子に納得するしかないのだ。


(それに、あまり時間を掛けると、それこそアナスタシアがやってきかねないし)


 少しだけ、丘の上を見るレイ。

 その視線の先では、アナスタシアが鹿に乗って自分達……具体的には、地下に続く坂道を熱の籠もった視線で見ているというのが、レイにも理解出来た。

 アナスタシアにしてみれば、地下に続く坂道は自分の目で見てみたいという思いが強いのだろう。

 だが、レイにしてみれば、ここでアナスタシアを一緒に地下に連れて行く訳にはいかない。

 精霊の卵の一件で大きく消耗しているというのもあるし、それ以外でも結局のところ、アナスタシアは優れた精霊魔法使いではあるが、あくまでもその程度でしかない。

 これで、アナスタシアがマリーナのように、優れたという言葉では表現出来ない程の技量を持つのなら、地下に連れて行ってもよかったのだが。

 結局のところは優れている程度の技量しかない以上、ドラゴニアスという飢えに支配され、相手を喰い殺すことに躊躇しない存在を相手にした場合、アナスタシアでは勝てないと判断した。

 ……実際、レイがこの世界でアナスタシアを見つけた時も、正面から戦って勝てないと判断したからこそ、鹿に乗ってファナと共に逃げていたのだから。

 ファナが足手纏いになっていたという点もあるのだろうが、それでもやはり正面からドラゴニアスと戦って、アナスタシアが勝てるとは、レイには思えなかった。

 ここにいるのがマリーナであれば、レイも戦闘での心配はいらないので、地下に連れて行くのに不安は抱かなかったのだろうが。


(頼むぞ、ファナ)


 好奇心で暴走するアナスタシアを止める人物に心の中でそう告げると、レイは改めてヴィヘラに視線を向ける。


「行く?」

「ああ」


 短い言葉のやり取り。

 だが、それだけで十分、お互いの意思を確認出来た。


「グルルルゥ」


 セトもレイに鳴き声を上げ、やる気を見せる。

 レイとしては、地下となるとセトの優位性の一つ、空を飛ぶといったことが出来なくなるので、少し心配ではあったのだが……セトの場合は、空を飛べなくても普通にドラゴニアスを蹂躙することが出来るだけの力を持っているし、デスサイズと同様に幾つものスキルを使いこなすことが出来るという点も大きい。

 ……この辺りが、アナスタシアとセトに対する信頼の違いなのだろう。

 二人と一匹は、それぞれいつ何があっても対応出来るようにしながら、坂道を下りていく。

 当然のように、レイはいつドラゴニアスが襲ってきても対処出来るよう、右手にはデスサイズ、左手には黄昏の槍という、いつもの二槍流のスタイルとなっていた。


「うわぁ……地面が完全に焼け焦げてるわね」


 坂道を下りながら、ヴィヘラは半ば呆れの様子でそう呟く。

 自分が魔法を使った結果なのだから、当然のようにレイもその辺は理解していた。

 だが、今の状況を考えると、それを口に出すのはあまり面白くなかったのも事実だ。


「そう言っても、ドラゴニアスがどれだけいるのか分からないんだぞ? なら、雑魚はとっとと燃やしてしまった方がいいだろ」

「グルルゥ?」


 レイの隣を歩いていたセトは、その言葉にそうなの? と喉を鳴らす。

 セトにしてみれば、雑魚がどれだけいても自分なら倒せると、そう思っているのだろう。

 実際、セトの強さを考えれば、それは決して間違いではない。

 いや、雑魚を倒すだけなら、それこそレイやヴィヘラであっても容易に可能だろう。

 ただ、今回はドラゴニアスの本拠地ということで、一体どれだけの数がいるのか分からないからこそ、一網打尽に出来るような魔法を使ったのだ。

 ……広範囲殲滅魔法を得意としているレイの、面目躍如といったところか。


「それにしても……外から見た時も思ったけど、随分とこの坂道は長いな」


 坂道自体の傾斜は、そこまで急ではない。

 これは地下にある本拠地から外に出る時、ドラゴニアスがあまり不便ではないようにという考えからだろう。

 レイもそれは十分に理解していたし、斜面が急ではないということは、その先にあるだろう空間までの坂の長さがかなり長くなっていてもおかしくはないと、そう思ってはいたが……それにしても、十分近く歩いているにも関わらず、未だに坂の終わりが見えてこないというのは、よくこれだけの地下空間を作ったなという思いをレイが抱くのも当然だった。


(地中に埋まっていた精霊の卵を見つけたということは、やっぱりドラゴニアスの親玉は、土の精霊と何らかの関係があるかもしれないな。……それに、蜂や蟻と近い性質を持っていると思ったけど、地下に本拠地を持っているということは、蟻か?)


 そう思うレイだったが、蜂の中には土の中に巣を作る地蜂といった蜂もいるので、土の中にいるからといって、必ずしも蟻ではないと思い直す。


「この感じだと、地下空間はかなりの深さらしいわね」

「だろうな。そもそも、浅い位置に地下空間を作ったりしたら……場合によっては、それこそ崩れる可能性もあるんだ。それを考えれば、深いのは納得出来る。出来るんだが……それにしても、予想していた以上に深すぎる気がするんだよな」


 ヴィヘラに言葉を返しつつも、現在自分達が進んでいる坂道の状況を思えば、レイもまたそんな風に思ってしまう。


「そうね。……でも、こうして歩いている坂道が燃えているおかげか、歩きやすいのは間違いないわね」


 ヴィヘラの言葉通り、坂道は燃やされることによって炭と化してる部分が多く、それが自然と滑り止めの役割を担っていた。

 また、地面が焼けた影響からか、踏む地面の感触がまるで霜柱を踏み潰す時の感触によく似ており、もしこれからドラゴニアスの親玉と戦うのでなければ、十分にこの感触を楽しめたのにと、少しだけ残念に思う。


「この調子だと、ドラゴニアスの大半は燃やされたのか? ……お? ようやくか」


 結局、坂道を下りるのに使った時間は、三十分近く。

 結構な時間を歩き続け、それでようやく坂道の終点となり……そして、ドラゴニアスの本拠地たる地下空間に到着する。


「これは……また……」


 目の前に広がる光景に、レイは唖然とする。

 傾斜が比較的緩いとはいえ、それでも三十分近くも歩いて来たのだ。

 現在自分達がいる場所は、当然のように相応に深い場所ではあると思っていたが……それでも、目の前に広がっている地下空間は、色々な光景を見てきたレイであっても、驚くには十分なものだった。

 天井……正確には地面なのだろうが、そこまでの高さは二百m以上あるのは確実だった。

 また、地下空間そのものも、どこまで続いているのか分からないくらいに広がっている。

 地面の中だというのに、天井までの距離が分かったり、奥行きが分かったりするのは、レイの使った炎の魔法の影響……という訳ではなく、洞窟の壁や天井が淡く光っているからだった。


(ダンジョンでこういう明かりは見たことがあったけど……それと似たようなものか? ともあれ、天井まで結構な高さがある以上、セトが戦うにしても普通に飛んで移動することは出来るか。……天井にぶつからないように、注意は必要だろうけど)


 そんな風に思いつつ、改めて地面を確認すると……そこには、炭となった何かが無数に存在していた。

 いや、何かではなく、ドラゴニアスの死体なのは間違いないだろう。


「この様子を見る限りだと、坂道を下りてすぐの場所でドラゴニアス達は待ち伏せしていたらしいな」

「そのようね。ドラゴニアスにしてみれば、ここまで下りてきた相手を一網打尽にする予定だったんでしょうけど……それが逆にレイの魔法で一網打尽にされてしまったのね」


 しみじみとヴィヘラが呟くが、その言葉で、レイは改めて地下空間の中を見る。

 もしかしたら、レイの使った魔法の炎がまだ残っているのではないかと思ったのだが、地下空間の中に存在する光源は壁や天井が光っているものだけで、炎は存在しない。

 つまり、レイがかなりの魔力を込めて使用した魔法は、既にその効果を消したのだ。


(もう一回……いや、一度消滅したんだし、向こうも何らかの対策を考えている可能性があるか)


 レイが使った魔法の効果そのものは、かなり単純な代物だ。

 何しろ、地面を這うように移動した炎が、その進行方向にあるものを燃やしていくという、それだけの魔法なのだから。


「恐らく指揮官級のドラゴニアスは残っているだろうから、そういう意味ではヴィヘラの希望通りだったんじゃないか?」

「そうね」


 頷くヴィへラだったが、その表情は心の底から納得したようには見えない。

 自分でも納得はするべきだと思っているのだろうが、それでも戦いを好む本能のようなものが、素直に納得することを拒否しているのだろう。

 レイもそんなヴィヘラの態度は理解しているのか、納得していないヴィヘラにそれ以上何も言わず、前に進む。

 周囲の光とレイの視力があっても、敵のいる場所は分からない。

 それ程に、この地下空間は広大なのだ。


(これ、もう一つの大地って言ってもいいような。というか、これだけの広さの地下空間があるのなら、精霊の卵が埋まっていた集落の下までも地下から進むことが出来たんじゃないか? そうすれば、わざわざ集落を襲うなんて真似をしなくても、地下から精霊の卵を入手出来ただろうに)


 これ程に広大な地下空間が存在するのだから、そうレイが疑問を持つのは当然のことだった。

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