第2178話
股間から血を流し、口から泡を吹いて気絶した男。
その男を眺めながら、警備兵が来るのを待っていたレイ。
だが……そんな男を眺めながらも、ギルムに来た時からの違和感がまだ消えていないことに気が付く。
(何でだ? この男が今回の一件の犯人じゃなかったのか? それとも、魔法かスキルかマジックアイテムかは分からないけど、まだ単純に効果が切れてないだけとか?)
あっさりと倒したレイだったが、それはあくまでもレイだからだ。
何しろこの男は、何らかの手段で殺気を消していたとはいえ、レイのすぐ後ろまでやってきて短剣を突き刺すことに成功したのだから。
……とはいえ、結局その短剣はドラゴンローブを貫くことが出来なかったのだが。
それでも、短剣による一撃をレイに与えたというのは、十分に凄い。
そんな凄腕だからこそ、今回の一件はこの男が黒幕だったと言われても、レイには納得出来る。
出来るのだが……同時に、これで終わったと思えないというのも、間違いのない事実だった。
「ふぉふぉふぉ……お客様にご迷惑をお掛けしてしまったようですね」
そんな声に振り向くと、そこには風船のような体型をした、一人の男がいた。
先程までは、その体型とは裏腹の身軽な動きを見せなら、その辺を行ったり来たりしながら十本以上の短剣を使ってジャグリングをしていた男。
その男が、申し訳なさそうな様子で謝ってくる。
もっとも、その顔にはピエロを思わせる化粧がされているので、本当に悪いと思っているのかどうかは、レイには分からなかったが。
実際、この男がジャグリングを失敗し、短剣の一つがレイの近くに刺さったのが、気絶している男がレイに仕掛けてきた切っ掛けになったのだから、大道芸をしていた男が自分の失敗を悪く思うのは、そうおかしな話ではない。
「気にするな。お前の芸は普通に凄かった。あれだけ凄かったということは、少しくらい失敗があってもおかしくはない。……もっとも、人前でやるのならやっぱり失敗をしないで完璧にした方がいいと思うけどな」
「……もうしわけありません」
レイの言葉に再度頭を下げてくる男。
そんな男に、レイはまた気にするなと小さく声を掛ける。
実際に今回の一件に関しては、別にこの男が本当に原因だったという訳ではなく、あくまでも切っ掛けでしかなかったというのが、純粋なレイの感想だった。
そうである以上、この大道芸人の男を責めても仕方がないと判断し、再度気にする必要はないと、そう告げる。
そんなレイの言葉に、風船のような身体付きとは思えないくらい、優雅に一礼する男。
「どうやら、私の行動がこのような結果を招いてしまったようですな」
「そうか? そこまで気にする必要はないと思うけどな。もしお前があの時に失敗していなくても、この男は俺の後ろまで回り込んでいたんだ。それを思えば、結局同じような事になっていたという可能性は否定出来ない」
「……ありがとうございます」
レイの言葉に、男は深々と一礼する。
その様子を見る限りでは、自分の行動がレイに危険な目に遭わせてしまったということを悔やんでいるようにしか見えない。
それだけに、今回の一件では罪悪感を覚えているのだろう。
「ともあれ、大道芸を途中で止めてしまったのは、こっちも悪かったな」
「いえいえ、あのような騒動があるとなれば、しょうがないですよ。……それにしても、よく短剣で刺されたのに無事でしたね。やはり冒険者だと鍛え方が違うんですか?」
「ん? 俺が冒険者だって言ったか?」
「グリフォンのセトを連れているのであれば、それが誰なのかというのはすぐに分かりますよ。……でしょう?」
男の言葉に、レイは納得する。
自分だけで行動しているのならともかく、セトが一緒に行動している以上、そのセトで自分が誰なのかというのは、分かってもおかしくはないのだから。
「そう言われると、納得するしかないな」
「ほっほっほ。セトのような愛らしい存在がいるのであれば、それに気が付くなという方が難しいですしね」
そう言いながら、男はそっとセトに手を伸ばすが……
「グルルルゥ」
自分に手を伸ばしてきた男を、セトは警戒するように喉を鳴らす。
男も、セトが自分を警戒しているというのは分かったのだろう。撫でようとして伸ばそうとしていた手を引っ込める。
「おや、これは……どうやら嫌われてしまったようですね」
「……セトが嫌うというのは珍しいな」
レイが知ってる限り、セトはギルムの中で自分を撫でようとする相手を拒否することは基本的になかった。
もちろん、何らかの理由……例えば、自分に危害を加えたりするような相手の場合は、野生の本能とでも呼ぶべき感覚でそれを察知したりもしていたが……少なくても、レイが見た限り、男がセトに危害を加えようとしているようには見えなかった。
であれば、一体何故セトが男を警戒したのか。
そんな疑問を抱きつつ、一応男に視線を向ける。
風船のような体型をしているが、その体型をものともせず、自由に動くことが出来る。
その身軽さは、短剣のジャグリングをしている時に、これでもかと見ることが出来た。
セトが警戒したのは、その身軽さなのか。
そうも思ったが、単純に身軽であるというだけなら、それこそギルムには大勢いる。
(そうなると……もしかして、この体型で身軽だったのがセトには許容出来なかったのか? うーん、でもセトに限ってそういうのが有り得るのかどうか)
そんな風に考えていたレイだったが、ちょうどそのタイミングで声を掛けられる。
「おい、レイ。お前刺されたって話だったけど、無事なのか!?」
緊張した様子でそう声を掛けてきたのは、こちらにやって来た数人の警備兵のうちの一人。
同時に、レイがギルムに入る時に手続きをして貰い、今日のギルムに何か違和感があると話した人物だった。
レイから、もしかしたら何らかの騒動が起きるかもしれないという話を聞いていたその警備兵は、だからこそレイが刺されたと聞いて、こうして急いでやって来たのだ。
そんな警備兵に、レイは問題ないと口を開く。
「心配するな。刺されたのは刺されたけど、ド……このマジックアイテムのローブを着ていたおかげで、全く問題なかった」
ドラゴンローブと口に出すのを何とか止め、そう誤魔化す。
ドラゴンローブという名前を聞けば、当然のように竜を想像するだろう。
ここのように大勢が集まっている状況で……更には、自分に対して暗殺してくる者が他にもいる可能性の高い場所で、まさかそんなことを口に出来る筈もなかった。
これが警備兵だけなら、もしかしたらドラゴンローブについて説明していたかもしれないが。
「そうか、ならよかった。……にしても、まさかレイが言っていた違和感がここまで命中するとはな。正直、予想外もいいところだ」
「ああ。そして……まだ終わってない」
「……何?」
レイを襲った男がこうして気絶――というには凄惨な有様だが――している以上、襲撃はもう終わったのではないかと、そう警備兵は思っていた。
だというのに、まだ襲撃は終わっていないというレイ。
警備兵はレイに鋭い視線を向け、話の先を促す。
「どういうことだ?」
「簡単なことだよ。俺がギルムに入った時の違和感……これがまだ消えた様子はない。こうしている今も、違和感はそのままだ。もしその男があの違和感の正体なら、それはおかしいと思わないか? ……まぁ、マジックアイテムの類でこの違和感を演出しているのなら、分からないでもないけど」
マジックアイテムの中には、あらかじめ時間を決めてその時間までマジックアイテムの効果を発動させ続けるという機能を持っているものもある。
レイの印象でいえば、タイマー機能だ。
その手の機能のあるマジックアイテムであれば、使用者が気絶してもまだ効果が発揮していてもおかしくはない。
(とはいえ……)
ざっと気絶している男を見るが、特に何らかのマジックアイテムを持っているようには思えない。
勿論、ざっと見ただけである以上、レイに見つからないように持っているという可能性は否定出来ないのだが。
「そうか。そうなると、こいつからは色々と情報を聞き出す必要があるな。……その前に、治療が必要だが」
警備兵はそこでようやく気絶している男をしっかりと確認したのだろう。
股間から血を流し、口から泡を吹いている男を見て、少し引き攣った表情でそう呟く。
警備兵も男である以上、股間を蹴られることがどれだけの激痛なのかは知っている。
それだけに、気絶している男を見て、自分がこのような目に遭ったら……と、そう思ってしまったのだろう。
「お前……よくこんな真似が出来たな。お前も男だろ? なのに、よくもまぁ……」
「そう言われてもな。大道芸人の芸を見てる中で、いきなり襲われたからな。今はともかく、その時は周囲に大勢の観客が……あれ?」
警備兵に説明しながら、先程の大道芸人に事情を説明して貰おうとしたレイだったが、ふと気が付くとその大道芸人の姿はどこにもない。
警備兵と話す前までは、普通にレイと話していたというのに。
「どうした?」
「いや、ついさっきまでここに大道芸人がいたんだけど……いつの間にかいなくなってる」
「ああ、そう言えばいたな。あの……何と言えばいいのか。そう、丸い奴」
「そうそう、そんな感じ」
丸いという表現に同意しながらも、あの大道芸人は何か警備兵と関わり合いになりたくない理由があるんだろうなと、納得する。
辺境にあるギルムは、様々な事情を持つ者が集まってくる。
そんな中には、当然のように後ろ暗い何かがあってもおかしくはない。
(まさか、あの大道芸人もこの暗殺者の仲間だったり……いや、ないか?)
セトが警戒していたり、大道芸人のジャグリングが失敗したのが切っ掛けとなって男が行動に移ったのは間違いないが、それでもレイが見た感じで気絶している男の仲間ではないと思えた。
もし仲間だとすれば、それこそ気絶している男を助けていったり、もしくは余計なことを喋らないように口封じをするといったことをしてもおかしくはない。
そのような行為をしていなかったのを考えると、やはり男の仲間だとは思えなかった。
「ともあれ、出来ればこの男からも色々と事情を聞き出してくれ。……もっとも、まだ違和感がある今の状況を考えると、また新たな情報源がやって来る可能性は否定出来ないが」
「こういう時、何て言えばいいのか迷うな」
暗殺者に狙われているのに、それを脅威と感じず情報源としか思っていないレイ。
正直な話、もし警備兵が同じような状況になったら、ここまでリラックスした状況でいられるとは思えない。
(冒険者と……いや、レイと自分を比べるのが間違ってるのか)
異名持ちの冒険者と、一介の警備兵でしかない自分。
その違いを考えれば、そこに大きな差があるのは当然だった。
「ともあれ、気をつけてくれよ。レイとセトはギルムでも重要人物なんだからな。特にセト」
「そこは俺って言って欲しかったな」
警備兵にそう返すが、レイもまたセトがギルムで果たしている役割が大きいというのは、理解している。
マスコットキャラ的な存在のセトの効果によって、多くの者が活気に満ちているのだ。
また、セトに顔向け出来ないようなことはしないようにと、悪事に走らない者もいるし、セトが街中を歩き回って何らかの悪事を働いている者を止めたりといった真似もしている。
セトの噂を聞いて、セトに会いたいからとやって来る者も多い。
ランクAモンスター……いや、様々なスキルを使いこなすことから希少種で、ランクS相当のモンスターと認識されているセトだけに、研究者や錬金術師にしてみれば、是非セトに会ってみたいと思うのは当然だろう。
ましてや、セトは人の言葉を理解し、性格も大人しい。
少なくても、問答無用で人を襲うような野生のモンスターとは大きく違う。
「グルゥ?」
そんなセトは、自分の名前が呼ばれたことで、どうしたの? と小首を傾げる。
レイを襲おうとした……いや、正確には襲った相手を前もって見つけることが出来なかったことで、若干ショックを受けていたのだが、今は幾らか持ち直したらしい。
近づいて来たセトの頭を撫でながら、レイは口を開く。
「違和感がまだある以上、まだ伐採した木を持っていくのは無理だから、もう少し歩いて回るぞ」
「グルゥ!」
レイの言葉に、嬉しそうに鳴き声を上げるセト。
セトにしてみれば、今回はレイを狙う相手を自分で見つけることが出来なかったので、次こそはと、そう思っているのだろう。
レイはそんなセトの様子に笑みを浮かべながら、警備兵に別れを告げてその場を去るのだった。
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