第2148話
「きゃあっ!」
夕暮れの小麦亭から出た瞬間、アナスタシアの口からそんな悲鳴が漏れた。
……とはいえ、その悲鳴は恐怖からの悲鳴ではない。
寧ろ、喜びに満ちた悲鳴と言ってもいい。
アナスタシアの視線の先には、子供や大人、老人、男女が集まっている。
人間だけではなく、獣人やドワーフといった者も多い。
そんな者達の中心にいたのが、寝転がっているセトだった。
何人もからサンドイッチや串焼きといった料理を貰い、嬉しそうにそれを食べていたのだが……そんなセトを見て、アナスタシアの口から嬉しげな悲鳴が上がったのだ。
「あー、俺については知ってるんだよな? なら、セトについてもダスカー様から聞いていた筈じゃないのか?」
アナスタシアにそう尋ねるレイだったが、肝心のアナスタシアはそんなレイの言葉がまるで聞こえていないかのように、セトに向かって突っ込んでいく。
いきなり姿を現したアナスタシアに、セトの周囲で楽しんでいた者達は驚く。
当然だろう。滅多に見ることができないような美女が、いきなり自分達に向かって突っ込んできたのだから。
慌ててアナスタシアの進行方向にいた者達が場所を空ける。
……中にはそのままアナスタシアとぶつかり、それを切っ掛けにしてお近づきに……といったことを考えている者もいたのだが、それが実行に移されるよりも前に、近くにいた者がその身体を引っ張って、アナスタシアの進行方向から退避させる。
「グリフォン……長く生きてるけど、また見ることが出来るとは思わなかったわ」
セトを眺めながらそう告げるアナスタシアの言葉に、レイは反応する。
また、と。アナスタシアは今そう言ったのだ。
つまりそれは、以前にグリフォンと遭遇したことがあることを意味している。
ましてや、アナスタシアはダスカーが信頼している学者で、ウィスプを見て貰おうとしているのだ。
つまり、それだけモンスターに詳しいということになる。
(あれ、これってやばいんじゃ?)
そんなレイの疑問は、次のアナスタシアの言葉によって証明される。
「……あら? 貴方、本当にグリフォン? いえ、外見はグリフォンだけど、私が知ってるグリフォンとは大きく違うわね」
訝しげな様子のアナスタシアに、レイは咄嗟に口を挟む。
「そりゃそうだろ。セトはただのグリフォンじゃない。多種多様なスキルを使いこなす希少種だ」
取り合えず、普通のグリフォンと違うというのは、希少種であるということで誤魔化す。
セトはレイが魔獣術で生み出したグリフォンであり、当然のように普通のグリフォンとは違う。
だが、そもそもグリフォンはランクAモンスターで、普通の者ならまず見ることが出来ない相手だ。
それだけに、普通のグリフォンと違っていても見分けることは出来ない。
アナスタシアがそれを見抜けたのは、本人がモンスターに詳しい研究者であり、エルフとして長い間生きているので、偶然グリフォンに会ったことがあるというのが大きかった。
「へぇ、そうなの。希少種って、それこそ種族ではなくて個体ごとに違うから、それを考えるとグリフォンの希少種なんて凄く珍しいわよ?」
そんなアナスタシアの言葉を聞き、レイは安堵する。
今の様子からすると、セトを希少種のグリフォンであると認識しているように思えた為だ。
そんなアナスタシアの説明を聞き、周囲にいた他の者達も納得したような表情を浮かべる。
最初はいきなり突っ込んできたアナスタシアに面白くない思いを抱いている者もいたのだが、セトを従えているレイが特に怒る様子もなく、普通に話しているのを見ていると、レイの知り合いなのだろうというのは予想出来た。
そうして二人の話に耳を傾けていれば、セトについて説明しており、恐らく研究者か何かなのだろうというのは、容易に予想出来る。
……そんな中で、大人の男の何人かはアナスタシアの美貌に目を奪われている者も多かったが。
「セト、よかったな。お前は珍しいらしいぞ」
「グルゥ? ……グルルルゥ!」
自分が褒められたと理解したセトは、嬉しそうに喉を鳴らす。
セトにしてみれば、自分が褒められるというのは嬉しい。
そしてレイに、凄いでしょ! と自慢するように顔を擦りつける。
「……ここまで懐くなんて……ねぇ、レイ。貴方はどうやってこのグリフォン……セトだったわね。そのセトを従魔にしたの?」
「え? ああ。セトは俺が子供の頃から育てたんだよ。ずっと一緒に育ってきたから、自然とお互いのことを分かり合えるようになった」
「……そう……」
レイの言葉に頷いたアナスタシアは、少しだけ戸惑った様子でレイとセトを見比べる。
実際にレイとセトが分かり合っているのは、こうしている今の様子を見れば明らかだ。
だからこそ、アナスタシアが少しだけではあっても戸惑った様子を見せたことに、レイは疑問を抱く。
(何か説明が間違ったのか? いや、そんなことはないと思う。けど、なら何でアナスタシアはああして戸惑った様子を見せた?)
レイが師匠の下で暮らしていた子供の頃から、セトはずっと一緒だった。
だからこそセトはレイに懐き、従魔として一緒にいる。
それは、レイがギルムに来てから何度となく口にした説明であり、ギルムにいる者の多くはそんなレイの説明を聞いたことがあってもおかしくはなかった。
だが、今レイの説明を聞いたアナスタシアは、間違いなく不思議そうな表情を浮かべたのだ。
何故そのような表情を浮かべたのかは、レイにも分からない。分からないが……もしかして、自分は何か本来なら言ってはいけないことを口にしたのではないか?
そう思いながらも、レイはアナスタシアに話し掛ける。
最悪、アナスタシアがレイとセトについて何かに気が付いたとしても、このような人の多い場所で口にして欲しくはなかったからだ。
そんなレイの気持ちを理解した訳でもないのだろうが、アナスタシアはレイの言葉に頷く。
「分かったわ。じゃあ、いつまでもこうしていられないでしょうし、そろそろ行きましょうか。……それにしても、どうやって目的地まで行くの?」
「セトに乗ってだな。……まぁ、アナスタシアがどうしても嫌なら、馬か馬車に乗ってという手段もあるけど……」
「セトでお願いするわ」
レイの言葉が言い終わるよりも前に、アナスタシアはそう告げた。
よほどセトに乗ってみたいと、そう思っていたのだろう。
モンスターに詳しい研究者としては、ある意味で当然の結果ではあったが。
それでも今の一連の出来事を考えると、レイは少しだけ警戒してしまう。
とはいえ、レイとしてもトレントの森にいるウィスプのことを調べる必要がある以上、アナスタシアを連れていかないという選択肢は存在しないのだが。
「分かった。じゃあ、行くか。……ほら、乗れよ」
「ええ」
レイとアナスタシアの言葉を聞いていて、レイ達が何をしようとしているのか理解したのだろう。
セトは寝転がっていた状態から立ち上がり、レイとアナスタシアの前で乗りやすいように身を屈める。
レイとアナスタシアはそんなセトの背に跨がった。
セトの周囲にいた者達の中で何人かは残念そうな表情を浮かべていたが、レイとセトがこれから仕事だというのはわかっているので、まだ行かないでといったことを口にする者はいない。
……子供の何人かは、それでも何かを言い掛けていたが、セトが喉を鳴らすとそれ以上は何も言わず、黙って手を振る。
「グルルルゥ!」
そんな風に鳴くと、セトはレイとアナスタシアを背中に乗せたまま、正門に向かう。
ここはギルムなので、当然のように街中を全速で走ったりはしないが。
……軽快に早歩きをするセトは、ギルムの中ではそこまで珍しくはない。
だが、それで多くの者の視線を集めたのは……セトの背に乗っているのが、レイとアナスタシアだったからだろう。
これが、エレーナ、アーラ、ヴィヘラといういつもの面子……もしくは、アーラやビューネであれば、そこまで視線を集まることもなかっただろう。
だが、今回レイの後ろに乗っているのは、それらの誰でもない……このギルムにいる者の大半が初めて見るエルフだ。
それもただのエルフではなく、知的美人と呼ぶに相応しい容姿をしている相手。
そしてレイがそのような人物と一緒にいることに、驚いた者が多い。
エレーナとの関係については知らない者も多いが、マリーナとヴィヘラの二人とは同じパーティを組んでいる。
情報に詳しい者であれば、レイがマリーナの家に出入りしているということを知っている者もいるだろう。
それだけに、新しい美人と一緒にセトの背中に乗って歩いているというのは、当然のように目立つ。
「くそっ、何でだ……何でレイばっかり……」
「全くだ。もう……そう、こう何ていうか……妬ましい」
「それは否定しない。けど、レイと一緒にいるのは元ギルドマスターのマリーナと、戦闘狂のヴィヘラだぞ? 幾らとんでもない美人だからって、ああいう癖の強い……いや、癖の強すぎる美人と一緒にいるってのは、色々と大変そうだと思うけどな」
話していた二人の男は、友人の言葉に確かにと深く納得してしまう。
マリーナにしろヴィヘラにしろ、どちらも一晩のお相手をするのなら大歓迎ではあるが、付き合うとなると、色々な意味で大変になるのは間違いない。
個性的と言えば間違いないが、アクが強いと言ってもいい性格をしている。
そのような二人とパーティを組んでいるレイは、ある意味で凄いと、そう思わざるを得ないのは事実だ。
……見ず知らずの相手に羨ましがられたり、同情されていることに全く気が付かないまま、レイはアナスタシアと共に正門に向かって歩き続けるのだった。
「あ」
ギルムの正門から出て――当然のように出る時も一悶着あったが――トレントの森に向かっている途中、不意にレイが声を上げる。
「どうした?」
レイの声が聞こえたのだろう。セトに乗ることが出来、それもセトが疾走するのに満足そうな様子だったアナスタシアが尋ねる。
だが、レイは背後から聞こえてきた事に首を横に振った。
「いや、何でもない」
まさか、今日ギルムに行く途中で襲撃されて、ここに結構な数の死体があった筈などということは、言わない方だいいだろうと判断して誤魔化す。
何も言わなければ、ここに死体があったことなど思いもしないだろう。……いや、所々に血の痕跡が存在するので、鋭い者ならここで何かあったと気が付くかもしれないが。
幸いなことに、レイの後ろにいるアナスタシアはセトに乗っていることが嬉しいらしく、周囲の血痕に気が付いた様子はない。
あの時にやって来た警備兵達が、生きている者は捕らえ、死体となっていた者はここから運んでいったからだろう。
「セト、樵や護衛の冒険者達に見つかりたくない。会わないコースで頼む」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは任せて! と鳴き声を上げ、そのままいつもとは違う方向に向かう。
樵達がいない場所から、森の中に入るのだ。
そうしてトレントの森の中に入れば、アナスタシアもエルフだけに、セトの乗り心地だけではなく周囲の様子にも視線を向け始める。
「この森は……」
言葉を途中で切ったアナスタシアだったが、その続きはレイも分かる。
トレントの森は普通の森ではないと言いたいのだろう。
実際、短期間でこのような森が出来たというのを考えれば、これは決してアナスタシアの思い違いではない。
森やセトに気を取られているせいか、遠くに見える生誕の塔にアナスタシアが気が付いた様子はなかった。
「って、ちょっと! 速度落とさないの!?」
トレントの森の中に入っても、全く速度を落とさないセト。
普通なら木にぶつかってもおかしくはない速度なのだが、セトはそんなのは関係ないと、木々の間を縫うようにして移動していく。
全く木にぶつかる様子がないことに、最初はアナスタシアも怖がっていたのだが、数分もすると落ち着いてくる。
とはいえ、それはあくまでも表面上はそう見えるというだけなので、実際どうなっているのかは分からないが。
そのまま数分が経過し、やがてレイ達は目的の場所に到着する。
「……ここ? 何もないように見えるけど?」
「マリーナ……俺の仲間の精霊魔法で、入り口が隠されてるんだよ」
精霊魔法と聞き、アナスタシアが少しだけ興味深そうに周囲を見る。
やはりアナスタシアもエルフだけあって、精霊魔法を使えるのだろう。
だが、その興味深そうな様子は数十秒で終わる。
すぐに驚き……そして難しい表情に変わり。一分をすぎた頃には諦めたように口を開く。
「駄目ね。精霊魔法で隠されているのなら、私にも分かるかと思ったんだけど。……これをやった人、よっぽどの腕利きね。マリーナって言ったかしら?」
お手上げといった様子を示すアナスタシアに、レイは頷くのだった。
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