第2079話

 セトよりも大きな鹿の肉だったが、レイ以外にも冒険者と騎士、リザードマン。……そして何より、ガガとセトという存在がいる為に、そのほぼ全てが食いつくされることになった。

 一応ということで、エレーナやマリーナ、ヴィヘラ、アーラ……そして何よりもビューネへのお土産ということで、それぞれの部位をある程度残してはいるのだが……


(いや、まさか鹿のタンがあんなに美味いとは思わなかったな)


 食後のデザートとして冷えた果実を食べているレイは、焼き肉で食べた鹿のタンが予想以上に美味かったことに驚いていた。

 タン独特の食感はありながら、それでいて柔らかさとでも言うべきものもある。

 そんな鹿のタンは当然のように皆に人気で、お土産分を確保することは出来なかった。


(ビューネには……取りあえず鹿のタンなんて食べ物はなかったってことにしておこう。幸い、ガガはまだ言葉を喋れないし)


 ゾゾがいれば、もしかしたら情報が漏れた可能性もある。

 だが、ゾゾは何かあった時の通訳係として生誕の塔に残ることに決まっていた。

 だからこそ、レイはビューネに鹿のタンの情報が伝わることはないと判断していたのだが……


「鹿、タン」

「……え?」


 不意に聞こえてきた声にレイが視線を向けると、そこにはガガの姿がある。

 そして、ガガはレイを見ながら再び口を開く。


「鹿、タン」


 今の言葉は、間違いなくガガの口から出たと知ったレイは、頭を抱えた。

 ガガが言葉を覚えてくれたのは嬉しい。嬉しいのだが……それでも、何故よりによってそれなのか、と。


「鹿、タン」


 その言葉の発音が気に入ったのか、ガガの口からは同じ言葉が続く。


「ゾゾ、ガガに何でそんな単語を……いや、いい」


 何でそんな単語を覚えたのか聞こうと思ったレイだったが、今の状況でそんなことを聞いても意味はないと判断した為だ。

 実際、ガガにしても特に何か理由があってその単語を覚えたのではなく、何となく覚えやすかったからといったような理由からだろうと、レイにも理解出来た。


『レイ様?』

「何でもない。ただ、そうだな。次に鹿を獲ることがあったら、その鹿のタンはお土産として持って帰るとするよ。ああいう鹿がまた出て来るとは限らないけど」


 はぁ、と。

 そんな溜息と共に、レイは視線を周囲に向ける。

 鹿の焼き肉という、豪華な……それこそ、街中の食堂で食べるよりも豪華な昼食を終えた面々は、その多くが満足そうな様子を見せていた。


(士気って意味でなら、間違いなく上がったな)


 そのことに満足すればいいのか、それとも呆れればいいのか。

 若干迷いながらも、取りあえず喜んでおけばいいだろうと判断したレイは、改めて周囲を見回す。

 喜んでいるのは、リザードマン達も同様だった。

 少し前までの必要以上に緊張した様子は、そこにはない。

 リザードマン達にしてみれば、冒険者や騎士といった者達も一緒に生誕の塔を守ってはいるが、それでもやはり許容出来ないという気持ちがどこかにはあったのだろう。

 だが、一緒に焼き肉を食べたこと……いわゆる、同じ釜の飯を食ったことにより、ある程度は信頼出来ると判断したのだろう。

 実際にはすぐに全てを信頼した訳ではなく、ある程度一緒の時間をすごしたことや、ガガやゾゾといった皇族が信用している様子を見せている、というのも大きいのだが。


(とはいえ、本気で焼き肉の臭いをどうにかする必要がありそうだな。……一応、ある程度時間が経てば、風で臭いは散ると思うけど)


 ここがトレントの森の中なら、木々に邪魔されて風もそこまで吹かないだろう。

 だが、生誕の塔が転移してきたのは、トレントの森と隣接する場所だ。

 周辺に隣接しているトレントの森以外に木々は生えておらず、風を遮るものがないので、周辺に漂っている焼き肉の臭いはすぐにでも散らされる筈だった。


「ま、何とかなるか」

『何がですか?』

「この臭いにモンスターや動物が惹かれてやって来るよりも前に、風で臭いは散ると思ってな。もしくは、血抜きや解体した場所に集まるかもしれないし」


 レイの言葉に、ゾゾは納得したように頷く。

 肉を焼く匂いというのは、食欲を刺激する。

 それに釣られて、モンスターや動物がやって来るという可能性は決して否定出来ないことだった。


『ですが、普通ならセトの存在に気が付いて逃げ出すのでは?』

「その可能性もあるだろうけど、食欲に負けた相手ならその辺を考えないでセトに攻撃するとか、しそうだし。……それにモンスターの中には、強さを理解出来ないような奴もいる。ゴブリンとかな」


 モンスターとしては圧倒的な弱者と呼ぶに相応しいゴブリンではあったが、頭の悪さという点でも同様だった。

 本能に忠実な割には、セトに対して本能から強者ということを感じて戦わずに逃げ出すといった真似をせず、それどころか好んで攻撃を仕掛けるような真似すらする。

 そして攻撃をして反撃を受けると、そこでようやく自分が勝てる相手ではないと知り、逃げ出すのだ。

 それは、モンスターとしてどうなんだ? とレイも思わないでもないが。


「ともあれ、鹿のタンについての話は、出来ればマリーナの家で話さないで欲しいんだけどな。ガガには何か別の言葉を覚えて欲しい。……何を覚えさせればいいんだろうな」


 背ロースでも覚えさせるか、とレイはミスティリングの中にあるお土産を考えながらそんな風に告げる。

 実際に背ロースの部位は柔らかくて十分に美味かったので、ガガがそれを言うのならお土産の期待を上げるという点では寧ろありがたい。


『ガガ兄上に、そう言いましょうか?』

「いや。そこまでする必要はない。ガガもあんな風に言ってるのは今だけなのかもしれないし。……ここで下手に隠すような真似をしたら、それこそ後でビューネに知られたらもっと不味いことになるだろうし」


 ここでビューネの名前が出て来たのが、レイがどう考えていたのかを如実に表している。


『分かりました。では、午後からは生誕の塔の護衛をするということでいいでしょうか?』

「そうしてくれ。こちらとしても、周囲の様子をしっかりと確認する必要があるしな」


 ゾゾに答えつつも、恐らく今日は傭兵が襲ってくることはないだろうと予想する。

 特に何か根拠があっての予想ではなく、単純に勘に従ったものだ。

 昼食となった鹿のように、何らかのモンスターや動物が襲ってくるという可能性は否定出来ないが。


(そう言えば、あの鹿の角。かなり立派だったけど……使い道は特にないよな。飾りくらいか?)


 これがモンスターであれば、角が何らかの素材になったりすることもあるのだが、モンスターではない普通の――その大きさは規格外だったが――鹿の使い道というのは多くはない。


(あ、でも日本にいた時に見たTVで、漢方薬として鹿の角を使うってのがあったな。本当に漢方薬に薬効成分があるのかどうかは分からないけど、薬師に持ち込んでみるか?)


 漢方薬という言葉は知っていても、実際に使ったことはない。

 だからこそ、鹿の角が本当に効果があるのかどうかというのは分からなかったが、薬師なら薬を作る専門だけに使い道があってもおかしくはなかった。

 また、一mもある立派な角だっただけに、もし薬としての効果が期待出来ないのであれば、マリーナの家に飾ってみても面白いと考える。

 マリーナがそれを喜ぶかどうかは、また別の話ではあったが。

 角の使い道を考えている間にも休憩の時間はすぎていき、やがて午後からの仕事となる。

 当然の話だが、昼休憩だからといって全員が休んでいた訳ではない。

 護衛である以上、それは当然の話だろう。

 半分程が休憩している間、もう半分程はしっかりと周囲に異常がないかどうかを警戒していた。

 鹿を捌いた冒険者や、その肉を焼きながらセトの世話をしたりといったレイは交代をせずにずっと休憩していたが。


「じゃあ、セト。お前も周囲の警戒を……」


 してくれるか?

 そう言おうとしたレイだったが、リザードマンの子供達がじっと期待の視線で自分を見ているのに気が付く。

 何を期待しての視線なのかは、セトと話していたときのことを思えば何となく分かった。

 リザードマンの子供達が、セトが鹿を倒した時にその背中に乗っていた者ではないというのも、理解出来る。

 リザードマンも、身体に微かな模様がついていたり、身体の動かし方といったもので見分けが可能だ。

 あくまでも判別しやすい特徴を持っているリザードマンに限っての話だが。

 そして、レイが見たところでは全員がそうだと決められる訳ではないが、それでも見分けのつくリザードマンに限っては午前中に鹿を獲ってきた時、セトに乗っていたリザードマンの子供はいなかった。

 まだセトに乗ったことがなかったリザードマンの子供が見ているということは、何を希望しているのかは予想出来る。


「セトの背中に乗りたいのか?」


 身振り手振りで尋ねると、リザードマンの子供達に話が通じたのだろう。

 目を輝かせて、それぞれが頷く。

 自分達がやりたいことだったというのも、レイの身振り手振りを理解出来た理由だろう。

 そんなリザードマンの子供達を見ながら、レイはどうするべきか迷う。

 セトの背に乗るのはいい。

 だが、その状況でトレントの森を歩かせてもいいものか。

 セトの能力があれば、よほどのことがない限り安心ではあるのだが……背中に乗っているのがリザードマンの子供だけに、何かをやらかす可能性は十分にあった。


「ゾゾ、ちょっと来てくれ!」


 レイが呼ぶと、ガガと共にリザードマン達に何らかの指示を出していたゾゾがやって来る。


『何でしょう?』

「この子供達がセトの背中に乗ってトレントの森に行きたがってるようなんだけど、行かせて問題はないと思うか?」

『そう、ですね。問題はないと思いますが……少々お待ち下さい』


 そう言い、ゾゾは子供達に話し掛ける。

 その様子から、明らかに注意をしているのだということがレイにも理解出来た。

 数分が経過し、やがてゾゾは再びレイに話し掛ける。


『子供達にはセトの背中で暴れたり、勝手に降りたりしないようにと言い聞かせたので、問題はありません』

「そうか。じゃあ、このまま行かせるけど問題はないよな?」

『はい』


 ゾゾが頷いたのを見て、レイはセトにリザードマンの子供達を背中に乗せて、トレントの森の見回りをしてくるように頼む。

 ……その頼みの中には、若干、本当に若干ではあったがまた何らかの獲物を獲ってきてくれないかな、という狙いもあった。

 もっとも、そちらはあくまでも出来ればといった程度でしかない。

 獲物を獲るよりは、背中のリザードマンの子供の安全を最優先して欲しいというのが、正直なところだ。

 嬉しそうに騒ぎながら、リザードマンの子供達はセトの背中に乗る。

 それでも全員が乗ることは出来なかったので、取りあえずは半分ずつということになった。

 残ったリザードマンの子供達は羨ましそうな視線をセトに乗った仲間達に向けているが、それでも騒いだりはしない。

 ゾゾがしっかりと言い聞かせたおかげだろう。


「悪かったな。助かった」

『いえ、レイ様に喜んで貰えて、何よりです』


 そう言うと、ゾゾはガガのいる方に向かう。

 いつもならレイの側にいることを最優先にするゾゾなのだが、今はガガと共に勉強をしている。

 石版がなくても、しっかりと会話が出来るようになりたい。

 そうなれば、もっとレイの役に立てると、そう思っての行動だった。

 レイもそんなゾゾの行動に思うところがない訳でもなかったが、本人が満足するのであれば、と。何かを言うつもりはない。


「さて、そうなると……後は暇な午後になりそうだな」

「って、おい。また傭兵が襲ってくるかもしれないんだぞ? なのに、暇ってのは、どういうことだよ?」


 レイの独り言を聞いた冒険者が、少し焦った様子で告げる。

 冒険者にしてみれば、自分で直接傭兵の襲撃を体験している分、レイの言うようにゆっくりは出来ないのだろう。

 そんな冒険者を落ち着かせるように、レイは口を開く。


「そう言ってもな。お前だってさっき焼き肉を食べただろ? それで十分にゆっくりしていると思うが? それに、セトがいる以上は誰かが近づいてきてもすぐに分かるし」


 ぐっ、と。

 冒険者の男は、レイの言葉に言い返せない。

 実際に焼き肉を食べている時に気が緩んでいたのは間違いのない事実なのだから。


「そんな訳で、取りあえず今はそこまで心配する必要はないだろ。それに、もしここに誰かが来ても、この戦力がいればどうとでも対処出来るだろうし」


 それは、間違いのない事実でもあった。

 元々ここにいるのは腕利きの冒険者や騎士で、更にそこにガガやゾゾ、レイ、セトといった者達がいる。

 また、普通のリザードマンもここにいる以上、並大抵の相手が襲ってきても対処するのは難しくはない。

 冒険者もそのことは知っていたのだが、それでも心配性な為か周囲を注意深く見回すのだった。

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