第2057話
マリーナの操る水の精霊は、十人以上の怪我人達に纏わり付いていた。
腕を怪我している者は、腕に。
足を怪我している者は、足に。
胴体を怪我をしている者は、胴体に。
そのように、様々な場所に水が纏わり付いているのは、何も知らない者が見れば驚きを感じるだろう。
それだけの精霊魔法を同時に行使しているにも関わらず、マリーナは特に気にした様子も見せずにレイと話をする。
それも、全く無理をしている様子を見せずに。
「あー……うん。ちょっと話があって来たんだけど、こうして見る限りでは結構余裕がありそうだな」
「そうね。このくらいであれば、何とかね。とはいえ、この辺は精霊魔法としての特徴もあるからこそ、というのもあるんだけど」
「……そういうものなのか」
同じ魔法使いではあるが、レイの炎の魔法とマリーナの精霊魔法では大きく違う。
だからこそ、マリーナのその言葉に、レイは納得したように頷くだけだ。
「そういうものなのよ。……それで、何の用件? わざわざここに来たんだし、何か理由があるんでしょ?」
「ああ。実はトレントの森でちょっとあってな」
「そう? ちょっと待ってちょうだい」
レイにそう告げると、マリーナは風の精霊に頼んで、レイとの会話が周囲に聞こえないようにした上で、改めて口を開く。
「それで? 何があったの?」
「ああ。実はトレントの森にまたリザードマンが転移してきたんだが……」
そう告げるレイの言葉に、マリーナは若干疑問の表情を浮かべる。
トレントの森にリザードマンが転移してくるというのは、それこそ今まで何度も起こっている。
それこそ、毎日のように。
異常というのも、毎日続けばそれは異常ではなく日常となる。
トレントの森にリザードマンや緑人が転移してくるのは、まだそこまで時間が経っていないが、それでも毎日のように転移してくるということもあり、既にレイにとっては日常に等しい。
だというのに、何故わざわざここに……仕事中のマリーナに、直接会いに来たのか。
それが、マリーナには分からなかった。
「それで?」
「あー……実は、転移してきたリザードマンの中に、ゾゾの兄がいてな」
「もしかして、また戦いになったの?」
ゾゾの兄と聞いて、マリーナが思い出したのは夕食の時にレイから聞いた、ザザというリザードマン。
こちらの話を全く聞く様子もなく、一方的にゾゾに襲い掛かり、結果として返り討ちにあった相手。
今は領主の館にある地下牢に閉じ込められていると聞く。
とはいえ、仮にも相手は皇族ということで、地下牢は可能な限り快適になるように調度品やら何やらが整えられているということだったが。
「戦いになったのは間違いないが、ザザの時とは違って、お互いに模擬戦のような形での戦いだった」
「……レイ、初めて会った相手に模擬戦を挑むのは、正直どうなのかしら?」
「いや、俺から挑んだ訳じゃないから。ともあれ、そのゾゾの兄のガガはグラン・ドラゴニア帝国の第三皇子らしい。で、そのガガにギルムにいる限り、緑人に手を出さないということを約束させる為に模擬戦を行った」
お互いに木刀のような武器ではなく、普通の刃がついた武器を使っての戦いだった以上、模擬戦は模擬戦でもかなり本気度の高い模擬戦だったのだが、レイはそれを口にしない。
もし言えば、マリーナにどのようなことを言われるのかと、そう思った為だ。
いつものようにパーティドレスを着ているマリーナだが、それだけに怒った時の迫力は凄い。
そんな目に遭いたくないレイとしては、別に嘘を言ってる訳でもないので、それでいいかと判断したのだ。
「ふーん。……で?」
レイの言葉を完全に信じた訳ではないのだろうが、取りあえずは納得したと、露骨に態度に出しながらも、話の先を促す。
それだけでないんでしょう? と、そう視線を向けてくるマリーナに、レイは頷く。
「そうだ。そのガガだが、言葉が通じないのと、俺と気が合ったのもあって、ゾゾと同じ場所……マリーナの家に泊まりたいと言ってきた」
「……え?」
レイの口から出た言葉は、マリーナにとっても意外だったらしい。
先程までの雰囲気は一変し、何を言ってるのかといった視線を向けてくる。
だが、レイの様子からそれが冗談でも何でもないと知ると、困惑した様子で口を開く。
「一応聞くけど、その人は皇族で間違いないのよね? さっき言ってた第三皇子」
「そうだな。ゾゾの兄。ちなみに身長は俺の倍くらいある」
リザードマンを人と呼んでもいいのかどうか迷ったレイだったが、取りあえずそっちの方が慣れているので適当に流す。
「……レイの、倍? それ、本当にリザードマン?」
「リザードマンだな。ちなみに、模擬戦では俺とそこそこ本気の戦いをすることが出来た。ゾゾに言わせれば、グラン・ドラゴニア帝国の中でも五本の指に入る強さらしい」
「また、随分と……」
最後まで言葉にしなかったマリーナだったが、何を言いたいのかはレイにも理解出来た。
個性的、もしくはキャラが濃すぎる、属性多すぎ。
後者二つはマリーナには意味が理解出来なかっただろうが、その意味を知れば恐らく同意してくれるだろうと判断する。
「そんな訳で、ガガをマリーナの家に泊めることになりそうなんだけど、大丈夫か?」
「大丈夫……な訳ないでしょ。レイの倍くらいの大きさって、そもそも家に入ることも出来ないんじゃない? ましてや、ベッドとかの寝る場所はどうしようもないでしょ」
「ああ。だから、マリーナの家の庭でいいらしい」
「……第三皇子を?」
「第三皇子を」
レイの言葉に、マリーナは唖然とした表情を浮かべる。
例え異世界の国であっても、皇子は皇子だ。
それもただの皇子ではなく、ミレアーナ王国と同じくらいの力を持つ国の皇子だと考えると、その皇子を庭で寝かせるといった真似をしてもいいのかと思うのも当然だろう。
だが、そんなマリーナに、レイは問題ないと口を開く。
「ガガが庭でいいと言ってるんだから、それでいいだろ」
「だからって、それは不味いんじゃない?」
「ゾゾが言うには、元々ガガは皇子というよりは戦士としての一面が強いらしいからな。そういうのも平気らしい」
「……まぁ、ある程度にしろ、レイと戦えるだけの実力があるとなると、そう言われても納得出来るわね」
マリーナとしては、寧ろ戦闘訓練を片手間にやっているのに、レイと戦える実力があると言われた方が驚いただろうが。
「そんな訳で、ガガをマリーナの家の庭で泊まらせることになった訳だ」
「ヴィヘラは、喜ぶでしょうね」
強敵との戦いを好むヴィヘラにしてみれば、ある程度とはいえレイと互角に戦うことが出来るというガガの存在は、間違いなく喜ばしいものだろう。
レイやエレーナといった強敵がいて、好きなだけ戦うことは出来る。
だが、幾ら強敵でヴィヘラにとって魅力的とはいえ、それでも同じ相手とばかり戦うというのは、ヴィヘラであっても飽きがくる。
幾ら美味い高級料理であっても、それを毎日食べ続ければどうしても飽きる……といったところか。
そういう意味では、ゾゾもヴィヘラにとっては美味しい相手なのは間違いないのだが。
それでも、やはり強い相手は多い方がいい。
「だろうな。まぁ、ガガも戦闘を好む性格だったみたいだし、ヴィヘラとの模擬戦を断るような真似はしないと思う。……戦いに夢中になりすぎないかってのが、ちょっと心配だけど」
「そうね。ヴィヘラのことだから大丈夫だと思うけど、第三皇子を間違って殺したなんてことになったら……」
そこで言葉を止めたマリーナだったが、レイとしてはグラン・ドラゴニア帝国が異世界の存在である以上、もしガガに何かあっても問題はないと思う。
もっとも、ガガとは気が合う相手である以上、出来ればそのようなことになって欲しくはなかったが。
「取りあえず庭で寝るにしても、何か掛けるものを用意した方がいいでしょうね。後は……食事は?」
「ゾゾの兄なんだし、普通に俺達と同じ料理を食うと思うぞ。とはいえ、あの体格だとかなり食いそうだけど」
そう言うレイも、外見とは裏腹にかなりの大食いだ。
他にビューネも身体が小さい割りにかなり食べるし、セトにいたってはレイ達以上に大食いで、普段はかなりセーブすらしている。
そう考えれば、食費という点ではレイ達はかなりの金額になる。
とはいえ、レイ達はビューネ以外全員が腕の立つ冒険者である以上、金に困るということは基本的にないのだが。
だが、それでもガガの分の食費を出しても平気かと言われれば、否な訳で……
「取りあえず、ダスカーから食費は徴収する必要があるわね」
マリーナがそう告げる。
それは、提案ではなく決定事項を口にしているといったもので、ダスカーは間違いなく食費を徴収されることになるだろうと、レイにも予想出来た。
「あー……うん。その、頑張ってくれ」
レイにとっては、ダスカー様頑張れ、超頑張れという思いがあったが、同時にマリーナが食費をぶんどってきたことによって、ガガの食事だけではなく、自分の食事も豪華になるのであれば文句はない。
いや、寧ろそれは大歓迎であると言ってもいいだろう。
であれば、マリーナの行動を無理に止めるつもりはない。
「ええ。ともあれ、今回の件はそれでいいわね。……あら、そろそろそっちもいいみたい」
レイとの話も一段落したところで、マリーナがそう告げる。
マリーナの視線を追えば、そこでは水の精霊魔法にとって治療されていた一人、狐の亜人の男が自分の腕を見て嬉しそうに笑っていた。
(そう言えば、今更だけど俺も男の獣人には慣れたよな)
日本にいる時に楽しんだ、漫画、アニメ、小説、ゲーム。
それらで出て来る獣人というのは、大体が女の獣人だった。
勿論男の獣人がいなかった訳ではないが、それでも……この世界にやって来て見た狐や猫、場合によっては兎の獣人の男というのは、レイに取って慣れないものがあった。
今でこそ、もう慣れたが。
「取りあえず話はこれでいいわね。治療を待ってる次の人がいるから、他に何もなければこれで終わるけど」
「ああ。……それにしても、今日は妙に混んでるな。前に何度かここに来たし、前を通りかかったこともあったけど、こんなに並んではいなかったみたいだけど」
「ああ、その件? 何でも、積んでいた建築資材が崩れてしまったそうよ。で、その下や周辺にいた人達が、怪我をしたの」
「……おい、それってかなり問題じゃないのか?」
マリーナの口から出たのは、レイにとっても予想外の言葉。
冒険者ならそのようなことがあっても、咄嗟に反応出来る者は多い、
だが、建築現場にいるのは、その多くが仕事を求めてギルムにやって来た、言ってみれば素人だ。
これが大工を始めとして、増築工事の為に招かれた本職の技術者なら、咄嗟の時にもある程度反応出来たりもするのだろうが。
結果として、素人だけに咄嗟の反応が出来ず、こうして怪我人が多数出たのだ。
それでも、致命傷と呼べるまでの怪我をした者はおらず、重傷……本当の意味での重傷を負った者は優先的に治療され、現在ここ並んでいるのは軽傷ではないが重傷とも呼べない……そのような者達だった。
マリーナからそのような説明をされたレイは、なる程と頷く。
「死人とか重傷者が出なかったのはよかったよ。じゃあ、このままここにいても邪魔になるだけだろうし、俺はそろそろ戻る」
「別にレイがいても邪魔じゃないんだけどね」
レイの言葉にそう返すマリーナ。
実際、レイと会話しつつも水の精霊魔法によって治療を行っていたのだから、その言葉は決して間違ってはいないだろう。
とはいえ、治療されている方としては、自分が治療されている時に、マリーナがレイと話しているのを見れば、不安を覚える者が出て来るのも当然だった。
自分の治療をしている相手が、自分達に注意を向けずにレイと話しているのだから。
それでも不満が出なかったのは、マリーナの精霊魔法の実力がどれだけ桁外れなのか、知っているからだろう。
以前からギルムにいた者であれば、当然。
増築工事の為にギルムに来たばかりのものであっても、マリーナが精霊魔法を使っているのを見れば、魔法についての知識がない者であっても、それがどれだけのものであるのか、想像するのは難しくはない。
「俺ももう少し見ていたい気はするけど、色々とやることがあるからな。特にトレントの森に緑人が来てないかどうか、出来るだけ確認しないといけないし」
「それは、別にレイじゃなくても出来るんじゃない? 今、トレントの森には腕利きの冒険者が多いんだし」
「そうかもしれないけど、トレントの森の広さを考えると、セトがいた方がいいだろうし」
「そう? なら頑張ってちょうだい。私もここで一段落付いたら、領主の館に行ってダスカーから食費を貰ってくるわ」
それは、奪ってくるなのでは?
そう思いつつも、それは口にしない方がいいだろうと判断し、レイは診療所を出るのだった。
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