第1989話

 天幕から離れたレイ達……レイ、セト、エレーナ、マリーナ、ヴィヘラの四人と一匹は、三十分程歩き続けた。

 普通に歩いたのではなく、冒険者としての速度で歩いた以上は当然のようにその速度は街中で暮らしている者達と違う。

 結果として、三十分程度歩いただけでも十分な距離をとることができた。

 もっとも、戦場として設定されている場所を中心にして、騎士や兵士が囲むように待機しているのだ。

 それを思えば、このまま歩き続ければ戦場の中心部分を通りすぎ、反対側に到着しないとも限らない。

 だからこそ、レイはそろそろいいだろうと足を止め、口を開く。


「この辺でいいだろ。……全員、準備はいいか?」


 ミスティリングからデスサイズと黄昏の槍を取り出し、エレーナ達に声を掛ける。

 他の面々も、それぞれの武器を手に頷く。

 全員の戦闘準備が整ったと見て取ったレイは、次にミスティリングから対のオーブを取り出す。

 当然ながら、この対のオーブはエレーナとの物ではなく……グリムとの物だ。


「グリム、聞こえているか、グリム」


 対のオーブを起動させてそう呼びかけると、やがて今まで何も映っていなかった場所にグリムの姿が映し出される。


『どうやら、準備は良いようじゃの。では、約束通りレイの魔力を目印に転移させる。……以前言った通り、儂がやるのはあくまでも転移だけじゃ。もしお主達が危機に陥っても、決して助けるような真似はせん。構わぬな?』


 最後の確認といった様子で尋ねてくるグリムに対し、レイは当然といった様子で頷きを返す。


「それで構わない。元々、グリムがいなければどうしようもない事態だったからな。そうである以上、グリムからの要望は可能な限り聞くよ」


 勿論、どうやっても達成不可能な要望だったら、話は別だが。

 その言葉は口に出さず、頭の中で思うだけにする。

 とはいえ、グリムは永い時を生きてきた――アンデッドだから生きてはいないのだが――存在だ。

 レイが何を考えているのかというのは、大体理解していてもおかしくはない。

 それでもレイに対して何も言わないのは、年上としての思いやりか。


『では、始めるぞ。言っておくが、一度始めたら儂にも途中で止めるようなことは出来ん。また、儂が引き出す相手が実際にはどのような姿をしている存在なのか……それすらも、正確なところは分からん。もしかしたら、言葉に出来ない程におぞましい存在が出て来る可能性があるが、構わんな?』

「くどい。その辺はもう十分承知の上だ」

『ふむ。では……』


 その言葉と共に、対のオーブの映像が途切れる。

 一瞬、対のオーブがなくてどうやってこっちの戦いの様子を確認するんだ? と思ったレイだったが、考えてみればグリムは触手がいる地下空間でさえ普通に見ることが出来るのだ。

 そうである以上、別に対のオーブを使わなくても自分達の様子を見るのに困ることはないのだろうと判断し、レイは対のオーブをミスティリングに収納する。

 これからここでは大規模な戦いが起きると分かっている以上、対のオーブを出しておいて、万が一にも壊れては困るという判断からだ。


「来たわ」


 そのタイミングで、ヴィヘラが叫ぶ。

 声の中に喜びがあるのは、やはりこれから触手と戦えるからだろう。

 以前地下空間で戦った時は、触手の手の内が分からなかったというのもあるが、結果としてそれでピンチに陥り、レイに助けられた。

 だからこそ、今度はしっかりと自分の力で……レイ達と協力してだが、触手と戦えるというのがヴィヘラには嬉しいのだろう。


「さて、まずは開幕ブッパといくか」


 空間の裂け目が生み出され、そこに静電気……いや、雷と呼ぶに相応しい紫電が蠢いているのを見ながら、レイは呪文を唱え始める。


『炎よ、汝のあるべき姿の1つである破壊をその身で示せ、汝は全てを燃やし尽くし、消し去り、消滅させるもの。大いなる破壊をもたらし、それを持って即ち新たなる再生への贄と化せ』


 呪文を唱えるのと同時に、火球が一つだけデスサイズの先端に生み出される。

 それは、普段レイが使うことが多い炎の魔法のように大量に火球を生み出すのではなく、本当にたった一つだけ。

 だが……そのたった一つの火球には、莫大な魔力を持つレイが、それこそ常識外れの魔力を注ぎ込まれており……やがて、魔法が発動する。


『灼熱の業火!』


 生み出されたその火球は、レイの意思に従って真っ直ぐに空間の裂け目に……グリムによって干渉され、強制的に触手のいる空間と繋げられた、その裂け目に向かって飛んでいく。

 そして……まるでタイミングを計ったかのように――あるいはグリムが実際にタイミングを計っていたのかもしれないが――空間の裂け目は開き、瞬間的に触手の主は自分をこのような場所に呼び出した相手に反撃する為にその裂け目から触手を放つ。

 だが、触手が空間の裂け目から飛び出た瞬間、レイの放った火球が触手に命中し、周囲を猛烈な炎で包み込む。

 それこそ、近くまで行けば目を開けてられない……どころか、かなりの距離があるレイ達であっても、火球によって生み出された熱風によってチリチリとした暑さを感じてもおかしくないだけの、猛烈な熱。

 当然のように、地面に幾らか積もっていた雪は炎によって瞬く間に蒸発してしまう。


「水の精霊よ、お願い!」


 あまりの暑さ……いや、熱さに、マリーナが水の精霊魔法によって自分達を覆う水の膜を作り出す。

 それは普通の水の膜ではなく、精霊魔法の使い手としてはミレアーナ王国でも……いや、このエルジィンという世界においても、間違いなくトップクラスのマリーナが精霊魔法によって生み出した水の膜だ。

 当然のようにその辺の魔法使いが使ったファイヤーボール程度であれば、瞬時に無効化……あるいは消火すらしてしまう。

 だが、この魔法を使ったのはレイだ。

 直接魔法を防いだ訳ではないにも関わらず、熱風だけで水の膜は次第に蒸発していく。

 そのような威力の魔法を食らった触手も当然のように無事ですむ筈もなく、空間の裂け目から出て来た触手はその全てが焼きつくされ、消滅……いや、焼滅させられる。


「ぐっ、ちょっ、ちょっとレイ。これはやりすぎじゃない!?」


 水の膜の中で、ヴィヘラが不満そうな感情を隠さずに叫ぶ。

 ヴィヘラにしてみれば、まずは自分が攻撃を仕掛けたかった……といったところなのだろう。

 それをレイに奪われてしまった為に出た不満の言葉だった。

 そんなヴィヘラの不満を聞きつつも、レイは灼熱の空間となった場所に視線を向けつつ、口を開く。


「やりすぎって言ってもな。見ろよ」


 若干呆れの交じったレイの言葉。

 何故そこに呆れが交じっているのかというのは、レイの視線を追えばすぐに理解出来た。

 そこでは、レイの生み出した灼熱の炎により触手が次々に燃えている。

 ……そう、あくまでも触手が、だ。

 現在その触手の主はグリムによって空間の裂け目から強引に引きずり出されようとしているが、それはまだ完全ではない。

 これはレイにとっても予想外だったのか、向こうはグリムの力に抵抗しているのだ。


(グリムだったら、そういう抵抗をものともしないでどうにかすると、そう思ってたんだけどな)


 そう思っていたからこその、戦闘開始直後の魔法だった。

 だが、実際にはレイの放った魔法は、多くの触手を焼きつくすことには成功したものの、その本体と呼ぶべき存在は無傷に近かった。


「……無傷、ね。これは喜んでいいのかどうか、微妙なところだけど」


 ヴィヘラの代わりにマリーナが呟くが、その言葉とは裏腹に明らかに喜んでいるヴィヘラを横目で見る。


「無傷ではあっても、敵の触手の多くを焼いただけでも十分だと思うがな」

 

 ミラージュを手に、冷静に相手を観察しつつエレーナが呟き……その美しい眉を微かに顰める。


「もっとも、幾らレイの魔法で触手を焼いたとしても、まだまだ代わりはあるようだがな」


 エレーナの言葉通り、空間の裂け目からは次々に触手が出て来ては、レイの魔法によって生み出された灼熱の炎によって燃やされていく。

 それでも全く懲りるということをしないかのように、空間の裂け目から出続ける触手、触手、触手。

 とはいえ、レイも以前地下空間で触手が大量に出て来るというのは目にしている。

 槍の投擲でダメージを受けた触手の主が、空間の裂け目から大量に触手を出し、その触手を使って盾を……いや、簡易的な防壁のようなものすら作っていたのだから。

 そのような状況のままで数分が経過し……やがて、空間の裂け目を中心にして存在していた灼熱の炎は、急速にその効果を消失していく。

 水の膜の向こうの光景に、レイは疑問を抱く。

 レイが干渉した訳でもないのに、何故こうも素早く炎が鎮火していったのか。

 本来なら、もっと長期間炎が触手を燃やし続ける筈だったのに何故、と。


(いや、何が原因かって言われたら、考えられる理由はそう多くないだろ。つまり……)


 未だに空間の裂け目から次々に出て来ては燃やされている触手が、何らかの方法で鎮火しているのだろうと。


(多分、あの触手の表面に分泌されている粘液の効果だろうけど)


 かなり勢いは衰えたものの、それでもレイの魔力を大量に込められた魔法だ。

 それでもなお、空間の裂け目から出るのを止めない触手を燃やし続けていた。


「なぁ、向こうはあの触手を使って鎮火してる訳だけど、あれって敵にとってダメージになってると思うか?」


 そう尋ねるレイの言葉に、それを聞いていた三人は微妙な表情を浮かべる。

 実際に触手は燃やし続けられており、既にかなりの数が炭となっていた。

 だが、空間の裂け目から出続けている触手の勢いは、全く衰えることがない。

 それこそ、触手の主にしてみれば、この程度の触手が焼かれても全く堪えていないのではないか。

 次から次に出て来る触手を見て、レイがそのように思っても当然だろう。


「安心しなさい。具体的にどれくらいのダメージなのかは分からないけど、それでもあの触手の主にしてみれば、間違いなくダメージはある筈よ。……もっとも、それが具体的にどれくらいなのかというのは、分からないけど」


 マリーナが保証するようにそう言うのと、空間の裂け目周辺に生み出された灼熱の炎が消えるのとは、ほぼ同時だった。

 

「だと、いいんだけどな。……あの様子を見ると、ダメージを受けてはいても、一体どれくらいのダメージなのやら」

「大きなダメージではないのは、私でも分かるがな。……それより、炎が消えたということは、いよいよ私達の出番だ」


 レイの言葉に、エレーナはそう言い、戦意に燃えた視線を空間の裂け目に向ける。

 そこから出て来た触手は、次から次に燃えていくのだが、燃えた瞬間には炭、あるいは塵となって消えていく為に、地上に触手の残骸が残るといったことはない。

 それは、これからここで大きな戦いが行われる以上はレイ達にとっても助かることではあった。


「とはいえ、攻撃するにしても触手は所詮向こうにとって幾らでも切り捨てることが出来る存在でしょ? なら、それこそグリムさんが触手の主をこの空間に引っ張り出すまでは、この状況の方がいいんじゃない?」


 マリーナのその言葉に、今にも走り出そうとしていたかのようなヴィヘラと、ミラージュを鞭状にして遠距離から振るおうとしていたエレーナの二人は、少しだけ冷静になる。


「そう考えると、もう少し俺の魔法を叩き込んだ方がいいのか?」

「今の一撃程に高くない威力の魔法でなら、触手を少しでも消費させるという意味では有効かもしれないわね」


 触手を消費という表現に若干の違和感はあったが、実際に目の前で行われている行為……空間の裂け目から延々と触手が出て来ている状況を思えば、その表現が正しくはなくても、現状を把握しておくという意味では全く間違っていないものなのは間違いない。

 そんなマリーナの言葉に頷き、レイは口を開く。


「じゃあ、これから魔法を使うから、タイミングを合わせてこの水の幕を一度解除……いや、俺の前だけなくしてくれ」


 出来るよな? といった風に確認するのでもなく、出来るという前提の上でレイはそうマリーナに告げる。

 マリーナがそんなレイの言葉に出来ないと言う筈もなく……


「任せなさい。レイは思う存分魔法を使えばいいわ」


 そう、マリーナが断言する。

 それから行われたのは、火球や炎の鳥、炎の矢といったものが無数に飛んでいき、空間の裂け目から出て来た触手を次から次に燃やしていくという行動。

 触手は延々と出て来たが、それを即座に燃やしつくす魔法の炎は、まさに脅威的という表現が相応しい、そんな光景だろう。

 そして……レイが炎の魔法を使い始めてから、三十分程。

 空間の裂け目から出て来る触手が、唐突に止まる。


「来るぞ!」


 そんなレイの叫びと共に、グリムの力により……空間の裂け目から触手の主が強制的にこの世界に放り出されるのだった。

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