第1976話
地下空間から死体を持ってきたレイとヴィヘラの二人は、警備兵や冒険者達に感謝される。
既に死んでいるとはいえ、仲間達の死体を回収してきてくれたのだから、それに感謝するなという方が無理だった。
……もしかしたら、本当にもしかしたら触手と戦えるかもしれないという思いを抱いていたヴィヘラは、結局戦闘が起きなかったことに少しだけ残念そうな表情を浮かべていたが。
とはいえ、もし触手がいても、ランガから戦闘をしないようにと止められていたので、その場合はレイが止めていただろう。
「あー、うん。感謝してるのは分かった。で、これからどうするんだ? 地下空間の先にあった敵の本拠地で、敵のボス、今回の黒幕は捕まえてランガに渡してきた。そうなると、もう屋敷を捜索する意味はなくなったんじゃないか?」
そう言いながらも、この屋敷でも結構な犯罪の証拠は見つかっているので、出来ればこのまま強制捜査を続けたらいいのに、というのがレイの正直な気持ちだった。
もっとも、今の時点で集まっている証拠で、十分この屋敷の主人を逮捕することは出来るのだろうが。
(もしかして、他の屋敷でも全部同じように悪事の証拠が出ていたりとかは……しない、よな?)
これだけの屋敷に住むだけの金額を稼ぐとなると、色々と大変なのはレイにも理解出来る。
だからこそ、悪事を働いていてもおかしくはないという思いもあった。
これが貴族街の屋敷であれば、それこそ代々の資産といったことで納得も出来るのだが。
「地下空間に関してはそうかもしれないが、それ以外も色々と犯罪の証拠が出てきている以上、それを見逃す訳にはいかない」
「そうか」
警備兵の言葉に、レイは特に反対はせず、素直に頷く。
もうここまで証拠が見つかってしまった以上、多少追加の証拠が見つかっても自分にはあまり関係ないだろうと、そう判断した為だ。
ヴィヘラの方はとそちらに視線を向けると、そこではヴィヘラが今の会話に対して特に興味を抱いた様子もなく、部屋の中を見回していた。
「どうした? 何か気になる本でもあったのか?」
この部屋は図書室……と表現するのは些か大袈裟だったが、それでも普通なら高価な本がそれなりの数、置かれている。
そんな本の中に何か興味のあるものでもあったのかと思って尋ねたのだが、ヴィヘラはそんな言葉に首を横に振る。
「ううん。そういう訳じゃないわ。……そもそもの話、私が本とか読むと思う?」
ヴィヘラの言葉に、周囲でそれとなく話を聞いていた冒険者や警備兵は、確かにと納得の表情を浮かべる。
実際、踊り子か娼婦が着るような薄衣を着ているヴィヘラを見れば、とてもではないが本を読むようには思えない。
また、戦いを好むというヴィヘラの性格を知っている者であっても、同じようにヴィヘラが好んで本を読むとは思えないだろう。
だが……レイの場合は、ヴィヘラが元ベスティア帝国の皇女であるというのを知っている。
そうである以上、ヴィヘラが本を読んだとしても何も不思議はなかった。
もっとも、それを知っているのがレイだけというのが、この場合は問題だったのだが。
「あー……うん。取りあえず読まないって言っておいた方が無難っぽいからそういうことにしておく。……それで、俺達はこれからどうすればいいんだ? やっぱり護衛か?」
ヴィヘラが捕らえた少女以外に、襲撃を仕掛けてくる相手は今のところ見つかっていない。
だからといって、本当にもう襲撃してくる者がいないとも限らない以上、護衛は絶対に必須だった。
(そう思うと、このグループは俺とヴィヘラの戦力を当てにして集められたんだから、俺達が地下空間に行っていた間って、実は結構危なかったんじゃ?)
ふと、レイはそう思う。
幸いにして、レイ達がいない間は特に問題がなかったが、それは本当に偶然だろう。
とはいえ、地下空間が一番危ないというのもまた事実であった以上、決してレイの取った行動が間違いだった訳ではないのだが。
あるいは、レイだけが地下空間に行ってヴィヘラを地上に残す……といった手段を使えば、まだ話も違ったかもしれない。
だが、ヴィヘラの性格を考えれば、そのようなことを許容出来る筈もない。
寧ろレイがここに残って、自分だけで地下空間に向かうとすら、言いかねなかった。
もしそうなっていた場合、ジャビスやその仲間達はともかくとして、あの触手と戦っていれば間違いなく負けていただろう。
初見殺しとも言うべき、セトの王の威圧に似た能力。
それも、空間の裂け目に近づけば近づくだけ効果が強まるというおまけ付きだ。
レイがいたからこそ、致命的な被害を受けるといったことにはならなかった。
「……うん、結局今のやり方でよかったんだな」
「何よ、急に」
唐突に呟いたレイに、疑問を抱くヴィヘラ。
だが、ヴィヘラの視線にレイは何でもないと首を横に振る。
「いや、何でもない。取りあえず、この屋敷をもっと調べるのなら、早速行動した方がいいな。……どうするんだ?」
レイのそんな問いに、警備兵は適任と思われるようにこの場にいる者達を振り分けていく。
屋敷の広さを考えれば、もう怪しいところはかなり調べ終わっているということもあり、人数的には最初よりも増えている。
そんな中で、レイ達はそのまま強制捜査を続け……結局夕方近くまでその屋敷で色々と調べることになるのだった。
「ふーん。……ヴィヘラも、あまりはしゃぎすぎないようにね」
その日の夜、いつものようにマリーナの家の庭で食事をしていて、今日の出来事を話している時、レイ達が今日どのようなことをしたのかといったことを聞いたマリーナがそう告げる。
他の面々……エレーナ、アーラ、ビューネといった面々も、マリーナの言葉に頷く。
尚、セトとイエロは夜の庭を走り回って遊んでおり、話を聞いてはいない。
「分かってるわよ。けど、あの触手との戦いはかなり面白かったのも事実なのよ?」
「……レイが来なければ、一体どうなっていたと思うんだ?」
反省の色を見せないヴィヘラに、エレーナが呆れを込めて告げる。
「レイが来ないと……そうね。危険だったかもしれないわ。けど、同時にどうにか対処出来た可能性もあるわ」
ヴィヘラの言葉は、強がりだけで言ってるとは思えないような色がある。
また、ヴィヘラの戦闘における勘の良さというものを知っているだけに、強がりとも断言出来ない。
「……ヴィヘラがそう思っていても、見ている方は色々と思うところがある……というのは、分かって欲しいわね」
エレーナに続いてマリーナがそう言うと、アーラやビューネがその言葉に同意するように頷く。
レイもまた同じように、その言葉には頷いていた。
それだけ、今回の触手との戦いでヴィヘラが危なかったように見えたのだろう。
この場にいる全員……それこそ、セトやイエロがいても心配そうな視線を向けられていただろうということを考えると、やはりヴィヘラも強気に出られないのか、大人しく頷く。
「そうね。少し心配を掛けてしまったわね。……ごめんなさい」
そうして謝る様子は、決して見せかけだけのものではない。
ものではないのだが、この場にいる面々にしてみれば、それでも次に同じような戦闘があった場合、またヴィヘラは同じような行動をするだろうという確信もあった。
戦闘欲というのは、ヴィヘラにとっては自分でどうにか出来るものではないのだから。
もっとも、それでいながら何の勝算もなく、いわゆる猪突猛進といった具合で敵に突っ込んでいく訳でもないのが、見ている者達にとっては唯一の救いか。
考えるのではなく、半ば本能的な動きで最善の結果に繋げる。それが、ヴィヘラという人物なのだから。
「ふぅ。取りあえずはもういいわよ。……それで、結局今回の一件はどういう風に決着を付けるのか聞いてる?」
ヴィヘラの言葉に、マリーナが話題を変える。
取りあえずこの件はこれまでと、そういうことなのだろう。
レイ達もまた、そんなマリーナの言葉に異論はなかったのか、マリーナの話題に乗る。
「どう決着を付けるのか、か。今回の黒幕のジャビスは捕らえたから、実質的に解決はしてるんだよな。……もっとも、あのジャビスが本当に今回の黒幕なのかどうかは分からないし、地下空間の触手の件もどうにかする必要があるけど」
ジャビス本人が自分が今回の件の黒幕だと認めたのを、レイとヴィヘラは知っている。
だが、それはあくまでもジャビスがそう言っただけであって、実は誰かを庇っているという可能性も非常に高いのだ。
その辺りは、ランガ率いる警備兵がこれからの捜査で明らかにしていくこと、というのがレイの予想だった。
(もしジャビスが影武者とかそういうのだったとすれば、後々それが判明しても、本物は既にギルムにはいない可能性が高いだろうけど)
そう思いつつ、何となく……本当に何となくではあるが、レイはジャビスが本物だという思いがある。
少し話してみたところ、ヴィヘラが倒したジャビスはわざわざ自分が誰かの影武者になるなどといったような性格をしているとは思えなかったからだ。
もっとも、影武者というのは大抵が自分と似ていればいる程に見分けが付きにくい。
ましてや、レイ達はジャビスの顔がどんなものなのかというのも分からない以上、捕らえたのがジャビス本人かどうか……もしくは、今回の一件の黒幕が実際にジャビスなのかどうかというのは、分からない。
その辺は警備兵達が今回の一件で捕らえた者達の中から、ジャビスと繋がりのある者達を尋問してはっきりするだろうと、そうレイは考える。
取りあえず、黒幕だと自称している者は捕らえたのだから、後は警備兵の方で頑張ってくれ、と。
「で? レイ達以外の場所ではどうだったのだ? そのジャビスとかいう者と繋がっているのは、当然のように他の屋敷にもいたのではないか?」
興味深げに尋ねてくるエレーナに、レイとヴィヘラは顔を合わせ……やがてレイが口を開く。
「そうだな。俺達が行った屋敷以外でも何人かそういう連中は襲ってきたり、逃げ出そうとしたりした相手を捕まえたって話は聞いたな。そういう連中からも、色々と情報を集めることが出来る筈だ。……もっとも、最終的には国王派の手の者ってところに落ち着きそうな感じだけど」
「でしょうね。というか、それが最善の選択だと思うわ」
レイの言葉に、野菜がたっぷりと入ったスープを飲みながら、マリーナがそう告げる。
「そうなのか?」
「ええ。考えてもみなさいよ。中立派は、現在貴族派と友好的な関係を築いている。同盟……とまではいかないけど、少なくても敵対関係ではないわ」
「なるほど、確かにマリーナの言いたいことは理解出来る。中立派と貴族派がそのような関係である以上、それが最善の選択肢なのは間違いない。それに……今の状況は国王派にとっても面白くないのは間違いないしな」
「そうなるわね。それに、実際に国王派云々と証言した人がいたんでしょ?」
エレーナと会話しながら、マリーナはレイに視線を向けてくる。
その言葉に、レイは頷く。
だが、自分が国王派の人間であると主張した男は、ピンクの触手によって既に殺されてしまっている。
そうである以上、その人物から今回の一件について証言して貰うような真似は出来ない。
(結果的にはだけど、死人に口なし、か)
国王派にとっては、運が良かった出来事なのだろう。
そんな風に思いつつ、レイは口を開く。
「いたな。とはいえ、触手に殺されたから、それを知ってるのは俺だけだけど」
「その辺はしょうがないわよ。……まさか、あんな触手がいるなんて、普通は思わないもの」
ヴィヘラの口調に悔しさが滲んでいるのは、今日の戦闘を思い出しているからからか。
「それはともあれとして、だ。……中立派や貴族派としては、やっぱり国王派が今回の黒幕であるというのが最善の選択肢って訳だ。とてもではないが、最善という風には言えないと思うけど」
「そういうことね。三つある派閥のうち、最大派閥以外の派閥が友好関係にあるんだから、当然の矛先が向かうのは、最大派閥でしょうね。……もっとも、ダスカーの性格から考えて証拠をねつ造して無理矢理国王派の仕業にするといった風にはしないと思うけど」
ダスカーのことを小さい頃から知っているマリーナのその言葉は、レイを含めて全員が納得出来た。
少なくても、ここにいる者であれば全員がその言葉に納得出来る。
何だかんだとダスカーと接する機会が多いだけに、全員がそう思うのは当然だろう。
貴族というのは表向きの性格と実際の性格が違うということも多いが、ダスカーの場合は良い意味で直情的な性格をしているというのを、この場にいる全員が知っているのだった。
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