第1935話

「ほう、鱗か。ギガント・タートルの鱗ともなれば、かなり貴重なのではないか?」


 いつものように、マリーナの家の庭で夕食を食べつつ、今日の出来事を話していると、エレーナは興味深そうにそう尋ねてくる。

 いや、興味深そうにしているのはエレーナだけではなく、実際にその眼で鱗を見ているヴィヘラとビューネ以外の面々も同様だった。


「そうだな。多分珍しいとは思う。……とはいえ、実際にそれがどういう素材になるのかは、それこそ色々と調べてみる必要があるだろうけど」

「でしょうね。……それよりも、私は寧ろ赤布を裏で操っていた者達がいるということに驚いたけど」


 マリーナもギガント・タートルの鱗には興味があったが、元ギルドマスターということもあり、赤布やその裏にいた存在の方が興味深かったのだろう。

 コボルトそのものは、ギルムにいる冒険者にとって脅威ではないが、ギルムにいる者全員がどうにか出来るという訳でもない。

 ギルムにはギガント・タートルの解体に参加しているような、元冒険者といった面々も多いが、全員がそのような者ではない。


「そっちの方は、警備兵の連絡待ちだな。今はグランジェが言っていた拠点を見張っている筈だから、何か動きがあればギルドを通してこっちにも連絡を貰えるようになっている」

「この寒いのに大変ですね」


 空を見上げながらそう告げるアーラ。

 視線の先では雪が降っているが、マリーナの家の庭にその雪が入ってくることはない。

 マリーナの使う精霊魔法がどれだけ便利な代物なのかというのが、如実に示されている。


「まぁ、ここにいれば雪が降っているのを見ても、綺麗だなで済むんだけどね」


 アーラの視線を追ったヴィヘラが、少しだけ面白そうに呟く。

 実際、雪が庭の中に入ってくる様子がないような今の状況は、それこそ家の中から窓の外で雪が降っている光景を見ているようなものだった。

 ……いや、家の中では窓からしか外が見えないが、マリーナの庭では壁で外の景色が遮られるといったことはないので、雪景色を楽しむという点では間違いなくこちらが上だろう。


「そうだな。もっとも、雪が降っていても外で直接見張るんじゃなくて、近くにある建物の中から見張るって話だったから、寒さ対策とかはそこまで心配する必要はないと思うけど」


 外で見張るのに比べれば、それこそ掘っ立て小屋の類であっても冷たい風を防いでくれるので、断然楽なのは間違いないだろう。


「ふーん。……それでも、じっとしていないといけないのはちょっと辛いわよね。見張っているのだからしょうがないのかもしれないけど」


 ヴィヘラが呟く言葉に、その話を聞いていた多くの者が頷く。

 この場にいる者の中で、じっとしていることが好きな者、得意な者は……いない訳ではないが、それでも好んでやりたいとは思わない。

 もっとも、それは警備兵であっても同様だろう。

 仕事だからこそ、そのようなことをするのだ。


(見張りとか……日本にいる時とかなら、暇潰しの漫画とかがあるだろうけど……あ、でも漫画とかに集中すれば、見張りをしている建物に人が出入りしても見逃す可能性があるか?)


 とはいえ、何もないまま、ただじっと見張っている場所を見ているというのは、苦痛であることは事実だ。

 だからこそ、下らない話でもしながら二人組、三人組で見張りをしているのだろうが。


「ともあれ、ギガント・タートルの件から、色々と動き出してきた感じがするな」

「あら、それを言うなら、エレーナ達がアネシスから帰ってきてから、の間違いじゃないかしら」

「そうか? ……言われてみればそのような気もするな。もっとも、アネシスではアネシスで色々と騒動が起きたのだが」


 そう言いながら、エレーナの視線は窯で焼いたオーク肉を食べているレイに向けられる。

 まるで、レイがトラブルを吸い寄せているのだと言わんばかりの視線。

 ……それに何かを言い返そうとしたレイだったが、実際に自分が今まで経験してきたことを考えれば、トラブルを引き寄せていると言われても決して否定出来ないことに気が付く。

 実際には、レイが意図せずトラブルに首を突っ込んでいるというのも大きいのだが。

 何より、アネシスにおいてもしレイがトラブルに巻き込まれなければ、それこそアネシスというミレアーナ王国第二の都市の中で、得体の知れないモンスターか何かが召喚されていた可能性は高い。

 そのようなことにならなかったのは、レイがそのトラブルに巻き込まれた結果であると……言えないこともない。


「あー……けど、コボルトの一件は俺がギルムに戻ってくるよりも前から、起こっていたことだろ? なら、俺がそれに関わったというのは、少し考えすぎじゃないか?」

「そうかもしれないわね。けど、レイが土壁を作ったことが、赤布や、その後ろにいる人達を動かすようなことになったのは、間違いのない事実でしょ?」

「それは否定出来ない」

「ああ、別にレイを責めてる訳じゃないわよ? 実際、あの土壁のおかげでギルムに入ってくるコボルトの数は間違いなく減ったんだから。協力した身として、それは嬉しいわ」


 マリーナがそう言いながら艶然とした笑みを浮かべると、レイもそれに返すように笑みを浮かべる。


「ん、こほん。……取りあえずだ。赤布の後ろにいる者達が、次にどのような動きをするのか……その辺りも、しっかりと考えておいた方がいいのではないか?」


 何かを誤魔化すように咳払いした後で告げるエレーナに、ヴィヘラもその通りだと頷く。


「そうね。警備兵が監視してるとはいえ、向こうがそれに気が付く可能性もあるし……そうなれば、向こうの方から先手を打ってくる可能性もあるわ」

「先手か。そうなればそうなったで、こっちとしてもやりやすくなるんだけどな。……セトもそっちの方が楽でいいだろうし」


 冬の夜にも関わらず、まるで春や秋のようなすごしやすい気温の中で庭を走り回っているセトとイエロを見ながら、レイが呟く。


「そちらの方が楽なのは、間違いないでしょうね。けど……向こうが焦るということは、こちらが考えもしない何らかの手段を使ってくるかもしれないわよ? そうなると、ギルムの住人に被害が出るわ」

「……ギルムに被害が出ないのなら、それこそ強力なモンスターは大歓迎なんだけどね。レイ、明日の約束を忘れないでよ」


 約束? と、ヴィヘラの言葉を聞いた他の面々――食事に集中しているビューネを除く――がレイに視線を向けてくる。

 とはいえ、その約束というのは別に他の者が思っているような色っぽいものではない。

 今朝レイが倒した、スノウ・サイクロプス。

 明日の朝もそのような強力なモンスターがいた場合、自分が戦うという約束をレイとヴィヘラはしていた。

 強者との戦いを何より好むヴィヘラとしては、そのような絶好の機会を見逃すという選択肢は存在しない。


「繰り返すようだけど、ヴィヘラが期待してるような強力なモンスターがいるとは限らないぞ? もし明日になって、残っているモンスターがコボルトとかゴブリンとかそういう弱いモンスターであっても、文句を言うなよ」


 そう言いつつも、レイとしても強力な未知のモンスターが姿を現してくれるというのは、期待しているところだ。

 だからこそギガント・タートルの解体で出た血の染みこんだ地面を、地形操作で地下の土と入れ替えるような真似はしなかったのだから。


「分かってるわよ。けど、多分大丈夫なんじゃないかしら」

「……そう思う根拠は?」

「女の勘」


 言い切る様子は自信に満ちており、それを見ていたレイも思わず納得しそうになる。

 だが、女の勘と言われれば、男のレイにとっては反論のしようもないのは事実だ。

 そして実際、女の勘が予想以上に鋭いというのは、この世界に来てからの経験で知っている。

 何よりヴィヘラは戦闘の時にその勘を頼りにして幾度となく決定的なチャンスを掴んできたのだ。

 そうである以上、その勘を侮るなどという真似を、レイがする筈がない。


(漫画とかでも、女の勘とかが超能力かってくらいに鋭い描写があったけど……ヴィヘラは、それを地でいってるしな)


 日本ではレイが女の勘というものの鋭さを感じるといったことはなかったが、この世界に来てからは何度となくそのような行為を見ている。

 だからこそ、ヴィヘラのその言葉に疑問を抱くようなことはなかった。






「……うん、やっぱりヴィヘラの勘って凄いよな」


 翌日の早朝、レイはデスサイズと黄昏の槍を手に、呟く。

 目の前のモンスター……白い毛を持つ巨大な、身長二m近くもあるような猿の、それも複数からの攻撃を回避しつつ、レイはやはりヴィヘラの女の勘は侮れないと感じいていた。

 その辺に生えているような木であれば、容易に折ることができるだけの威力を持った拳を黄昏の槍で受け流しつつ、デスサイズを振るって胴体を上下に切断する。

 あっさりと殺されてしまった白い猿……ギルド職員曰く、雪猿を倒しながら、レイは嬉しそうに戦っているヴィヘラを見る。

 魔力で生み出した爪により、雪猿の攻撃を回避しつつその皮膚を切り裂いていくその様子は、戦っているというよりも踊っていると表現した方が相応しいだろうと思える。

 そんなヴィヘラの戦いに目を奪われているのは、レイだけではなく他の面々……具体的には解体の為にやって来た者の多くだ。

 冒険者として活動しており、それなりに戦い慣れている者は、ヴィヘラの無駄のない戦い方に、どうすればそのようにして動けるのかと目を奪われる。

 そしてスーチーのように戦いの経験が殆どない者達は、純粋にヴィヘラの舞うような動きの見事さに目を奪われる。


「グルルルルルルルゥ!」


 少し離れた場所では、セトがパワークラッシュを使って雪猿の頭部を粉砕している。

 レベル六になったスキルの威力は、それこそ雪猿の頭部を粉砕するだけではなく、その一撃によって頭部の肉片や骨片、脳みそといったものが信じられない程に細かく……それこそ専用の機械で砕いたかのように細かくなって周囲に散らばる。

 ……威力が凄いのはレイも理解出来たのだが、右耳までもがそのようになってしまっては、討伐証明部位としては使えなくなってしまう。

 とはいえ、レイは別に金に困っている訳ではないので、一匹や二匹の討伐証明部位がなくなっても特に困りはしない。

 一番重要な魔石までもが粉砕されるようになれば、セトを怒ったかもしれないが。


「まぁ、俺が一匹、セトが一匹。……そうなると、後はヴィヘラに任せておいた方がいいな」


 呟きつつ、デスサイズと黄昏の槍をミスティリングに収納し、雪猿の死体も同様に収納する。


「グルゥ」


 頭部を粉砕したセトも、雪猿の死体をクチバシで引きずりつつレイの方に持ってきて、喉を鳴らす。

 レイはそんな頭部のない雪猿の死体を収納しつつ、よくやったと褒めながらセトの頭を撫でる。

 頭を撫でられたセトは嬉しそうに、そして気持ちよさそうに目を細める。

 そんなやり取りをしつつ、レイはセトと共にヴィヘラの戦いを眺めていた。


「ん」


 不意に聞こえてきた声に視線を向けると、そこにあったのはビューネの姿。

 ヴィヘラを見ているその視線に少しだけでも羨ましそうな色があると感じたのは、決してレイの気のせいではないだろう。


「どうした? ビューネもヴィヘラと一緒に雪猿と戦いたいのか?」


 尋ねるレイに、ビューネはいつものように無表情ながらも、頷きを返す。

 とはいえ、それが戦闘を求めてのことではなく、雪猿の素材や魔石、討伐証明部位といった金に換える部位に興味があるからだというのは、レイにも理解出来る。

 だが、今のビューネでは雪猿を相手に戦えるかどうかは、正直微妙なところだろう。


(一匹程度ならどうにかなるかもしれないけど。雪猿の真骨頂は連携攻撃みたいだし。……それを考えると、俺とセトが一匹を相手に出来たのは運が良かったんだろうな)


 視線の先では、一匹の雪猿がヴィヘラに対して死に物狂いで襲い掛かっている。

 指から伸びている鋭い爪は、本来なら容易に皮膚を破り、肉を裂き、骨を砕いてもおかしくはない。

 だが、それはあくまでも当たればの話であって、幾ら威力のある攻撃であっても当たらなければ意味はない。

 それどころか、ヴィヘラはそんな雪猿の攻撃を回避しつつ、相手の身体を手甲の爪や足甲の踵から伸びた刃で切り裂いていく。

 雪猿という名前通りの白い毛並みは、自らの流した血によって赤く染まる。

 雪猿は仲間が作った隙を活かそうとしているのだが、それでもヴィヘラはその動きを回避しつつ、次から次に舞うような動きで雪猿の身体を切り裂いていく。

 そうして、最終的に……雪猿の全ては雪が積もった地面にその身を横たえるのだった。

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