第1827話

 そこにいるのは、レイでありながらレイとは思えない、そんな人物だった。

 少なくても、ギルムにいるレイしか知らない者であれば、今のレイを見てもそれが同一人物だとは思えないだろう。


「どうでしょう? 精一杯、お客様に似合うように仕上げてみたのですが」


 レイの着ているオーダーメイドのスーツを持ってきた商人の女が、そう尋ねる。

 四十代程の女だったが、かなりのやり手なのは、ケレベル公爵家にこうして呼ばれているのを見れば明らかだった。

 数日前に採寸をしたばかりではあったが、既にオーダーメイドのスーツが出来たというのは、レイにとってみれば驚きつつも納得する。

 もしレイがオーダーメイドの服に詳しい知識があれば、この短期間でオーダーメイドのスーツを……それも、ケレベル公爵が大規模に貴族を集めて開くパーティーに着ていくのに相応しいだけの服を作るのがどれだけ常識外れな行為なのかが分かっただろう。

 当然のように、マジックアイテムの類を使って可能な限り素早く……それでいて決して手抜きをせずに作り上げたのだが、現在レイが着ているスーツを見れば、即席的なものだと馬鹿にするような奴はいないだろう。


「うん、ちょっと動きにくいけど……まぁ、こういう服だし、それはしょうがないか」


 実際にはオーダーメイドだからこそ、その程度で済んでいるのだが。

 普段からレイが着ているのはドラゴンローブだし、その下に着ているのも自由度の高い服だ。

 それだけに、どうしてもこのようなスーツの類を着れば、どれだけ品質の良い物であっても動きにくく感じてしまうのだろう。

 レイもそれが分かっているから、この状況で服を直せとは言わない。

 オーダーメイドに詳しくなくても、これを作るのが大変だったというのは十分に理解出来るからだ。

 それに、多少動きにくいという程度であって、動くのに本格的に支障が出る程でもない。

 そんなレイの様子に、スーツを持ってきた商人の女も表情には出さずに安堵する。

 もしこの状況で手直しをしろと言われたら、まず間違いなく手に負えない状況になるのは間違いなかったのだから。


(この子が深紅の異名持ち、ね。無駄に威張っていないような人で良かったわね)


 そうして改めてレイの顔を見ると、とても男には見えないような、整った……女顔と表現してもいい顔立ちなのに気がつく。

 背は小さいが、一種の華があるのは間違いない。

 出来れば、もっとじっくりと時間を掛けて、レイに相応しい服を用意したかったと、ふと思う。


(もっとも、そんな真似をしてるような時間はないけどね)


 腕の立つ職人を擁している女の店は、当然のように様々な注文が入る。

 特にこの時期は、パーティーの為にやってきた貴族達からの注文で、寝る間もないくらいに忙しい。

 もっとも、レイのように完全に一からオーダーメイドの服を作るといったものではなく、既にある服の調整といったものが主な仕事になるが。

 数ヶ月、半年、去年といった時にはまだ着ることが出来た服が、体型が変わって着ることが出来なくなったのを、調整する。

 そんな仕事が、次から次に舞い込むのだ。

 勿論貴族だからといってそんな者達ばかりではないのだが。

 ともあれ、そんな感じで仕事が大量にある現在、とてもではないがレイに相応しい服を……などと考えているような余裕は存在しない。


「問題ないようでしたら、これでお引き渡しをしてもよろしいでしょうか?」

「ああ。問題ない」


 あっさりとしたレイの言葉に、商人は笑みを浮かべてまた機会がありましたら是非、とだけ言って部屋から出て行く。

 そうして商人の女と入れ替わるように姿を現したのは、ミランダ。

 本来ならミランダも商人との話の時に一緒にいてもおかしくなかったのだが、レイがセトの様子を見に行って貰うように頼んだので、いなかったのだ。


「セトの様子はどうだった? いじけてなかったか?」

「はい、イエロと一緒に遊んでいたので。ただ、やっぱりちょっと寂しそうにしてましたよ?」

「……そうか」


 敵に対しては容赦なくその力を……クチバシだったり、前足だったり、スキルだったりを振るうセトだったが、基本的に人懐っこく、甘えん坊な性格をしている。

 特にそれは、大好きなレイに対して強く発揮される訳で……本来ならレイが行くと約束していた時間にレイが来ないというのは、セトにとってかなり寂しいものだった。


「ちょうど服の引き渡しも終わったし、もう少ししたらセトに会いに行ってみるか。何か厨房で土産でも貰って」


 ケレベル公爵邸の厩舎で世話になっているセトだったが、当然そこで出される食事も、その辺の人間が食べる以上に美味いものだ。

 モンスターの生肉を食べても平気なセトだったが、それでもやはり食事は美味い方がいいという、そんな思いがあるのだろう。

 もっとも、セトに出される食事はゲオルギマではなく、それ以外の者達が作っているのだが……その者達にしたところで、ゲオルギマの教えにより十分一流と呼ぶに相応しい実力を持っているのだ。

 勿論それは全員という訳ではなく、以前レイが見に行った時のように火加減で注意を受けるといった者もいたのだが。


「そうした方がいいと思いますよ。ただ……その前に、服は脱いだ方がいいかと。折角の綺麗な服が汚れてしまうかもしれませんしね」


 言われたレイは、頷きを返す。

 この服を汚してしまえば、それこそパーティーに参加する時に着ていくものがなくなってしまう。

 いや、ケレベル公爵家の財力を考えれば、もしかしたらどうにかなる可能性はあるかもしれないが、レイはそこまで甘えようとは思っていなかった。

 ましてや、服を汚すというのは完全にレイの都合なのだから。

 そんな訳で、ミランダに言われるままにレイは服を脱ぎ、それをミランダに渡す。

 本来なら脱いだ服はミスティリングに収納しておいてもいいのだが、それはミランダが禁止する。

 服の保管に対しても、色々とやるべきことがあるからという理由で。

 そう言われれば、レイとしてもその言葉には頷かざるを得ない。

 基本的に日本では高校生だったレイは、スーツや礼服の保管といったことに対しての知識がない。

 親戚の結婚式や葬式の類に参加したこともあったが、まだ学生だったレイは高校の制服、ブレザーで参加していた為だ。

 だからこそ、ミランダにそういう風にしないといけないと言われれば、そういうものかと納得する。

 そんな訳で服装をいつものドラゴンローブに着替え……


「ああ……」


 そんなレイを見て、ミランダが残念そうな声を漏らす。

 そのあからさまな態度に、レイは少し戸惑いながらも尋ねる。


「えーと……何か変だったか?」

「あ、いえ。そういう訳ではなく……あの服が、レイさんにとても似合っていたので。エレーナ様やアーラ様といった方々に一度見せてもよかったのではないかと」


 一度見せると言われたレイは、微妙に自分が見世物になったような気がしてしまう。

 それでも見せる対象がエレーナとアーラだったので、そこまで嫌な気分という訳ではなかったが。


「別に、わざわざ呼んでまで見せる必要はないと思うけどな。パーティーになれば直接見ることが出来るんだし」

「女心が分かってませんね。アーラ様はとにかく、エレーナ様は絶対に見たいと思う筈ですよ? もっとも、もう脱いでしまったので遅いとは思いますが」

「……だろうな。まぁ、パーティーの時のお楽しみってことにしておいてくれ。正直、そこまで気にするようなことはないと思うけど」


 レイはそう言うが、ミランダはこの服を持ってきた商人と同じように、レイのスーツ姿は間違いなく目の保養になるという思いがあった。

 当然のようにそこまで大騒ぎする程のもの……それこそ、エレーナのドレス姿とは比べるまでもないというのは理解している。理解してるが……それでも一見の価値があるのは、間違いのない事実だったのだ。

 それこそ、もしかしたらレイのスーツ姿を自分だけが最初に見たのを不満に思われるのはないかと、そう考えるくらいには。

 もっとも、既にレイはいつもの服装に着替えてしまっている。

 そうであれば、今更これ以上何を言っても仕方がない。

 もしかしたら、本当にもしかしたらレイに頼めば再びスーツを着てくれるかもしれないが、メイドの立場としてはそのようなことは言えない。


「さて、じゃあ服はミランダに任せるよ。俺はセトのところに行ってくるから」

「はい、お任せ下さい」


 短く言葉を交わし、レイはそのまま部屋を出て……


「おや?」


 部屋から出た瞬間、少し離れた廊下を数人が通り掛かり、その中の一人がレイに気がついて声を漏らす。

 その声のした方に視線を向けたレイは、表情には出さないものの、面倒な連中に会ったという思いを抱く。

 何故なら、その声を漏らした人物は……そして周辺にいる者達は、明らかに上物の服を着ていたからだ。

 この時期にケレベル公爵邸にいる、そのような人物。

 それがどのような人物なのかは、それこそ考えるまでもなく明らかだ。

 そう、新年のパーティーに参加する為にやって来た貴族が、アネシスに到着したのだとケレベル公爵のリベルテに挨拶に来た……といったように。


(また絡まれるのか)


 そんな風に思ったレイだったが……その予想は、良い方に外れる。


「おお、もしかしてお主が深紅のレイか? 息子から話は聞いておる。何でも模擬戦において他の冒険者や貴族が雇っている者達を一掃したとか。お主程の技量の持ち主が中立派にいるのは残念だが、それでも、これから協力していくことが出来るのであれば、こちらとしては嬉しい」

「え?」


 貴族のその言葉に、レイがそんな声を出してしまったのはおかしくはない。

 てっきりまた絡まれるのかと思っていたら、実際にはそんなことはなく、それどころかこうして友好的に接してきたのだから。

 それでも、すぐ我に返ったレイは、少しだけ慌てたように口を開く。


「ああ、こっちも良い関係になることを期待している」


 そう言いながら、レイは改めて自分の前にいる男に視線を向ける。

 そこにいるのは、年齢でいえば二十代後半程。

 今までにもその年代の貴族と友好的に接したことがないとは言わないが、それはやはり数が少なかった。

 寧ろ、レイと良好な関係を築けるのは、ブルーイットのような貴族らしくはない貴族の方が多い。

 エレーナやアーラも貴族ではあるが、どちらかと言えば貴族らしくない貴族に分類されるだろう。

 もっとも、そういう意味ではレイの担当ということになっているミランダもまた、一応は貴族の家柄なのだが……


「はっはっは。そうか。では、私はこれで失礼する。色々とやるべきことが多いのでな。また……新年のパーティーで話せることを期待している」

「子爵、そろそろ……次の予定までもう時間が……」

「分かった。では、またな」


 そう言い、子爵と呼ばれた貴族はレイの前から去って行く。

 その取り巻き達もその後に続くが、レイに向かって侮るような視線を向けてくる者はいない。


「ああいう貴族もいるんだな」


 それが、レイの正直な感想だった。

 もっとも、考えてみればそれも当然のことなのだが。

 貴族派の貴族全てが、それこそガイスカのような者だけであれば、貴族派という勢力はすぐにでも消滅してしまっているだろう。

 勿論高いプライドを持っている者も多いが、それに見合うだけの実力や、無意味に他者を見下さないといったくらいのことは出来る者の方が多い筈だった。

 少しだけ意外そうな表情を浮かべつつ、レイはその場を後にする。

 そうして向かうのは、当然のように厩舎。

 ミランダにセトの相手をして貰ってはいたが、それでもやはり多少は遅刻してもレイが直接行くべきだと思った為だ。

 とはいえ、そのミランダからセトの様子を聞く限りでは、やはり寂しがっているというのは理解出来たので、少しだけ急ぐ。

 もっとも、ケレベル公爵邸を走るといった真似はしない。

 何故なら、それはここが貴族派を率いているケレベル公爵の館だからだ。

 そのような場所で急いで走り回っている者がいれば、それこそ不作法だと侮られる原因になるかもしれないし、もしくは何か重大な問題があったのかと思い込む可能性もある。

 勿論、本当の意味で何か問題があったのであれば走ったりしてもおかしくはないのだが……少なくても、セトの機嫌を取るためにそのような真似をするというのは、避けた方がいいのは確実だろう。


(取りあえず、セトの機嫌をとるには食い物だよな。……ガメリオンの肉を使った料理を……いや、出来ればもっと美味い料理の方がいいか? 最近寂しい思いをさせてるしな)


 そんな風に思いながら、レイはセトのいる厩舎に急ぐのだった。

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