第1799話
レイは、目の前に出されたスープを飲む。
口の中に広がるのは、濃厚な動物エキスの旨み。
特に具の類が入っている訳ではなく、純粋にスープだけでここまでの味を出しているのは、レイから見ても素直に凄いと思う。
味付けは塩だけなのだが、その旨みには塩だけという単純な味付けが不思議に合っていた。
これだけの味を出すというのは、当然ながら高い調理技術が必要になるのだろうが……レイから見れば、その技術が高いのは分かるが、具体的にどれだけ高い技術が必要なのかまでは分からない。
それでも、ただ純粋にそのスープが極上と呼ぶべき味なのは間違いなかった。
(A5級のような上等な肉は、下手に味付けをするよりも単純に塩胡椒を振って焼いた方が美味く食べられるって何かで見た記憶があるけど……これも、同じような感じなのか?)
一瞬そんな風に思うが、取りあえずレイは目の前のゲオルギマに対して素直に感想を口にする。
「美味い」
「そうか」
レイの言葉に頷くゲオルギマだったが、その表情には嬉しさがない。
自分の能力がまだ未熟だと、もっと高い技術が欲しいと、そう思っているのかのような表情。
「その様子を見ると、どうやらまだ満足していないようだな」
「ああ。このスープも、オークの肉や骨を使って作ったスープだが、旨み以外にも獣臭さが完全に抜けていないし、味がぼやけている。苦みやえぐみの類もまだあるし、完成するにはまだ暫くかかるだろうな」
レイにとっては十分に美味いと思えるスープだったが、ゲオルギマにとってはまだ不満があるらしい。
とはいえ、レイがラーメンについて説明した翌日の昼にはこうしてスープを出してきたのだから、その開発速度は通常の料理人を遙かに超えているのだろう。
「そうか? 俺は十分美味いと思うけど」
「これがラーメンという料理のスープで合っているのか?」
そう聞かれたレイは、微妙に違うと答えようとして、咄嗟に黙る。
ラーメンについては自分が知っているのは、あくまでも本に書いてあった知識にすぎないのだ。
実際に自分で食べたことがないということになっている以上、目の前にあるスープの味が違うとは言える筈もない。
もしそのようなことを言えば、何故レイが食べたこともない料理の味を知っているのかと、そう疑問を抱かれることになるだろう。
「あー、取りあえずスープはこの方向性でいいと思う」
「そうか? だが、濃厚なスープの味に塩ではどこか負けてしまいそうな……」
「……あ」
濃厚なスープと聞かされたレイが、とあるスープについて思い出す。
一瞬それを言ってもいいものかどうか迷うが、ゲオルギマならレイが何も言わなくても辿り着けるだろうし、レイもラーメンを食べるのであればより美味いラーメンを食べたい。
そう判断し、思い出したスープの名前を口にする。
「ダブルスープってスープがあるってのを思い出したんだが」
「どんなスープだ?」
レイに出したスープはそれなりの味にはなっていたが、あくまでもそれなりでしかない。
ゲオルギマにしてみれば、まだ不満の方が多い。
それだけに、そのスープの味を改善出来る可能性があるかもしれないのなら、是非それを聞きたいと思ってもおかしくはないだろう。
食い気味に尋ねてくるゲオルギマに、レイは一応といつも通りに前置きを口にする。
「言っておくけど、ラーメンの知識と同じように、俺が知ってるのはあくまでも本に書いてあったものだけだ。それを前提として聞いてくれ」
「分かっている。今は、とにかく何か助言が欲しいんだ」
「……このスープは、オークの骨を煮込んで作った代物だったよな?」
「ああ。勿論オークの骨以外にも臭い消しの香味野菜はたっぷりと使っている」
「だろうな。俺はこのくらいの臭みなら特に問題ないと思うし。けど、ゲオルギマは気になるんだろ?」
常人よりも遙かに鋭い五感を持つレイだったが、その中でも味覚は鋭くても、そこまで発達していない。
幾ら味覚が鋭くても、それをきちんと鍛えなければ使い物にはならない。
そういう意味では、レイの味覚は絶対的に経験値が足りなかった。
「そうだ。それで、ダブルスープというのは、具体的には?」
「簡単に言うと、魚介類でとったスープとこのオークでとったスープを混ぜるだけだよ」
「……なるほど。そういう調理法があることは知ってるけど、それをラーメンにも使うのか」
てっきり自分の言葉に驚くとばかり思っていたのだが、ゲオルギマが既にその調理法を知っているということに、寧ろレイの方が驚いた。
勿論ゲオルギマもある程度驚いてはいるのだが、それよりもレイの驚きの方が強かったのだ。
だが、すぐに料理に対しては深い知識を持っているゲオルギマなのだから、知っていてもおかしくはないと思い直す。
「ただ、スープは麺にも関わってくるからな。……そっちの方はどうなんだ?」
そう尋ねるが、こちらにはゲオルギマも首を横に振る。
「駄目だ。そもそも、かん水ってのがどんなのか分からない限り、どうしようもないしな。……かん水ってくらいだから水ではあるんだろうが……」
「料理に関しては高い知識と技術を持っているゲオルギマでも、かん水は難しいか」
そもそもかん水という名前から液体であると考えているレイだったが、実はそのような名前の別の食材という可能性もあるのだ。
「いずれ見つけ出して見せる。……だが、それまでは取りあえずラーメンではなくうどんのスープとしてこのスープを使うのがいいだろうな」
「それが最善の選択だろうな」
ラーメンのスープにうどんが合うのかどうかは、レイも分からない。
いや、そもそもこのスープがラーメンのスープと呼んでもいいのかどうかも分からないのだから、その心配をするのはまだ早いのだろうが。
(ラーメンじゃないけど、キリタンポ鍋の出汁で食べるうどんとか蕎麦とか素麺とかは美味いしな。それを考えれば、このスープにそのままうどんを入れてもいいし、もしくはダブルスープにしてうどんを入れてもいい訳だ)
そんな風に考えているレイの近くでは、ゲオルギマもまた考えていた。
どのような魚介類のスープを使えば、この白濁した豚骨――正確にはオークの骨なのだが――スープに負けないだろうかと。
(強い味を出すには、乾物……貝か? もしくはタコやイカの干物……そう言えば、クラーケンの干物があったな。あれを使えば……)
ゲオルギマは現在厨房にある食材を素早く思い出し、スープに強い味を出す方法を考える。
ダブルスープというレイのアイディアは、ゲオルギマにとっても予想外のアイディアだった。
スープというものを考えれば、思い浮かんでいてもおかしくはなかったのだが。
そうして海鮮スープについての目処を付けると、やがて立ち上がる。
「大体の目処はついた。このオークの骨からとったスープを使って、魚とかのスープでもちょっと試してみるわ。そっちのスープが出来たらまた持ってくるから、そうなったらまた味見してくれ。麺の方も色々と試したいしな」
「スープと麺については分かったけど、具の方はどうなってるんだ?」
「そっちも色々と進めてる。ただ、具の方は作り方とかそこまで難しくない……というか、今ある調理法でほぼ再現出来そうだ」
そう告げるゲオルギマの言葉に、そうなのか? と一瞬疑問に思うレイ。
だが、チャーシューという点では同じような料理や、シチューで柔らかな肉を食べたこともあるので、恐らく大丈夫なのだろうとは思う。
煮卵や燻製卵に関しても、特に問題なく作れる筈だった。……ゆで卵を燻製にするというのは、ゲオルギマにとっても予想外だったが。
寧ろ、ゆで卵のようなものを燻製にするという知識を得たのは、今回のラーメンの一件において大いなる収穫ですらある。
「ただ、メンマだったか? タケノコを使った奴はちょっとな。レイが言っていたような感じにはならない」
「あー……俺も作り方は分からないしな」
レイが知っているメンマというのはタケノコを発酵させる必要があるのだが、その辺の知識が全くないレイにしてみれば、それこそどうやって作るのかも想像出来ない。
「その辺は試行錯誤していくよ。そもそも、麺が出来るまでどれだけ掛かるか分からないしな。じゃあ、早速このスープを改良するから行くぞ」
「あー……昼食の方もよろしく頼む」
もう昼時だというのに、レイが食べた……いや、飲んだのはオークの骨を使ったスープだけだ。
具も何もない、本当にスープのみ。
元々他の人よりも多く食べるレイにとって、このスープだけの昼食というのはとてもではないが満足出来ない。
勿論スープそのものは、レイにとっても満足出来る味ではあったのだが。
「あ? ああ、そう言えばもうそんな時間だったか。厨房に戻ったら何か持ってくるように言っておくから、ちょっと待ってろ」
そう言い、部屋を出ていくゲオルギマ。
レイは椅子に座りながら、若干呆れた表情でそんなゲオルギマの後ろ姿を見送った。
「まぁ、ラーメンが出来るのなら俺はいいけどな」
この様子では、レイがケレベル公爵領にいる間にラーメンが出来るということはない。
いや、もしかしたら未完成品は出来るかもしれないが……それを食べて、レイが満足出来るのかどうかというのは話が別だった。
ゲオルギマが離れてから少し経ち……やがてメイドが持って来てくれた昼食で腹を満たすと、これから何をするべきかを考える。
当然ながらここはケレベル公爵領なので、レイの知り合いと呼ぶべき人物は多くない。
その中で最も親しいエレーナやアーラも、ギルムに行っていた間に溜まっている仕事を片付けるのに忙しく、少なくても今日はレイと時間が合わなかった。
午後はどうすごすべきか。
そう考えたレイが思い浮かんだのは、フィルマ率いる騎士団との訓練。
だが、そのすぐ後で、そう言えば自分が今いるのはアネシスなのだと……ミレアーナ王国第二の都市であると思い出す。
(この屋敷にいれば静かだから、あまりそういう実感はなかったけど……そうなれば、やっぱりアネシスは見て回った方がいいか? 何か俺がまだ食べたことのない料理とか、食材とか、マジックアイテムとか、そういうのがあるかもしれないし)
そこに考えが及べば、レイもいつまでもこうしてはいられない。
思い立ったが吉日と言わんばかりに、出掛ける準備を整え……メイドを呼ぶ。
レイが泊まっている部屋には鈴が用意されており、その鈴を鳴らせば隣の部屋で待機している、この屋敷にいる間はレイの専属となったメイドがすぐにやってくる。
尚、そのメイドの名前はミランダといい、レイが厩舎にセトの様子を見に行った時や、フィルマとの模擬戦を行った時に一緒にいたメイドだ。
特に厩舎での一件があってから、ミランダはレイに対する態度を和らげている。
とはいえ、それはあくまでもメイドとしての態度であって、個人的にレイと仲良くなりたいと思っている訳ではないのだが。
「レイさん、何かご用でしょうか?」
「ちょっとアネシスを見て回りたいんだけど、セトも一緒に連れていってもいいかどうか、聞いてみてくれないか?」
セトも一緒にということで、ミランダは少しだけ羨ましそうな表情を浮かべる。
だが、すぐに迷ったように口を開く。
「その、セトちゃんが一緒となると色々と怖がる人も出てくると思うので、ちょっと難しいと思いますけど」
「だろうな。ここはギルムじゃないんだし」
ここがギルムであれば、それこそセトと一緒に出掛けても怖がられるようなことはない。
もっとも、増築工事の為に仕事を求めて集まってきている者も多いので、そのような者の中には当然ながらセトを初めて見た時には怖がる者もいたのだが。
「旦那様に少し聞いてきますので、少々お待ち下さい」
「分かった。こっちは出掛ける準備をして待ってるから聞いてきてくれ」
そうレイが言うと、ミランダは頭を下げて部屋を出ていく。
その後ろ姿を見送ると、レイはそのままソファに座る。
出掛ける準備をすると言ったが、レイは出掛ける為に特に準備をする必要はない。
ドラゴンローブを身に纏っている今の状況で、そのまま出掛けることは出来るのだ。
雪が降るこの時季は、普通ならもっと暖かくするべきなのだが、簡易エアコンの機能のあるドラゴンローブがあれば、その辺の心配はいらない。
そうして待つこと、十分程……やがてミランダが戻ってくる。
「旦那様に聞きましたが、セトも一緒でも構わないとのことでした。ただし、住人が混乱しないように一人騎士を付けるとのことでしたが、それでも構わないでしょうか?」
その言葉にレイは特に異論がなく、頷きを返すのだった。
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