第1758話

 レイがエレーナと共にケレベル公爵領に行くということが決まると、当然相応の準備が必要となる。

 特に大きいのは、やはりダスカーとギルドに報告しておくことだろう。

 本来であれば、その街から何らかの理由で冒険者がどこかに出掛ける場合、わざわざ報告をする必要はない。

 だが、レイの場合はギルムの増築工事や、地上船の建造に関しても深く噛んでおり、スーラ達の件にも関わっている。

 それだけに、本来ならわざわざ知らせる必要がないのだが、何かあった時にレイに頼ろうとして、実はレイはギルムにおらず、結果として時間を無駄にする……そのようなことにならない為、前もって知らせておく必要があった。

 そしてケレベル公爵領に向かう以上、当然ながらダスカーに知らせる時は、レイの他にエレーナとアーラの姿もある。

 エレーナとレイという、ダスカーにとって重要な人物が尋ねてきたのだから、ダスカーとしては余程緊急の用件がない限りはすぐ会うことにする。

 そうしていつものように執務室で、レイとエレーナ、アーラの三人はダスカーと向かい合っていた。

 なお、セトとイエロの二匹は現在領主の館の庭で一緒に遊んでいる。


「ふーむ。まぁ、エレーナ殿がケレベル公爵領に戻るのは分かるが、レイも一緒にか」

「何か不味いですか? 一応、今は特に何も緊急の用件はなかったと思いますけど」


 尋ねるレイに、ダスカーは紅茶を飲みながら何となく執務机の上にある書類に視線を向ける。

 それに釣られて執務机を見たレイは、そこにある書類の数が明らかに以前よりも減っていることに気が付く。

 もっとも、それはダスカーが必死に書類を整理したというのもあるが、それ以上に増築工事が次第に減り始めていることの証明でもあった。

 冬に近づいているだけあって、どうしても寒さは増し、外で仕事をするのが危険になってきてもいるのだ。

 それでも仕事を求めている者達の為に、最低限の工事は進めているのだが……ともあれ、それが理由で決済が必要な書類が少なくなっているのは事実だった。

 そんなレイの視線に気が付いたのか、ダスカーは問題ないと首を横に振る。


「別に書類は関係ない。ただ、レイは色々な意味で目立つからな。そのレイがいれば、妙な騒動が起きることは少なくなると思っただけだよ。もっとも、これはあくまでも俺がそういう風に感じているだけだから、特に気にする必要はない。それに、最長でも春になればギルムに戻ってくるんだろ?」

「そのつもりです。いえ、正確には新年のパーティが終わったら、でしょうか」


 レイの言葉に、ダスカーは安堵する。

 レイがいなければ増築工事を始めとして全く進まないという訳ではないが、それでもいるのといないのとでは効率が大きく違うのだ。

 何よりセトという移動手段があるレイは、どれだけ遠くであっても地上を馬で移動するよりは圧倒的に速く移動出来る。

 ……もっとも、微妙に方向音痴気味だったりするので道に迷ったり、トラブルを引き寄せるので揉めごとに首を突っ込んだり、盗賊を見つけてそれを狩ったりといった真似をするので、真っ直ぐ移動するという訳にはいかないが。

 ただ、それを加味しても、レイとセトの移動速度は高いのだ。

 何か緊急の用事があった時に、レイがいるのといないのとでは大きく違う。

 そんなレイが、新年明けまでギルムにいないというのは残念だったが、それでもどうしようもない程ではない。


「分かった。出来ればレイにはいて欲しかったが、お前は俺の部下ではないからな。行くというのなら、止めることは出来んさ。……エレーナ殿、レイは色々と迷惑を掛けるかもしれないが、よろしく頼む」

「うむ。任せて貰おう。……もっとも、レイを連れて帰る時点で騒動が起きるのはほぼ確定なような気がするがな」

「違いない」


 ふふふ、と。エレーナとダスカーはお互いに顔を合わせて笑みを交わす。

 それに不満を言いたいレイだったが、自分が普通の……それこそ一般的な貴族との相性が悪いというのは、冒険者になってから今までのやり取りで十分理解している。

 だからこそ、結局のところレイは二人の会話を聞きながらも黙り込むしか出来なかった。

 そんな三人の様子に、アーラは声を出さずに笑みを零す。


「さて、では私はこの辺で失礼するとしよう。レイもワーカーに話を通しておいた方がいいだろう? それに、レイには熱心な受付嬢もいるしな」


 そう告げるエレーナの言葉が誰のことを言っているのかは、一目瞭然だった。

 レイもまた、それを理解している為に、特に反論もなく頷く。


「ふむ、そうか。俺も余裕が出来てきたとはいえ、まだ仕事があるからな」


 ダスカーは若干嫌そうな表情で執務机の上にある書類の山を見る。

 以前より減ってきたとはいえ、元々ダスカーは書類仕事の類は決して好きな訳ではない。

 それでも嫌いなのと、実際にその仕事に向いているのかは別の話で、ギルムの領主として十分に仕事をこなせるだけの能力があったのは……はたして、ダスカーにとって良かったのか、悪かったのか。

 元騎士だけあって、本質的には身体を動かしている方が好みだったダスカーだったが、それでも書類仕事はしっかりとやらなければならない。

 面倒臭そうにしながら……それでも、レイやエレーナ、アーラとの話で十分気分転換は出来たのか、座っていたソファから立ち上がって執務机に向かい……ふと、ダスカーは足を止め、振り向く。


「エレーナ殿、一応聞いておくが、ギルムを出る前には連絡を入れてくれるのだな?」

「うむ。勿論何も言わずに出ていくような真似はしない」

「そうか、ならいい。こちらとしても、何も言わずにエレーナ殿達が出ていったとなれば、驚くからな」


 その言葉を最後にレイ達は執務室から出て、部屋の外で待っていたメイドに案内されながら外に出た。

 既に何度も領主の館に来ているレイ達なので、別に案内の類はいらないのだが……領主の館を自由に移動させる訳にはいかないので、当然の処置なのだろう。

 領主の館というだけに、当然そこには色々な機密の類も存在する筈なのだから。

 また、人に見せられないような、そんな何かもある可能性があり、そんなものをうっかりと見てしまうようなことになれば、ダスカーの方でも色々と処置をしなければならなくなる。

 そうして領主の館から出ると……庭で遊んでいたセト達が合流したということもあって、当然のように目立つ。

 勿論レイ達はダスカーが用意してくれた馬車に乗っているが、それでも窓からその馬車に乗っている人物が誰なのかを特定するのも難しくはなく……


「エレーナ様、エレーナ様ではありませんか!? よろしれば、少しお話を……」

「待て、エレーナ様と商売をするのは俺だ! お前みたいな木っ端商人は引っ込んでいろ!」


 馬車の外からそんな声が聞こえてくるが、レイもエレーナも、そして御者をしているアーラもそれを無視して馬車を進める。

 商人達にとっては、ダスカーとの商売も利益があるが、姫将軍の異名を持つエレーナと顔見知りになっておくことも非常に重要なのだろう。


「まだ、頑張っている商人がいるんだな。そろそろ自分の地元に戻らなきゃ、これからは色々と大変だろうに」

「恐らく、あの商人達は無計画にギルムまで来たのだろう。取りあえずギルムまで行けば、何とかなると考えて。だが……」

「そこまで甘くはなかった、か」


 エレーナの言葉を継ぐようにして告げるレイに、エレーナは自分の膝の上にいるイエロを撫でながら、頷きを返す。


「うむ。勿論もっと早く来た者であれば、何らかの利益は得たのだろうが……ここに残っている商人達は、それこそ出遅れた者が殆どだ。もっとも、中には単純にギルムから遠い場所からやって来たという、運の悪い者もいるだろうが」

「あー……それはどうしようもないよな」


 少しだけ同情するように、レイが告げる。

 日本にいた時のように、飛行機や電車、車といった交通手段が発達している訳ではないこの世界は、レイのような一部をのぞいて基本的に移動するのは徒歩か馬車だ。

 それではどうしても遠くまで移動するのに時間が掛かり、結果としてギルムに到着するのが遅れ、商機を逃してしまうことになる。


(そう考えれば、何とかしてやりたい気がしないでもないけど……誰かに俺がモンスターの素材とかを流せば、それこそそこから面倒が大量にやって来そうな気がするんだよな)


 以前に黄昏の槍の件で商人達に群がられたことを思い出し、レイは同じような真似はごめんだと、商人達を助けるという選択肢を消す。

 商人の中には非常に図々しい者がおり、そのような者達はレイにとってあまり関わり合いたい存在ではない。

 これ以上そのことを考えるのは馬鹿らしいと、レイは自分の乗っている馬車の内部を眺めつつ、話題を変える。


「この馬車、ギメカラから……正確にはゾルゲー商会から買い取ったらしいけど、知ってたか?」

「ほう? では、これはスーラ達が乗ってきた馬車なのか? 聞いた話によれば、借りていた馬車や馬はスーラ達でそれぞれ買い取るという話だったが」

「ああ。ただ、それぞれってことは、当然それを買い取らないという選択をする者もいる。そのような者達から買い取った馬車を、ギメカラは色々なところに売ってるらしい。今の時季、馬車はあればあるだけ売れるしな」


 冬間近ということで、多くの商人がギルムには集まっている。

 そんな商人の中には、ギルムで商品を仕入れすぎて運ぶことが出来なくなった者や、それ以外にも様々な理由で馬車を必要としてる者が多い。

 馬車やそれを牽く馬もセットで持って来たギメカラにしてみれば、これ以上ない程の商売相手だろう。

 また、商人以外にもダスカーのように、馬車はあればあるだけいいという者もいる。

 である以上、ギメカラが商売相手に困ることはなかった。

 そうして馬車や馬を売った金で、ゾルゲー商会の本店として使うべき建物を整備しているのだ。


「最初から、ギメカラはこれを狙ってたんだろうな。でないと、こうも易々と馬車や馬を買ったりは出来ないし」


 レイの言葉に、エレーナは同意して頷く。


「この辺り、商人らしいと言えるな。もっとも、スーラ達が買い取ると言っている分は残しておく必要もあるから、その維持費でも大変なことになりそうだが」

「それは否定しない。馬だけでも数百頭いるのを考えると、その餌代だけでどれだけ出費してるやら」

「そもそも、それだけの馬を飼うだけの厩舎を用意したというのも驚きだな」


 勿論、ギルムが以前のままのギルムであれば、そのような真似は出来ない。

 増築工事をしているおかげで、それだけの余裕が出来たのだ。

 それでもゾルゲー商会が手を回して、幾つもの宿や馬を預かってくれる厩舎のある家を探し、それでようやく……といった感じなのだが。

 そんな風に話しをしている間にも馬車は進み、やがてギルドの前に到着する。


「エレーナ様、レイ殿、到着しました」


 アーラの声に頷き、二人は馬車から降り……ふと、今更ながらレイは疑問を抱く。


「なぁ、アーラ。この馬車ってダスカー様の所有している馬車だと思うんだけど、どうやって返すんだ? アーラは当然俺達と一緒に行動するんだろ?」

「それは大丈夫ですよ。ギルドの方で返してくれる手筈になっているらしいので」

「……そうなのか」


 ギルドとダスカーが友好的な関係を築いている以上、そうなってもおかしくはないのだろう。

 そう思いつつ、レイは頷く。


「グルルルルゥ!」


 セトの嬉しそうな鳴き声に視線を向けると、そこにはガメリオンの串焼きを嬉しそうに食べているセトの姿がある。

 ガメリオンの肉はそれなりに高価なのだがと思ったレイだったが、誰がセトにその串焼きを与えていたのかを見て、納得した。

 何故なら、その串焼きを与えていたのはヨハンナだったからだ。

 ミレイヌのライバルたるヨハンナにしてみれば、ミレイヌがいない今のうちに出来るだけセトを独占しておきたいと、そう考えているのだろう。


(そう言えば、ミレイヌ達はいつ帰ってくるんだ? レーブルリナ国との交渉ってことだから、冬になる前に帰ってくるのはまず無理だと思うけど……そうなると、春? いや、けどなぁ……)


 普通に考えれば、どんなに交渉が早く終わっても冬になるまでにギルムに戻ってくるのは不可能なように思える。

 それこそ、セトでもいれば話は別だが……そもそもセトがいれば、それこそミレイヌは自分だけがセトを愛でる為に、ギルムに戻ってきたりはしないだろう。

 それだけセト愛好家……もしくはセト中毒と言ってもいいようなミレイヌが、一冬ずっとセトに会えないのを許容出来るか。

 そう言われれば、レイは首を傾げざるをえず……もしかしたら、冬の中でも無理をしてギルムまで帰ってくるのではないかと、少しだけ不安に思うのだった。

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