第1643話

 夏らしい暑さは、夜になれば大分消える。

 勿論、夜になったからといって急激に寒くなる訳ではないのだが、それでも少し前までの夜に比べれば大分すごしやすくなっているのは間違いない。

 耳を傾ければ、周囲から聞こえてくる虫の音も幾分か変わってきているのが分かるだろう。

 そんな秋に近づきつつある虫の音を聞きつつ、レイ達はマリーナの家の庭で食事をしていた。


「考えてみれば、ここで食事をするのは随分と久しぶりなような気がするな」

「そう? そこまででもないと思うけど。だって、レーブルリナ国に行く前でしょ?」


 肉と野菜がたっぷり入ったシチューを食べながら、焼きたてのピザに手を伸ばしつつ会話が弾む。

 他にもテーブルの上には、串焼きや煮込み料理、焼き魚……といった風に、幾つもの料理がある。

 豪華な食事というのは少し難しいかもしれないが、それでも十分に美味い料理が揃っているのは間違いない。


「ふむ、この魚のピザは美味いな。魚はギルムに戻る前に獲った魚か?」


 川魚の身とチーズ、夏野菜が幾らか……といった、シンプルなピザを味わいつつ、エレーナが感嘆の言葉を口にする。

 美味い料理という意味では、エレーナ、マリーナ、ヴィヘラの三人は、それこそ何度となく貴族のパーティに出されるような料理を口にする機会があった。

 だが、そんな三人にとっては、マジックアイテムのピザ窯を使ってレイが作った手料理というのは、どのようなご馳走にも勝る味だ。


「ああ。川魚に結構余裕があるからな。それを使ったんだ。ただ、川魚と野菜だから、どうしてもあっさり系の味付けになってしまうんだよな。もう少し濃い味付けにしてみたいんだけど」

「そうか? 私はこのようなあっさりとした味に十分満足しているがな」

「うーん、私はレイの言う通り、もう少し濃い味付けがいいかしら」


 エレーナの言葉に、ヴィヘラが自分の好みを告げる。


「あら、私はこれくらいでも美味しいと思うけど?」

「んー……」


 マリーナはエレーナの言葉に賛成し、ビューネはヴィヘラの言葉に賛成する。

 意見は真っ二つに分かれてしまったが、レイはそれを気にすることなく、新しいピザを焼く。

 いや、そちらのピザの具は甘辛く煮込んだオークの肉だというのを考えれば、やはり若干は気にしているのだろう。


「それで、今日一日仕事をしてみてどうだった? こっちは取りあえずトレントの森にあった木は全て運んだけど」

「レイの場合、その手の仕事は全く苦にならないものね」


 レイの持つミスティリングは、その手の仕事に滅法強い。

 どれだけの物……それこそ人が運ぶとなればかなりの労力を必要とするものであっても、あっさりミスティリングに収納出来るのだから。


「まあな。とにかく、俺の方で一番問題だった件は片付いた。ただ……トレントの森に結構モンスターが入り込んでるみたいでな」

「一応、その辺りは警戒している筈なんでしょう?」


 そう告げたヴィヘラに、マリーナが食べていたピザを皿に戻してから口を開く。


「あのね。幾ら何でもトレントの森を完全に封鎖出来る訳がないでしょ。いくら封鎖しようとしても、その隙間を縫うようにして、モンスター達は森の中に入るのよ」

「……そこまでして、何でトレントの森に?」


 ヴィヘラが知ってる限り、トレントの森に動物の類は殆どいない。

 鳥の類は空を飛んでいるので幾らかいるようだったが、それでも数は少ない。

 そのような場所に住み着いても、それこそ食べるに困るのではないかというのが、ヴィヘラの疑問だった。


「人がいるし、それこそ他にモンスターもいるでしょ? 食べ物には困らないわよ」


 そう言いながらも、やはりマリーナにとってもトレントの森にモンスターが住み着くというのは、面白いことではないのだろう。

 元ギルドマスターとして、その反応はおかしくなかった。


「そうなると、レイは明日からトレントの森のモンスターを駆除して回るのか?」


 少しだけ羨ましいといった様子で、エレーナがレイに尋ねる。

 アーラと共にマリーナの家に泊まるエレーナだったが、貴族派から派遣されている人物としてダスカーを含めて色々な相手と会談を行う必要があった。

 勿論会談相手にそれを悟らせるような真似はしないが、それでもやはりエレーナにとっては、そうした会談というのはあまり好みではないのだろう。

 それだけに、身体を動かせるというレイが羨ましかったのだ。


「恐らくそうなると思う。モンスターと戦うのは、俺にとっても悪いことじゃないし」


 未知のモンスターの魔石を入手出来る可能性もあるし、そうでなくてもモンスターの肉は手に入れておいて損はない。

 そして、トレントの森で活動している樵や冒険者もモンスターに襲われるようなことはなくなる。

 そう考えれば、レイの行動は最善と言ってもいい。

 ……もっとも、既にレイの中では魔石や肉の方が重要な要素になっているのだが。

 そんなレイとエレーナの会話を聞いていたヴィヘラが、ビューネの口元についている食べかすを拭きながら、不思議そうに口を開く。


「話を聞いてると、トレントの森にいるのはモンスターくらいなの? 動物とかは?」

「残念ながら、動物はいないらしいな。何らかの動物はいてもおかしくはないんだが」


 豊かな森なのだから、それを食べる草食動物、そして草食動物を食べる肉食動物といった動物が集まってきてもおかしくはないんだけどな。

 そう告げつつ、レイはソーセージとタマネギ、キノコのピザを楽しむ。


「まぁ、俺の方はともかくとして……マリーナとヴィヘラの方はどうだったんだ?」

「私は工事現場の方で仕事をしてたけど、事前に聞いていた予定に比べると、若干遅れているみたいよ」

「何でだ? 建築資材が足りないからって訳じゃないよな?」


 レイに戻ってくるようにダスカーが要請した最大の理由は、トレントの森にある伐採した木材の運搬についてだったが、だからといって木材が一切運ばれていなかった訳ではない。

 また、レイがレーブルリナ国に行く前に運んだ木はかなりの量になり、建築資材が足りなくなるということは考えにくかった。


「ええ。資材の問題じゃないわ。問題なのは、腕利きの職人が集まりすぎたことかしら」

「……腕利きの職人が集まらなかったことじゃなくて、集まりすぎたこと?」


 腕利きの職人が足りないのであれば、それこそ職人の手が回らずに工事が遅れるというのも理解出来る。

 だが、腕利きの職人が多かったのが、何故……そう思い、すぐに思い出す。

 そう言えば、増築工事が始まる前にも同じような騒動が起こっていたな、と。


「腕利きだからこそ頑固で、他の職人のやり方を受け入れられないってことか? いや、けど、それは工事が始まる前にもう解決してなかったか?」

「そうね。大まかな方向性という意味では解決していたわ」

「あ、それってもしかして……」


 マリーナの言葉に、ピザに舌鼓を打っていたアーラが何かに気が付いたように呟く。

 そんなアーラの様子に、マリーナは頷きを返す。


「多分、アーラの考えで正解ね。大まかなところは職人達の間で話が通っていたけど、細かいところとなるとそれぞれの流儀がある。おまけに熟練の職人達だけに、その流儀にもきちんとした意味があるのよ」

「それで、今まで問題にならなかったのか?」

「勿論なったわよ? でも、ちょっと前まではまだそこまで大きな問題じゃなかったのよ。けど……ちょっと前からそれが重なるようなことが多くなってきたらしくて」

「工事が遅れ始めた……か。まぁ、適当に妥協してなあなあに済ませて工事を進めるよりは、しっかりと話し合って、お互いに納得してから工事を進めた方がいいのかもしれないけどな」

「そうね。ここで適当に話を合わせて工事を進めた場合、また後で同じような騒動になるのは分かっているし……そう考えれば、やっぱりその辺りをはっきりとさせた方がいいんでしょうね。特にこれから、秋、冬となると……」


 それ以上は何も言わないが、マリーナが何を言いたいのかというのは、その場にいる全員に理解出来た。

 今の季節はいい。秋もまた、そこまで心配する必要はないだろう。

 だが、冬……雪が降る中で工事を進めている時、もし何らかの手違いで何か事故が起きてしまえば、取り返しがつかなくなる可能性が高いのだ。

 その時に後悔しないように、工事についての細かい場所もしっかりと現場で話し合った方がいいのは間違いない。


「上の方はその辺りの事情を知ってるのか?」

「勿論。ただ……幾ら言っても、職人が相手だから。それこそ腕が悪い職人ならともかく、腕の良い職人を集めての工事だから、どうしても本人達が納得しないとどうしようもないのよ」

「……下手をすれば、増築工事そのものが終わってしまいそうな気がするんだけど、俺の気のせいか?」


 話し合って、職人が上手く噛み合えば、現場では非常に大きな力となるのは間違いないだろう。

 だが、それはあくまでも上手く噛み合えばの話だ。

 そうなればいいが、ならなければ最悪職人の大半が工事から手を引く……という可能性も否定は出来なかった。

 特に職人の中にはドワーフも多く、その頑固さは人並み外れたものがある。


「その可能性もあるけど……多分何とかなるわよ」


 レイの言葉を理解しつつ、それでもどこか余裕を持ってそう言うのは、マリーナに何らかの奥の手とも言うべきものがあるからか。

 その辺に多少疑問を抱きつつも、マリーナがそう言うのであれば……と、レイはそれ以上聞くのを止める。


「で、そうなると次は……ヴィヘラの方はどうだったんだ?」

「私? うーん、そうね。以前と特に変わりがないというのが、正直なところだけど」


 ピザ窯で焼いた鹿肉のローストに酸味のある果実で作ったソースを付けて食べていたヴィヘラが、レイにそう言葉を返す。


「以前と変わらない……か。俺が聞いた話だと、結構な人数を倒したって感じだったが?」


 ケニーから聞いた情報を口にするレイだったが、ヴィヘラはそんなレイに対して笑みを浮かべつつ、口を開く。


「ええ、だから以前と変わらないって、そう言ったでしょ?」


 何でもないような表情でそう告げているが、それはつまり以前から大勢を腕力で強引に沈黙させていたということに他ならない。

 もっとも、ヴィヘラにそのようなことをされるような相手ということは、即ち相応に悪質な相手だと、レイは認識している。

 幾ら強い相手との戦いに飢えているヴィヘラであっても、そこまで悪質ではない相手に対しては、そこまで強硬な態度を取る筈がないのだから。


「そうなると、俺が予想してたよりも多くの悪質な奴がギルムには入ってきてるってことか。……正直、厄介だな。後々面倒なことにならないといいんだが」


 そう告げるレイにマリーナは精霊魔法で冷やした果実水の入ったコップを渡しながら、慰めるように口を開く。


「その辺りはどうしようもないわよ。どうしたって、冒険者の中にはそういう人達が混ざってくるんだから。寧ろ、そういう人を的確に倒したヴィヘラを褒めてあげるべきだと思うわよ?」

「そこまでレイが気にする必要はないと思うけど。別に、レイがギルムの冒険者の代表って訳じゃないんでしょ? ランクS冒険者はともかく、ランクA冒険者や異名持ちの冒険者は他にもギルムにいるんだし」

「ヴィヘラがそこまでギルムの冒険者に詳しいとは思わなかったな」


 その口調から、ヴィヘラがギルムにいるランクA冒険者や異名持ちの冒険者についてある程度の情報を集めているのは間違いなかった。

 レイにしてみれば、ランクA冒険者も異名持ち冒険者も、雷神の斧のエルク達くらいしか知らない。

 いや、異名持ちという点ではエレーナもそうなのだが、今回の場合はあくまでもギルムに所属している冒険者というのが前提である以上、数には入れられないだろう。


「当然でしょう? レイはもう少し冒険者事情に詳しくなった方がいいわよ? それに……私の場合、そういう強い冒険者の情報を集めるのは当然だと思わない?」

「それは否定しない」


 実際、強い相手との戦いを好むヴィヘラの性格を考えれば、強いと噂されている人物の情報を集めるのは、当然だろう。

 それこそ、いつそのような相手と戦えるのか分からないのだから。

 その準備を怠るというのは、ヴィヘラにとってはまさに致命的な損失を生み出す可能性があった。


「ふふっ、今度レイにはその辺りの情報を色々と教えてあげるから、楽しみにしててね」


 そう言い、ヴィヘラは満面の笑みを浮かべる。

 だが、冒険者の情報ともなれば元ギルドマスターのマリーナも負けていないし、エレーナもその顔の広さから異名持ちの人物を何人か知っている。

 そんな感じで、夕食の場は騒がしくなっていく。

 レイはそんな食事の光景を見ながら、ギルムに戻ってきた……と、そう実感するのだった。

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