第1624話

 全員が馬車で移動するようになってから、数日……徒歩で移動していた時に比べると、驚く程の移動距離の違いが出て、レイがメジョウゴを出発していた時に予想したよりも、随分と距離を稼いでいた。

 だが……だからこそ、レイはそろそろギルムからの使節団に一度合流しておいた方がいいだろうと考え、夕食を終えて自由時間になっている頃にスーラへその話題を出す。


「え? じゃあ明日の朝に離れるのってレイだけ?」

「いや、最低でも俺とエレーナは行く必要があるだろうな。後、出来ればマリーナも来て欲しい」


 エレーナは貴族派からの応援……という形を取っているし、本人もそのつもりではあるのだろう。

 だが、貴族派にしてみればレイ達が具体的にどのような行動をしているのかを知っておくという役割も期待されている筈だった。

 本人もそれは理解していたが、実際にはレイと一緒の時間をすごすことを優先しており、その辺りについてはそこまで力を入れていない。

 レイもその辺りの事情は知っており、エレーナの立場を考えてその名前を出した。

 対のオーブの件も大きい。

 マリーナの名前を出したのは、やはりそのネームバリューからだろう。

 ギルムにおいて、元ギルドマスターのマリーナは非常に有名な人物だ。

 ダスカーと親しいということもあり、使節団の面々がレイ達に何か無茶なことを要求しようとしても、まず無理だろう。

 また、対のオーブを使ってダスカーと交渉する時に、マリーナの存在は対ダスカーとしては切り札的な存在でもある。

 そういう意味で、マリーナという存在は必要だった。


「じゃあ、私とビューネはこっちに残ればいいの?」


 ヴィヘラの言葉に険がなかったのは、一緒に行っても強い相手と戦えるという予感がなかったからだろう。

 実際には使節団の護衛として冒険者や兵士、騎士といった者達がいる筈だったが、その程度の相手であればヴィヘラにとっては戦うに値しないという認識だった。

 勿論、冒険者の中には強い者も多い。また、騎士の中にも例外的な強さを持つ者はいる。

 だが、そのような人物が護衛としてやって来ているとは、ヴィヘラには到底思えなかったのだ。

 ……そうであれば、わざわざ自分が一緒に行かなくても、ここで護衛をやっていた方がいいだろうという判断からの言葉。

 レイにとっても、自分達全員がこの場から離れるというのは色々と不味いのは分かっていたので、ヴィヘラの言葉に感謝はしても不満は抱かない。


「そうだな。じゃあ、頼む」

「ええ」

「ん」


 ヴィヘラとビューネの二人は、レイの言葉に短く答える。

 そうして話が決まると、すぐに準備に取りかかる。

 もっとも、出発するのは明日の朝である以上、今からやるべき仕事はそう多くはないが。

 多くはないとはいっても、全くない訳ではない。

 千人分の食事を昼、夜、それと念の為に朝の分を馬車に移しておく必要があるし、他にも明日の夜までにレイが戻ってこられない場合は砂上船を宿代わりに使えない以上、そちらの準備もする必要があった。

 特に夜ともなれば、やはりモンスターや盗賊の類を警戒しなければならない為、護衛達はいつも以上に厳しく見回りをする必要がある。


「分かったわ。他の人にもその辺りの事情は話しておくけど……ただ、出来るだけ早く戻ってきてくれると嬉しいんだけど」


 スーラにとって、レイという存在はこの一行の大黒柱的な……もしくは中心的な存在だという認識だ。

 実際それは間違っている訳ではなく、何かあった時にすぐに対応出来る戦力を持っており、大量の食料を運び、砂上船を使って夜に外で眠らなくてもよくなっている。

 セトとイエロの存在は、女達にとって愛すべきマスコットキャラといった感じになっており、旅をしている間の辛いことを忘れさせてくれる。


(馬車が手に入った以上、その辺りはもうあまり心配しなくてもよくなったけど)


 一日中歩く必要がなくなったというのは、旅慣れていない女達にとってこれ以上ないだけの幸運だったといえるだろう。


「そうだな。別に使節団と一緒に行動する訳じゃないし、情報交換とかダスカー様との話を終えたら、すぐにこっちに戻ってくるつもりだ。……上手くいけば、明日の午後には戻ってこられると思う。いや、使節団が今どこまで来ているのか分からないから、何ともいえないけど」

「……レイ、そうなると食料は一日分だけじゃなくて、もっと置いていった方がいいんじゃない? もし使節団と上手く合流出来なかった場合、何日かは時間が掛かるかもしれないし」


 マリーナの言葉に、どうする? とレイはスーラに視線を向ける。

 次第に秋に近づいてきているとはいえ、まだまだ夏らしく昼間は暑い。

 そのような気温では、普通の料理を置いておけばすぐに悪くなるのは確実だった。

 そうなると、必要になるのは干し肉のような保存食となる。

 保存食だけに、普通の料理と違ってそう場所もとらない。

 レイの持つミスティリングにはその手の食料も大量に入っているし、ギメカラから提供された物もある。

 取りあえずレイが離れて戻ってくるまでの間に、食料に困るということはまずないだろう。

 それに街や村ではギメカラが用意した追加の物資が置いてあったり、そこで出来たての料理を食べることも出来る筈だった。

 服も、今では既に全員が娼婦の服ではなく、多少質素ながらも普通の服を着ている。

 馬車や馬、御者、護衛……それらも集まった以上、今の状況で緊急に必要なものはまずなかった。

 なお、既に全員にしっかりと服は行き渡ったが、それでも布は必要とされているし、裁縫技術の高い者は未だに服を縫い続けている。

 それは、このような状況であっても出来れば可愛い服、綺麗な服を着たいと思う者が多いからこそだろう。

 ただし……以前であれば、歩くのを免除して馬車に乗る代わりに服を縫うといった仕事をしていた。

 だが、今はそのような仕事をする義務はなく、そのような者達は服を作ることにより様々なメリットを得ている。

 例えば、食事や流水の短剣で生み出された水を優先的に貰えたり、程度の良い馬車に優先的に乗ることが出来たり……といった具合にだ。

 

「そうだな。取りあえず多めに食料を置いていった方がいいか」


 そうして準備をすることにし……その夜はすぎていくのだった。






 翌日、レイ達が一旦この一行から離れるという説明がされると、当然のように不安や不満を感じる者が出た。

 レイの強さを何度も見てきたレジスタンスや女達にしてみれば、レイだけではなくエレーナやマリーナといった面々がいなくなるのも不安だったのだろう。

 食料や水の問題は、レイがミスティリングに収納していた保存食や、マリーナの精霊魔法で生み出された水で問題はなかったのだが……

 毎日夜だけ飲むことが可能な流水の短剣で生み出された水や、何より心の癒やしたるセトもいなくなるということもあり、結構な反発が出た。

 だからといってレイ達がここで譲歩する筈もなく、色々な視線に晒されつつ、レイは砂上船を収納したばかりのミスティリングからセト籠を取り出す。

 少し離れた場所でそれを見ていた者達は、最初それが何の為にあるのかが全く分からなかった。

 当然だろう。まさか、そのようにして移動するなど、普通なら理解出来ない。

 レイ達がメジョウゴに空襲を仕掛けた時に起きていた者がいれば、もしかしたらセト籠を見ることが出来た者もいたかもしれないが、娼婦として暮らしてきた者達はその時間は熟睡中だった。

 メジョウゴから脱出する時……レイが入手した馬車を上空から落とした時もセト籠は使っていたのだが、その時は周囲の景色に紛れて見えなくなっていた筈だった。

 そして、ダスカーからの依頼を受けて再度メジョウゴに戻ってきた時は戦いが行われている場所から離れた位置に着地したこともあって、何だかんだとこの場にいる中でセト籠を見たことがある者は殆どいない。


「じゃあ、ヴィヘラ、ビューネ、スーラ、ギメカラ。こっちは頼むぞ。出来るだけ早く戻ってくるから」

「任せて。取りあえずセトがいないから、強力なモンスターでも襲ってきてくれることを期待してるわ」

「いや、襲われないように祈れよ」


 ヴィヘラの言葉に、思わずといった様子でレイが突っ込む。

 だが、食欲を始めとした人間の三大欲求の他に戦闘欲という欲があるヴィヘラにとっては、強敵との戦いはいつでも望むべきものだ。

 勿論ここが辺境ではなく、それこそ田舎の小国と呼ぶべきレーブルリナ国である以上、高ランクモンスターが出てくるという可能性は少ない。

 しかし……少ないというのは、可能性がゼロである訳ではない。

 もしかしたら、本当にもしかしたらだが、そのような強力なモンスターが姿を現すという可能性は非常に少ないが、あった。

 ヴィヘラはその砂粒よりも小さな可能性に期待して、こちらに残ることを了承したのだ。

 もっとも、それもあくまでレイがこの一行に戻ってくるからこその話だが。

 もしレイが使節団と合流し、そのままギルムに向かうのであれば、ここに残るといった真似は絶対にしなかっただろう。


「ふふっ、そうね。祈るだけならどうにもでもなるものね」

「……聖なる光の女神とかに祈るような真似だけはしないでくれ」


 今までにも何度か争ってきた厄介な宗教団体の姿を思い出しながら告げるレイに、ヴィヘラは寧ろ満面の笑みを浮かべる。

 もし聖光教の者達が何らかの理由で襲ってくるのであれば、それこそ大歓迎だと言わんばかりに。


「まぁ、あいつらならお前を満足させることが出来るのは間違いないと思うけどな」


 以前戦った聖光教の者達のことを思い出せば、このレーブルリナ国で戦った巨人達よりは明確に強いのは明らかだ。

 勿論聖光教の全員がそのような訳ではなく、あくまでも聖光教の限られた強者では、という意味なのだが。


「そうね。私もそういう相手が来るのを待ってるわ」


 短く会話を交わすレイとヴィヘラだったが、それを近くで聞いていたスーラとギメカラ、リュータスの三人はそれを決して聞き逃すことが出来ない。

 スーラは聖光教という存在を知らなかったが、ゾルゲー商会の中でも有力人物であるギメカラと、ジャーヤの後継者候補と見なされていたリュータスの二人はその名前を知っていた為だ。

 もっとも、聖光教は表向きにはあくまでも善良な宗教である以上、レイ達の言葉をすぐに信じることも出来なかったが。

 最初は自分達を誤魔化す為の作り話ではないかとすら思った程だ。

 レイ達は自分達の話を聞かれているというのは分かっているが、全く動揺している様子がない。

 それでもこれまでの経験から勘の鋭い三人は、今の言葉が重要なものだと理解する。

 そんな三人を放っておき、レイとエレーナ、マリーナの三人は、ヴィヘラとビューネの二人に軽く手を振る。

 なお、セトもそんな二人と……そして自分を可愛がってくれる女達に喉を鳴らして挨拶をし、そのままレイを背中に乗せて駆けだした。

 短い助走で飛び立っている間に、エレーナ達はセト籠の中に入る。

 空で大きく迂回してきたセトは、エレーナ達の入ったセト籠を掴み……そのまま飛び去る。

 その光景は、まさに鷹が獲物を狩るかのようにすら見える光景だった。

 ……実際には大きく違うのだが。

 そんなセトの姿を、スーラ、ギメカラ、リュータスの三人が……そして、セトを可愛がっていた女達が見送る。

 前者には自分達がこの集団を守るのだという決意が浮かび、後者にはセトがいなくなったという悲しみが浮かぶ。

 例え一日前後の短い時間であっても、やはりセトがいないというのは女達にとっては心の支えを失ったかのようなものなのだろう。


(これは、少し考えないといけませんね)


 見るからに士気が落ちている様子の女達を見ながら、ギメカラが難しい顔をして考える。

 リュータスやスーラも、それは同様だった。

 実際、このままの状況が続けば色々と不味いことになるのは確実なのだ。

 士気というのは、戦争の時だけに必要な訳ではなく、どのような時であっても必要なものなのだから。

 特に今のように有象無象が集まって目的地に向かっているような状況で、士気が落ちた……といったことになった場合、まず間違いなく面倒が起きる。

 多くの者達が協力するようなことはせず、好き勝手に動き回るといった具合に。

 いや、その程度であればまだしも、最悪の場合はちょっとした理由で殺し合いになってしまう可能性すらあるのだ。

 勿論そこまでの行為に及ぶことは滅多にないのだが、それでも皆無という訳ではない。


(お二人と……そして何より、ヴィヘラさんに相談する必要がありますね)


 呟きつつ、出来るだけ早くレイ達には戻ってきて貰いたいと、心の底から思うギメカラだった。

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