第1615話
周囲に沈黙が満ちる中、最初に口を開いたのはマリーナだった。
「結局のところ、貴方達の商会……ゾルゲー商会だったわよね。そのゾルゲー商会は、拠点をレーブルリナ国から移したい。そういうことでいいのかしら?」
沈黙を破ったマリーナの言葉に、ギメカラは助かったといった表情を浮かべて頷く。
「そうです。先程も言いましたが、このレーブルリナ国は既に沈没する船です。そうであれば、それに残るという真似は出来ません」
「それで? 具体的にはどのようなことを望んでいるの?」
「おい、マリーナ」
ギメカラの提案を引き受けることを前提としているかのようなマリーナの言葉に、レイは不満そうに声を掛ける。
問い詰める……という程に強固な態度ではないが、それでもレイにとってゾルゲー商会という存在を引き入れるというのは、面白くない出来事だった。
「大丈夫。別に私だって無条件でどうこうしようとは思っていないから。その辺りは、それこそダスカーに決めて貰う必要があるでしょう? 私達だけで判断していいようなものじゃないわ」
そこで一旦言葉を止めたマリーナは、ギメカラに流し目を向け、笑みを共に口を開く。
「もっとも、ギルム以外の場所にということなら、私達を通して、その上でダスカーを通して……ということになるから、色々と面倒なことになると思うけど?」
「とんでもありません!」
即座に、ギメカラは告げる。
何か考えて言ったのではなく、殆ど条件反射に近い言葉。
「ギルムに商会の本部を置かせて貰えるのであれば、こちらとしても非常に助かります! ですが、その……本当にそう簡単に請け負ってもいいのですか?」
「あら、何か勘違いしているみたいね。私が出来るのは、あくまでも貴方のことをダスカーに……ギルムの領主に知らせることだけよ? そこからは、貴方の交渉次第。……ただ、今までが今までだから、かなり厳しい交渉になると思うけど?」
「構いません!」
「そう、じゃあ……」
笑みを浮かべているのは、ギメカラもマリーナも一緒だ。
だが……レイには、ギメカラはともかく、マリーナの浮かべている笑みは、それこそ罠に掛かった獲物を見ているかのような笑みに見えた。
「まず、私達全員が乗れるだけの馬と馬車、それと服と食料を用意して貰える? ああ、それと馬の飼い葉も必要ね。そうしたら、ダスカーとの会談の場を設けてもいいわ」
「……え?」
何を言われたのか分からない。
そんな視線を、ギメカラはマリーナに向ける。
だが、視線を向けられたマリーナは、そんなギメカラに対してどうしたの? 何かおかしなことでもあった? と、穏やかに笑みを返すだけだ。
ギメカラにしてみれば、可能であればこの場でダスカーとの会談の場を設けて欲しかったのだ。
実際には少し前にダスカーとの通信は終わっているので、今からダスカーと再度対のオーブを使って会話をするにしても、向こうに迷惑を掛けるだけなのでは? とレイは思ってしまうが。
本当に一大事であれば話は別だが、現在の自分達の状況を考えれば、到底ゾルゲー商会やギメカラを信じるという訳にはいかない。
「どうした? マリーナの言葉の意味が何か分からなかったのか? それとも……もしかして、ダスカー様と会談をしたいと言われて、はい分かりましたと言って貰えるとでも思ってたのか?」
「それは……」
レイの言葉に、ギメカラは言葉に詰まる。
ギルムに商会の本部を移せる可能性が出てきたということで、自分は浮かれていたのだと、そう理解したのだ。
だが……それでも、マリーナからの要求を素直に呑める筈もない。
「ですが、そちらからの条件は少し厳しいと思いますが。ギルムで受け入れてくれると保証して貰えたのであればともかく、ダスカー様と会談をさせて貰うだけの金額としては些か……」
「そう? じゃあ、貴方が自分の力だけでダスカーと面談の約束を取り付けて、交渉したらいいんじゃない?」
あっさりと、マリーナはそう告げる。
条件の譲歩はしない。自分の出す条件で不満があるのであれば、自分達で頑張ればいいと。
そう臭わされ……ギメカラは再び言葉に詰まる。
実際、自分達だけでこの交渉を纏めるのは、不可能に近いからだ。
いや、時間を掛ければ可能かもしれないが、今はその時間がないのだ。
その時間を少しでも短縮するためには、やはりどうしてもレイ達の協力が必要となる。
「もう少し、条件の方をどうにかして貰えないでしょうか? ご存じの通り、うちの商会はレーブルリナ国では大きな方ですが、それでもそちらの要望を完全に叶えるのは難しいかと」
「そう? じゃあ、貴方が自分の力だけでダスカーと面談の約束を取り付けて、交渉したらいいんじゃない?」
数秒前と全く同じ言葉を返すマリーナ。
ギメカラをみる視線に、友好的な雰囲気は殆どない。
それでも全くないという訳ではない辺り、組織的な意味で最初に自分達に接触してきたギメカラを多少なりとも認めてはいるのだろう。
「さっきも言ったけど、ゾルゲー商会がジャーヤと取引をしていた……協力関係にあったのは、間違いのない事実よ。そうである以上、私達と一緒にいる人達が、簡単な条件で許せると思う?」
そう言われれば、ギメカラも反論は出来ない。
いや、反論の言葉は幾つも思い浮かぶのだが、今それを口にしても、恐らく聞いて貰えないというのが分かってしまうのだ。
それだけマリーナから自分に向けられている視線は、厳しいものだった。
そんなギメカラを眺めつつ、今までのやり取りを眺めていたヴィヘラが口を開く。
「寧ろ、マリーナが指示した内容は簡単すぎると思うわよ? 私なら、もっと厳しい条件をつけるもの」
「ん」
ヴィヘラの言葉に同意するようにビューネが呟く。
エレーナも、無言ではあるが小さく頷き、その言葉に同意していた。
そんな女達の視線に晒されたギメカラは、この場で唯一自分と同性のレイに向かって救いを求める視線を向ける。
だが、直接メジョウゴでの戦いに参加し、ジャーヤが何をやっているのか分かっているレイは、そんなギメカラの視線を強く見返す。
それこそ、物腰は柔らかいが、レイ達に接触する役目を任された……ゾルゲー商会の中でも有能な人物として知られているギメカラが、その視線に晒されて何も言えなくなる程、強い視線で。
「残念だが、俺に任せればマリーナよりも余程酷い条件になるぞ。それでもいいのなら、こっちとしても対応してもいいが?」
「い、いえ……結構です」
その言葉が冗談でも何でもないと理解したのか、ギメカラは慌てて首を横に振る。
今の状況でも厳しい条件なのに、これ以上厳しい条件を出されたら絶対にそれを達成出来ないと、そう思ったからだ。
「そうか。……で、どうする? マリーナの提案を呑むつもりなら、すぐに行動を起こした方がいいと思うが。俺達だって、いつまでもここにいる訳じゃない。明日にここを発つし、毎日のようにロッシからは離れていくけど」
「それは……分かっています」
ギメカラも、レイ達が今日ここにいるのはあくまでも野営の為だというのは承知している。
ギルムに向かっているという情報についても、エミスマで仕入れているので知っていた。
そして、マリーナから言われた条件を叶えるのは、早ければ早い程にいいというのも知っていたが……それでも、千人分の馬車やそれを牽く馬、飼い葉、食料、服を用意するのは、とてもではないがギメカラの独断で決められることではない。
そうである以上、受けるにしろ断るにしろ、それを今ここで答える訳にはいかなかった。
「その、申し訳ありませんが、その案件については持ち帰らせて貰ってよろしいでしょうか? 勿論、こちらとしても、出来るだけ誠心誠意対応させて貰いますので」
「そう? なら、お任せするわ。けど……あまり時間を掛けると、それだけ私達が貴方達に抱く感情が悪いものになっていくというのを、忘れないでね?」
極端な話、レイ達が旅の途中で寄った村や街で必要な物を全て手に入れた後で、ギメカラが……いや、正確にはゾルゲー商会がレイ達の要望を叶えましたと言ってきても、それは意味がない。
必要以上に持ってこられても、レイ達が使う必要がないのであれば、それを受け取っても意味がないからだ。
そのような場合、例えゾルゲー商会がマリーナの出した条件をクリアしたとしても、それが認められることはないだろう。
勿論ギメカラもその程度のことは理解している。
だからこそ、何とか急いでこの場を発って、少しでも早く商会長や幹部達にマリーナの条件を呑ませる必要があった。
「わ、分かりました。では……私は急いでその条件を知らせる必要があるので、この辺で失礼します。……夜遅く、申し訳ありませんでした」
マリーナに……そして他の面々にもそう告げ、深々と一礼すると、ギメカラはその場から走り去る。
ギメカラの姿が月明かりがあっても見えなくなるのを待ち、エレーナが口を開く。
「どうなると思う?」
その端的な質問がどのような意味を持っているのかは、考えるまでもなく明らかだった。
マリーナが出した条件を、ギメカラが……そして、ゾルゲー商会がどう考えるか。
「ゾルゲー商会の上の方の人達が、現状をどう考えているかで対応は変わってくるでしょうね。もし単純に、この機会にギルムに進出したいと考えているだけなら、利益に合わないと断ってくる可能性が高いわ。けど、もしレーブルリナ国の現状をしっかりと理解しているのであれば……」
言わなくても分かるでしょう?
そう言いたげに、マリーナは周囲にいる者達に視線を向ける。
実際、レイ達にしてみれば、ゾルゲー商会がマリーナの提案を呑んでくれた方がありがたいのだ。
毎回村に行く度に大量の馬車や馬、飼い葉、食料、服……それらを購入する為に、村や街の代表と交渉する手間が省ける。
今回の件を依頼してきたダスカーにとっても、ゾルゲー商会からの援助が得られるのであれば、少なくない予算をレイ達の一件に支払わなくてもよくなる。
勿論そうした援助をして貰った以上、ゾルゲー商会に対し多少の融通をしなければならないのだが……レーブルリナ国にいた時のような真似が出来るかと言えば、答えは否だ。
そもそも、ゾルゲー商会はレーブルリナ国ではそれなりに大きな力を持っていたのかもしれないが、それはあくまでも小国のレーブルリナ国だからこその話でしかない。
宗主国の中でも発展度合で考えればトップクラスの……それもミレアーナ王国唯一の辺境にあるギルムで、同じような真似が出来る筈がなかった。
「ま、結局俺達が今ここでどうこう考えてもどうしようもないのは間違いないか。……ん?」
呟いたレイが、ふと視線を砂上船の方に向ける。
すると、砂上船の腹の部分……荷物を入れる為に開いている場所から、一人の女が姿を現した。
「スーラ、どうかしたのか?」
レジスタンスを率いている……そして、レイ達がこの集団から離れた場合は実質的にこの集団を率いることになるスーラの登場に、レイは不思議そうに尋ねる。
「え? あれ? さっき甲板にいたら、レイ達以外にも誰かいたような気がしたんだけど……気のせいだった?」
どうやらギメカラが来ていたのを見られていたらしいと理解し、レイはどう説明したものか迷う。
(スーラの立場だと、ギメカラの……ゾルゲー商会に対して、とてもじゃないけど良い印象を持っているとは思えない。そうなると、あの件を説明すると色々と厄介なことに……ああ、でも俺達がいない時のことを考えると、きちんと説明しておいた方がいいのか)
迷い……だが、自分達がいない時のことを考え、やはり説明しておいた方がいいと判断したレイは、スーラに先程の一件を説明する。
だが、当然ながら……そしてレイの予想通り、ゾルゲー商会に関して説明されたスーラは、不愉快な表情を浮かべていた。
「やっぱりゾルゲー商会は嫌い?」
「ヴィヘラさんの質問に答えるのは、ちょっと難しいですね。勿論好きか嫌いかで言えば、きっぱりと嫌いなんですが、正直なところゾルゲー商会がなければ色々と困ったことになったのも事実ですし。……良くも悪くも、ゾルゲー商会は商人なんですよね」
「ジャーヤが相手でも商売していたような?」
「はい」
「ふーん。じゃあ、用意してくれる……かもしれない護衛は、少し期待してもいいのかしら」
強い護衛が来れば、楽しめるかもしれない。
戦闘を好むヴィヘラが、期待を込めて笑みを浮かべる。
もっとも、レーブルリナ国の冒険者は基本的に弱い者が多い。
少なくても、ギルムにいる冒険者とは比べものにならない程の弱さだ。
(それは、ヴィヘラも知ってる筈なんだけどな)
そう思いながら、レイは明日以降どうなるのか……すこしだけ楽しみに思うのだった。
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