第1611話

 エミスマと呼ばれている村は、住んでいる人数もそこまでは多くなく、規模も当然のように村と呼ぶべき広さしかない。

 百人前後のその村の前に、現在千人近い人数が集まっていた。

 エミスマの村長は、村の前でそんな相手を見て、どのように反応すればいいのかと悩む。

 レーブルリナ国ではありふれた村に生を受け、暮らし続け……そして村長となってから、二十年程。

 そろそろ五十歳になるかどうかといった年齢の村長だったが、現在のような状況というのは全く予想が出来なかった。

 それでも千人近い人数を前にして警戒……はしているものの、本当の意味での警戒でないのは、村の前にいる千人の多くが女で、しかも娼婦のような姿をしているからだろう。


「で、えっと……お前さん達はこの村に何の用だい? 見たところ、盗賊とかそういうのじゃないのは分かるんだが」


 レイの方を見てそう尋ねた村長だったが、本当にこの人物に尋ねればいいのか? といった疑問を抱いてもいた。

 一見すれば、レイはとてもではないがこのような集団を率いるような人物ではないのだから、それも当然だろう。

 それでもグリフォンと一緒にいることや、他の者達もレイを目上の存在として扱っているのを見れば、交渉すべき人物で間違いないとは思ったのだろうが。

 村長の目からは実力者には到底思えないレイの見た目、周囲の状況。

 それを考えれば、恐らく後者の方が正しいというのはすぐに分かった。

 また、もしその予想が違っていても、目の前の集団を代表してこうして話し掛けてきている以上、村長の立場としては、やはり交渉相手はレイとなるのは当然だろう。


「商売の話だ。服を売って欲しい。見ての通り、ここにいる連中は本来なら外を出歩くような姿じゃないからな。もし服がなければ、布と裁縫道具でもいい。縫える奴に作って貰う」


 少し前まで一緒に来ていた商人達からも布や裁縫道具といった物は購入出来た。

 今も、馬車に乗っている女達は買った布を使って服を作っている。

 勿論職人が売ってるような服を作るのは無理だったが、ある程度の服を縫うくらいのことは出来る者が多い。

 ……レイは到底そんな真似は出来ないが。

 尚、紅蓮の翼の中でその手の仕事が得意なのはマリーナとビューネの二人だ。

 ヴィヘラは育ちが育ちだし、性格的にもそのようなことは得意ではなく、紅蓮の翼のメンバーではないが、エレーナも似たようなものだった。


「布? そりゃあ構わんが……お前さん達は、どんな集団なんだ? こうも堂々と歩いているんだし、犯罪者って訳じゃないよな?」

「そうだな」


 村長の言葉に、レイはあっさりとそう告げる。

 実際にはロッシの城に突入して馬車を盗み、それを追撃してきた騎兵隊から馬を奪うといった真似をしている以上、厳密に見れば――もしくは見なくても――犯罪者という扱いになってしまうのだろうが。

 だが、ロッシにある城は現在完全に混乱しており、レイ達の討伐に回す戦力はない。

 もっとも、あってもミレアーナ王国との関係を考えると、ここは貸しという形にしておいた方が後で交渉が多少なりとも有利になるかもしれない……そんな風に思っている者もいるのだが。

 ともあれ、城から追撃の兵士を出されたり、似顔絵の類も回っておらず、賞金首にもなっていない。

 ……レーブルリナ国の上層部がやってきた件を考えれば、ギルドに賞金首として登録するような真似はまず出来なかったが。


「そうか。……では、どれくらいの値段で買い取ってくれる?」


 村長も、犯罪者ではないというレイの言葉を完全に信用した訳ではない。だが、もし犯罪者であれば、これだけの人数が集まって堂々と歩いていないだろうという予想から、レイとの商売に乗り気になる。

 希望的観測として、犯罪者ではないと思いたがっているという点が大きいだろう。

 街道沿いにある村とはいえ、そもそもレーブルリナ国はそこまで大きな国ではない。

 当然村の規模もそこまで大きくはなく、旅人が落としていく金も多くはない。

 気候が比較的温暖だということもあり、凶作になる可能性は少ないが、それでもやはり念には念を入れておきたいと思うのは、村長の立場としては当然だった。


「マリーナ、交渉を任せてもいいか? 布以外にも色々と必要な物はあるだろ。俺が交渉するより、お前の方がいい」

「そうね。分かったわ。なら、交渉は私が引き受けましょうか」


 そう言い、マリーナが村長の前に出る。

 そのことに、村長は一瞬だけ嫌そうな表情を浮かべる。

 マリーナは見るからにダークエルフで、それも大人と表現するのに相応しい姿をしていた。

 つまり、人間の村長よりも長生きしている可能性は非常に高いのだ。

 であれば、当然のように人と交渉してきた経験も豊富だと考えて、間違いはない。

 レイがマリーナに交渉を任せたのは、男のレイでは女が必要とするだろう細々とした物が分からないという一面の方が大きかったのだが。


「ああ、それと飼い葉の類は売って貰えるか?」

「は? まぁ、飼い葉の類なら大量にあるから構わんが」


 村長にしてみれば、それこそ飼い葉というのは言葉にした通り大量にある代物だった。

 それこそ、作ろうと思えば幾らでも作れるし、いざとなれば近くにある他の村からかなり安く買うことも出来る。

 それだけに、飼い葉を買いたいと言われて少し驚く。

 ……もっと発展している場所にある街や都市であれば、飼い葉も普通に売り買いはしているのだろうが、この付近ではあまりそういうこともないのだろう。

 レイは村長の様子から、飼い葉を買うことが可能だと判断して安堵の表情を浮かべる。


「なら、そっちの交渉も頼む。食料もそっちに無理がないだけ売ってくれ。金は十分に払う用意があるから、心配しないでくれ」


 ミスティリングから取り出した革袋の中から、金貨数枚を取り出す。

 それを見た村長の……そして他の村人達の動きが一瞬止まった。

 当然だろう、レイは革袋の中から選んで金貨を取り出した訳ではなく、無造作に取り出したのだ。

 つまりそれは、革袋の中全てが金貨であるということを意味している。

 その上、レイが金貨を持つ手は震えたりといったことはしていない。

 金貨を持ち慣れているからこその行動なのは、間違いないだろう。

 もし村長があの革袋を手にした場合、間違いなく手が震えるだろう。

 勿論、村長という立場にある以上、今まで金貨を触ったことがない訳ではない。

 それでも、あれだけの金貨を無造作に扱うような真似をしたことはなかった。

 金になる。

 目の前のレイや、レイが率いている集団を見て、村長は確信する。


「分かった。そちらが必要となる物は可能な限り用意させよう。どうやら金惜しさに盗賊に鞍替えするといった様子もないようだし」


 金を大量に持っているだけであれば、村長もあっさりとそのような判断を下しはしなかっただろう。

 だが、レイが率いている集団は女……それも、武器を隠すことが出来ないような娼婦のような服装をしている女が殆どだ。

 そのような者達であるからこそ、村長は信頼出来た。


(寧ろ、村の若い者が妙なちょっかいを出さないように気をつける必要があるか。この人数の集団を怒らせるような真似をすればどうなるか。それは、考えるまでもないだろうし)


 そう思いつつも、村長も男だ。

 若い時の自分を思い出せば、どれだけ自分が女に興味があったのかはすぐに思い出すことが出来る。

 現在村に住んでいる若者達にしてみれば、このような女達は、まさに目の毒以外のなにものでもない。

 いや、若くなくて結婚していても女好きという男は珍しくもない。

 そのような人物が、血迷って女達に手を出して騒動になればどうなるのか。

 村長としては、レイはともかく、レイの側にいるグリフォンを敵に回す気にはならない。

 また、数は少ないが護衛として男も多少はいる。

 その男達は、レジスタンスとして戦ってきたこともあり……何よりメジョウゴでの戦いを潜り抜けたこともあって、己の強さに対してある程度の自信を持っていた。

 ……メジョウゴで行われた、ジャーヤとの戦いをレジスタンスだけの力で乗り越えたのであれば、ある程度ではなく完全な自信となっていただろう。

 だが、完全な自信というのは己に対する過信にも繋がる。

 そう考えれば、レジスタンスの者達は己の実力を過信していらない騒動を引き起こさなかったのだから、レイに感謝してもいいのだが……レジスタンスの男達がレイに向ける感情には、畏怖や崇拝……中には嫌悪というものすらある。

 この辺りは、レイが想像していたものとは大きく違っていた。


「さて、まずは色々と交渉から始めましょうか。それと……この近くには川があるわよね? そこそこ大きな」


 いざ交渉を始めようという時、いきなりマリーナの口から出たその言葉に、村長は首を傾げる。


「まぁ、ここから少し離れた場所に川があるのは間違いないが、それがどうしたのだ?」

「いえ、それを聞ければいいのよ。さて、貴方達もこのままここで待っているのは暇でしょう? 川まで行って水浴びでもしてきなさいな」

『わああああああああああああああああああああああああああああああああああ!』


 マリーナが水浴びでもしてこいと言った瞬間、女達の口から歓声が上がる。

 いや、既にそれは歓声ではなく、怒号だと言われても納得出来るような、そんな声だ。

 もっとも、それも当然だろう。

 メジョウゴで起きた騒動で強引に目を覚まして以降、身体を清めるような余裕はなかったのだ。

 一応配給された水で布を濡らして身体を拭くといった真似はしていたが、今は夏で炎天下の中を一日中歩き続けている以上、当然のように汗を掻くし、土埃を始めとした様々な汚れも身体に付着する。

 そんな状況でも、今の自分達は逃避行の最中だと、そう理解しているからこそ文句を言わなかった。……中には文句をいってどうにかして欲しいとレイに要請した者もいたのだが、一行の人数を考えれば、やはり濡れた布で身体を拭くというのが精々だった。

 そんな女達にとって、川で水浴びをしてもいいというのは、まさにこれ以上ない娯楽なのだ。

 ……そして、マリーナの言葉を聞いて、何人かの村人の男は嬉しそうな笑みを浮かべる。

 その顔を見れば、一体どのようなことを想像しての笑みなのか……考えるまでもない。

 村長はそんな村人の男達を見て、微かに難しい表情を浮かべた。

 このままでは、村の男達がどのようなことをするのか、考えるまでもなく明らかだったのだから。

 そして、マリーナはそんな村長の内心を読んだかのように、笑みを浮かべて口を開く。


「村長、一応言っておくけれど……この村には覗きなどという下劣な真似をする人はいないわよね? 一応見張りはさせるけど……もしそのような人がいた場合、相応の対処を取らせて貰うわよ?」

「そ、それは……」


 ここで、村の中にそのような真似をする者がいないと言い切ればよかったのだろう。

 だが実際の話、何人かの男の様子を見る限りでは、とてもではないが覗きをしないとは言い切れなかった。

 だからといって、覗きをするだろうけど出来れば穏便に済ませて欲しい……というのは、自分の村の住人がその程度でしかないのかと、そう思われてしまうことになる。

 どちらにしろ、村長が使える手段というのは多くはない。

 こうして、村長は最初から不利な状況でマリーナと交渉することになる。

 ……マリーナはそこまでこの村の者達から安く買い叩こうと思っている訳ではないので、実際にはそこまで酷いことにはならないだろうが。


「じゃあ、私は村長と交渉があるから……ヴィヘラ、それとスーラ、川の見張りを頼める? もし不埒な行動を起こすような相手がいたら、しっかりと教えてあげなさい。それはもう、色々と」


 日中に相応しくないような、艶然とした笑みを浮かべて告げるマリーナ。

 そんなマリーナの美貌に、村長は年甲斐もなく目を奪われてしまっていた。

 いや、目を奪われているのは村長だけではない。この場にいる他の男達もそうだし、中には女であっても目を奪われている者もいる。

 そんな村長達を尻目に、指示されたヴィヘラは他の面々を連れてその場を離れていく。

 マリーナの顔が向けられていたのが村長達の方だったので、レジスタンスや女達はその顔を見ることがなく、目を奪われることがなかったのは……幸運だったのだろう。

 結局この場に残ったのはレイを始めとしてレジスタンスの男の面々だけとなる。


(ビューネも水浴びにいったのか。……まぁ、ビューネも女だしな)


 そう思いながら、レイは村の中で購入した飼い葉を始めとした代物をミスティリングに収納すべく、待つのだった。

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