第1593話

 地下道を走る、一台の馬車。

 その御者をしているのは、リュータスの護衛の一人だった。そして御者台には御者をしている者以外にも護衛が一人。

 そして馬車に乗っているのは、レイ、エレーナ、マリーナ、ヴィヘラ、ビューネ、リュータス、リュータスの護衛が二人。

 馬車はそこまで大きな物ではない以上、八人が乗るというのはかなり厳しい。

 もっとも、リュータスの護衛は全員乗ることが出来なかった以上、洞窟からは別行動となっているが。

 マリーナの指示によって集められた研究資料をレイがミスティリングに収納してから、三十分程が経っていた。

 洞窟から抜け出したレイ達は、ミレアーナ王国から向かっている中立派の使節団と合流する為に……そしてリュータス達はこのまま自分達だけでいればジャーヤからの刺客が来るという予想から、メジョウゴにある巨人の巣へ続く地下道を馬車で移動していた。


「で、お前達はこれからどうする気なんだ? 正直なところ、俺達と一緒に来てもあまり意味はないぞ?」


 馬車の中で、ミスティリングから取り出した果実水を飲みながらレイがリュータスに尋ねる。

 レイ以外の者も……それこそリュータスも、その手には果実水が入っているコップが握られていた。

 何だかんだと喉が渇いていたリュータスは、果実水で喉を潤しながら口を開く。


「正直なところを言わせて貰えば、レイ達と行動を共にさせて欲しい」


 リュータスにとって、それが一番自分が生き残れる可能性が高い選択なのは間違いない。

 だが、レイは首を横に振る。


「足手纏いだ」


 リュータスはある程度の戦闘力を持ってはいるが、それでもレイ達はおろか、ビューネと比べても劣る。

 そのようなリュータスと一緒に行動するのは、レイが口にした通り足手纏いでしかなかった。

 また、リュータスには護衛もいる。

 それだけの人数と一緒に行動するのは、レイとしても出来れば避けたかった。


「あっさりと本当のことを言うな……けど、いいのか? 俺という存在は、ミレアーナ王国にとっても有益な筈だぞ?」


 足手纏いだというのも事実であれば、リュータスが口にした有益な人物だというのも間違いない事実だった。

 ジャーヤの後継者候補の一人という存在であった以上、外からでは知ることの出来ない情報も多く知っているのは間違いない。

 そういう意味では、リュータスが有益な人物だというのを、レイも否定出来なかった。


「別にずっと一緒に行動する必要もないんじゃない? それこそ、ミレアーナ王国からの使者に預けるとか」

「あー……それが一番無難か」


 ヴィヘラの言葉にレイはそう返し、それでいいか? とリュータスに視線を向ける。

 リュータスは少し考え、やがて頷く。


「分かった。こっちも無理に押しかけている以上、我が儘は言えないしな。それに……レイ達より、使者の方が俺を丁重に扱ってくれそうだし」


 その言葉は、打算ではあった。

 しかし、それでもリュータスが言ったように、現状で一番リュータスの価値を高く評価するのは間違いなくミレアーナ王国の使節なのは間違いない。

 勿論、レイ達と共にいるよりは安全性という点では問題になる。

 だが、それについては自分には護衛がいるし、ギルムに敵対した組織が所属している国に派遣される使節団だ。

 当然その身を守る為、護衛についても腕の立つ者を選んでいる可能性が高い。


「若!」


 不意に馬車の御者台にいた護衛の一人がリュータスに呼び掛ける。

 一瞬敵襲か? とも思ったリュータスだったが、その声に緊張の類はない。

 少しだけ安心しながら、口を開く。


「どうした!?」

「向こうからこっちに向かって来る奴が何人かいるようですが、どうしますか?」

「って、おい! それは敵じゃないのか!?」


 この状況で自分達が行こうとしている巨人の巣からやってくる者であれば、まず間違いなく敵という認識で間違っていない筈だった。

 にも関わらず、何故警戒した様子がないのかと思ったのだが……馬車でその者達とすれ違った時、武器も何も持っている様子がないのを見れば、自分達と敵対的な相手ではないというのは明らかだった。

 地下道の中を進んでいた者達も、馬車がやって来たのを見ると何故今更向こうに? と疑問の表情を浮かべていたが。

 その者達にとってみれば、レイ達が乗っている馬車はここを移動している以上、当然ジャーヤの所属だと考えており、だからこその疑問だろう。

 現在巨人の巣から外に出ることは出来ない。

 ……正確には外に出ることは出来るのだろうが、そのような真似をすれば間違いなく空で暴れているセトにより攻撃されるだろうし、何より洗脳されている状態から解放された娼婦やレジスタンスが待ち構えている。

 特に娼婦の中には、元冒険者、元兵士……場合によっては元騎士といった者もおり、ジャーヤの兵士達を攻撃している者も少なからずいる。

 おまけに倒された兵士は武器を奪われるのだから、時間を掛ければそれだけジャーヤにとって不利な状況になっていく。

 とてもではないが外が安全とは言いがたい現状、巨人の巣に籠もったままではいずれどうしようもなくなる可能性がある。

 そうなると、隠し通路を使ってメジョウゴを脱出しようと、そう考えてもおかしくはないのだろう。

 実際には洞窟の方でも巨人の暴走といった騒動があり、被害は大きかったのだが。

 それでも現在進行形で大きな混乱にあるメジョウゴより安全なのはある種、皮肉的な結果だろう。


「人が多くなってきたな」

「……巨人の巣、だったわよね。私達が探した時は、殆ど人がいなかったのに。やっぱり隠れていたんでしょうね」


 レイの呟きに、ヴィヘラが半ば呆れ、半ば感心したといった様子で呟く。

 ジャーヤに所属しているので、好意を抱くといったことは全くない。

 だが、好意を抱かないからといって、相手の判断を認めないという訳ではなかった。


「そうだな。まぁ、何だかんだと俺達は巨人の巣に入る前に派手な戦いをしたし。それを考えれば、隠れる時間は十分にあったということか。……中には寝すごしたりしたような奴もいたけど」

「そうね。……けど、メジョウゴに戻るのにここは使わなくてもよかったんじゃない? 森の外から移動すれば……」

「メジョウゴの中が混乱しているとすれば、中に入るのにも色々と手間が掛かるだろう。ましてや、人が大勢いる中を馬車で移動するのも難しい。ジャーヤの者達だけであれば、そのまま馬車で突っ込んでもいいのだがな」


 そう告げるエレーナの言葉は、冗談でも何でもなく、心の底からそう思っている様子だった。

 ジャーヤに所属している人間であれば、轢き殺しても全く問題はないと。

 その言葉に、リュータスと護衛達は改めて目の前にいるエレーナが……いや、エレーナを含めてレイ達全員がジャーヤについて怒りを持っているということを思い知らされる。


(真っ先に降伏して、正解だったよな。最初に友好的な態度で接したから、向こうも俺達からジャーヤの情報を得られると判断して、俺達を生かすと決めた。……もし敵対的な態度を取っていれば、間違いなく死んでいた筈だ。俺の場合、立場が立場だし)


 エレーナの様子に、いつものように表情を作ることすら忘れてそんなことを考える。

 だが、それでも自分はレイ達……特に女としてメジョウゴで行われていることを許せないエレーナ、マリーナ、ヴィヘラの三人に殺されずに済んだと、安堵の息を吐く。


(盗賊の件でレイと面識があったのは、幸運だった)


 リュータスを快く思っていない相手からの嫌がらせに近い命令だったが、その依頼を受けたおかげで自分はまだ生きている。

 その奇妙な縁を、リュータスは嬉しく、そして面白く思う。


「若、そろそろ巨人の巣です!」


 御者台の護衛の声が周囲に響く。

 その言葉に全員の表情が若干ながら引き締まった。

 現在巨人の巣は、そしてメジョウゴがどうなっているのか、正確なところは分からない。

 予想は出来るが、それはあくまでも予想でしかないのだ。

 であれば、もし何か不測の事態が起きてもすぐに対応出来るようにしておいた方がいいのは確実だ。

 そんな思いだったのだが……


「死体がない?」


 隠し扉があった付近……丁度先程までレイ達がいた洞窟から増援が送られてきた場所まで到着するが、そこには死体の一つも転がってはいない。

 勿論ここで戦いがあったのは夢ではなかったということの証として、地面には血の跡や武器、防具の破片……そして切断された指すらも何本か落ちている。

 だが、死体だけはどこにもない。

 ここで死んだ兵士の数は、十人かそこらといった程度では済まない筈だった。

 それだけに、死体が全くないというのは大きな違和感がある。


「さっきここを通ってきた連中とすれ違ったんだし、そいつらが通る時に邪魔だから寄せたんじゃないか?」

「リュータスの言いたいことも理解出来るが……急いで逃げている連中にそんな真似が出来ると思うか?」


 レイの言葉に、リュータスは言葉に詰まる。

 実際、馬車で移動している時にすれ違った者達は、かなり急いでいた。

 それこそ、少しでもメジョウゴから離れようとしているかのように。

 そのような者達が、ここに転がっていた死体を全て片付けるような暇があるかと言われれば……少し難しいだろう。


「となると、やっぱりあの御者達じゃない?」

「それが一番可能性が高いだろうな」


 ヴィヘラの言葉に、エレーナが同意する。

 レイもまた、半ば消去法でその可能性が高いのだろうというのは理解出来た。

 もっとも、ただの御者がそこまでする理由が何だったのかは疑問だったが。


(実は、意外と仲間意識があったとか? あの様子を見る限り、それはちょっと考えにくいんだけどな)


 御者達と兵士達の仲は、そこまでいいようにはレイには思えなかった。

 だが、すぐに考えを切り替える。

 そもそもの話、こうして移動するのに地面に死体がないというのは、レイ達にとって不都合は何もない。

 ならば、今更その辺りの事情を考える必要はないだろう、と。


(もっとも、実は巨人の生き残りがまだいて、それが暴走して食欲のままに死体を貪った……ってことなら、一応対処する必要はあるだろうけど)



 だが、周辺の様子を見る限り、その心配はしなくてもいい。

 一応周囲を警戒しながら、停まった馬車から降りる。

 レイのように五感が鋭くなくても……それこそ普通の人間でも、まだここにある血の臭いを嗅ぎ取ることは可能だろう。

 もっとも、嗅ぎ取れる臭いが心地よいと感じるような相手とは、あまり仲良くしたくないというのが、レイの正直な思いだったが。


「行くぞ」


 フードの下で微かに眉を顰めて告げるレイの言葉に、皆が頷く。

 そうして馬車から降りた全員が巨人の巣の中へと入っていった。

 全員が周囲を警戒していたのだが、特に巨人……もしくはジャーヤの人間に襲撃されるようなことはない。

 だが、本来であれば黒水晶のあった部屋の中に入った瞬間、強烈な血臭が漂ってくる。

 その臭いのした方に視線を向ければ、そこには大量の死体が積み重ねられていた。


「ここを襲撃してきた連中だな。……ここに運び込んであそこに集めているとなると、やっぱり御者がやったのか?」


 そう思いつつ、レイは微妙に納得出来ない。

 死体というのは、非常に重い。それが鍛えている兵士達で、更に装備を身につけているとなると尚更だろう。

 その死体を御者が……そして運良く戦いで死ななかった者達の手を借りてでも運んだというのは、やはり疑問を抱く。

 レイが見た限り、そこまで義理堅いような者達には思えなかったからだ。


(まぁ、食われていない以上、巨人の仕業ではないと判断してもいい。なら、今はそこまで気にする必要はないか。今はとにかく、巨人の巣から出てこの近くで暴れ回っているだろうセトと合流するのが先決だろうし)


 そう判断し、死体の山から視線を逸らし……一瞬、黒水晶のあった場所に視線を向けるも、当然のように今はそこに何もない。

 尚、リュータスも黒水晶のあった場所をじっと眺めていた。

 レイとは違い、リュータスはジャーヤという組織について色々と思うところがあってもおかしくはない。

 そしてジャーヤの中で、黒水晶は色々な意味で重要な代物だったのだ。

 リュータスがどこか物憂げな思いを抱いても、おかしくはないだろう。

 だが、いつまでもここで時間を潰すことが出来ないレイは、少し悪いと思いながらも口を開く。


「リュータス、そろそろ行くぞ。いつまでもここにはいられないからな」

「ああ、分かっている」


 レイの言葉に、予想していたよりもあっさりと返事をするリュータス。

 それを少し意外に思いながら、それでも今の状況では助かると判断しながら、レイ達は巨人の巣を上に向かって進み始めるのだった。

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