第1553話

 目の前に広がっている光景に、レイは首を傾げる。

 百人近い、妊娠した娼婦達。

 だが、起きている者はただの一人もいないという、その異常性に。


「うん? ……ちょっと待って。妊娠してる割には、お腹が小さくない?」


 そう口にしたのは、マリーナだ。

 ダークエルフは非常に子供が出来にくい種族ではあるが、マリーナの場合は故郷を出てからかなり長い。

 それだけに、妊娠した女を見たことも、一度や二度ではなかった。

 もっとも、大抵は結婚して幸せな夫婦といったものであったが。

 そんなマリーナに比べると、エレーナは自分の訓練で忙しく、ヴィヘラは強い相手との戦いを求め、ビューネは自分が生きていくので精一杯だったが故に、妊娠した相手というのを見たことがない。

 いや、正確には見たことはあったりもするのだが、本人達が自分のことで忙しくて覚えていないという方が正しいのだろう。

 だからこそ、マリーナが何を言ってるのかが分からなかった。


「え? 何が変なの? 妊娠したらお腹が大きくなるんでしょ?」

「そうよ。けど、こうして見る限りでは、どの娼婦も普通の妊婦と大差ないわ。忘れたの? 彼女達は巨人を妊娠した筈なのよ?」

『っ!?』


 尋ねたヴィヘラも、他の面々も……レイを含め、全員がマリーナの言葉に意表を突かれた。

 そう、巨大な人と書いて巨人と呼ぶべき存在を産むのだ。

 であれば、当然腹の中にいる胎児も普通よりは大きい筈だった。

 だが、現在目の前にいる大勢の妊婦の腹は、とても巨人が入っているようには思えない。


「どういうことだ? 妊婦達が全員意識がないまま眠っているのと、胎児の大きさは何か関係があると思うか?」

「そう言われても、困るわね。けど……これが異常事態ではなく通常なら、その理由は想像できるんじゃない?」


 そうマリーナに言われ、レイを含めてこの場にいる全員が一つの存在を思い出す。

 この巨人を生み出す原因となった存在。それは……


『黒水晶』


 そのマジックアイテムの名前を、レイ達は思い出す。

 もっとも、マジックアイテムと口にはしたが、レイはその黒水晶が本当にマジックアイテムなのかどうかも分かっていない。

 その名の通り、単なる水晶である可能性もあるのだから。

 ……それでも、何か特殊な能力があるのは確実だった。


「どうすればいい?」

「そう言われても、どうしようもないでしょ。意識がないんだから、全員連れていく訳にもいかないし」


 百人近い人数の妊婦だけに、この人数をメジョウゴの外に連れていくだけで、どれだけの労力が掛かるのかは、想像するのも難しくはない。

 ましてや、自分達がここに来たのは娼婦達を助ける為ではなく、ジャーヤに対する報復の為だ。

 勿論ジャーヤの被害者たる娼婦達を助けられるのであれば、それはそれで構わない。だが、最優先の目的を忘れるといった真似は、絶対にするべきではなかった。


「それに、この者達の腹にいるのは巨人なのだろう? ここで無理に連れ出すような真似をした場合、恐らく巨人を産む産まない以前に死んでしまう可能性が高い筈だ」


 何か確証があってそう言っている訳ではないのだろうが、それでもレイから見てエレーナの言葉に嘘はないように思えた。


「分かった。じゃあ……ここはこのまま放っておくってことでいいんだな?」

「そうした方がいいわ。それに、もしかしたら……本当にもしかしたらだけど、黒水晶の影響がなくなれば巨人を産まなくてもいいかもしれないし」

「……分かった」


 マリーナの言葉に、渋々ではあったがレイは頷き、そのまま部屋を出る。

 そうして改めて地下二階の様子を確認すると、他にも今の部屋にあったのと同じような巨大な扉が幾つも並んでいた。

 そして地下一階で研究者の男から聞いた話を考えると、この地下二階全体が妊娠した娼婦を集めておく部屋なのだろうことは、レイにも容易に想像出来た。


(扉の数の分だけ巨人を妊娠している娼婦がいるってことか。……一体、どれだけ周辺の国々から女を連れ去ってきたのやら)


 ジャーヤに対する苛立ちを込め、内心で呟く。


『グルゥ』

「え?」


 ふと、耳元で相棒の……セトの鳴き声が聞こえたような気がしたレイは、慌てて周囲を見回す。

 だが、そこにセトの姿はない。

 当然だろう。セトは、現在この地下施設に入ってこようとしているジャーヤの戦力を相手に、戦っている筈なのだから。

 何故ここでセトの鳴き声が聞こえたのかは、レイにも分からなかった。

 だが、どことなくセトは自分に対して落ち着けと、そう言っているように思えた。


「どうしたの、急に?」

「いや、何でもない」


 マリーナに首を振りながら、レイは自分で思っている以上に苛立っていたのを理解する。

 小さく溜息を吐き、改めて口を開く。


「じゃあ、行くか。黒水晶を何とかすれば、もしかしたら助かるかもしれないんだし」


 そんなレイの言葉に全員が頷き、そのまま通路を進む。

 不思議なことに、この階層では罠らしい罠が設置されていない。

 おかげで、ビューネの活躍も特にないまま地下三階に向かう階段を発見する。


「どう思う? 地下一階にはあれだけ罠があったのに、ここにはまるで罠がなかったんだが……」

「普通に考えれば、地下一階に仕掛けた罠が全て不発で、纏めて私達をどうにかしようとした階段の罠もあっさり突破されて、罠を仕掛けても意味がないと判断した……という可能性もあるだろうな」

「エレーナの言いたいことも分かるけど、別に罠が突破されてもジャーヤに被害がある訳じゃないでしょ? まぁ、罠を仕掛ける為の労力とか、その罠に使う費用とかはあるかもしれないけど」


 そう言いつつ、マリーナも本当に罠に使う労力や費用を惜しんで自分達に罠を仕掛けていないとは思ってはいない。

 実際のところは、恐らくここまで来ることを想定していなかったのでは? というのが、マリーナの予想だった。

 レイ達のように、極めつけに腕の立つ者達だからこそ、こうして何の被害もなくここにいるのだが、レーブルリナ国のような小国には、普通ならそこまで腕の立つ者というのはいない。

 だからこそ、この地下施設の周囲には幾つもの防御用の建物を設置したり、地下施設の入り口を精鋭で守らせたり、門の前を精鋭の中の精鋭で守らせたり、地下一階に幾つも存在していた罠……という、何重にも用意されたこの防御陣で安全だと思っていたのだろう。

 ……まさか、空中から直接地下施設の前まで移動してくるなどという方法をとられるとは、全く思いもせず。

 そして、襲撃してきたのはレイ達のような個人であるにも関わらず、極めて強力な戦闘力を持っている者達だというのも、ジャーヤにとっては大きな誤算だっただろう。


(いや、俺達がロッシに入ったという情報は間違いなくジャーヤも得ていた筈だ。であれば、何か対策くらいはしてもよかったと思うんだが……単純に間に合わなかっただけか、それともまだその対策が姿を現してないのか。それとも、意外と巨人が切り札なのか?)


 ジャーヤにとって、巨人というのは圧倒的なまでの戦力の象徴である以上、それをレイ達にぶつけてこないというのは、普通に考えれば有り得ない。

 レイも、巨人とはまだ戦ったことがないので、それが具体的にどれくらいの力を持っているのかというのは、実感として分からない。

 襲撃されたレジスタンスからということで、一応多少の情報を貰ってはいるのだが、そもそもその情報がどこまで正しいのかも分からないのだ。

 レジスタンスの主力が集まった場所で、いきなり行われた奇襲。

 である以上、レジスタンス側にとっては完全に不意打ちだった筈なのだ。

 向こうを待ち構えて正面から戦って負けたのならともかく、そのような状況で得た巨人の強さというのは、レイにしてみれば戦力の基準として考えるのは難しい。

 ……実は、そのような未知の戦力だからこそ、レイは多少なりとも警戒しているのだが。

 これが以前戦ったことのあるような存在であれば、レイもそこまで気にすることはなかっただろう。


「とにかく、降りましょう。巨人が産まれてるのは地下三階なんでしょう? なら、巨人と戦う機会もあるかもしれないしね」


 満面の笑みを浮かべて告げるのは、当然のように巨人との戦闘を楽しみにしているヴィヘラだ。

 それは正直どうかと思うのだが……という気持ちを抱きながらも、結局より深い場所に下りていく必要がある以上、誰も何も言わずに階段を下りていく。

 一応先程の階段と同じように、何か罠がある可能性は否定出来ない以上、周囲を警戒しながら進む。

 だが、結局何の罠もないまま、地下二階に下りてきた時と同様……いや、それよりも更に長い階段を下りて地下三階に到着する。


(何だか、ダンジョンに挑んでるみたいだな。いやまぁ、こんな風に扉があるダンジョンってのも……珍しくはないか)


 レイがエレーナと初めて出会った時に向かった、継承の祭壇があったダンジョン。

 そこも、このように扉のある階層はあった。


「何だか、初めてレイに会った時のことを思い出すな」


 まるでレイの考えを読んだかのように、エレーナが呟く。


「ああ、ギルムでも噂になってたわよ」


 当時はギルドマスターをしていたマリーナなので、レイとエレーナが初めて会った時のことは、当然知っている。

 それこそ、アーラがいきなりレイに攻撃したことを含めて。


「え? そうなの? 何か噂になることがあったの?」

「……それはそれとして、取りあえずこの地下三階をどうするか、だな」


 エレーナにとっても、当時のことは色々と複雑なのだろう。

 アーラの暴走もそうだが、自分が仲間だと思っていた者が実は裏切り者で、更に仲間を殺すといった真似をしたのだ。

 正確には殺したのはレイなのだが、そのような状況に持っていった以上、エレーナの中ではそのような認識だった。

 そんなエレーナの表情から何か感じたのか、他の者達もそれ以上はその話題に突っ込むことはなく、改めて地下三階に視線を向ける。

 地下二階と同じような巨大な扉が幾つかあるのだが、違うのは地下二階と比べても圧倒的にうるさいということだろう。

 聞こえてくるのは、痛みに耐えているのだろう呻き声と、赤ん坊と思われるものの鳴き声。

 ここで何故赤ん坊と断言しなかったのは、聞こえてくる声がかなりの大きさだったからだ。

 それこそ、大人の男が叫んでいるかのような声量であり、とてもではないがレイにしてみても、赤ん坊の声とは思えなかったのだ。


「どう思う?」


 言外に、巨人だから声も大きいのかと、そう告げてくるレイの言葉に、他の面々は無言で頷きを返す。

 それは、レイの言葉が言外に正しいと言っているかのような、そんな返事。


(血の臭いがするのは、出産をしている以上おかしくはないんだろうが……何だか、開けるのが微妙に怖いな)


 そう思いながらも、部屋の中を見るのは絶対に必要なことである以上、扉を開けないという選択肢はない。

 エレーナを含む他の面々の視線を受け、頷いた後でレイは扉に手を伸ばす。

 重い金属が軋む音と共に扉が開いていき……やがて、少しだけ開いた扉の隙間から強い血臭が漂ってくる。

 一人や二人ではない。より多くの、濃厚な血臭。

 そのことに微かに眉を顰めたレイだったが、レイ達が入れる空間的な余裕が出来て、そこから視界の中に入ってきたのはあまりにも予想外な光景だった。

 いや、先程の血臭を嗅いだ時点で、予想してしかるべきだったのかもしれない。


「な……」


 部屋の中に広がっていたのは、妊婦の腹を破り……いや、食い破って出てきた巨人の子供。

 産まれたばかりにも関わらず、その姿はレイと同じくらいはある。

 それだけの大きさである以上、当然普通に産まれてくることが出来る筈がない。

 そうである以上、妊婦の腹を破って出てくるのはおかしな話ではない。

 しかし、自分を産んだ母親の身体を内部から食い破っているという状況は、異常としか表現出来ない。

 産まれたばかりにも関わらず、母乳を飲むのではなく母親の内臓や肉、皮、骨といったものを食べている様子は、この世界にやってきて人を殺すという経験を多くしてきたレイにとっても、動きを止めるのに十分なものだった。


「こ、これは……」


 レイのすぐ後ろにいたエレーナも、当然のようにレイが見た光景を目にすることになり、思わず動きを止める。

 レイと同様……いや、純粋に戦場を駆けたという経験ではそれを上回っているのだが、そんなエレーナにとっても目の前の光景は到底信じられるものではない。


「このような……このような行為、許されるものではない!」


 その背後に黄金の炎を幻想するような、そんなエレーナの叫びが周囲に響き渡るのだった。

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