第1511話

 酒場から少し離れた場所にある、路地裏。

 そこで、レイとヴィヘラ、ビューネは男と共にいた。

 その男は酒場でヴィヘラを口説こうとした男だったが、ヴィヘラが断ると当然のように激高し、力づくでもヴィヘラを自分の女にしようと考えた。

 ……ヴィヘラの美貌を考えれば不思議なことではないのだが、お互いの間にある実力差を考えれば、それは自殺行為以外のなにものでもない。

 結果としてヴィヘラにあっさりと捻られた男は、こうしてレイ達と共に路地裏にやって来て、情報収集に協力させられていた。


「さて、娼館……特に娼婦の数が多い娼館はどこにあるのか、教えて貰える?」

「ひぃっ、な、何でそんなことを知りたがるんだよ!」

「あら、言ったわよね? 彼ったら夜が強すぎるって」


 そう言いながらヴィヘラの視線が向けられたのは、レイ。

 普段とは違う、女らしい艶のある流し目を向けられたレイは、そっと視線を逸らす。

 強引に……それこそ奴隷の首輪を使ってまで連れ去られた女達は、娼婦として働いているという話は既に知っている。

 であれば、その娼婦のいる娼館こそが、アジャスの組織ということになるのは当然だろう。

 そして女のヴィヘラが娼館を探す理由として選んだのが、自分の恋人が精力的すぎて身体が保たないから、娼館に連れていく……ということだった。

 それ自体は構わなかったのだが、まさかレイは自分がその恋人役にさせられるとは思っていなかった。

 勿論、レイもヴィヘラが自分をどう思っているのかというのは知っているので、寧ろそれは当然の結果だったのかもしれないが。


「う、嘘つけ! だったら何でこんな強引な真似をするんだよ!」

「だって、貴方嘘を吐きそうでしょう? なら、これくらいのことはした方がいいと思うんだけど……どう?」


 そう言いながら、ヴィヘラはそれこそ一見すれば誰もが目を奪われるだろう笑みを浮かべる。

 ……ただし、笑みを浮かべているその横で、地面に落ちていた石を右手で握りしめ、そのまま砕いてさえいなければの話だが。

 幾ら魅力的な笑みを浮かべている美女がいても、隣でそのような真似をされていては、とてもではないが見惚れるような真似は出来ないだろう。


「わ、分かった! 俺に分かることなら何でも言うから! だから、頼む! 何もしないでくれ!」


 そう告げる男に、ヴィヘラは満足したように笑みを浮かべる。

 一瞬前まで浮かべていたのも笑みだったが、今浮かべているのは間違いなく笑みの種類が違っていた。

 笑みを浮かべている本人もそれを理解しているのか、笑みを浮かべたまま口を開く。


「じゃあ、教えてちょうだい。娼婦が大勢いる娼館ってどこにあるの?」

「大勢って、本当に娼館について聞きたいのかよ。……そりゃあ……」


 まさかこうして脅すような真似をしているにも関わらず、本当に娼婦について聞きたかったのかと、男は少しだけ驚く。

 こうして強引に連れてこられた以上、娼婦云々というのは何かの建前で、もっと何か別の……それこそ普通であればそう簡単に聞けないような情報を聞くのではないかと、そう思っていたからだ。

 もっとも、男はただの冒険者……それも小国のレーブルリナ国の冒険者にすぎない。

 一応首都のロッシで冒険者をやっている以上、それなりに出来るという自負は持っているが、それでもランクD冒険者でしかない。


「取りあえず、娼婦についての話だ。それで? 具体的に娼婦の多い娼館ってのは、どこにある?」


 ヴィヘラではなくレイからの問いだったが、男は既にそれに逆らう意思を完全にへし折られていた。

 それこそ、ビューネに質問されても素直に答えただろう。……ビューネの質問を理解出来れば、だが。


「あー、ロッシにも娼館がある一画はあるけど、どこか特別に娼婦の数が多いって訳じゃないと思う。勿論、俺だって全部の娼館にいった訳じゃないから何とも言えないけど。……ただ……」


 何か意味ありげに言葉を止めた男の言葉に、改めてヴィヘラは視線を向ける。

 瞬間、男は背筋に冷たいものを感じ、慌てて口を開く。


「その、ここから一日くらい馬車で移動した場所に娼館と酒場だけをやっているメジョウゴって街があるんだ。そこならお前達の言う通り、娼婦が大量にいるんじゃないか?」

「……へぇ」


 そのいかにも怪しそうなメジョウゴという街に、ヴィヘラは興味深そうに声を上げる。

 男にとって幸運だったのは、ヴィヘラの言葉に不愉快そうな色がなかったことだろう。

 ヴィヘラも、娼婦としてしか生きていけない女がいるというのは、十分に理解出来ている。

 ……もっとも、ギルムでアジャスがやっていたように、強引に連れ去って奴隷の首輪を使って娼婦をやらせているというのであれば、とても許せることではないが。

 レイを愛する女として、自分の意に反して男に抱かれるのがどれ程の苦痛なのかというのは十分に理解している。

 自分でも色々と矛盾している思いを抱いているというのは分かっているが、とにかく今はメジョウゴという街について詳しく知る必要があった。


「それで、そのメジョウゴに入るにはどうすればいいの? 普通にそこに行けば入れるのかしら?」

「ああ、特に問題はなく入れるらしい。酒場の酒は高いらしいけど、娼館の値段はかなり安いって話だし。けど……」


 男は一旦言葉を止めて、ヴィヘラを見る。

 より正確には、ヴィヘラの身体を覆っている薄衣を、だ。


「何かしら?」

「その、あんたはともかく、そっちのお嬢ちゃんみたいなのはメジョウゴにいれば悪目立ちすると思う」

「……そう、ね。そうかもしれないわね」


 基本的に娼館をメインにしているのがメジョウゴという街である以上、男が集まるのはともかく、女が集まるということは基本的にはないだろう。

 勿論基本的にということで、女が好きな女といった者達はいてもおかしくはないのだが。

 ともあれ、そのような場所にエレーナやマリーナ、ビューネといった者達がいれば、確実に目立つ。

 ヴィヘラであれば、その服装から娼婦と思われる可能性が高いだろうが。

 勿論娼婦に見えたのであれば娼婦に見えたで、余計なトラブルが起きる可能性も高い。

 そもそも、ヴィヘラ程の美貌を持つ娼婦であれば、大抵の男であれば買いたいと思うだろう。

 だが、当然のようにヴィヘラにそんなつもりはない。

 そうである以上、ヴィヘラを買いたいと思う客とヴィヘラの間で騒動になるのは確実で、メジョウゴについて調べ……最終的にはアジャスの所属していた組織に対する報復を行うという行為の邪魔になってしまう。


「けど……レイを一人でそのメジョウゴに向かわせるのも……ちょっと不安なのよね」


 そう告げるヴィヘラは、男を脅した女と同一人物とはとてもではないが思えない。

 女って怖い、と男はそう思ってしまう。


「その辺りは、また後で話せばいいだろ。俺達だけで決められる訳じゃないし。……それより、そのメジョウゴって場所の詳しい位置を教えてくれ。具体的にどう行けばいい?」

「あー……どう行けばいいって言ってもな。基本的にはここから出ている馬車に乗らないと向こうで受け入れてくれないぞ」

「……うん? それは、例えば俺がそのメジョウゴという街に立ち寄っても、中に入ることは出来ないってことか?」

「あ、ああ。そうだ」

「なるほど、その辺りの警戒はしっかりしている訳か。……けど、そうなると金儲けって意味だと結構足を引っ張ってるんじゃないか?」


 馬車というのは当然決められた人数しか乗せることが出来ないし、何よりその馬車を維持するにもある程度の金が必要となる。

 馬を始めとした馬車を牽く動物は高価だし、それがモンスターであれば余計に値段は上がるだろう。

 金を儲ける為に娼館をやっているのであれば、明らかに間違っている……と、レイには思える。


(となると、別に金儲けをする為に娼館をしている訳じゃないのか? まぁ、娼婦を希望する女ってのはそれなりに数はいるって話だったから、わざわざ他国から人を強引に連れ去ってまでやることじゃないとは思うけど。……でも、じゃあ何の為に?)


 結局そこに戻ってしまう。


「俺も金儲けって意味だと足を引っ張ってるってお前の言葉には賛成だよ。ただ、馬車に乗る際に弾かれる奴もいるって話だし、その辺りを考えるとメジョウゴにはやっぱり何かあるんだろうな」


 レイと話している間に、やがて緊張がほぐれてきたのだろう。

 ヴィヘラの行動は色々と恐怖を覚えるが、レイは自分に対して脅したりもしてこない。

 ましてや、レイは男だ。

 当然のように大勢の娼婦がいるメジョウゴに興味があるのだろうと、そう思ったのだろう。

 ……そんな男の様子に、ヴィヘラが不愉快そうな視線を向けているのだが、男はそれに気が付いている様子はない。


「お前は行ったことがないのか?」

「あー……ちょっと金がな。勿論メジョウゴは値段の安い娼館もあるらしいけど、出来ればそこまで行くんなら最高の……とまでは言わないけど、もう少し値段の高い娼館に行きたいから……な……」


 言葉の途中で男が言い淀んだのは、ヴィヘラから向けられる冷たい視線に気が付いたからだろう。

 まさに凍り付いたかのように言葉が止まってしまった男に向け、ヴィヘラは再び口を開く。


「それで、そのメジョウゴに向かうには、何か必要なものはあるの? 誰かからの紹介状とか」

「え? あ、う……と、特に必要はないって話だ。勿論紹介状があれば色々と便宜を図ってくれるらしいけど」

「そう。情報をありがとう。でも……これからは言動に十分注意した方がいいわよ? ……見ての通り、私は石を壊せるくらいの握力があるんだけど……」


 そういいながら、ヴィヘラは再度近くに落ちていた石を握り、砕く。

 そんなヴィヘラの視線が向けられたのは、男……の、股間部分。

 ヴィヘラが何を言いたいのか、男には十分に……十分すぎる程に理解出来たのだろう。

 何度も何度も、それこそ残像がみえるのではないかと思うくらいの速度で頷く。

 そんな男の姿をじっと見ていたヴィヘラだったが、やがて笑みを浮かべ、口を開く。


「分かって貰えたようで嬉しいわ」


 ヴィヘラの返事に、男は自然と内股になりながらも助かった……と、安堵する。

 男にとって、昨日仕事が終わって今日から数日はゆっくりと休もうと、そう思っていたのだが……初日からこの有様だというのは、まさに不運以外のなにものでもないだろう。

 もっとも、男が自分からヴィヘラに絡んでいったのだから、レイから見れば自業自得だという感想しか思い浮かばないのだが。


「じゃあ、色々と情報はありがとう。次から、絡む相手には気をつけた方がいいわよ?」


 そう言い、ヴィヘラはとびっきりの笑顔を浮かべてその場から去っていく。

 本来ならその笑みに見惚れてもおかしくはない。おかしくはないのだが……今、男が感じているのはそんな甘いものではなく、恐怖だった。

 取りあえず無事に済んだ……そのことに安堵する。

 ヴィヘラの後を表情を変えずに一連のやり取りを眺めていたビューネが追い、レイもまたその後に続こうとし……だが、足を止める。

 ヴィヘラに言い寄ってきた男ではあったが、それでも今回はレイの目から見ても悲惨としか言えない結果となってしまった。

 そう思うと、このままにしておくのもどうかと考え、その場で踵を返して男の方に近づいていく。


「っ!?」


 地面を踏む足音に、またヴィヘラが戻ってきたのではないかと一瞬身体を固めた男だったが、自分に近づいてきたのがレイだと知ると少しだけ安堵する。

 もっとも、ヴィヘラのような危険人物と一緒にいた男だ。

 ましてや、そのヴィヘラから強烈な愛情を抱かれている相手だというのは、先程のやり取りを思い出せば間違いはない。

 そのような人物が見かけ通りといった筈もなく、つまりレイも男にとっては恐怖すべき対象でしかなかった。

 ただ、幸いレイは男に対して直接危害を加えた訳ではない。また、今も男の前に立ってはいるが、特に何か危害を加えようとする様子もない。

 そのことに安堵している男に対し、レイはミスティリングから取り出した銀貨数枚を手渡す。


「情報料だ」

「……ああ」


 渡された銀貨を手に、男が出来るのはただそう返すだけだ。

 絡んで、情報を搾り取られて、見惚れて、恐怖して……普通であればそう簡単に経験しないだけの感情を短時間で経験したこともあり、そしてヴィヘラに見逃されたこともあって、精神的に疲れていたのだろう。

 男は、レイから受け取った銀貨を眺め……そうだ、酒場に行こうとそう考えるのだった。

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